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・・・思っているのでしょうか? 現代の人たちはです。

▲ 〔ヰキぺ:ポア (オウム真理教)〕 ~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A2 …

§ 1 概要 
△ (麻原彰晃 1989年) 例えば、Aさんという人がいて、Aさんは生ま
れて功徳を積んでいたが慢が生じてきて、この後悪業を積み、寿命尽きるこ
ろには地獄に堕ちるほどの悪業を積んで死んでしまうだろうという条件があ
ったとしましょう。

このAさんを、成就者が殺したら、Aさんは天界へ生まれ変わる。(略)

すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ堕ちてしまう。
ここで、例えば生命を絶たせた方がいいんだと考え、ポアさせた。

この人はいったい何のカルマを積んだことになりますか、殺生ですか、それ
とも高い世界へ生まれ変わらせるための善行を積んだことになりますか。

人間的な客観的な見方をするならば、これは殺生です。しかし、ヴァジラヤ
ーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです。

そして、智慧ある人─ここで大切なのは智慧なんだよ。─智慧ある人がこの
現象を見るならば、この殺された人、殺した人、共に利益を得たと見ます。

ところが、智慧のない人、凡夫の状態でこれを見たならば『あの人は殺人者』
と見ます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 思想は自由という範囲内だという見方が ちょびっとでもあるのでしょ
うか?

ああ。

A 回答 (8件)

ブラジュさん、こんばんは❀



難しく複雑ですね
思想とは何か。的な問いになるのでしょうか??

思想というものを利用した社会への報復なのか、
思想というものを勘違いした思考なのか、
ということが
この方(麻原彰晃さん)からはそのような印象を
受けてしまいます、私個人的には。

>ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです。

→これが成り立ってしまうならば
殺人を犯したい人は皆、ヴァジラヤーナの考えだからといえば
いくらでも殺人ができてしまうことになり、疑問に感じます

>すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ堕ちてしまう。
ここで、例えば生命を絶たせた方がいいんだと考え、ポアさせた。

→これも疑問ですね
なぜ生命を絶たすことで善しとするのか
また思想とは押し付けるものではないかと思ってしまいますが
どうなんでしょうか

このように考えると私個人的には、《ポア》というものは
思想ではなく思考(=「解」を導く行為)に近いものを感じます

ただ一般的にはどうなんでしょうか
一般にいわれる「思想」というものを細かく

1形成段階
2成立
3表明

の三つに分類してみたとして

これらのどこまでを有効としたものが思想なのか
とすることによって見解も変わってくるのかなと

1の形成段階において
考えること自体に制約はなくどこまでも自由なので
内心において何を思おうがそこを侵害されることは
ありえないのかとは存じます。
ここはとても自由度が高いとえますし、
またその人の育った環境や他者との関係性、社会のあり方なども
関係してくるかと思います

そうすると
1と2は結びつきが強いように思えますし
2と3の結びつきはある程度自由度が高いように思われます

なので、2までを思想として考えたら
3の思想の表明の部分は思想ではないのかなと。
ポア思想は成り立つことになりますが
ポア行為は成り立たないことになります

ここまで考えていたら
わからなくなりました笑

私としては思想としては認めたくないですが
こう考えると成り立ってはいけない思想が
成り立ってしまうようにも思えます
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 難しく複雑ですね
思想とは何か。的な問いになるのでしょうか??
☆ 表現としては そういうことになるかと思うのですが ここは こまか
くは意見が分かれたかも知れません。

つまり 哲学は あれこれ余計な可能性まで考慮にいれますが 基本は理論
ですので・長期の視点に立つということでもあり 成否あるいは当否を結論
づければよいかと考えます。

実践として具体的な各論の問題は 次の段階へ先送りしてもよいのではない
かと。

つまり むつかしく考えておられるようですが:
★ 思想というものを利用した社会への報復なのか、
思想というものを勘違いした思考なのか、
ということが
この方(麻原彰晃さん)からはそのような印象を
受けてしまいます、私個人的には。
☆ とのことですが 哲学は 違法行為だけではなく 法律に規定されてい
なくても不法行為であるなら ダメだと言っていけばよいかと。


