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僕はキリストはお金の事だと思うんですがどうでしょうか?ご意見伺いたいです。宜しくお願いします。

A 回答 (22件中1~10件)

中世のように極度に宗教化した社会であれば、キリスト=お金といえる面もあるかと思います。


ご質問の内容を、私なりに解釈すると社会にとってのお金の位置づけ(役割)とキリストの役割に相似性があるか?という内容だと解釈しました。
お金とは、交換価値の事であり、その価値は国家により保証されています。一方キリストは(信仰する者にとっては)絶対的価値であり、神と聖霊と一体となる存在として万能の神の子としての位置づけが神により保証されています(と信じています)
ご指摘の部分はキリストが万民の罪を背負って、茨の冠を被り十字架に掲げられる事によって、神はすべて人の罪を許し給うた、ことですね。
この罪の許しを言い換えると信頼の回復と言え、これがお金と同じだという事でしょう。
お金は、それを所持することによって困難からの救いとなる点、万人に平等な価値となる点では良く似ています。この場合キリストと言うより信仰と言ったほうが私にはしっくり来ます。
また、お金も信仰もそれを持つことができれば救われるのに、なかなか持つことができないのも似ている気がします。
ただし、大きく違う面もあります。
お金自体には意志が無いのに対し、キリスト、或いは信仰には神の意志の実現へ向かおうとするという点が大きく異なります。また、お金はもっぱら同一の社会の中での他者との関係により使用されますが、キリストへの信仰は神と人との間の1対1の関係で語られます。そして、それは精神的なものです。
ユダヤ教でのメシアは現世的な君主の出現であり、キリストのように精神的な、信仰的な救い主ではありませんでした。
ですから、お金に近いのは、むしろユダヤ教でのメシアかも知れません。
的確な答えにはなっていないかも知れませんが、このご質問には非常に新鮮な視点を提供していただきました、ありがとうございます。
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この回答へのお礼

御礼が遅くなり大変申し訳ないです。すみません。
>この罪の許しを言い換えると信頼の回復と言え、これがお金と同じだという事でしょう。
 そうなんです。そうおもいます。
>お金自体には意志が無いのに対し、・・・・キリストへの信仰は神と人との間の1対1の関係で語られます。そして、それは精神的なものです。
 たしかに、、、
>ユダヤ教でのメシアは現世的な君主の出現であり、キリストのように精神的な、信仰的な救い主ではありませんでした。
ですから、お金に近いのは、むしろユダヤ教でのメシアかも知れません。
 この部分、他の部分にもましてとても参考になります。
あなたの回答のおかげで、自分の思考が整理され、さらに新たな思考範囲が開拓されました。非常に感謝しております。又、出会えることを願っています。
本当に遅い御礼ですみませんでした。

お礼日時:2001/08/12 09:10

coelacanthですが御礼の内容を見ていて、こんな自由な発想があるのかと思うと感心しました。


しかし、この考えの何処かにレトリックがあるのではではないかと考えて見ましたがcaballeroさんは「キリストとお金」を同一と断じているようで断じてはいない。
恐らくcaballeroさんは結論を持っているのでしょう。
私はキリスト教の事は知りませんがキリストが誕生して直に私は人間の原罪をとか、そんな事を言ったはずもなく、当時は現代の様に人権等無く、人身売買及び奴隷制度が当たり前で持ち主が奴隷の生死を握る絶対者及び支配階級に属していない人々は支配階級者から不要と思われたらいとも簡単に抹殺される世界だったと思います。
当然、そのような世界には救世主が現れ救ってくれると思うのが当然の事でキリスト誕生に繋がったと思います。
別に茶化しているわけではないのですがキリスト誕生以前は汝、隣の女房に色目を使うなとか泥棒をするなとかを考えれば余程、そのような行為が横行していたと思われます。
そのような状況下でキリストは金だと言われるなら金の根本は何かだと思います。
現代の様に道が整備されていない古代では金のル-ッは漁師が海で魚を取るが米は無い、米を作る人は魚が欲しい。
当然漁師が米を欲しいときに3日も4日も漁を休んで米を求めるよりも漁をした方が効率がよいのは当たり前で、当然米を作る人も魚を求めて休むよりも米を作ったほうが効率よいのは当たり前、魚と米を交換する専門の人が現れるのは当然ですが、その人も両者から手間賃を貰った事が金のル-ッと思いますのでキリストと金とは全く違う次元のことだと思いますよ。
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この回答へのお礼

