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近所にスーパーが出来る[自動詞]
私は中国語が話せる[可能動詞]

可能動詞とは、可能を表す動詞。
特徴としては、〜する事が出来る の形を取る。
そこで、ある疑問が浮かんだ。

可能(〜する事が出来る)というのは、それをする能力があるという意味なのか?例えば、私は中国語が話せる。= 私は中国語を話す能力がある。

同じ意味として捉えるのは誤りか?

可能(〜する事が出来る)とは何なのか。

質問者からの補足コメント

  • 出来るという動詞には、元々起こる・生まれる・発生する・完成する・成立するといった語彙的な意味があるが、その事について聞いてるのではなく、〜する事が出来るの本質について質問している。辞典や辞書に記載されてるような事を述べられても困る。

    〜する事が出来る という可能動詞についての本質は何なのかを知りたい。
    某サイトには、こう書かれていた。

    〜する事が出来る [能力]あるいは[実現の可能性]
    〜する事が出来た [実現]

    〜する事が出来るは、これからの時間にある動作が成り立つということなのか。可能というより実現を言い表してるように思えてならない。

      補足日時:2019/06/22 15:39
  • 解答を見てみると、形容詞的な意味を持つものとして捉えるべきか。実際の動作の要素を離れてその動作が可能な状態を表しているのか。

    単純にその動作をする能力が備わっている状態である
    100メートル泳げる

    条件によりその動作が可能な状態である
    海が綺麗なので泳げる

      補足日時:2019/06/22 17:07
  • 要するに、可能動詞とは可能(な状態)を表す動詞であり特徴としては、形容詞と似た働きを持つものと見なすのが正しいのか。

      補足日時:2019/06/23 08:32
  • 確かに、泳いだ・泳げたでは全然意味が違う。
    泳いだは動作の完了を表し、泳げたは実現の完了を表しているように思える。他動詞とは捉えない。

      補足日時:2019/06/23 12:07
  • では、なぜ、可能動詞は可能を表す動詞なのだ?
    正確には、可能な状態を表す動詞であろう?
    そこが疑問だ

      補足日時:2019/06/23 12:39
  • 少々混乱してしまったので、下の補足は無視してくれ。

    tobi氏のブログを拝見してるのだが中々興味深い。

      補足日時:2019/06/23 13:01
  • https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …

    回答についてどう思うか聞きたい。
    学校文法では、可能動詞を他動詞ではなく自動詞と考えることが多い。
    (「日本文法事典」昭和56年 有精堂)の要約。

      補足日時:2019/06/23 15:48
  • [能力]がある為にその行為が出来る
    [条件]が整っている為にその行為が出来る
    能力については、他動詞と捉え、条件については、自動詞と捉える?
    理解できなくはないが、あっさりと[能力][条件]で片付けるのは如何なものかと思う。しっくり来る感覚がないのだ。
    tobi氏のブログを拝見したが、辞書には[自動詞]とハッキリ記載されている。これについては無視できない。触れてはならぬものなのか?よく分からない。

      補足日時:2019/06/24 14:20

A 回答 (30件中1~10件)

質問者の疑問について一緒に考えたい気持ちはあるのですが、ここに投稿するのは気が進みません。

たぶん、これが最後になるかと。
 当方の書いたものをお読みなら、理由はご賢察ください。
 実はその数倍のホニャララがあります。

 本題に関してとても有力なサイトを発見しました。
 詳しくは下記をご参照ください。
【【{ヲ/ガ}できる {ヲ/ガ}(熟語動詞)できる 可能動詞】〈6〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12485759004.html

 以下は一部の抜粋(重言)。

 とっても参考になるサイトを発見した。
【25. ボイス(2) 可能・自発など】
https://niwasaburoo.amebaownd.com/posts/5755734
 まだ引越しが進んでないみたい、と諦めていたが、このあたりは済んでたのね。
 質問者にはすぐく参考になると思う。
「実現の可能性」なんてキーワードは、当方はピンとこなかったが、↑には詳しく書いてある。
 で、「能力可能、状況可能」に関しては下記あたり。
===========引用開始
25.4.3 意味

 可能表現の意味は、ふつう大きく二つに分けられます。一つはある主体がその動作を実現する可能性を持っていること、つまり能力を持っている、ということを表わします。「能力可能」と言います。上の「中国語が話せる」などはこの例です。

