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倭人伝によると卑弥呼より七八十年前は男王が治めており、その後王位を巡って長く大乱が続き卑弥呼の即位という流れですが、機内説の立場ではこれら「卑弥呼以前」の歴史も機内で展開したものと考えるのでしょうか?
その場合この男王のいた都は現在発見されている遺跡ではどこに当たると考えられるでしょうか?

A 回答 (8件)

邪馬台国を「ヤマタイコク」と読むから、何処かヤマトと別の国と思い込んで諸悦乱舞するだけ。


みな自分の郷土に村おこし・町おこしで都合のいいように誘導するだけ。
そこに邪馬台国があったとしてどうなるのでしょうね。
そんなすごい勢力なら大和朝廷が攻めていくでしょう。
同時に邪馬台国が歴史の始まりのごとき誤解しているだけでしょう。
あれは崇神の時代の話。その前後挟んで長い長い歴史があるでしょう。
それを無視して、そこから始めようとしているだけ。

ヤマタイコクと読むのはただの音読み。
大和言葉・訓読みで読まねばだめ。
書き下し文に直したのなら、訓読みで読みましょうよ。
「やまとのくに」と読んで、すなおに「大和朝廷」にしてどこが悪いのですか。
もうご当地ソングは卒業してください。

卑弥呼の墓というが、前方後円墳などあちこちにあるでしょう。
見つかれば、ただこれこそ卑弥呼の墓と只騒いであてはめたいだけでしょう。
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機内ではなく、畿内です。

大和朝廷です。ほかにありえず。九州王朝など空論。
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邪馬台国が畿内か九州かを現在の「歴史学の権威」で熱っぽく語る人はいませんね。


理由はどちらも確たる証拠がないからです。
今熱っぽく語る人は、はっきり言って二流三流の学者です。
畿内説九州説とも弱点は魏志倭人伝の倭への道のりです。
邪馬台国のことは魏志倭人伝をよりどころとしながら、その道程は「いい加減な伝聞や推量を交えた記述であろう」と
自分に都合の良い論理でかたずけています。つまり、畿内か九州かなんてアカデミックでも何でもありません。

畿内か九州かと騒ぐなら、邪馬台国四国徳島説も十分根拠があります。
こちらの説ならば魏志倭人伝の倭に至る記述が実際と一致します。
畿内か九州かと騒ぐなら、徳島説も一緒に入れてください。
実際徳島には卑弥呼の墓との言い伝えのあるところも現存します。
それは八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)の裏側にあります。
下はブログですが、写真があって判りやすいので貼り付けます。

http://sazanami217.blog.fc2.com/blog-entry-152.h …

古事記の国生み神話によれば、最初にできたのが淡路島で2番目が四国です。
つまり、古代の日本において、四国はかなり重要な場所であったと考えられるわけです。
その四国に邪馬台国があったとしてもちっとも不思議ではありません。

私はどの説にも与しません。
どの説も学問と呼ぶにはあまりにお粗末だからです。
邪馬台国というのは学問というよりもロマンで良いじゃないですか。
私は「卑弥呼の墓」と呼ばれるものまで現存する徳島説が面白いと思います。
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古墳の被葬者で箸墓古墳を含め、大部分は江戸時代になって国が太平になったということでほとんどが元禄時代以降に決められた物です。

だから信じる必要なし。
邪馬台国を大和朝廷以外に求める必要はない。
男弟が崇神で卑弥呼は倭迹迹姫(孝元皇女)に当てれば、問題ないでしょう。
崇神と開化は親子にしたのは記紀の策謀で紀年延長の結果。異母兄弟と考えたい。
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畿内説は、予算ほしさに考古学会がウソをつきたおしてるってだけの話なんです。

”考古学的に見たら畿内説”などと盲信している人もいますが、考古学的にみても実は九州優勢なんです。

こんど晴れて世界遺産登録されたので、わざわざウソをつかなくても予算を獲得できるようになりました。今後は『かもしれない』邪馬台国のことなど言わなくとも、れっきとした『世界遺産』でござると言って予算を取ることができるので、健忘症にでもかかったように邪馬台国のヤの字も言わなくなると思いますよw
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正直、今の段階でそのようなことを追究しても、意味はないと言えます。


①魏志倭人伝自体が、特に対外の記述に関しては正確性を欠くものであり、本当に使者が日本のその地まで行ったのか、それすら確証がない。
②そもそも中国のような中華思想の国が、海のかなたの辺境に何十年も使者を送るほど注目するとは思えない。(現に、その時期以外の記述は、日本から朝貢に来た奴国王くらいのものである)
③倭人伝の記述が正しければ、当時の日本は戦国時代よりもっと分国化されていたはずである。つまり市町村程度の規模の集団が乱立していたのである。
 その中であえて「邪馬台国(と呼ばれる国)」を注目した理由は何か。
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畿内説も色々と場所がありよく判らないですね。


琵琶湖畔から大阪府や奈良の纏向遺跡の辺りが邪馬台国だったという説が多いです。
九州説も場所が色々ありますよね。

私の若い頃は、箸墓古墳の近辺の発掘調査がまだ行われていなくて、畿内説と九州説、東遷説、四国説、南洋の島の説までも等が有って、
奈良の箸墓古墳は、伝承で卑弥呼の墓(=倭迹迹日百襲姫命)と言われていたけれど、古墳自体がもっと後の時代だとかで…証拠にならないと言われていたのです。

ですが、その後、付近の遺跡を調査したりして卑弥呼の時代2世紀後半に合致しそうだという説が有力になってきました。
その説を信じると三輪山辺りの遺跡古墳群が邪馬台国のあった辺りとなりますが、決着はついていないですし、倭国大乱有り、の倭国が何処のことなのかもまだ判らないです。
江戸時代の新井白石や本居宣長らから研究がずっと続いているのですが、遺跡が一つ出てくる度に新しい事実が発覚して、どこかが有力になったり、古い説が見直されたり、でまだ判らないですね。
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機内は❌、


畿内です、

歴史よりも漢字が先かな!。
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