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近畿中央部を除いて、前方後円墳が少なくなり、埋葬施設として横穴式石室が普及。また、群集墳も実現。
→地方豪族没落=大和政権への服属

とあるんですけど、どうゆう意味か分かりやすく教えて下さい!

A 回答 (2件)

どういう流れでそのような表現になっているかよくわかりませんが…



考え方として
「近畿中央部を除いて、前方後円墳が少なくなり」
というのは、前方後円墳のような巨大な墓を作る場合は、膨大な労働力を必要とします。
ですから近畿を除いて、前方後円墳をつくれる力のある勢力が少なくなったと言うことでしょう。

「埋葬施設として横穴式石室が普及。また、群集墳も実現。」
前方後円墳の場合は竪穴式石室になります。前方後円墳が廃れれば当然竪穴式石室も少なくなります。
また、横穴式石室は円墳をかならずしも必要とせず、崖があればそこに築くことができます。
群集墓が実現したと言うことは、ずばぬけた権力をもっている人が少なくなったということでしょうね。

「→地方豪族没落=大和政権への服属」
結局これらのことから、有力な地方豪族が没落したことが予想され、それがすなわち大和政権への服属になったということでしょう。

ただ、現在でもなぜ前方後円墳が廃れたのかよくわかっていません。

なお、日本最大の大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)及び第二位の誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)は
いずれも大阪府内であり、それぞれ堺市と羽曳野市にあります。
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日本の古代は、地域で集落を作るのが、生活様式でした。

そして、村長の埋葬は、円墳が多かったですが、その後、前方後円墳が、徳島県の古墳から始まったようです。
そして奈良の仁徳天皇陵が一番大きいのかな、その後の古墳は、見当たらないので、石室に変化したと考えられるのです。高松塚古墳などが、石積みで壁画があり有名になりました。

いずれも、徳島県阿南市で取れた、朱が使われていますから、交流があったことも確認されています。
参考までに・・・・
https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1121 …

https://www.asuka-park.go.jp/area/takamatsuzuka/ …

そして、地域集落が、だんだん組織を大きくして、古事記の編纂された700年代前後で、全国に神社が建っています。この頃から、集団生活が一回り大きくなったと考えられます。それがヤマト王朝の怒りですか。その分、地方豪族の没落とはその事でしょうね。
https://senjp.com/jinmutennou/
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