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信仰の中心には神や仏がいますね。
しかしその神や仏が人間にとって最も根本的な問題、つまり命のあり方の問題、生命倫理の問題に対し何らの答えを示すことが出来ないとき、その神や仏に力はあるのでしょーか。
仏教における仏は臓器移植を認めていますか?
その仏は現代医療の植物人間医療を認めていますか?
仏教は人間にとって最も根本的な問題、命のあり方の問題、生命倫理の問題に対し明確な答えを示していますか?
イエス・キリストはこれらの問題についてどのような答えを提示していますか?
聖書はどのような答えを提示していますか?
人間にとって最も根本的な問題、命のあり方の問題、生命倫理の問題に対し答えを持たぬ神や仏は果たして神や仏と言えるのでしょーか?
さらには信仰は何のためにあるのでしょーか?

A 回答 (11件中1~10件)

臓器移植は最近の技術じゃないですか。



そこに言及がなくても仕方ないのではと、思いましたよ。
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キリスト教は宗派によりますが確か死後の世界で新しい身体を与えられる的な教えですね。


仏教は知りませんが、信仰って個人的解釈ですが、倫理、道徳、民衆支配、教育を市民に浸透させるものです。
物に神様が宿るから大切にしようとか
規律を守りましょうとか。
なので宗教自体は、悪いものばかりではありません。社会的信用や一定の顧客にもつながります。
貴方は無宗教だと思います。
日本人はクリスマスも正月もごっちゃまぜなんですから自分の必要性がある時利用価値がある時だけ宗教を利用すればいいのです。
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まずは肉食妻帯蓄髪坊主を排除して、日蓮宗および浄土真宗など、テキトーな事言って信者を集めたポピュリズム宗派の歴史的実態を暴かねばなりませぬ。



仏教の教えである「生き物の命は皆等しく大切にする」を、中心教義に据え直す事です。

日本で仏教の正常化が完了した暁には、人類普遍の生命倫理を持ってグローバルに打って出なくてはなりません。

そこには15億人の信者をもつカトリックなど、巨大な宗教が「動物は神が人間のためにお作りくださったものだから、煮て食おうが焼いて食おうが人間の好きにすればよろしい」などとデタラメを教えている宗教を是正せねばならんので、長く厳しい戦いになるぞ。

生命倫理は動物と人間となんら差のない倫理学であることが各宗教共通認識となったら、最後は畜産業者、食肉商人との戦いである。

キリスト教が2000年もかけて人類を騙して独裁的地位を確保した事実に鑑みれば、この戦いはミレニアムな戦いとなる事を覚悟せねばならない。

野郎ども、覚悟は出来てるかぁ!
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この回答へのお礼

「人類普遍の生命倫理」、ここは気に入った。

お礼日時:2019/06/23 10:24

仏教における仏は臓器移植を認めていますか?


その仏は現代医療の植物人間医療を認めていますか?
仏教は人間にとって最も根本的な問題、命のあり方の問題、生命倫理の問題に対し明確な答えを示していますか?
 ↑
それらの宗教が誕生したときは臓器移植の
技術がありませんでした。
だから想定外です。
つまり、宗教なんてのは、人間の想像の産物だ
ということです。



さらには信仰は何のためにあるのでしょーか?
  ↑
1,善悪を根拠づけることにより秩序を
 作る。
 だから、最初は取り締まっていた権力も、
 宗教を利用するようになったのです。

2,宗教を共通にすることにより、より大きな
 集団を作ることができる。
 集団が大きいほど、イノベーションが盛んになり
 戦争にも強くなります。

3,死の恐怖を緩和する。

4,人間より上の存在がある、とすることに
 より、人間を謙虚にすることが可能。

5,宗教産業株式会社として経済活動を
 する。
 それにより、幹部は大儲け。
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そんなものは見方に過ぎない。

