A 回答 (27件中21~27件)
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No.5
- 回答日時:
No.4さんのカモノハシに触発されました。
もう50年以上前の話になりますがこの哺乳動物については「鳥類とほ乳類の混じった珍しい生き物だ」と説明されたとある科学雑誌のカラー写真付きの特集を読んだことがあり、非常に印象的だったせいか今も記憶しています。当時調べてみましたが環境適応を説くダーウインも上手くは説明できていない感じでした。
その後、化石の発見発掘が進み最新の情報によるとこの珍奇な生き物も実は鳥・ほ乳類の分岐と時を同じくして(一説には以前に?)爬虫類の段階からカモノハシ類の分岐が始まることが分かってきているそうです。鳥とほ乳類が結婚?するというような奇妙な空想は打ち砕かれてしまいましたが、分かってしまえば、まあそういうことかで終わってがっかりした覚えがあります。というか今も残念です。
カモノハシの場合は化石の発見が転機となったわけです。言語の場合は(それを跡づける文字の)歴史はそれに較べると遙かに短いですし、途中でいきなり死語となり化石として固着する事もありません。ご提示の語は整理の落ちつかないことばではありますが、分類上の疑問点は整理され明確ですから、言わば周囲は完全包囲された容疑惑いっぱいの疑者状態に置かれています。動かぬ証拠が見つかるならすぐにも逮捕に向かえるかも知れませんが、まだその化石はどこかで眠っているのでしょう。
骨は語る。
ご回答ありがとうございます。
>動かぬ証拠が見つかるならすぐにも逮捕に向かえるかも知れませんが、まだその化石はどこかで眠っているのでしょう。
:
コナンを募集しているということになりますかね。
No.4
- 回答日時:
補足 たとえ話は苦手のようですが・・・。
動物の分類
哺乳類、いったん基本として決めた以上この言葉は安易に変更できません、と考えるべき?。
もちろん、ほ乳類と言っても、人間から猿・・・卵を産むカモノハシまで、受け取る側がこの知識を持っている必要があります。
それをもっていないと、またはそんなものがあると想定ができないと、ほ乳類といっても、類人猿、猿人・・・・、それぞれに別に分類したがります。
それも、すでに、小分類なり科目なり目なりで分類された名称とはことなる自分が理解しやすい(私に言わせれば、その場限りの)名称で・・。
感覚としては同じ様に感じます。
ご回答ありがとうございます。
>たとえ話は苦手のようですが・・・。
:
そんなことはないですね。
ただし、あくまで筋道の通ったもので、まともな日本語で表現されたものなら、という条件付きですが。
>哺乳類、いったん基本として決めた以上この言葉は安易に変更できません、と考えるべき?。
:
根本的なところで勘違いされているようですね。
格助詞・形容動詞といった [ 用語 ] に拘っているわけではまったくありません。
「に・で」が最初使われたのは、どんな用法だったのか、という点に興味があるということです。
たとえ話はお得意のようですが、その前に、日本語の文章を正しく理解できるようになさるのが先決のようです。
No.3
- 回答日時:
文法の初歩では。
元気→熟語は名詞。
たとえ、ひらがなで表現してもしょせん熟語の音読み、大和言葉ではありません。
形容動詞云々はあり得ません。
初歩の文法の知識だけで充分理解できます。
元気+「に」であろうと「で」であろうと格助詞
ご回答ありがとうございます。
>文法の初歩では。
元気→熟語は名詞。
>形容動詞云々はあり得ません。
:
名詞であることはわかりきっています。
形容詞性名詞としてわざわざ分ける必要はない、という立場ですね。
>初歩の文法の知識だけで充分理解できます。
:
それは知りませんでした。
>元気+「に」であろうと「で」であろうと格助詞
:
助動詞という可能性についてはいかがですか?
