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アリは夏のあいだに、寒い冬のための備えをしました。キリギリスは夏じゅう楽しく歌いながら過ごし、冬が来ることを考えませんでした。

あなたはどちらの生き方を支持、共感しますか?

質問者からの補足コメント

  • 私の普段の考え方はアリなので、キリギリスさんの生き方を肯定できないところがあります。でも、どこかでキリギリスさんをうらやましいとも、思ってしまいます。批判しながら、うらやましいとも思うのですが。アリに徹するべきか、キリギリスの良いところも取り入れるべきか・・・人生を生きる上で、なんとなく考えさせられる寓話です。

      補足日時:2019/05/20 22:09
  • 思いがけない指摘を受けて反省しています。不真面目だったと思います。お許しください。哲学はとても興味がありましたが、興味だけで内容がついていきませんでした。今後は、質問したいことは、それぞれのカテゴリーに投稿いたします。短い間でしたが、お世話になりありがとうございました。

      補足日時:2019/05/22 20:24

A 回答 (13件中1~10件)

「アリ」って何?


一生卵を産み続ける女王アリ?
結婚飛行した後。直ぐに死んでしまう雄アリ?
子供も作らず、働き続ける働きアリ?
何時も見張り番の兵隊アリ?
蜜をお尻に蓄える蜜ツボアリ?
その他の仕事に特化したアリ?

まるで、、階級社会!
どれもこれも、人間には当てはまりません?

それに比べたら、優雅に空を飛び、羽を擦らせて美しい音色で求愛をして、子供を残して、一生懸命に生きて死んで行くキリギリス。
キリギリスの方が人間らしい生き方のような気がしますよ。
秋の虫の音は最高!
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現実は難しい。

現実は厳しい、ということが貴方には分かっていない。
真理、すなわち、道理というものは、プラスマイナスゼロなのです。
楽したならば、苦しみが訪れる。
まじめに苦労したならば、幸いが訪れる。
そんなことは無い。貴方は思うでしょう。
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この回答へのお礼

>楽したならば、苦しみが訪れる。
 まじめに苦労したならば、幸いが訪れる。
まったくそのとおりだと思います。

お礼日時:2019/05/21 21:39

大切なことは世界に美味しい話はないという事です。

美味しい事柄を求めるものは人の心をわかってないないということです。人間とは人と人の間の嘘は無いということ、人との約束は果たすことで、喜びを持つものです。
うまくいかなくなって心の回線がおかしくなったもの、すなわち、うまくいかなくて心が思考が切れてしまう。暴れてしまう。心が弱いもの、強欲なものはこれに陥ります。人の心は美を保っているのです。人の心は怠けると腐ってしまうのです。頑張ると心に多大な負担がのしかかります。人はもともと美しい。しかし、人の心は弱い。しかも、捉え間違いがある。プライド、人は美しいという観念、信条を、凡俗には難しいですが、持たなければなりません。なぜならば、自己の幸せのためです。人の心はお金ではなく、地位ではありません。著名人はお金があっても不幸のどん底に陥っています。お金ではありません。人に嘘をつかない、我欲で人をだまさない。良心は安らぎを求めているのです。人を陥れる、お金を欲する。これは人の良心に反します。良心に反することをすれば、その人は苦しみます。苦しまない人もいます。それは、自己がごまかしているのです。自殺をしているのです。
大切なことは世界に美味しい話はないという事です。美味しい事柄を求めて良心に反する人をすれば、その人は傷つきます。安らぎは得られません。人にもっとも大切なことは、良心に背かない安らぎなのです。
良心に従えば、安らぎの世界に入ります。良心に逆らえば、心が狂って苦痛の世界を安らぎと誤認します。
偽者のブランド品を所持して喜びに入るものです。嫌な言い方ですが、せっかく思考できる頭が胴体に乗っかっているのですから、慎重に活用するべきです。痛いする者はその人なのです。
昔から言うではありませんか。備えよ常にと。困ったことが続くと人の心は腐ります。自己の努力不足を棚に上げて、人を恨み、社会をうらむ。そして、犯罪を起こす。刑法によって罰を受ける。よって、皿の心はくさくさする。
人の心は爆発します。自分で自分の幸せは壊す。それでいいのですか。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
>良心に反することをすれば、その人は苦しみます。苦しまない人もいます。それは、自己がごまかしているからです。
良心に反するならば、人は例外なく苦しむのですね。自分をごまかすことができなければ。
人は弱く、自分を守るために必要ならば、悪にでも手を染めてしまうものだと思います。

