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龍馬暗殺犯は京都見廻組であるというのが現在定説になっています。この定説に従うとすれば、京都見廻組は何故龍馬を“暗殺”の形で始末したのでしょうか?
龍馬は寺田屋事件の折り、伏見奉行所の捕り方二名を短銃で射殺し、ほかに二名も負傷させていますから(京都見廻組今井信郎談)幕府のお尋ね者でした。
よって見廻組は、殺人犯龍馬を警察権行使で“殺害”したと堂々と名乗れば、天下の大手柄となすことができたはずです。
それをしなかったのは、薩摩あるいは土佐を黒幕とした居場所(近江屋)のリーク、つまり暗殺依頼を受けたためだと私は思っていますが、ほかに見廻組が正体を隠さなければならなかった理由はありますでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 元治元年(1864年)、幕府の警察組織として創設された京都見廻組が隠密裏に龍馬の隠れ処を襲い彼を殺害したことについて、表には明かせない黒幕の存在が疑われるのは尤もなことです。ために、その黒幕を巡って現在、百人百説は大袈裟でしょうが、そのような状況にあるのはご存知のとおりです。
    私は、京都見廻組の龍馬殺害行為は、(“暗殺”という手段から)黒幕の存在なしには説明できませんし、もしも黒幕がいなければ彼らは近江屋事件には全く関わっておらず龍馬は見廻組以外の人物から殺されたと愚考するしかありません。

      補足日時:2019/07/01 09:24

A 回答 (1件)

大政奉還後ですから、手柄になるか、逆に犯罪と見られるか、判断が微妙だったのでしょう。


龍馬は、革命後の新政府側ですから、旧政府側が手を出すのは拙い。
中岡慎太郎はともかく、藤吉=一般人まで斬ってますから、世間の目も冷たいでしょう。

新撰組が売り出した池田屋の時は、長州側のクーデター計画が公になりましたし、会津藩も加わってますから、治安維持のアピールが大きいです。
龍馬暗殺に関しては、そんな大義名分がありません。
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この回答へのお礼

微妙な判断を強いられるなら、見廻組は二の足を踏み独自判断で龍馬を殺ることはなかったと思います。相撲上がりの藤吉を先ず手に掛けているのは強い殺意のもとでの襲撃であったとしてよいですから、黒幕の依頼を忠実に実行に移したとしか考えられません。

お礼日時:2019/07/01 20:56

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