>この考えの何処かにレトリックがあるのではではないかと考えて見ましたが
 確かに僕自身も感じてます、、、、、。
>キリストは金だと言われるなら金の根本は何かだと思います。
 よく言われているのは「信用」でしょう。人も信用できずにお金が使えるか!みたいな部分もあったと思います。倫理はお金のために必要だった。中間マージンは別にお金じゃなくても代用がききますし、むしろそちらのほうが安心感もあります。しかし、お金の変換価値というのは、何も物質のみに適用されているわけでなく、本を買えば、印刷代と紙代を支払えばいいってワケじゃないですし、投資家達のマネーゲームなどになると、「なんじゃそりゃ!?」って気持ちでイッパイです。皆が口を噤む事によってもたらされる「合理性」と「盲目」。これは「信用」とはかけ離れている気がします。そしてもはや口を再び開く事はできません。一人で口を開いても話できないですので、、。
>キリストと金とは全く違う次元のことだと思いますよ。
 キリスト以前に今のお金の原型がすでにあったように思います。たぶん、、、
しかし、全く違う次元とも言い切りません。 キリストが救ったのはお金か?っていうのもありかもしれないですね。(当然真剣です)
 あなたのご意見大変参考にさせていただきありがとうございました。

お礼日時:2001/08/21 07:45

>追申:ただ現代にキリスト(人間の)が復活しても誰も信じず石を投げるのではないでしょうか?


再びno11です。現在のキリスト像というのは青い眼でいわゆるヨーロッパ人をモデルにしたものです。詳しい記述は分からないのですが本当のキリストは確か黒い髪だったはずです。向こうの人間だから青い眼ではないはずです。このことから分かるように彼等は自分達の都合のいい解釈をしているわけです。だから復活しても自分達の解釈と違えばそれは本物ではない、というわけです。私はキリスト教その他の宗教を信じてませんが信仰心はもっていますし、お金のことを反キリストとは思ってないし(そもそも反キリストという言葉は意味がないと思う)いわゆるこの世界は法則(X)によって成り立っているのではないかと思います。黒沢清の映画「カリスマ」に出てきた言葉
「世界の法則を回復せよ」 
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この回答へのお礼

>そもそも反キリストという言葉は意味がないと思う。
難しい所ですね、僕もお金が反キリストかどうかなんて全く気にもしていませんでしたが、(×)の反対に意味が無いとはいい切れない部分を感じます。
>復活しても自分達の解釈と違えばそれは本物ではない、というわけです。
 なるほど、
あなたの見解、大変感謝してます。又何かの時にお会いできる事を願ってます。

お礼日時:2001/08/21 07:21

お金とキリストを比較するには少し乱暴のような気もいたします。


私は子供のころキリスト教(カトリック)の学校にいましたが。
お金との関係はあまり考えられないような気がいたします。
キリスト教の教えには「愛」という文字が記憶に残っていますが金銭とか
いうのは宗教の上ではあまり良い表現では語られていないような気がします。
もし、信仰心の厚い信者さんがみられたら嘆くのではないでしょうか?
特にキリスト教は世界では一番多い宗教だと思いますが。
日本ではなじみの少ない宗教ではありますが、それでもクリスマスなどを
お祝いしているのは日本人ですから、なるべく宗教のことはそっとしておいたほうがよろしいかと思います。あくまでも個人的な意見ではありますが。
生意気なことをいってすみませんが。よろしくお願いします。
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この回答へのお礼

すいません、、、、僕の文章が言葉足らずなのは分かっているんですが、そのことで不快感を覚える方がいるのも分かってるんです。しかし、強引にも自分勝手に質問してしまったのは多くの皆さんの意見がいつもありがたいからです。わかっていただけてうれしいです。
>もし、信仰心の厚い信者さんがみられたら嘆くのではないでしょうか?
 何故嘆くのでしょう。お金は、反キリスト的でしょうか?もしよろしければ、キリスト教における「お金」の位置について教えていただけないでしょうか?
>なるべく宗教のことはそっとしておいたほうがよろしいかと思います。
 せっかく頂いたご忠告に対して反発するようで、無礼で大変申し訳ないですが、そっとしてはおけません。宗教は多くの戦争だけでなく、様々な人の様々な人生、そして僕にも関わってきます。多くの悲惨な子ども達、つまり人類(キリスト教的にいうと)の悩み、様々な僕の悩み(個人的に)が生ずるのは宗教、お金、社会、いろいろ関わっているように思いますが、宗教の占めるウェートは重いです。その事に対して、棒で突っつくような事はしてないつもりですが(こんな質問文章では仕方ないですが)、そっとしておくというという態度は、僕にはふさわしくありません。
>生意気なことをいってすみませんが。よろしくお願いします。
 生意気なのは僕のほうです。ご忠告をきくことになれなくて申し訳ないです。あなたの親切心が僕はうれしいです。ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/15 09:16

No.14です。


>お金の欠点についてもう少し詳しく教えていただけないでしょうか?