 もう一つは「状況可能」で、ある条件が満たされるような状況で、あることが可能になる、ということを表わします。ですから、これは「誰に」という個人は問題にしない場合も含みます。

 日本語ではこの二つは特に区別されないので、どの例がどちらかということを特に気にする必要はありませんが、学習者の言語によってはこれらを区別することがあるので、そういう分け方があることは知っておいたほうがいいでしょう。
===========引用終了

 そういうこってす。日本語では〈この二つは特に区別されないので、どの例がどちらかということを特に気にする必要〉とのこと。そのとおりだと思う。
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>>〜する事が出来る という可能動詞についての本質は何なのかを知りたい。



可能動詞は「できる」で、実現可能という意味です。

私は中国語ができる。

中国語を話せと云われたり、話そうとすれば話せるという意味です。

「できる」は他への作用ではなく、動作者自身の可能性なので自動詞になります。

動詞は属性を運動し発展し変化するものとしてとらえ表現し、形容詞は属性を静止し固定し変化しないものとして捉え表現します。

「できる」はある事態の実現可能性という動的な属性を表し動詞になります。■
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>形容詞と似た働きを持つものと見なすのが正しいのか。


似た働き・・・働きと言ってしまうと?。
動詞そのものが、形容詞と似た表現になるはずです、ある人曰く動詞の現在形は動きの瞬間を表現・・・・と言っていました。
動きには時間の経過が不可欠です、動詞の現在形の現在の意味はまさに今という現在(瞬間)です、例 「歩く」と言った瞬間にその現在(今)はすでに過ぎてしまっています。
実際の会話等でも、動詞の現在形で言い切る形はほとんどありません、現在形+他の品詞のことばがついて初めてまともな表現になります。
動詞の現在形は何を表すか?瞬間をカメラで撮影して、動きの概念を表すだけ?、例 歩き→走る×、握る×、泳ぐ×・・・・その他、ではなく・・・・。
カメラで撮影→静止画像、形容詞で表現する、姿形は時間の経過が不要です、静止画像なら形容詞で表現がおてのものですね。
動詞の概念の表現が形容詞ににているだけで、形容詞の働きに似ているわけではないと思います。
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>>〜する事が出来るは、これからの時間にある動作が成り立つということなのか。

可能というより実現を言い表してるように思えてならない。

「出来る」は、意志すればそれを実現する能力があると云う意味です。
「出来る」自体には自他の区分はありません。
自他を表すのは「~する」の部分で、「勉強する」は自動詞、「破壊する」は他動詞になります。
英語の「can」に当たります。■
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#21です。



1.
>理解できなくはないが、あっさりと[能力][条件]で片付けるのは如何なものかと思う。しっくり来る感覚がないのだ。

a.
広辞苑言うところの[条件]をどのように解釈するかということになるかもしれません。

『私は中国語が話せる。』という文の場合、

・ 私に関して言うなら、 話せるという状態が存在している。「中国語」に関して、という条件付きだが。

といった意味に個人的には解釈しています。
『しっくり来る感覚がない』のは、「条件」というのが、あくまで自動詞の場合の構造に関する説明だからでしょう。
また、その感覚は私も共有できるものであり、であればこそ他動詞と考える立場をとるわけです。

ご質問の例文とは異なりますが、たとえば次のような文の場合に[条件]の意味するところがわかりやすくなるように思います。

故郷を離れてアメリカに住んでから早6カ月。
母国語である中国語を話す機会はほとんどない。
ただ、月に一度、同郷の集まりがあり、そこでは中国語が話せる。

こうした場合の「話せる」は、[能力]ではなく[条件(あるいは状況)]を表わす可能動詞と言えるでしょう。
「中国語」が「話せる」という可能状態の条件になっている、という解釈。