>大切なことは世界に美味しい話はないという事です。キリギリスに対しての言葉ですね。
>人の心は怠けると腐ってしまう そのとおりだと思います。怠ける自分を肯定することでどんどん深みにはまっていきます。たぶん、心というものは試練に抗するようにできているものなのでしょう。
>自己の努力不足を棚に上げて、人を恨み、社会を恨む 
キリギリスの末路への問いであると思いました。

お礼日時:2019/05/21 20:45

労働には2種類あってな。



一つは、社会人の役割として社会の人々を幸せにするために汗を流すことや。
二つは、雇用関係を結び雇用主の利益を増大させて賃金をもらうことや。

猪突さんが言ってる江戸の大工の話は一つ目の労働。
ギリシャ人が辞めたがってるのは二つ目の賃労働だ。
これをごっちゃにしてはいけませんぞ。

えっ? 儂? わしはもうひとつめの労働契約は終了してもうた。
今は、どうやったら人様の為になる家を作れるか思案中や。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
労働には2種類あるんですね。
>これをごっちゃにしてはいけませんぞ
たぶん、わたしはごっちゃにしてました。
そして、ごっちゃにしていたことが
自分の中の整理できない状況を
招いていたのだと思いました。
>今は、どうやって人様の為になる家を
作れるか思案中や
木造住宅は100年の耐久性があるのですね。
木の本来持つ力を生かすための思案。
私も楽しみにしています。

お礼日時:2019/05/21 20:26

フーテンの寅と、団子屋“とらや”を思い浮かべました。

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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
私は何というか、ちゃんと見たことがありませんが、聞くところによると、やはり寅さんの魅力はそのキャラクターの独自性にあると思います。不遇な生い立ちの中で、歪んでしまったとしても不思議ではないのに、寅さんはたくましく雑草のように生き延びます。それを底辺で支えたと言えるのが、団子屋「とらや」だといいます。寅さんがキリギリスだというわけではありませんが、20年もの放浪を経て、帰ってきた寅さんを何のわだかまりもなく受け入れる人情味あふれる場所。そこは言い換えると、常に変化流転する世の中にあり、変わらず勤勉に日常の営みを続けている姿だと思います。
寅さんをキリギリス、団子屋をアリ、と誤解を恐れず例えるなら、キリギリスとしての寅さんは団子屋を頼り、アリとしての団子屋は喜んで頼られているというような関係性があるように思います。違っていたらすみません。

お礼日時:2019/05/21 19:09

蟻さんです。



結局、キリギリスは、蟻さんのお世話になって
生きながらえる訳です。
そんなのは、自尊心が許しません。

それに。
毎日遊びほうけて、それで本当にキリギリスが
人生を楽しんでいると思いますか。

ワタシも、若い頃は遊びまくりましたが、
常に虚無感が連れ立っていましたね。


心理学では、快楽と幸福は別物です。

美味しいものを食べて幸せ♪ なんてのは
快楽です。

幸せ、というのは人生における、満足、納得を
意味します。

遊びほうけて、それで納得する人生が送れるのか、
疑問です。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
>快楽と幸福は別物です
外側と内側の幸福の違い、みたいなものでしょうか。

キリギリスも毎日遊びほうけて
生きているようでも、自分なりに
ほんとうの幸福を捜して
心の中は飢え渇いている、と
いうことですね。
人生における満足、納得というものは
簡単には手に入れられない。
若い頃はキリギリスさん?から蟻さんになった
tanzouさんの言葉には
説得力があります。

お礼日時:2019/05/21 07:54

どちらも共感出来るから


( ̄▽ ̄;)困った
でも!
支持はどちらも
出来ないですね!
(*`・ω・)ゞニャリ

支持出来ない理由はね

どちらも、自分さえ良ければ
良いのかな?

