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喉の調子が悪く飲み込めません。(誤嚥性肺炎のリスクが高すぎる。)
現在は鼻から栄養チューブでカロリーを摂取しているそうです。
しかし、鼻からは粘膜を傷つけるため長くは続けられないので胃ろうを作ろうと説明されました。
ただ、テレビで見た情報ですが年単位でしている人もいるような気がしますし、実際、胃ろう以外の選択肢はないのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • この辺り日本の平均との価値観にギャップを感じ懸念をしています。デイビッド・グドールさんの考えにも共感するところがあります。ただ、価値観の相違ですので気にされなくてもよいかと思います。前述したとおり生きたい人は大いに生きたら良いと思います。それも否定されるべき価値観ではないでしょう。ただ、私は自身の経験から本人の価値観に反して生かされ続ける現在の医療制度には重大な人権侵害があり恐ろしくも感じています。

    >父方の祖母の話について
    祖母が搬送された時に、本人には意識がありませんでした。CT検査をしたのは救急搬送後に勝手にそのような対応をされたそうです。本人の意志とは無関係の処置です。また、生きる気がまんまんかはどうかと思います。食べたくないと言っていても周りが頑張って食べさせていたり結構たいへんでした。戻したりもよくありました。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/20 04:14
  • また、生きたくなくても目の前の空腹を避けるには食べる必要があります。実際に自殺は恐らく大変でその手の本も多くありますし、本人の意志ではどうにもならない問題があるかと思います。自殺未遂なども生きたかったと解釈する人も言えれば、意志とは無関係な限界があると解釈することもできるかと思います。仮に上記に書いた方のように日本にも様々な選択肢があるなら、安らかな最後を選択肢として考える余地はあったと思います。
    なお、最終的に明確な意思疎通ができるほどまで意識は戻らず様々な検査器具やチューブに繋がれていました。また、痰が喉に詰まるので看護師の人が意識朦朧とは言え吸引して祖母は涙を流していました。家族も大変だったでしょう。

      補足日時:2019/05/20 04:14
  • よく頑張った。お疲れ様でしたと父は言っていました。
    私から見れば、そんなにお疲れ様にせず頑張らせずもっと良い方法があるのではないかと強く感じました。もっとも、祖母の意志は父に一任するでしたのでそれも仕方がなかったでしょう。胃ろうについては年齢的にもう十分だと言っており断る予定でいたそうです。ただ、祖母にしてもそこまで苦しい最後だと知っており、他の選択肢が予め日本にもあるのなら何か意思表示していたかもしれません。この辺り経験し、私自身の死生観について考えることが多くなり、結果、日本の無駄な延命は苦痛を伸ばしている場合があるという結論に至っています。実際には他の親族でも似た話があり実際にはかなり多いケースかと思います。
    母方の祖母についてこのように考えるのは、私と価値観が近いところがあるため特にこの点についても懸念しています。

      補足日時:2019/05/20 04:14
  • 状態の説明について、曖昧といいましても、当方素人ですし、医師の説明を聞いて全て理解できるようなものではありません。実際、家族全員で行って主治医から説明を聞きましたが、本人も含めあとで話をすると、その部分が違うとか先生はそういった、言わなかったなど結構チグハグでした。素人が関わっている以上残念ながら断片的な情報を元に色々考える他ないのが現実です。


    耳鼻科でファイバースコープで見ると、開いたり閉じたり両方共正常に動いている。また、リハでも問題なかったと言っていましたので、それで嚥下がほぼ回復と私が理解したのかもしれません。


    ビールについては、良くなったとしても当面は医師の判断を仰ぎ自己判断しないように祖母に申し伝えておきます。

      補足日時:2019/05/20 04:15

A 回答 (10件)

>これは間違いなく、主治医が家族説明の時に行ったもので間違いありません。


私の質問は「本当にあなたは主治医からそう言われたのでしょうか?」です。
それに対する「これは間違いなく、主治医が家族説明の時に行ったもので間違いありません」は、「あなたが直接主治医から言われたわけでは無い」ことを示唆しています。

>それに疑問を持ちこちらに質問をしたというのが、そもそもの質問の発端です。
あなたが直接主治医からそう言われたのであれば、こんな所で質問せず、そのとき、或いは後日、主治医に質問すれば良いことです。

