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私は日本のシステムの長幼の序というのは社会を安定するという面では
いいシステムだと思っています。人生経験がある年寄が若い人を
諭すのはいい面もあると思います
しかし、これだけ、世界が狭くなっている今、もちろん昔に比べて長幼の序はなくなってき
ていますが、平成の世の中がグローバリズムのせいで格差社会になった所を見ると、
若い人の自由は認めながらも、大きな社会システムとしてもう一度、日本人全体が
長幼の序や思いやりといったシステムを考えていく必要があると思います。みんなどう
思いますか?

A 回答 (9件)

あたしゃ高校の山岳部出身で30Kg以上もある荷物背負って歩いたけど、高校2年生と1年生じゃあその能力に雲泥の差があったね。

いわゆる新米っていうやつだ。だから、その差を身を以て経験した私にゃあ、山歩きに関して山岳部の高校2年生が高校1年生に向けて上から目線でモノ言うことに疑問を感じたことがなかったどころか、そんなの当たり前だと思っていた。

でも、1年も経つとあら不思議、自分も先輩並の歩き方ができるようになってきた。一方3年生になると受験に忙しくて山歩きをやってる暇がなくなって、荷物背負った山歩きでじゃあ、2年生も3年生も大した差がなくなってた。だからって、後輩のあたしが先輩と対等になったと思ったことがなかった。そこに来るまで、先輩は献身的にあたしを育ててくれたんで、それに関する感謝の念を持っていたからだ。

あたしの基本的な考えは、あたしのような並の人間でも運よく献身的な先輩に巡り逢え、さらに本人が努力し続けられさえすれば、どんな道でもその分野でいっぱしの人間として評価されるところまでは成長できると考えている。それが実際に世間で認められようが認められまいがだ。そして、そこまで成長できた人間は後輩の指導に必ず役に立つ人間になっていることも間違い無いと思う。これが並なあたしが経験から得られたことだ。

このことは、世の中の大多数の人に当てはまっていると思っている。そして、長幼の序を是とする社会は、このような経験則を認識できる社会なんだと思う。別な言い方をすると、若者に対して、並な人間でも石の上にも三年いれば一端の人間になれることを身をもって示して、長幼の間で信頼関係ができていることが、長幼の序の必要条件なのだと思う。

若者が未熟なのは当たり前だ。だって未経験なんだもの。若者があんたの分野に夢を持って入ってきたときに、その若者に向かって謙って

「あたしゃあんた並の初心者だ」

なんてこと言ったら、未経験な若者は混乱して若者の夢を潰してしまいうかもしれない。一日の長があるあんたが、その若者と同じ初心者であるはずがないんだから。そんなことしたら、倍倍倍と成長していつかあんたを超えて行くかもしれない若者を潰してしまいかねない。

長幼の序とは、年長者が自分の過去を省みて自分の成長を認識し、若者に対して自信を持って接することのできる状況で生まれてくるもんだ。その成長を認識できない年長者が長幼の序と言ったところで、若者を説得できないと思うよ。
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高校3年生が高校2年生に向けて上から目線でモノ言うのも「長幼の序」かいな?


だったら、そんなのやめちゃいなよ。

それから教師が学生よりも偉いと思ってる勘違いも、長幼の序かねぇ?
僕なんか、教えて金とる奴よりも、金払って学ぶ奴の方が上と思ってるから、教員の上から目線なんて噴飯ものだよね。
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#4です。



意図はわかりました。
因みに、私は未熟な年寄りですので。
cyototu さんのように名実備えておられる方からすれば噴飯ものかもしれませんが、年寄りが未熟であっても仕方ないところはあるかと。
ただ、年寄りというだけで序を示されても嬉しくはないということ。
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#4のhakobuluさん。



あなたの言う通りなんだけど、プロとなって私の周りにいる年寄りたちは、ほとんどの人が、間違いなく若いもんの数万倍数億倍の判断力を持っていますよ。成長は指数関数則に従っている。微分方程式を知ってしまった若者には、このことをはっきり認識してもらわなくちゃ、何のために微分方程式を習ったか判らなくなっちゃう。ただし、それと同時にその若いもんたちに、指数関数の意味も解ってもらうように檄を飛ばしています。
「確かに、今はこの年寄り連中はあんたがたの数億倍先を行っているが、あんたがたも指数関数則に従って成長するんだ。だから、倍倍倍と成長して、あっという間に数億倍伸びる。だから手を抜いている年寄りに直に追いつけるんだよ」と。

