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明治から昭和初期の家庭で子供が女の子だけの家庭はほとんどないですか?当時は今以上に跡取りを重視してましたから。皆さんのおばあちゃんとかも男兄弟いましたか?

A 回答 (7件)

はい 嫁して3年子無きは去れと言われています

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私の父の実家が女系だったようです。


父の母は10人姉妹で男兄弟はゼロ。
その前の代は、戸籍に載っているのは長女(父の祖母)と五女と六女だけなので、二女・三女・四女は出生届を出す前に亡くなったんだろうと思われますが、男児の記載はありません。
ですから、父の母と祖母は婿取りです。
父は16人兄弟。
10人姉妹の長女が上の3人を産んでから他界し、四女が後妻になって父を含む13人を出産。
父は昭和一桁生まれです。
その16人の内10人が男児ですが、跡取りの四男(長男は独身のまま戦死・二男三男は幼少期に死亡)の子供がまた女児二人でした。
16人兄弟というのも珍しいと思いますが、10人姉妹もかなり珍しかったろうと思います。
でも、産み分けができるんじゃないかという発想すら無い時代だったろうと思いますね…神頼みくらいはしたでしょうけどね。

ちなみに、父の祖母と母のお婿さんの旧姓が同じなので、お婿さん二人は親戚だったのかもしれません。
江戸時代ほどでは無いにしても、明治~昭和初期は長男が家督を継ぐのが当たり前でしたでしょうから、男児を望んだとしても、長男が健康に成長すれば、二男以降は穀潰し扱いされる風潮も残っていただろうと思うし、そんな二男以降の男児が、他所の家の婿養子に入ってその家の家督を相続するのはおいしい話だったかもしれませんよ。
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根本的に一人っ子世帯も多いし。

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この頃の時代は子供を産むのが命がけなの、それに医学も発達してないし、だから男の子が生まれても幼児期に亡くなったりするのが多いのす。

だから婿さんに来てもらうんです。それは江戸時代からも同じですよ。お殿様だって正室(奥様)のほかに側室がいるでしょう、男の子を産まないといけないから。徳川の将軍様吉宗公はその前の上様には男の子が出来なかったから紀州の御三家からきたんですから。
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男の子が望まれたと思いますが、女の子だけの家庭もあったと思いますよ。


その場合は、長女に婿を取ることを考えていたと思います。
子どもがいない人は、養子に限らず、養女をもらって、その子が大きくなって婿をもらったりすることもあったと思います。
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戦前までは、一家庭に7人8人で生活してました。

多いところはもっと居たでしょうね。そして、長男は跡取り、次男以下は、養子や新宅をして分家していきました。
ゆえに、TVなんかでもちょくちょく出ますが、一つの集落に、同じ苗字が、いっぱいある!!などというのはこの弊害?ですね。
それが、太平洋戦争で、数千万人が、政府の命令で、赤い召集令状を送られて、戦地へ赴き、殺されたのですね。その後、終戦で、美空ひばりの、赤いリンゴの流れる中、スイトン食べて、頑張って、復興して、子供達にはひもじい思いをさせたくないと、親は子供達を少しでも教育を付けて良い所へと頑張る半面、子供は、贅沢させないといけないので、少子化が進んでいきました。
その後、核家族と言われる子供達は別生活で、家庭を分散した結果、子供に目が届かず、子供達は、SNSの波及で、どこの誰か分からぬ相手とつるんで問題を起こすのですかね。

現在の80代から上の人は、兄弟が多いはずです。戦前ですからね。
その後は、ベビーブームと言われたが、兄弟は少ないです。
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現代でも女の子だけの家庭って普通にあるわけで、明治であろうと大正であろうと関係なく女の子だけの家庭ってあります。


 谷崎潤一郎の「細雪」は船場の商家の四姉妹のお話ですが、舞台は昭和10年代です。
長女次女とも養子をもらっていましたね。
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