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私の親の実家は江戸時代、農業(郷士)をやっておりました
江戸時代の頃は、分かりませんが昭和の頃は米の収穫が終わったら今度は麦を育てました
例えば、田んぼ1町4反(中田〜下田)あった場合、江戸時代前期〜中期頃だと米はどれくらいとれたのですか?
年貢率が公5民5だと、麦まで年貢に取られたら生活がきつそうです

A 回答 (3件)

米がどの程度獲れたか、江戸時代の根本にかかわる問題。

ですがあまり正面から考えられていないように思います。

幕末頃については若干調べたことがあります。でも信頼できる資料は極めて少ないので推定要素が多いですが。
当時の米の生産量は1反(実面積)あたり2~2.5石、麦は1.5~2石と推定しました。
米は夏の干ばつや台風などの気象災害を受けやすく毎年の収量が変動しますが、冬は気象災害は少ないですから麦の収量は安定していたと思われます。
さらに田畑の実面積は公畝(検地帳記載の面積)より1.5~2倍広いので、公畝の1反で言うと米麦合わせて5~7石の収穫があったと推定しています。
田の平均石盛は1.5石程度でしょうからその4倍程度の実収入があったと思えます。
年貢を5公5民とすれば1反あたり0.75石程度になりますが、年間総収入から見れば1割ほどにしかなりません。
地域によっては綿などの商品作物を作ることで収入はもっと増えますから年貢の割合はさらに低くなります。

別の見方もしてみました。
人間一人の米の消費量は年に1石といわれています。おかず(副食)も必要ですね。乱暴を承知で0.5石とします。
年貢は詳細に研究されていますが、村が納めた総量を人口で割ると一人当たり0.3~0.5石程度になります。
ここまでで約2石。
他にも衣服や肥料、百年に一度ですが家も建てねばなりません。はなはだドンブリ勘定ですがそのような費用を2石とすれば一人当たりの生活費は年に4石程度必要です。
  人口 × 4石 = 村の年間総生産量  です。
この数値と村高を比較してください。4~5倍の差になるでしょう。年貢が5公5民ならば村高の半分が年貢です。ということは年間総生産量の1割程度に相当します。
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この回答へのお礼

1反で2石は取れたんですか、それにしても今、現在からすれば収穫量は低いですね

お礼日時:2019/06/10 01:19

日本の歴史で見直さなけれならないのは


どんな職業でも田んぼを持てという
上からの指令というものがありました

つまり
林業の家でも海産物で生活している家でも
田を持たされました

つまり
副業として田んぼを持っていた場合もあります

年収一千両あっても
田んぼはというと
小さな田んぼで米を作って納めていたということも
ありました

江戸時代でも
手抜きの記録で
田んぼのことしか残されていない

誰それさんは
本職はこれで、田んぼはこれくらいと
書かれていなかったのです

農業本位ですから
田んぼのことしか残されていなかった

この辺から
昔の人々は本当に
年貢で苦しかったのか
案外、副業ですから
適当に納めていたのではないか

そういことも調べてみると
面白いかもしれませんね
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2019/06/10 01:14

下記サイトでは、


1600年代の江戸時代初期において
平均収量を見てみると0.963石(2.4俵 = 144kg)/反
だったと言われています。

https://natural-farming.jp/report/160916.html

地域によって違うらしいが・・・
「江戸時代中期の収穫率」の回答画像1
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2019/06/09 15:09

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