私が書いた『2ヶ月どころでは無く、それより遙かに長い期間それを続けている人達を、私はたくさん見ています。皆さん、それ相応に「お元気」でした』は、現実の話しです。
これはあなたの書いた「鼻からのチューブを入れる方法では長くても2ヶ月が限度でそれ以上は無理」が嘘、又はあなたの思い込みによるもの、或いはその人物固有の問題(たとえば、咽頭部や食道などに癌がある、など)によるものでしょう。
いずれにしても、提供されている情報を元にすれば、「鼻からのチューブを入れる方法では長くても2ヶ月が限度でそれ以上は無理」はあり得ないでしょう。

>十分なカロリーを取るには水飴みたいなものを流し込むことになり現実的ではないという話でした。仮に行うと痛みが酷いのと続ければ血管がボロボロになるという話でした。
何度同じ事を書いても無駄です。
これについては、既に「少なくとも数週間程度は点滴で対応できることを私自身が経験しています」と回答済みです。
念の為に書いておきますが、この「少なくとも数週間」は、2週間とか3週間ではありません。

>話を聞く限り、胃ろう以外の選択肢は事実上存在しない感じで話が進みました。
「感じ」は、「あなたがそう感じた」に過ぎません。
重要なのは、本当に医師が「胃瘻しか無い」と言ったのかどうか、です。
そして、もしも医師がそう言った場合であれば、それは「当病院で治療するなら、胃瘻しか無い」や「死なせないためには胃瘻しか無い」という意味です。
その上で、最終決定したのは、医師では無いはずです。
責任を負うことを避けるために、病院側は患者や家族に「どうしますか?」と言って、選択させるのです。
早く死なせたいなら「胃瘻は拒否します」と答えれば良かっただけのことです。

>なお、祖母の意志としてはとにかく家に帰りたい。
一般的な人は、皆そうです。
何故入院するかと言えば、「傷病を治したい」からです。
生きる気満々なのです。

>それなりに元気というのは家に帰って家事などはできる感じでしょうか?
私が書いたのは「相応に元気」ですが、これはそのままの意味でしかありません。
「相応」の意味を辞書で調べましょう。

>もし無理ということであれば、祖母の意向と噛み合わないためはじめから除外したのかもしれません。
治療やリハビリの結果どのような効果が現れるかについて、保証などありません。
それが不満なら、病院など行かない方がいいでしょう。

>血管からですが、数週間大丈夫であったとのことですが、体重などは減りますでしょうか?
随分暢気な話しです。
そんな状態であるのに、体重計には乗りません。

>また、血管への痛みなどは大丈夫でしたでしょうか?
ありません。
そもそもそれどころでは無いので、その程度の痛みなど、どうでも良いことです。

>ただ、退院後の年単位の話が控えておりそれを踏まえて除外したのかもしれません。
意味不明です。

>私は絶対にごめんです。
これについても既に回答済みです。
あなたがどのような価値観を持つかは、あなた次第です。
ですが、他人の死生観についてまで踏み込むことは、「おこがましい」と評価される可能性十分です。
そして、同じ事を何度も質問することは、「しつこい」と評価される可能性大でしょう。

>意思表示が出来ない場合にはそれが強制されるのが今の日本の医療制度です
話を捏造したらいけません。
医療機関は、患者の家族に胃瘻や胃瘻以外の選択肢の存在について説明し、その優劣を示した上で、「どうしますか?」と家族に選択を委ねたのです。
「意思表示が出来ない場合にはそれが強制されるのが今の日本の医療制度」であるなら、あなたたち家族は「胃瘻その他の選択肢に関する説明」を受けていません。

>他の方の価値観について言っているものではありません。誤解があればすみません。
本件質問は「あなた自身が胃瘻をやった」話しではありません。
血縁者であるにしても、それは他人であり、あなた自身ではありません。
他人についての質問に関するやりとりの中で、あなたは「無駄」と書いたのです。
そして、「私や家族、見送った人を見ていると無駄といいますか、本人にとって良くなかったと私が感じている」とも書いています。
他人の人生について「良くなかった」などと口出しすることは、甚だおこがましいことです。
胃瘻にしろ何にしろ、「チューブによって生き長らえさせられるようなことは、自分は拒否する」と考えている人は、少なくともそれを「絶対に実行してくれるだろう家族」に伝えているでしょう。
そうしたことをしていない人は、それを重要視していないのです。
つまり、「いざと言う時は家族の意志に委ねる」という選択です。
これは「自分では選択しないという選択」です。