2.
>辞書には[自動詞]とハッキリ記載されている。

私の知る限り、「話せる」という可能動詞を項目として取り上げているネット辞書は7つのうち下記の3つだけです。
そのうち、[自動詞]とハッキリ記載しているのは、

●[学国]
《自動詞下一段活用》活用表{「話す」の可能形}
 話すことができる。「英語が話せる人」

だけですね。

●[明鏡]
 〘自他下一〙 〔「話す」の可能形〕
 「英語 が/を━」

は、自他両方を記している。

●[日国]
 〔サ下一〕(「はなす(話)」の可能動詞)
 話すことができる。「英語が話せる」

は自他に触れていない。

3.
>これについては無視できない。

それは言えてますね。
ただ、問題は、本当に自動詞【だけ】なのだろうか?
という点ではないかと思います。
他動詞を認めないなら、

『私は中国語を話せる。』

という表現は日本語として不自然である、と言っていることになりますが、私はそうは思わない、ということです。
むろん、あくまで個人の感覚の問題になるでしょう。
私としては、なぜそういう感覚になるのだろうか、という点について、可能な限りの根拠を検証しつつ述べさせていただいた次第。
『あっさりと』片付けたわけではないですよ。
同意するしないは、あくまで個人の感覚しだいであり、他人に押し付けるものとは思っていません。
ご自身でお考えになる際の何かのご参考になれば、という程度の投稿です。
何か腑に落ちない点がございましたら補足していただけると私としても勉強になります。
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#23です。


たびたびの横レス申し訳ありません。
#24さんのご回答について、一応、押さえておく必要があると思うので。

知恵袋氏の要点は、
>上の事典では、可能動詞を自動詞とする根拠を、「~が…」という形をとる点に求めていますが、
A・Bの「~が見られる」「~が食べられる」が正しい言い方であるのなら、その根拠の正当性は
ぐらついてくると思います。

でしょうね。
「自動詞だけ」というのは間違いだと信じている。

>とはいえ、可能動詞は「他動詞」だ、という考えに固執するつもりは毛頭ありません。ただ、日本語の
自動詞・他動詞を論ずることの難しさに改めて気づきました。さらに勉強を進めたいと思います。

というのは、あくまで社交辞令かと。

>「日本語の自動詞・他動詞を論ずることの難しさ」についてはまた別の機会があるはずだし、このスレの結論のキーワードは「状況」と「能力」程度でよい、と思っています。

「状況」なら自動詞ですし、「能力」なら他動詞では。
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No.23さんへ


知恵袋のベストアンサー氏が、さんざん考えた結果行き着いた所は次の通りですよね。

>とはいえ、可能動詞は「他動詞」だ、という考えに固執するつもりは毛頭ありません。ただ、日本語の
自動詞・他動詞を論ずることの難しさに改めて気づきました。さらに勉強を進めたいと思います。

なお、このスレのもともとの趣旨とは関係の無い話になりますので、ここではこれ以上首を突っ込む必要はない、「日本語の自動詞・他動詞を論ずることの難しさ」についてはまた別の機会があるはずだし、このスレの結論のキーワードは「状況」と「能力」程度でよい、と思っています。

スレ主さんが補足に「どう思うか聞きたい。」などと書かなければ、私にも首をつっこむ気はなかったのです。野ツボにはまる予感はあったので避けよう避けようと思っていたのに、うっかりウンチを踏んだ気分です。
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#21です。


#22さんのご見解を拝見して、ちょっと横レスよろしいですか。

>「が多い」というのは、その通りだと思います。勿論「少ない」が他動詞の例もあるということもその通りです。知恵袋は「反証」を挙げて、「自動詞だけだ」ということに反対しているだけです。

何も矛盾はありません。

それは表面的な判断かと。
この回答者は、学校文法が、「水を飲める」「本を読める」という可能動詞の他動詞用法を認めていないのはおかしいだろ?
と言っているのではないですかね。
学校文法は「ヲ格+可能動詞」の型を認めてないのですから、『「少ない」が他動詞の例もある』という生易しいことを言ってるわけではないでしょう。
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>学校文法では、可能動詞を他動詞ではなく自動詞と考えることが多い。



「が多い」というのは、その通りだと思います。勿論「少ない」が他動詞の例もあるということもその通りです。知恵袋は「反証」を挙げて、「自動詞だけだ」ということに反対しているだけです。

何も矛盾はありません。
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#15です。


補足を拝見しての感想を。

1.
>要するに、可能動詞とは可能(な状態)を表す動詞であり特徴としては、形容詞と似た働きを持つものと見なすのが正しいのか。

この点に関しては、ウィキの下記記述がご参考になるかと。
【「わかる」などは意味に応じて状態動詞(「理解している」の意味)・運動詞(「明らかになる」の意味)の両方として用いられる。動詞と形容詞に形態上の区別がない言語では、形容詞に当たるものが全て状態動詞と言える。】
可能動詞は状態動詞ですが、これには『形容詞と似た働きを持つもの』とそうでないもの(運動詞)がある、ということになりそうです。