▲ >ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです。
★ →これが成り立ってしまうならば
殺人を犯したい人は皆、ヴァジラヤーナの考えだからといえば
いくらでも殺人ができてしまうことになり、疑問に感じます
☆ ええ。この説明ですべてを語ることができると思いますよ。



少し省略させてもらいますが 思想一般について問題があるとすればどうか
を取り上げておられます。


★ 1の形成段階において
考えること自体に制約はなくどこまでも自由なので
内心において何を思おうがそこを侵害されることは
ありえないのかとは存じます。・・・
☆ そうだと思います。


★ なので、2(成立)までを思想として考えたら
3の思想の表明の部分は思想ではないのかなと。
ポア思想は成り立つことになりますが
ポア行為は成り立たないことになります
☆ ですから 日記と掲示板への書き込みとの違いがあるように思います。

あるいは 小説の中で表現されたものなら 仕方がないのでしょうし エ
ッセーならすでに書き手の思いを表わしますから ダメなのだと。

★ 私としては思想としては認めたくないですが
こう考えると成り立ってはいけない思想が
成り立ってしまうようにも思えます
☆ ですから 意志表示に成る〔と受け取られる〕表現のかたちで そこ
に不法行為を含むなら ダメだと。

お礼日時:2019/06/17 00:44

昨日古田新とか件s区していて


もしかしてバカボン尾とか今日は南アのこの位置。
リウムですから白いのでしょうか
そいう役をしてインタビューに尾耐えて
いやがr背する廃油とかがいるのでh層化。
脂ですね。しかも公開承継とか。複雑です。
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この回答へのお礼

お礼日時:2019/06/11 03:25

法華経の比喩の三社固く古いですね。


比叡山焼き討ちはすおう法華経の資源

法華経は日のでしょうよ。
オウムなのかチベット奈央か
奈央というのはマイナスですよ寝たぶん。

のあはドラえもんで伸びたのおねしょ阿オチで
尿は今からかg熱尾

蜘蛛の王国だと、嫌ですね。今日も久美でマシkたらか。
意味が不明ですね。
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この回答へのお礼

チベットの何かでしょうか。これだけでは よく分かりません。

お礼日時:2019/06/09 23:24

アンがお話ですがンくとし今さらオウム真理教の歴史とカシスを


調べてもそういうのはジャーーナリストに任せておけば言い尾でゃ。けn
聞いてみたとか有るデ穂。
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この回答へのお礼

どうでしょうか。

お礼日時:2019/06/09 22:54

はじめまして



思想としてはなりたちます。
鎌倉仏教の日蓮も同じようなことを言ってます。
独善もはなはだしいとは思いますけれどね。

建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて、彼等が頚(首)をゆひのはま(由比ガ浜の処刑場)にて切らずば、日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了んぬ(はっきりと言いました) (撰時抄)

不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり・・是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此れを害する(殺すこと)は第一の功徳と説き給うなり、(秋元御書)
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この回答へのお礼

はじめまして。ご回答をありがとうございます。

★ 思想としてはなりたちます。
☆ おそらく 《文学作品の中で述べられた思想としては》とか あるい
は 《チベット仏教のその一派には こういうことを考えた事例がある》
といったかたちで表現されているのなら 非難するまでには到らないので
しょう。



★ 鎌倉仏教の日蓮も同じようなことを言ってます。
☆ そうですか。
★ 独善もはなはだしいとは思いますけれどね。
☆ いわゆる《異端》は 起きてくるでしょうね。異教ではなく同教の中
での別の考えです。

そういう位置づけにおいて 言いたいことを言っていたのでしょうか。く
わしく知らなくてすみません。

独り善がりという批評は 批判になるかとは思います。





▲ (日蓮:撰時抄) 建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の
念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて、彼等が頚(首)をゆひのはま(由比
ガ浜の処刑場)にて切らずば、日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了んぬ(は
っきりと言いました) 
☆ なるほど。実際の行動を示唆しその実施にもつながっていますので
問題ですね。ブッダター(仏性)のやどる人間の身心を削除するという考
えが いともかんたんに押し出されていますね。やっぱ日蓮は 阿呆なん
ですね。