>無意味な延命は虐待とも言われていますし
「他の方の価値観について言っているものではありません。誤解があればすみません」と書きながら、その前段で「私や家族、見送った人を見ていると無駄といいますか、本人にとって良くなかった」と他人の人生に踏み込み、挙句の果ては「無意味な延命は虐待」とまで主張されるのですから、どうかしています。
「本人の望まぬ延命は虐待」ならば私も理解しますが、「無意味な延命は虐待」は、結局のところあなたが他人の人生に自分の価値観を押しつけ、「そんなことは無駄です」と、くだらない自己主張をされているに過ぎません。

本件についての私の回答はここまでです。
答えることがバカらしくなりました。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

>私の質問は「本当にあなたは主治医からそう言われたのでしょうか?」です。
>「あなたが直接主治医から言われたわけでは無い」ことを示唆しています。
私は孫です。そして祖母と一緒に主治医から話をされましたので示唆も何も一緒に聞いていましたので、これは事実としか言えないです。
ただ、遥かに長い間、鼻からで生活しておられる方がおられるというお話は全くの初耳で貴重な情報ありがとうございます!再発の際にはこの話も疑問点として先生に相談してみようと思います。
なお、祖母の極めて強い希望として家に帰り自分で生活したいというのがあります。もしよければ再発したときのためにお伺いしたいのですが、鼻からの場合、家に帰えることは可能でしょうか?
もしかすると、この希望を加味して出来ないという話をされていたのかもと思ったりもしています。

痛みについてですが、QOLも重要です。命だけが最優先という医療がはびこっていることに憤りを覚えています。
体重については祖母が非常に気にしており増えて体力がついたと喜んでおりましたので少なくとも祖母(患者本人)にとって選択肢として重要なことのようです。
また、痛みがなかったとの情報ありがとうございます。

>これは「自分では選択しないという選択」です。
本人にそこまでの知見があれば良いですが実際には難しいです。
後悔先に立たずという言葉がありますが、これは選択肢とその結果を知らないことが大きいです。
家族説明でも結局私が話を聞き祖母は疲れたのでメモなどはしないので私任せです。
あなたのように全て自己責任でできる人ばかりではないのです。
私としては祖母へは予見可能な選択肢は提供したいと思っています。


死生観については独自の考えをお持ちのようですので差し控えますが前述の通り私の主張です。また、国によってそもそもその価値観が異なります。無意味かどうかは本人の考えるところであり私の判断があるわけではありません。また、あなたは拡大解釈し、私の主張までくだらないと私の意見まで否定されていますが、日本以外での価値観は受け入れず、あなたの価値観を私に押し付けておいでですよ。その書き方でも、そうではないとおっしゃられるのであればこれはお互い様です。言葉遊びになっていますので以降この回答は馬鹿らしいので書きません。平行線でしょう。

お礼日時:2019/05/20 18:15

>確かに、病院に担ぎ込まれた時点で本人の意志が確認できなければ胃ろうの有無にかかわらず同じことになりそうですね。


意思確認は、私の指摘とは関係ありません。
餓死するかどうかは一定の猶予を持った選択であり、緊急を要する病状の場合、胃瘻であろうとなかろうと、本人に意識があろうとなかろうと、医療上行うべき事が猶予無く為されるに過ぎません。

>ただ、本人の意志が確認できない場合、病院は胃ろうを勝手にするのかは気になるところです。
何を言いたいのか、意味不明です。
交通事故で意識不明になった人が病院に担ぎ込まれたとき、意識不明であろうが、病院は救命に必要な処置をします。
意思確認など無関係です。

>今回、医師の説明によると鼻からのチューブを入れる方法では長くても2ヶ月が限度でそれ以上は無理。
>点滴については必要カロリーを摂取できないため無理(痛みや血管がダメになる)と話をされました。
>事実上、胃ろうしか無いという感じで案内されました。
そもそも、あなたがこれまで書いてきた内容は、その患者の主治医から直接そのように説明されたのでしょうか?
たとえば「胃瘻しか無いという感じで案内されました」は、あなたが直接主治医からそう言われたのでしょうか?
「鼻からのチューブを入れる方法では長くても2ヶ月が限度でそれ以上は無理」という話について、本当にあなたは主治医からそう言われたのでしょうか?
「点滴については必要カロリーを摂取できないため無理(痛みや血管がダメになる)」は、本当の話でしょうか?
「胃瘻しか無いという感じで案内されました」は、本当は誰かからの又聞きでは無いのでしょうか?
「胃瘻を勧められた」なら理解しますが、「胃瘻しか無いという感じで」は、まるで白い巨塔の財前医師のようです。
「鼻からのチューブを入れる方法では長くても2ヶ月が限度でそれ以上は無理」と言うお話ですが、2ヶ月どころでは無く、それより遙かに長い期間それを続けている人達を、私はたくさん見ています。皆さん、それ相応に「お元気」でした。
「点滴については必要カロリーを摂取できないため無理(痛みや血管がダメになる)」は、少なくとも数週間程度は点滴で対応できることを私自身が経験しています。