2.
>確かに、泳いだ・泳げたでは全然意味が違う。
泳いだは動作の完了を表し、泳げたは実現の完了を表しているように思える。他動詞とは捉えない。

これは、あくまで基本型の「泳ぐ」が自動詞だからでしょう。

3.
>では、なぜ、可能動詞は可能を表す動詞なのだ?
正確には、可能な状態を表す動詞であろう?
そこが疑問だ

この疑問は結構重要。
本質に迫っている。
以下、私見を交えて述べてみます。

『私は中国語が話せる。』
の場合、2通りの解釈が可能になると思います。

A.
まず、「能力があることを表わす」運動詞という解釈。
可能を表わす他動詞であり、「中国語=目的語」です。

・私は中国語を話せる。

のようにヲ格をとることもできる。

B.
もうひとつの解釈は、
可能な状態を表す自動詞であり、「中国語=主語」です。
この場合、

・ 私に関して言うなら、 中国語が話せるという状態が存在している。

という解釈になるのでしょう。

C.
ここで「中国語が」の「が」について広辞苑の語釈を参照してみると、以下のような記述があります。
※②-㋑後の情意を表す形容詞、可能の表現などに続け、その原因・条件となったことを示す。述語の対象を示すととらえる説もある。現代語では「が」の代りに「を」の使われることもある。※
https://sakura-paris.org/dict/%E5%BA%83%E8%BE%9E …
『後の情意を表す形容詞、可能の表現などに続け、その原因・条件となったことを示す。』という箇所が、上記 A (自動詞)の解釈に該当し、
『述語の対象を示すととらえる説もある。』という箇所が、上記 B (他動詞)に該当するのだと思われます。

D.
因みに、可能動詞を項目として掲載しているネット辞書は基本的に少なくて、可能動詞としての「話せる」の語釈を載せているのは下記3辞書だけです。

●[日国]
 〔サ下一〕(「はなす(話)」の可能動詞)
 話すことができる。「英語が話せる」
●[学国]
《自動詞下一段活用》活用表{「話す」の可能形}
 話すことができる。「英語が話せる人」
●[明鏡]
 〘自他下一〙 〔「話す」の可能形〕
 「英語 が/を━」

自動詞説が優勢なようですが、基本的には他動詞と考えるのが妥当だろうというのが個人的な見解です。
B の場合は、【構造的には】主語と捉えることができるため自動詞と解釈するわけでしょうが、実質的には、大辞泉の語釈にも明記されているように、
2 希望・好悪・能力などの対象を示す。「水が飲みたい」「紅茶が好きだ」「中国語が話せる」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/34931/meaning/m1 …
という用法が確立しているわけで、やはり他動詞と考えるのが自然だと思う次第。
そもそも、「中国語」を主語と認識できる人がどれほどいるでしょうか。
ただし、「話せる」には【話し相手とするに足りる。ものわかりがよい。融通がきく。
「うちの親は━」(広辞苑)】という意味もあり、この場合はむろん自動詞です。

4.
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio
回答についてどう思うか聞きたい。
学校文法では、可能動詞を他動詞ではなく自動詞と考えることが多い。
(「日本文法事典」昭和56年 有精堂)の要約。

学校文法では「見られる」「食べられる」を可能動詞としていないという点についての疑念を、

A「この国では来年皆既日食【が見られる】そうだ。」
B「このレストランではおいしいパスタ【が食べられる】という話だ。」

という例文を挙げつつ指摘している。
要するに、『可能動詞を他動詞ではなく自動詞(だけ)と考える』のは間違いである、と言っているわけでしょう。
まったく正しい論理展開であり、相手が「日本文法事典」だからといって臆することなく自説を主張すべきかと。
誰が言ったかではなく、何を言ったかに着目しないと真理に辿り着くことはできない。
改めて申し上げると、自動詞(だけ)と考えるのは、あくまで『構造としての解釈』にすぎず、可能動詞の表わす実質的用法を無視している点で間違っている。
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