▲ (日蓮:秋元御書) 不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり・・
是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此れを害する(殺すこと)は第
一の功徳と説き給うなり、
☆ ずばりポアの思想(かつその実行方をうながしている)ですね。

これは いままでうかつでした。それでは――これまでにも 創価学会へ
の公開質問状といったかたちで批判をここでやって来ましたが―― さら
に腰を落ち着けた完全批判をすすめなくてはならないですね。ありがとう。

お礼日時:2019/06/09 13:26

実世界を離れて言語をいじくり回すのはママゴトだと思います。

擬似世界のことは擬似世界で完結すれば良いのである、というご見解は完全に理解できます。砂のご飯は間違っても食べてはならないでしょう。
ただ、それが現実世界に漏れ出てきた場合、どう思うか、と言うご質問ではないのですか。漏れ出た途端に、ものが真空中から大気に触れた途端に変質するように、変質するのですから、同情の余地が無いとも言えない、と申し上げました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 実世界を離れて言語をいじくり回すのはママゴトだと思います。
☆ 一般に或る程度は そう言えましょうね。

ただし 想像力にまかせて空想を繰り広げるということは ひとつに
そうであることを自覚していれば ひとまづだいじょうぶだし もう
ひとつに その思弁的な夢想であっても 何らかの思想へと展開する
糸口になることもあり得ます。

ママゴトだという理由だけでは 批判し切れていないと思います。


★ 擬似世界のことは擬似世界で完結すれば良いのである、というご
見解は完全に理解できます。
☆ 完結するというよりは そこだけで思惟を展開したまでだと自覚
していれば よいのだとは思います。


★ 砂のご飯は間違っても食べてはならないでしょう。
☆ 本人が自分の世界の中だけでそうするのなら 忠告するまでがこ
ちらに出来ることでしょう。


★ ただ、それが現実世界に漏れ出てきた場合、どう思うか、と言う
ご質問ではないのですか。
☆ あっ つまり趣旨説明で舌足らずだったかも知れません。その思
想が 実際の行動に移されるという前提を記さなければならなかった。

つまり オウム真理教のことですから すでにそのような行動が事実
として知られているという前提で 勝手にわたしはしゃべっていまし
た。


★ 漏れ出た途端に、ものが真空中から大気に触れた途端に変質する
ように、変質するのですから、同情の余地が無いとも言えない、と申
し上げました。
☆ ご真意が分かりました。言葉に即して質問者として考えるところ
を述べていました。


げんみつに言えば 思想を ただ言葉にして表現することまでは 微
妙ですが なお表現の自由のもとにあるのだと思います。

中沢新一が このポアの思想を本にして書いていましたが そこまで
は無罪なのでしょう。ただし 麻原について褒めておりその思想につ
いても――自分の書いたものが取り入れられた結果なのですが――
賛同している。そして サリン事件という例のおぞましき行動のあと
でも賞讃を引き込めなかった。
――これだと まづいでしょうね。

いろいろデコボコしたお応えになってしまいましたが こんな感じで
しょうか。

お礼日時:2019/06/09 13:09

ちょびっと。


ISにも、ちょびっと。

所詮ちょびっとなので、擁護するにしてもちょびっと、です。
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この回答へのお礼

① 理論と
② それを文字通りにまもる行き方(つまり いわゆる原理主義)と
そして 
③ 理論にかかわりの有る無しに関係なく行動が起こされるその現象

☆ これら三つは 分けて考えなくてはならないでしょう。

《ちょびっと》というのは もし ①の理論にかかわるものであるな
らば いかにちょびっとでも 完全にアウトなのです。


そこんところに気を配って――それも げんみつにです――行きまし
ょう。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/06/09 09:30

信仰の選定は自由だからだろうなぁ

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この回答へのお礼

《信仰――人知のおよばないナゾの何ものかとわれとのカカハリであるゆえ
思考に非ず――》と《思想》とは 別です。よ。


人間の言葉で表現された文章は あきらかに思想である。信じる(つまり
無条件に無根拠にて心に受け容れる)対象ではなく 考えるの対象です。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/06/09 09:25

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