>そのため、胃ろうがなければ餓死するイメージを持っています。
そもそもあなたの主張は「胃瘻があるといつまでも生きていることになる」であって、「胃瘻が無ければ餓死する」ではありません。
栄養補給の手段を何も講じなければ、胃瘻があろうとなかろうと、餓死するでしょう。

>運び込まれた時に意識がなく本人の意志確認ができない、極論言えば植物人間的な場合には胃ろうがあれば無駄にそのまま生かし続けられる。
それを「無駄」とするのはあなたの価値観であり、何をどう考えるかはあなたのご自由だと思いますが、その価値観を他人の死生観にまで持ち込むことは「おこがましい」と評価される可能性十分です。

>始めてしまうと死ぬので外せない。回復の見込みが大きければわかりますが、そうではない場合無駄な延命がされ本人の苦痛が長引くのではないかという悪いイメージがあります。
それはつまり、簡単に別の話にたとえれば「ステージⅣの癌患者は、回復の見込みが少ないのだから、さっさと死んだ方がいい」になります。

>父方の祖母を少し前に見送ったのですが、自分のことも出来なくなりよく転ぶしで日常生きているのも苦痛でもう死にたいが死ねないというボヤキもよく聞きました。
>最後は病院でCTを取ると腫瘍みたいなものがあったり、骨折らしきものがあったり(外に出て草むしりをしたりベッドからよく転げて落ちていたので)、
馬鹿馬鹿しいことを書いたらいけません。
「栄養補給を続けるとなかなか死ねない」と書いたのはあなたです。
本気で「生きているのも苦痛でもう死にたい」と考えているのなら、食べなければ良かっただけですし、水分を断てば、栄養補給を断つよりも早めに死ねるでしょう。
「日常生きているのも苦痛でもう死にたい」と言いながら、毎日お茶を飲み水を飲み、御飯を食べていたのは「生きる気満々」であったからです。
本気で「死にたい」と思っていたなら、CT検査など受けませんし、骨折があろうとなかろうと「関係ねえよ」でしょう。
死にたい人は病院には行きません。
病院は、治りたい人が行く場所です。

>祖母の机を見ると歯が抜け落ちたり見た目でもそれですし、中も色々と体にガタがきていたものと思います。
老化しているのですから、何の不思議も無いことです。

>最後は病院に入院したのですが、食事ができず必要カロリーが摂取できず心臓が止まった(死因は老衰なのでよくわからない)ようでなくなりました。
>ただ、仮に胃ろうが作ってあれば必要カロリーは摂取できますので、まだ死ねていなかたのではないかと思うところもあります。
「必要カロリーが摂取できず心臓が止まった(死因は老衰なのでよくわからない)ようで」という話は、「あなたがその件の真相を何もご存じないまま、それでも平然とそれをここに書いている」ことを意味するものです。
「よくわからない」に続いて、「ようで」なのです。
要するにこれはあなたの妄想です。

>今日祖母を見てきました。退院はしたのですがおっしゃるように正常にはなっていないようです。
以前のお礼文に、あなたは「・・・現在は嚥下がほぼ回復し・・・」と書いています。
お忘れでしょうか?
それについて私は「嚥下がほぼ回復したなら、ミキサー不要。普通食」と指摘しました。
このことひとつを取り上げても、あなたが実に曖昧な情報しかお持ちで無いこと、そして、その曖昧な情報を根拠に「現在は嚥下がほぼ回復し」などと、非常に断定的な記述をされる人であることは明白です。

>筋力が落ちているのか麻痺が消えていないのか分かりませんでしたが、
麻痺しているから筋肉が動かず、筋肉が動かないことによって筋力は低下します。

>とりあえずうまく飲めないので工夫して食べているといっていました。ゆっくり少しずつ角度を変えながら飲むと(片方だけは正常らしい)全くむせることなく食事ができたと言っていました。また、今は大声で話をしたりして回復させるみたいな話もしていました。
ミキサー食でもその状態であれば、ビールは当分やめた方がいいでしょう。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

>「鼻からのチューブを入れる方法では長くても2ヶ月が限度でそれ以上は無理」という話について、本当にあなたは主治医からそう言われたのでしょうか?
これは間違いなく、主治医が家族説明の時に行ったもので間違いありません。それに疑問を持ちこちらに質問をしたというのが、そもそもの質問の発端です。