命至上主義に立てば、身体の一部であっても、他の人に宿って共に生き続けるのだ、と言う美談に見ることだってできる。

人は自己都合で価値観を変える。

ただ、仏教の話をすれば、五濁に見るように命は濁りであると言われる。
確かに命そのものには尊さは別に無い。尊さが存在するのは生き方においてである。
その生き方について、原始経典に次のような詩がある。
"百年汚れて生きるよりも、一日を浄く生きることの方が優れている"

他の人に向かって浄くあれと命令し強制することはできない。出来るのは、自身が浄くある事だけである。自身が浄くある時に、他の人の命の一部を受け取る人の事を糾弾する事は出来ない。それを実行する人の事も責められない。(裏社会の不法の問題はあるが、それを別にすれば責めることはできない。そして仏教では罪科はカルマによって贖われるとする。)

例えば乗り物の本質が移動する事にあって見栄えにあるのではないように、命の本質は生まれさせる事にあって、その不気味さや儚さにあるのでは無い。そして、人生の本質は生まれた事にあるのではなく、死ぬ事にあるのでもなく、如何様に生きるかにあるのである。
仏教は命を長らえることは否定しない。早く諦めて死ねなどと言う事はない。しかし、人生を無駄にし、粗末にし、後悔する事は否定している。その様な者は死後に悪処(地獄など)に行くと言われる。

人は死した命を丁寧に葬りたいと考える。それで墓標を立てたり花を供えたりする。
それで十分なのである。一方で、貧しい時には墓を暴いて遺物を盗んだりするのも事実である。そしてそれを糾弾する事は出来ない。窮した者の気持ちが分かるからである。助かる命なら助かりたいと思う。それが人なのである。僧の様である事を、仏教は強要しない。

かつて、村を守るために生き埋めになった僧や、人々のために磔になったキリストと、臓器移植の話は全く次元が違う。仏教も、キリスト教も、信者には生き方の指針を示すが、そうでない者に強要することはない。真にやさしい人たるを目指すのが仏道修行である。広く博愛を説くのがキリスト教である。これら二つとも、供する側にあって供される側にあるのでは無い。
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アルケーは知っています。

」←止まれーも 知らないと言ってるので あなたは アルケーを信じて歩け
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今でも高齢者がたくさんで困っているのに、植物人間でも生かしておくこと自体間違いなのかもしれませんね。


体を切って異物を入れたりすることは、宗教によっては教義に反するのかもしれません。
しかし、もっと生きたいという欲望も人として有りなのかもしれません。
宗教は人伝えに都合よく変化している気もしますから、神も何もないというのが私の私見です。
しかし、人の心の支えになるなら個人の自由です。
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神や仏に答えはないでしょう。



“人間”の問題だからです。
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この回答へのお礼

>神や仏に答えはないでしょう。

仏の教えにもイエス・キリストにも答えはありませんね。
しかし、アルケーはその答えを知っています。

お礼日時:2019/06/23 00:09

イエスの時代に 臓器移植法が あった事は無い



なので イエスは知らないので イエスがNoに なる
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この回答へのお礼

>イエスは知らない

アルケーは知っています。

お礼日時:2019/06/23 00:04

神や仏は、基本的に臓器移植など現代の医療についての見識がないときに考えられた(?聖書が書かれた)ため、明らかな判断はないと思われます。



そのため、キリスト教や仏教をベースとした新興宗教が答えを出している場合があります。

エホバの証人はキリスト教がベースです。
輸血は禁止です。
その理由は「血を避けなさい」という教えに由来しているとか。
臓器移植もだめでしょう。

>生命倫理の問題に対し答えを持たぬ神や仏は果たして神や仏と言えるのでしょーか?
 信仰する人が認めれば問題ないでしょう。

>さらには信仰は何のためにあるのでしょーか?

信仰する人にとっては、人生での満足感、充足感を上げることができるものではないでしょうか。

宗教がなくても、それができる人は、宗教は必要ないと思います。
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