うーん。僕は無神論者であんまり知識はないのですが。
お金の欠点としてはやっぱり、絶対絶命のピンチの時に頼れないって
ことですかねぇ。
「神様ー、たすけてー!」とはいうでしょうが、
「お金さん、助けて―!」って言っても何だか奇跡が起こりそうな
気がしないじゃないですか。
やっぱり、腹減って死にそうで動けない時とかお金よりご飯が欲しいわけで、
近くにコンビニがない時代、いや、その国の食べ物が全部なくなってしまい
そうな時がありそうな時代には金はそんなに価値がないかなって思います。

僕の場合、キリストは人だと思うんですが、
キリスト教の神様のことは道徳だと思ってるんですよ。
人を殺すとか物を盗むって今では悪いことってみんな思うと思うんですが
その時代ではどうなのかなぁって考えてみた場合、
やっぱり権力者の人が罰を決めて悪いことが何なのか決めないと正義の定義みたいなものってないんじゃないかなって思います。
だからキリストが思う道徳とか善悪を広めるにはやっぱり、絶対的な権力者
である神様を使うしかなかったんじゃないかなって思います。
数ある神様の中でも平等とか思いやりを言ってる神様は少ないと思うんです。
だから弟子かキリスト自身か分かりませんが道徳を広めるのが目標だった
んじゃないかなって思うのですが・・・全く違うかもしれないですねぇ。
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この回答へのお礼

リクエストに答えてくださってホントありがたいです。
>「お金さん、助けて―!」って言っても何だか奇跡が起こりそうな
気がしないじゃないですか。
 いやっ、ホンまそうですよ。
>キリスト教の神様のことは道徳だと思ってるんですよ。
 なるほど、「道徳」もほっといてるだけじゃ普及しないですもんね。
>だから弟子かキリスト自身か分かりませんが道徳を広めるのが目標だった
んじゃないかなって思うのですが・・・全く違うかもしれないですねぇ。
>数ある神様の中でも平等とか思いやりを言ってる神様は少ないと思うんです。
 そうですね、平等とか慈悲をいうのはぼくのしってるだけではキリスト教と仏教ぐらいですから、それらの宗教はかなりの範囲で我々の社会にも染み付いてるし、今の社会を成立させる事に暗?に活躍してますよね。「平等」とか「慈悲」だとか抜き差しならないって感じします。でもジツは仏教では動物はいいけど植物はダメなのか(仲間じゃない)とか、キリスト教では人間は仲間だけどそれ以外はダメとか、そのせいで「魔女狩り」だとかあったと思います。選民思想による「虐殺」が問題視されるのなら、人道主義による社会の成立も問題視すべき点があると思います。一定の社会が成立するってやはりなにかが選ばれるわけですから、平等じゃないんですよね。その社会に対する憤りを見逃すためにキリスト教などが普及されたんでしょうか? しかし問題は何故「憤り」を見逃さそうとするのか?「生きていけないからか?」僕は違うと思いますね。別に社会を一定に保つことをめざすのが「生」の安定に繋がるとは思いません。実際に戦争とか起こってますので、安定しているとはいえない。「生」の安定を求めるのは本能ですから、別にいいのですが、それを利用して社会の安定を目指そうとしたのには訳があると思います。きっと誰かがそのことですごく得をしているんでしょう。僕は別にみんなが得すればいいとは思わないですし、得は損があるから成り立つものです。しかし損得がなくても社会は成り立ちえるし、そのような社会で生きていけます。一定の社会じゃなくてもいいと思いますね。水のような社会でもゼンゼンいけると思います。それは水のようであるという点でその社会は保たれていますから、「意味」において社会が保たれる、お金や道徳を浸透させなくてもやっていける。そう思います。
最後ですが、お金と道徳についても考えさせられました。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/08/15 08:55

♯15のvioleです。


お礼文を読ませていただき、漸くご質問の意図が見えてきたかなー、という感じです。理解力無くてすみません;

