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円谷英明

円谷一夫

の後は 何故 円谷家以外の者が
社長になったの?

また、息子いなかったの?

A 回答 (1件)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7 …

ここに詳しく載っています。
要点をコピペ

1995年6月11日に円谷皐が病気により退任し、営業部長の円谷一夫が4代目社長に就任した。21世紀初頭からは特撮テレビシリーズの本格的再開により、制作費は増加となった。しかしその一方で、大ヒットに恵まれなかったことと東宝からの離反に伴い、かつての後ろ盾であった三和銀行が抜けたために経営基盤が弱体化し、加えてTBSとの関係悪化などにより、2007年2月の期決算では売上高約56億円に対して当期純利益は約4400万円に止まった。累積赤字の膨張による倒産を危惧した役員は、円谷一夫から制作部の円谷昌弘への社長交代を要求し、2003年に円谷昌弘が5代目社長、円谷一夫が代表権を持つ会長に就任した。さらに円谷プロダクションを退社していた円谷粲と円谷英明が復帰して、一族で経営にあたることになった。一方で専務取締役の高野宏一は、この過程でバンダイの乗っ取りに加担する「クーデター」を計画したとして、辞表を出すように要求されて円谷プロダクションを去る事態になった。

2004年に円谷昌弘が女性社員へのセクハラ問題により辞任し、円谷英明が6代目社長に就任した。経理の正常化を目指した円谷英明もまた、1年後に役員会で解任動議が出されて、過半数の株を持つ会長の円谷一夫の同意により解任され、東宝不動産の取締役だった大山茂樹が7代目社長に就任した。しかし、2007年6月の取締役会で、大幅なリストラを主張した大山を円谷一夫が解任し、円谷一夫が復帰する形で8代目社長に就任した。

円谷プロダクションは銀行からの融資がストップし、30億円の累積赤字を抱えて倒産の危機に直面して、2007年10月に非常勤取締役の森島恒行の紹介により、CM映像のコンテンツ製作などを手がける映像会社のTYOから当面の資金繰りのため数千万円の融資を受けた。しかしそれを返済できず、担保となっていた円谷エンタープライズの過半数の株をTYOが取得した。さらにTYOが第三者割当増資で取得した株と合わせて、円谷エンタープライズの筆頭株主(80%を保有)となった。また、円谷一夫が当時保有していた円谷プロダクションの株の22.5%を円谷エンタープライズに譲渡することにより、円谷エンタープライズにおける円谷プロダクションの株保有比率を45.5%から68.0%に引き上げた。これらのプロセスを経て、円谷プロダクションの経営権はTYOが取得してTYOのグループ入りした。円谷一夫は社長を解任され、森島恒行が9代目社長に就任した。

TYOの経営参画後は、円谷一夫が円谷プロダクションと円谷エンタープライズの取締役会長として残ったものの、円谷プロダクションの設立以来続いてきた設立者一族の円谷家による同族経営に終止符が打たれることとなった。

TYOによる内部的な組織改革などが進み、これらと並行して円谷プロダクションとは『ウルトラシリーズ』で強い縁を持つバンダイナムコグループが資本参加した。2008年1月21日に、TYOは持ち株のうち33.4%をバンダイナムコグループの子会社であるバンダイに譲渡売却した。同年に森島恒行が辞任して制作統括の大岡新一が10代目社長に就任した。2009年7月にはさらなる株式譲渡が行われており(現在のバンダイ持ち株比率は49%)、バンダイナムコグループの円谷プロダクションにおける経営発言力は増加している。

この間に円谷一夫は会長から名誉会長へ退き、その名誉職も2009年に退任となり、これで円谷家は円谷プロダクションの経営から一切排除されることとなった。

2010年4月2日にTYOは保有する51%の株すべてをパチンコの開発販売会社のフィールズに売却し、円谷プロダクションはフィールズの子会社となった。
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