>「点滴については必要カロリーを摂取できないため無理(痛みや血管がダメになる)」は、本当の話でしょうか?
十分なカロリーを取るには水飴みたいなものを流し込むことになり現実的ではないという話でした。仮に行うと痛みが酷いのと続ければ血管がボロボロになるという話でした。

>「胃瘻しか無いという感じで案内されました」は、本当は誰かからの又聞きでは無いのでしょうか?
私も主治医と対面し質問しながら聞きました。そのため、話を聞く限り、胃ろう以外の選択肢は事実上存在しない感じで話が進みました。ホワイトボードに選択しを書きバッテン印を書いて説明されました。

なお、祖母の意志としてはとにかく家に帰りたい。そしてスポーツや家の掃除などをしたいというのが極めて強い希望でした。毎日先生に話していたそうです。
それなりに元気というのは家に帰って家事などはできる感じでしょうか?もし無理ということであれば、祖母の意向と噛み合わないためはじめから除外したのかもしれません。

血管からですが、数週間大丈夫であったとのことですが、体重などは減りますでしょうか?また、血管への痛みなどは大丈夫でしたでしょうか?
ただ、退院後の年単位の話が控えておりそれを踏まえて除外したのかもしれません。


>無駄にそのまま活かし続けられる。
これは、私や家族、見送った人を見ていると無駄といいますか、本人にとって良くなかったと私が感じているためです。私は絶対にごめんです。また、意思表示が出来ない場合にはそれが強制されるのが今の日本の医療制度ですので私自身や親族について危惧しています。他の方の価値観について言っているものではありません。誤解があればすみません。1秒でも長く心臓を動かしておきたいという人もいますしその点について異論はございません。ただ、見送った人を見ていると酷い話ですし、海外の話が多く入るのですが、無意味な延命は虐待とも言われていますし

お礼日時:2019/05/20 04:13

>病院に担ぎ込まれると、仮に胃ろうがあるとそこからカロリーをとれますので死ぬに死ねたい状態になるのではないかと思うのです。


これはそもそも話しの焦点がずれているのでは無いか?と感じます。
この仮定の話は、「胃瘻があるから病院に担ぎ込まれる」なのでしょうか?
たとえば「病院に担ぎ込まれる」ことの原因が肺炎であった場合、元々強い嚥下障害があるなら、口からの栄養摂取を病院がどう考えると思いますか?
「病院が原因で死んだ!殺された!」などと言われる可能性を避けるためには、誤嚥を防ぐために経管での栄養か、点滴注射になるかも知れません。
「心筋梗塞で病院に担ぎ込まれた」ような場合は、栄養摂取が口であろうが経管であろうが、「そんなことはどうでもいい」状態であると思います。

>病院側としても胃ろうがあるのにそこからのカロリー摂取を止めれば死ぬのは明白ですし止めることは法律上許されないのではないかと思うのです
あなたのお考えになっている問題は、「法律上許されない」かどうかでは無く、「違法性を問われる可能性があるかどうか」です。
最近、透析で問題提起された件があるのは御存じだと思いますが、ああした病状の人達も腎臓移植を除けば「透析をやめたら死ぬ」であるわけです。
ですが、然るべき手続きに従うことで、「死ぬのはわかっているけれど、透析をやめる」ことは可能です。
呼吸器なども、一旦付けたら外せなくなる(非常に外しにくくなる)医療機器のひとつです。
それから、胃瘻を使った栄養摂取をやめるととは、「それが直接死ぬことにつながっている」訳ではありません。
口から食べさせても良いでしょうし、胃瘻以外の経管も可能で、点滴もあります。

>本来の死であれば食事ができなくなり死ぬと思いますが、無理やり何年も生かされるような感じを想像しています。
それはあまりにも偏向しています。
「本来の死」とは、一体何のことでしょうか?
この世にオギャーと産まれる前に、堕胎によって途絶える命もあれば、地震によって家の下敷きになって死ぬ人も居る。
0歳で死ぬ人も居れば100歳を過ぎて死ぬ人も居る。
年齢も死に方も、様々であり「本来の死」は私にはわかりません。
「本来の死であれば食事ができなくなり死ぬと思いますが、無理やり何年も生かされる」という状況はは、つまり、「胃瘻による栄誉補給を行えば生きていられる人物について、栄養を与えずに餓死させる」と書き換えることが出来そうです。
早く死なせないのであれば、そもそも「病院に担ぎ込む」などしなければ良いだろうと思います。