>実態をつかむことが出来ないがあるといえばあると言え るような
確かに、そう言われるとニュアンス的にはそんな感じしますね。
でも、取り敢えず、2000年ほど昔に「キリスト」と呼ばれた宗教家は存在したと思ってます。「神」の存在は私は信じてませんが。

>キリストとお金のどちらが広く信用されているか
そうですね、キリストの信者よりも金の信者の方が世の中には多いでしょうねーー。お金は無ければ困るけど、使われるようになったらもっと困るものだと思います。

>聖書がお金の普及に一役買ったんじゃないか
この辺は知識が充分でないので滅多なことは言えないのですが…。
聖書とお金は別フィールドで展開してったんじゃないかなぁ、と思います。「実体が無い」はともかく、「融通の利く」モノ(=通貨)としての意識が聖書に対しては無いのではないかと。宗教改革前の辺りでは見事にお金に聖書が利用されてますが、こっち行くと話が別の方向へ広がりそう&語れるほどの知識が無い、なのでこの辺で。

>お金が無かったら何でも出来るかも!?
貧富の差も無くなって理想的、とも思えますが、社会主義の失敗とかがそうなんじゃないでしょうか?…って、この辺もやっぱり知識不足なので余計なことは言えないんです。

言葉が足りず支離滅裂になってしまいましたが、何か参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

再び親切に訪れていただき大変うれしいです。
>理解力無くてすみません;
いや、僕の質問が不十分であるからもうしわけないです。
>お金は無ければ困るけど、使われるようになったらもっと困るものだと思います。
 僕もホントそう思います。
>「融通の利く」モノ(=通貨)としての意識が聖書に対しては無いのではないかと。
 ぼくは、「融通の利く」モノとしての意識を、聖書によりつくられたんじゃないかなぁとふっと、ほんとにフッと思うんです。

>社会主義の失敗とかがそうなんじゃないでしょうか?
 そうですね、少ない知識で僕は社会主義のことを考えたんですが、普遍理想をさだめようとし、そのせいで個人を否定する事になり、能率が悪くなったんじゃないでしょうか?それは、我々に反映している世界が、個人の所有であることに気がついていなかったからだと思います。「お金」のない社会は効率の悪いものですから、資本主義社会が終わっても「お金」はなくならないと思います。しかし、世界が個人の所有であるということ(世界は個人(「我」)によっている)を理解するなら、『「我」は又別のなにかによっている』ことに気付く事と思います。「我」の存在が「我」以外のもの(「他」ではない。なぜならその「他」を示すのは「我」による世界であるからだ。つまり、「我」が「世界」にしているように、それが「我」にしていいるもののこと)によっているという事に気がつくと、独我論の言いえなかった事について、つまり「究極的な独我論」、をおえることができるので、そのことで「世界」に対する我々の態度もまた違ったものになるのではないかと思います。ですから、「お金」のない世界を、Realityをもって僕はのぞんでます。

>言葉が足りず支離滅裂になってしまいましたが、何か参考になれば幸いです。  ご回答大変参考にさせていただいてます。僕は、皆さんの回答に対するお礼で思考していますので、あなたの回答、本当にありがたいです。ありがとうございました。もしよろしければ、またのご意見を心待ちにしていますので、訪れていただけるとありがたいです。失礼します。

お礼日時:2001/08/15 08:16

no.11です。

漠然としてうまくはいえないのですが、キリストとお金はXではないかと思います。入れ物みたいなもので、そこになにかが入ると機能するというわけです。そしてそれらはlinkしようとしている。最初にキリストとお金はXと書きましたがXは鎖が繋がっている、又は重なりあい、交じりあっている記号に見えませんか?でもその地位ですら、インターネットなどに脅かされている気がします。キリスト教がかなり広まったのは(間違った情報も含めて)キリスト(ここでいうキリストは人間の)はインターネットのような人だったのではないか?彼が現在生きていればコンピューターを使っていたのか興味のあるところです。ただ現代にキリスト(人間の)が復活しても誰も信じず石を投げるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

「×」ですか、、、、なるほど。
「キリスト」、「お金」は「繋がる事(×)」。なんか漠然と共感できるきがします。人や物というより「機能」「言葉」「お約束」みたいな形であるということですよね?斬新なご回答、大変興味深いです。このことについて、考えています。
再び回答を請求してしまった僕のわがままに答えていただきほんとにありがたいです。ありがとうございました。