なんてな気持ちになるからね
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
アリにもキリギリスにも共感ができるのですね。
でも、支持はできない。
>どちらも自分さえ良ければ良いのかな?
なんてな気持ちになるからね

きっと世の中
アリ的、キリギリス的、いろいろな人の
チャンプルーで成り立っていると思います。
自分さえ良ければ、っていう考え方は
何かを隔ててしまうような気がします。

たぶん、どちらにも共感できるっていう
感性って大事なんだと思いました。

お礼日時:2019/05/21 07:33

アリとキリギリスの話は、労働に関していかにも西洋人的な考え方ですね。

あるギリシャ人の友人が私に言った冗談があります。

「なぜキリスト教がギリシャですぐに受け入れられたか知っているかい。キリスト教によると労働とは神の掟を破って禁断の実を食べてしまった人間どもを罰するために与えられたものだとの教えが気に入ったんだね。そうか、労働とは罰なんだ。労働が大嫌いなギリシャ人はこの教えに飛びついた。そして何とか若いうちにお金をいっぱい貯めて、できることなら、できるだけ若いうちに引退して、この労働という罰から逃れたいというのが人生の目的になった」

これって、日本人が長い歴史で築き上げ、江戸時代に石田梅岩門下の石門心学によって明文化され、今でも日本人の世界観の深層に流れている日本人の労働に対する考え方とは全く違っている労働観ですね。

日本人にとって労働とは社会の一員としての役割を全うして生きていることの証だった。決して、食べるために止むを得ずやっているような罰としての営みではなかった。例えば、江戸時代大工が家を建てるときは、それ全体を請け負って、完成の時期をだいたい決めておく。そして、その後時間給で仕事をしているわけではなく、好きな時に仕事場に来て、好きな時に家に帰る。何時から何時まで働くというように、自分を拘束する時間の代償としてお金をもらうのではなくて、大切なのは大工である自分が満足できる家を建てることと考えていた。そして、約束は守るという社会風土が日本には出来上がっていたので、ちゃんと約束通りに家が建つ。

このように、日本人は、人々には社会に役割があり、その役割を全うするために労働があると考えていた。だから、身体健全な若いうちにお金が貯まったからと言って、上のギリシャ人が夢見ているようにその人に天から与えられていた社会的な役割を放棄して早期引退するなど、以ての外と考えていたのが日本人の労働観です。

しかし、明治開国以来西洋人の考え方がどっと流れ込んできた。さらに敗戦で先人たちが築き上げてきた労働観や世界観に対する自信が失われてしまった。その結果多くの日本人の中に、労働とは罰当たりがすることであり、できることなら早期引退して毎日が祭りのようなキリギリスとして生活したいと考える連中は増えてきてしまったようですね。

私は、日本人にとって労働とはキリギリスやアリが考えているようなものでなく、自分が生きていることの証であるとの日本人独特の考え方に与しています。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
>日本人にとって労働とは社会の一員としての役割を全うして生きていることの証だった。
>自分を拘束する時間の代償としてお金をもらうのではなくて、大切なのは大工である自分が満足できる家を建てることと考えていた。
この考え方、心に響きます。毎日、労働の対価である給料をいただいている中で、それだけではない、何かもっとそれ以上に自分も人も満足できるやり方がないかと考えてしまいます。高校生の時に出会ったある人から、「人間は世の中の道具だ」だという考え方を教わりました。それを思い出しました。
世界は広く、労働に関する考え方も千差万別だというのはとても興味深いです。

お礼日時:2019/05/21 07:19

キリギリスです。



冬になれば 楽しく歌うことを仕事とします。

というより 夏の時から 楽しい趣味を仕事として生きます。

仕事と遊びとを分けない生き方という意味です。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
>仕事と遊びとを分けない生き方
それは素敵な考え方ですね。
>冬になれば、楽しく歌うことを仕事とします
それは、きっと
>夏の時から、楽しい趣味を仕事として
生きているからでしょうか。
そう考えると、仕事は決して苦にはならない。
冬になれば、それは自らを助けるものとなる。
冬に対する備えは
アリにとってもキリギリスにとっても
大切なのですね。

お礼日時:2019/05/21 06:56

<アリギリスとは、働くばかりでも遊ぶばかりでもなく、仕事も遊びもする人のこと。

>
という言葉もあります。
http://zokugo-dict.com/01a/arigirisu.htm

そんなに動かずに、静かにしているのが良いような気もします。

最近はキリギリスが先行し、アリがその後を追う人も増えた様な気もします。
「キリギアリ」という表現も有りかと思います。
遊びに使った金を返す為に蟻のように働かざるを得ない。ローンの蟻地獄です。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
「アリギリス」は、仕事も遊びもエンジョイする
どこから時間を探してくるのかと思うほど
精力的に動き回ってる人を想像します。
静止の時間も必要だと言いたいですね。
「キリギアリ」は新しい表現ですね。
>遊びに使った金を返す為に蟻のように
働かざるを得ない
何だかリアルに現代を風刺してるみたい。

お礼日時:2019/05/20 22:31

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