>機能的には全く正常になっている
その場合は、ミキサーは不要です。
普通食です。

>夜は結構飲んでいたのですがそういった食事の楽しみは出来ますでしょうか?
嚥下及び口腔の回復次第です。
一応書いておきますが、嚥下障害の人が苦手なのは「さらっとした飲物」です。
水やお茶、コーヒー紅茶、もちろんビ-ルなど、粘度が大きくないものは誤嚥しやすく、ですからむせやすくなります。
むせることで気管に入ってしまったものを排出できれば良いですが、年齢と共に筋肉量は低下する傾向にあり、だから、誤嚥による肺炎は高齢者に多く見られるわけです。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

確かに、病院に担ぎ込まれた時点で本人の意志が確認できなければ胃ろうの有無にかかわらず同じことになりそうですね。
ただ、本人の意志が確認できない場合、病院は胃ろうを勝手にするのかは気になるところです。
今回、医師の説明によると鼻からのチューブを入れる方法では長くても2ヶ月が限度でそれ以上は無理。
点滴については必要カロリーを摂取できないため無理(痛みや血管がダメになる)と話をされました。
事実上、胃ろうしか無いという感じで案内されました。
そのため、胃ろうがなければ餓死するイメージを持っています。

運び込まれた時に意識がなく本人の意志確認ができない、極論言えば植物人間的な場合には胃ろうがあれば無駄にそのまま生かし続けられる。始めてしまうと死ぬので外せない。回復の見込みが大きければわかりますが、そうではない場合無駄な延命がされ本人の苦痛が長引くのではないかという悪いイメージがあります。父方の祖母を少し前に見送ったのですが、自分のことも出来なくなりよく転ぶしで日常生きているのも苦痛でもう死にたいが死ねないというボヤキもよく聞きました。最後は病院でCTを取ると腫瘍みたいなものがあったり、骨折らしきものがあったり(外に出て草むしりをしたりベッドからよく転げて落ちていたので)、祖母の机を見ると歯が抜け落ちたり見た目でもそれですし、中も色々と体にガタがきていたものと思います。最後は病院に入院したのですが、食事ができず必要カロリーが摂取できず心臓が止まった(死因は老衰なのでよくわからない)ようでなくなりました。ただ、仮に胃ろうが作ってあれば必要カロリーは摂取できますので、まだ死ねていなかたのではないかと思うところもあります。

今日祖母を見てきました。退院はしたのですがおっしゃるように正常にはなっていないようです。筋力が落ちているのか麻痺が消えていないのか分かりませんでしたが、とりあえずうまく飲めないので工夫して食べているといっていました。ゆっくり少しずつ角度を変えながら飲むと(片方だけは正常らしい)全くむせることなく食事ができたと言っていました。また、今は大声で話をしたりして回復させるみたいな話もしていました。

お礼日時:2019/05/18 20:39

>胃ろうそのものは良くなれば取り外しできる(勝手に傷口は塞がる)と先生には説明されました。


びっくりするほど簡単に塞がります。
外すこと自体も簡単です(内視鏡を飲み込むことにはなるでしょうが)。

>ただ、90くらいですので私から見ると穏やかな最期を迎えられなくなるリスクも懸念しています。
胃瘻と「穏やかな最後」に、関係は無いように思います。
嚥下障害を気にする必要が無いということ自体が、食事の際の問題を気に掛ける必要が無いことを意味するので、「むしろ穏やか」という評価も可能でしょう。
胃瘻によって生じるとされている「穏やかな最期を迎えられなくなるリスク」とは一体何のことでしょうか?

>現在は嚥下がほぼ回復し自分でミキサーで食事を作り、
嚥下障害が一定程度軽減した人は、ミキサー食では無く、普通食を摂取します。
「ミキサーで食事を作り」は、口から食べる場合の最低レベルであるように思います。
この件の場合は、「嚥下はたいして回復していない」というのが妥当な評価では無いでしょうか。
嚥下障害にかかわらず、「老人が食べる」場合、誤嚥性肺炎発症のリスクがあります。
嚥下障害のある老人では、多分そのリスクは高まるでしょう。

>退院後すぐにでもスポーツをしに行くと言っています。
>胃ろうを懸念しましたのは、近所のおじさんは胃ろうをしておられ10年以上恐らくベッドの上にいるようで、
胃瘻と離床には関係がありません。
胃瘻をしていても、離床する気があれば、そして筋肉をつける努力を行えば、離床は可能です。

>ここ15年位顔を見なくなっています。
それはおそらく胃瘻とは無関係です。

>あまり深くは知りませんが胃ろうにしてしまい入院すると穏やかには死ねないという印象もあり不安で質問したというのもあります。
何故「穏やかには死ねない」とお考えなのでしょうか?