追申:ただ現代にキリスト(人間の)が復活しても誰も信じず石を投げるのではないでしょうか?
 どうでしょうか?先進諸国、特に現代の日本では宗教家達の活躍はあまり見られないですよね、メディアによるの浸透等も影響していると思います。しかし、メディアにはRealityが欠けていますから(メディア世界を形成してる?)、キリストも、拒否されるとは限らないように思います。この最後文については僕の思慮はそうとうに浅いものですので、ほんとにもしよろしければご解説いただけるとうれしいです。失礼します。

お礼日時:2001/08/15 07:36

最初は「は?」と思いました。

過去の回答をいろいろ読んで、ふんふんと思いました。
キリストは、私たち人間の罪をすべて担ってくださり、一度死によみがえられた救い主です。
聖書の中に、税金についてイエス様が語っている箇所がありますが、
「神のものは神に、カイザルのものはカイザルに返しなさい」とあります。
カイザルは、お金を発行しているところの名前です。
私はこの箇所がとても好きです。うまく説明できませんが、キリストとお金はぜんぜんちがうと思います。人間が作り出したものが、神になるわけがありません!!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「カイザルに返す」って税金払いなさいって事でしょうか?
もしよければ、聖書に書かれているお金に関する記述をもう少し教えていただけないでしょうか?
僕がこう思うのも、聖書がお金の普及に一役買ってるんじゃないかなぁ?と、ふっと思ったからなんですが、確かに人がつくったものが神になるわけがありませんよね。
御礼が遅くなり申し訳ないです。もしよろしければもう一度お願いします。

お礼日時:2001/08/12 08:06

こんにちは。

何だか面白い内容なので参加させていただきます(笑)。
初めに断っておきますが、私のキリスト教に関する知識は世界史や倫理の教科書程度ですので~。

cacalleroさんが仰ってるのは、「イエス=キリスト」は『モノ』としてのお金か?」ということでよろしいのでしょうか?貨幣的価値というのではなく、ペラペラしてたりチャリチャリしてたりする、あのお金、ということでしょうか?そのつもりで話させていただきます、って、大した内容ではないのですが^。^;

イエス=キリストは実在した人間なのでは?
広辞苑にもきちんと載ってますし、いくら必要とは言え、たかだか「お金」にあんなに多くの人が信仰心を抱き、これだけ長い間支持されているとは思えません。

どうしてそう思われたのか興味深いです。よろしければ教えて頂けませんか?

この回答への補足

すいません、、、今日12日でした。。。。。

補足日時:2001/08/12 09:32
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この回答へのお礼

御礼が遅くなり大変申し訳ないです。ってちなみに今日8月15日です。すみません・・・。
僕は世界史もやってないから倫理の教科書ぐらいです、、、。
>『モノ』としてのお金か?」ということでよろしいのでしょうか?
 どうかと言うと、「数字」「形骸?」としてのお金です。実態をつかむ事のできないが、あるといえばあるといえるような気がするって感じです。
>広辞苑にもきちんと載ってますし、いくら必要とは言え、たかだか「お金」にあんなに多くの人が信仰心を抱き、これだけ長い間支持されているとは思えません。
 しかし「お金」自体はかなり、むしろキリストより長い歴史を背負ってますし、キリストとお金のどちらが広く信用されてきているかを問うと、「お金」だと思います。
僕がこのような質問をしたのは、聖書がお金の普及に一役買ったんじゃないか?ふっと思ったんです。
別にお金に困ってるんじゃないですが、、、、
多く先進国の人々はお金がないと何もできないと考えています。途上国の人々はお金があれば何でもできると考えています。僕は「お金(形骸?概念?)」がなかったらなんでもできるかも!?って思ったりするんです。
 もしよろしければもう一度ご助言願えますでしょうか?

お礼日時:2001/08/12 08:21

なるほど。

最後の晩餐でパンを買うために使っちゃったってことですね!
なので最後だと。。
・・・違いますか?
うーん、お金に弟子ができるってヘンだと。
いや僕もある意味お金の弟子かな。。
でもお金は迫害されないと思うのですが。
ん?いっぱい使っちまうってことかな。
いやでもお金は復活しないような。
復活してほしいですな。
現代ではお金は神にもっとも近い存在というべきでしょうか。
欠点はありますが。
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この回答へのお礼

御礼が遅くなり大変申し訳ありません。
っていきなり遅刻してなんですが、お金の欠点についてもう少し詳しく教えていただけないでしょうか?あなたが、このお礼を読んでくれる事を祈ってます。ほんとにすみません。よろしければお答え願えますか。

お礼日時:2001/08/12 08:25

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