若いもんと年寄りの一番大きな違いは、若いもんは歳をとった経験がないが、年寄りには若い頃の経験をしたことがある事にあるとも、常々諭している。だから、年寄りは若いもんには未だ見えない世界をいくらでも知っているんだとも。だから、プロになりたかったら、今その価値が解らなくても年寄りの言うことをしばらくは聞いておいた方がいいよってね。

まっ、プロになりたかったら、「理屈は言うな、黙ってやれ」って言われる時が必要なんだよね。でもそれには、若者が畏怖の念を持って信頼して年寄りを見ることができなくてはダメだ。長幼の序ってえのはそんな信頼関係でのみ生まれてくるもんだよね。
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avwatchから煽れるのは名なので主ね。


オーディオヴィジュアルのry買うではないのですか。
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#2です。



cyototuさんが、
>このような長幼の序を一旦ご破算にしようという人は、科学的思考が苦手な人のようですね。

とおっしゃってますが、
>年寄りは若者と比べて途轍もない知識を持っているのです。それを昔の人は経験的に認識して、長幼の序を重んじるようになったのです。

という内容こそ科学的思考とは到底思われないのですけどね。

年寄りは若者と比べて途轍もない知識を持っている確率が高いのです。それを昔の人は経験的に認識して、長幼の序を重んじるようになったのです。

なら、わかります。
昔は、その確率を検証できなかったため、歳をとっていれば、とりあえず偉いと認識しておくしかなかった。
しかし、マスコミの発達やグローバリズムの普及によって、歳をとっているから偉いわけじゃないという事例が炙り出されるようになってきた。
この期に及んで長幼の序でもなかろうに、といった意味の投稿でした。
ブーメラン覚悟の科学的思考でしょ?
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今これから手に入れる知識の量は、今現在持っている知識の量に比例していますね。

知識の無い者は手に入れる知識も少ない、知識の多い者は手に入れる知識も多い。

これを微分方程式で書くと、その解が簡単に求めらます。その結果、知識の増加は倍倍倍と指数関数的に増えてゆくことが示せます。指数関数の特徴は、ある時刻を過ぎると急激に途轍もない速さで増大することです。0.1, 0.2, 0.4, 0.8と最初はゆっくりと大きくなりますが、その値が1を超えると、1, 2, 4, 8, 16, 32, 64, 128、、、と急激に大きくなり、あっという間に1億、2億、4億、8億、16億、、、と増えて行きます。

だから、年寄りの知識は若者の優に数億倍はあるのです。ところが、自然界はその大きさを直接感じるのではなくて、その対数で感じるようにできている。対数とは、10のn乗のnのことです。だから、本当は100倍違っているのに2倍と感じ、1000倍違っているのに3倍と感じ、1億倍違っているのに8倍と感じます。これは、光の強さや音の強さと同じで、我々の感じ方は常に対数で感じています。

ですから、年寄りは若者と比べて途轍もない知識を持っているのです。それを昔の人は経験的に認識して、長幼の序を重んじるようになったのです。

このような長幼の序を一旦ご破算にしようという人は、科学的思考が苦手な人のようですね。
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「長幼の序」


年長者と年少者との間にある秩序。子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむというあり方。

マスコミの発達やグローバリズムなどによって、その無意味さが露わになってきているように見えます。

女性はおしとやか?
親の言うことは聞くべき?
先生は間違わない?
警察・検察は常に正しい?
政治家・官僚は国民のために頑張る人のこと?
などと同様に、

年寄りは敬うべき?

という疑問が湧かざるを得ない状況が、良くも悪くも社会に拓けてきている。
そして、年々加速しているのでしょう。
半端な棹では簡単に流されてしまうほどの加速度で。
現状、年寄り≒無駄飯食い としか認識されていないようで、また、それを否定できるだけの根拠も、声を大にできるほど持ち合わせていないのが我彼の実情かと。
バランスをとるために、長幼の序の復権も良いかとは思いますが、一度ご破算にすべき時代に来ているような気はしますね。
いずれ再来することはあるでしょう。
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平成の世の中がグローバリズムのせいで格差社会になった


   ↑
格差が広がっているのは確かですが、
原因は、人口構成において、老人の比率が
高くなったからです。
老人は人生が累積されるので、格差が大きい
のです。
その老人が増えたので、格差が大きくなった
のです。




若い人の自由は認めながらも、大きな社会システムとしてもう一度、日本人全体が
長幼の序や思いやりといったシステムを考えていく必要があると思います。
みんなどう思いますか?
 ↑
資源の無い日本がここまでやって
来れたのは、団結力であり組織力です。

その一環が長幼の序であり、思いやりです。

米国の真似をしても米国にはなれません。
グローバル化だからこそ、日本の特徴を生かす
べきだと思います。
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