>限界集落に近いところのため、周りは全員老人ですが、90過ぎるすごく元気でも状態が悪くなると1年もしないうちに老衰みたいになることもありますし・・・
それは、胃瘻とは無関係の、「普通によくあること」でしょう。
男も女も、老人は死に近い人であり、そもそも生きているものは然るべき時に死ぬのです。

胃瘻を外すことが出来ると、周りの人が「口から食べることが出来るようになって良かったですね~」などと言います。
そして、そう言われると、本人も迎合します。
多少なりとも回復したということ自体は喜ばしいことですが、だからといって「食べられるようになって良かった」などの本人の言葉が本音であるのか周囲への迎合に過ぎないのかは、不明です。
私は今も「胃瘻の方がむせることや誤嚥に気を使う必要も無かったし、食べるという作業の必要が無かったので便利だったよなあ」と思います。
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この回答へのお礼

再度回答いただきありがとうございます。

確かに嚥下を気にしないのは良いと思います。胃ろうについて調べていて単純に嚥下の問題で食事ができず早死していた場合、本当に革命的な治療だとも感じました。

祖母の場合、90くらいですのでいつでも老衰の可能性があると思っているのですが、病院に担ぎ込まれると、仮に胃ろうがあるとそこからカロリーをとれますので死ぬに死ねたい状態になるのではないかと思うのです。また、病院側としても胃ろうがあるのにそこからのカロリー摂取を止めれば死ぬのは明白ですし止めることは法律上許されないのではないかと思うのです。本来の死であれば食事ができなくなり死ぬと思いますが、無理やり何年も生かされるような感じを想像しています。

私も疑問になり聞いたのですが、2周間毎に様子を見ながらという感じで話されました。機能的には全く正常になっていると先生はいていました。

なお、嚥下に問題が出た場合には、たしかに楽に食事ができるというメリットは大きいですね。再発した場合には胃ろうのメリットとして話をしてみようと思います。あと、祖母はビールが好きで昼はちょっとだけですが、夜は結構飲んでいたのですがそういった食事の楽しみは出来ますでしょうか?とりあえず、早くビールが飲めるようになりたいと言っていました。(リハの人に食べられるメリットだけ強調されて載せられた目標かもしれませんが。)

お礼日時:2019/05/17 15:37

良かったですね。


本人の気持ちが一番のお薬なんだと思います。
ゆっくりと自分のペースで食べられるようにしてくださいね。
カラオケ思いっきりできると良いですね。
喉の筋肉を鍛えるには一番良い方法だと聞いております。
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この回答へのお礼

そうですね。90くらいで元気なのは本人の気合だと思います。回復については医者も驚いていました。ただ、周りとしては麻痺がひどくチューブを付けた状態でつばを定期的に吸引しているときから、病院から帰る帰ると行って、先生も家族も大変でしたけどね^^ あまりにひどかったので半日だけ家に帰ったりもしました。(その後更に元気になりました)
また、祖父は96ですが未だにゴールド免許で祖母と毎日ショッピングへ行っていました。外では車をブツけていないようですが車庫は色々なところが凹んでいますし不安もあります。ただ、嫁を車に乗せるという楽しみなどもあり、毎日農業も忙しくトラクターを使ったり年の割にはかなりアクティブでその辺り元気さの秘密という気もします。ただ、周りとしては更に年をとると頑固になりますし不安も多いです。
ただ、公安からの許可もあり、医師のテストにもパスし本人がしっかりしている(?)のに奪うのは、人権侵害ですし悩ましいところではあります。

気持ちが元気なのはとても良いことなのですが、悩ましい問題もあります^^

お礼日時:2019/05/17 15:21

>胃ろう以外の選択肢はないのでしょうか?


あなたは胃瘻の経験がおありでしょうか?
嚥下障害がある場合、胃瘻は多分本人にとって最も楽な栄養摂取法でしょう。
「鼻からは粘膜を傷つけるため長くは続けられない」とありますが、それ以前に、鼻を通す経管栄養では、胃瘻に比べれば安全性に劣るだろうと思います。
「胃瘻にすると死ぬまでそれを外すことは出来ない」という回答が見受けられますが、もちろんその可能性はあるものの「一旦胃瘻にすれば、一生胃瘻」は嘘、又は胃瘻をよくご存じない方の意見です。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
胃ろうそのものは良くなれば取り外しできる(勝手に傷口は塞がる)と先生には説明されました。ただ、90くらいですので私から見ると穏やかな最期を迎えられなくなるリスクも懸念しています。No4にも書いたのですが3週間程度やばかったようですが現在は嚥下がほぼ回復し自分でミキサーで食事を作り、退院後すぐにでもスポーツをしに行くと言っています。
胃ろうを懸念しましたのは、近所のおじさんは胃ろうをしておられ10年以上恐らくベッドの上にいるようで、ここ15年位顔を見なくなっています。あまり深くは知りませんが胃ろうにしてしまい入院すると穏やかには死ねないという印象もあり不安で質問したというのもあります。
限界集落に近いところのため、周りは全員老人ですが、90過ぎるすごく元気でも状態が悪くなると1年もしないうちに老衰みたいになることもありますし・・・

お礼日時:2019/05/17 00:03

食事をとるときだけの問題で他は元気なのでしょうか?


だとしたら
カラオケを毎日遣ってみて
喉の筋肉を鍛えるには最大の有効運動になるはずです。
嚥下だけの問題なら
とろみをつけて時間をかけて流動食で口から食べさせてもダメですか?
舐めるように食べさせてみたらどうでしょうか。
しっかり身体を起こして
少しの量を何回かに別けて。
病院にケースワーカーさんいませんか?
相談にのってくれるはずですが。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
結局、薬がきいたのか(原因は脳から伸びる12本中3本の神経に炎症の可能性があり、ステロイドの投与で状態が良くなったと思われる)良くなり退院となりました。また、祖母に聞いたところリハビリでも歌はいいと言っていましたが病院では歌えないため家に帰ったらすると言っていました。(歌やおしゃべりが好きなので)
ただ、8割くらいは回復したようですが、まだ完璧ではなく、おっしゃるような感じで、食事をミキサーにかけて自分で食事を作り液体にはとろみを付加するものを混ぜて食べると言っていました。

お礼日時:2019/05/16 23:55

鼻からチューブを入れる際に


鼻腔内を傷つてる事を医師は恐れてるんだと思います。
傷つけてしまうと、治る迄の期間は
いずれにせよ胃瘻になってしまうので
主治医は胃瘻を提案したんでしょうね。

要介護度はついてますよね?
担当のケアマネに
セカンドオピニオンで他の病院を一度受診させられないかを
尋ねてみるのも一つの手段だと思いますよ。
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この回答へのお礼

再度、回答いただきありがとうございますm(_ _)m

鼻については長期間だと粘膜傷つけるなどで不可能だ。みたいな話だったと思います。ただ、他の事例を見ていますと年単位の人もいるようでちょっと疑問があったりしています。先生にはまだこの疑問点については話をしていません。チーム医療でかなり真剣に考えてくれているようなのですが、胃ろうしか無いみたいな話で家に帰り考えていて疑問を持った感じです。

要介護については少し前に他の件で付きましたが全て夫婦でできているため、今回の話が出るまで(数日前まで嚥下に問題なかった)家には人を入れたくないという感じですのでケアマネなどについてはこれからという感じです。家には夫婦以外(親戚にもあまり頻繁にはというところがありますが今回ばかりは偉く頼られています)入れたくないという感じでした。

お礼日時:2019/05/07 02:08

経口で「エンシュアリキッド」等でも無理なのでしょうか?


とろみを付けたとろみ食やミキサーでペースト状にした
ミキサー食でも駄目ならば
ない残念ですが、胃瘻しかない手法は無いでしょうね。
胃瘻にした場合は、嚥下能力も更に低下しますので
一生、胃瘻状態になりますが
長生きしてもらうのが大切なので
背に腹は代えられない状態でしょうね。

参考URL:http://www.rad-ar.or.jp/siori/kekka.cgi?n=6570
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
嚥下が全くダメで無理なようです。90歳ですが嚥下以外は問題なく自宅に帰ってまた夫婦で普通の生活をする予定ですが、鼻からではダメなのでしょうかね?

お礼日時:2019/05/06 21:31

経管であれば


口からとることも考えられます(家族がそうでした)

胃瘻の場合は多分もうそれを取ることはないですし
寝た切り一直線です

口腔の訪問介護とかは受けられていますか?
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
家の場合、嚥下が全くダメなようです。90歳ですが嚥下以外は問題ないため自宅に帰ってまた夫婦で普通の生活をする予定でいるようです。経管について、胃ろう以外の方法はないものか気になっています。

お礼日時:2019/05/06 21:32

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