No.2
- 回答日時:
助動詞の連用形「に」というのは、時枝が『日本文法 口語篇』で、指定の助動詞だ」の連用形に「に/と」を入れているのを指されているのかと思いますが、これは錯覚であることを三浦つとむ『日本語の文法』が論じています。
格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けの認識を表し、「で」は手段・方法・理由などの認識を表しています。
・元気にやれよ
の「に」は、「やる」という動作の在り方を「元気」と位置付け、
・元気でやれよ
は、元気という手段・方法により「やれ」と命令しています。■
ご回答ありがとうございます。
>助動詞の連用形「に」というのは、時枝が『日本文法 口語篇』で、指定の助動詞だ」の連用形に「に/と」を入れているのを指されているのかと思いますが、これは錯覚であることを三浦つとむ『日本語の文法』が論じています。
:
たしかに、ダ活用で「で」は出てきますが直接的に「に」は出現しませんしね。
ただ、ふと思うのですが、文語での、我は王にあり なんて表現の場合も錯覚だとしているのでしょうか。
>・元気でやれよ
は、元気という手段・方法により「やれ」と命令しています。
:
この感覚が、どうしても理解できませんね。
それはさておき、いずれにせよ、どちらも格助詞であり、助動詞ではない、ということですか?
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>着点は東京で、「に」は着点でないのは明らかと思いますが。
:
『着点は東京』
これは正しい認識です。
ただ、そのことを表わすのに「東京が着点を表している。」と表現してしまうと間違いになる、と申し上げています。
あくまで「着点=東京」ということを表わしている。
「皆に配ります」という文は、『着点は皆』を意味します。
しかし、『着点は皆』という表現は「皆が着点を表わしている」という意味ではありません。
『「皆」自体がすなわち着点であること』を表わしています。
『「に」は着点でないのは明らか』
これも正しいですね。
ですから、
『「に」は着点』ではなく、『「に」は着点を表わす』と表現するわけです。
#16お礼欄からの続き
>これは、話者の認識、概念ではなく聞き手の理解過程を推測しているもので、何故「に」によりこのような理解がされるのかを明らかにしなければならず、話者の認識が捉えられないため、聞き手の了解過程を持ちだすという論理的な混乱に陥っています。
:
そもそもですが、「に」「で」は無意識的に使い分けられている、という大原則を忘れると、こうした誤謬に陥ります。
『何故「に」によりこのような理解がされるのかを明らかに』するのが語の意味なり意義なりを明らかにする、という作業なのでは?
このように無意識的に使っているために、意義・意味に気づきづらいというだけのことであって、それを混乱と言うのは本末転倒ここに極まれりと言わざるを得ません。
下段へ続く
上段からの続き
>「その語独特の意味」とは何で、自立語と付属語がどのような相違と関連にあるのかを明らかにしなければ回答になっていないことが理解できないのでしょうか。
:
『したがって、助詞「に」「で」が表すのは、このような自立語とは異なる意義だということです。』
とおっしゃった点は理解できると申し上げているわけで、それで十分では?
そもそもですが、こうしたことを持ち出すのは、アスナロウさんの勘違いに基づいていますよね。
・東京は着点です。
・東京は着点を表わします。
これが同じ意味ではないことがわからないようではお話になりません。
>それに、先に、助動詞「だ」の連用形「で」との混同に触れておきましたが、この点はどのようにお考えでしょうか。
:
それをおっしゃるなら、#12お礼欄に対する返信を先にしてください。
#20お礼欄からの続き
私の意図をおわかりになった上で『どちらも格助詞「に」の意義ではない』とおっしゃるのであれば、それはもう見解の相違と言わざるを得なくなります。(それはそれでひとつの大団円足り得るでしょう)
つまり、私が述べた内容を理解した上で反論なさっているのか、それとも私が述べた内容を勘違いしているために反論なさっているのか、アスナロウさんの文脈からは見えてこない、ということです。
特に急ぎませんのでよろしく。
#21お礼欄からの続き
B. ≪「に」よって着点として示されている≫のは結果であり、文の意味で、話者が「真面目」「早急」を空間的・時間的に位置付けようと認識し表現した結果だということ。
という件もよくわからない。
・「東京に行く」は、「東京」が「に」という語によって着点として示されている。
というのは、
「東京」を『空間的・時間的に位置付けようと認識し表現した結果』以外のなにものでもないでしょう。当然のことでは?
たしかに、
「東京」を空間的・時間的に位置付けようという(無意識的な)認識があるからこそ、(経験的に知っているところの)着点を表わすことが可能である「に」という語を使うわけですが、これは、『因果関係を逆転した機能主義的な発想』ではないですよね?
下段へ
上段からの続き
「因」ではなく「果」のみを表わしたもの。
と言えばすむところを、「果」を否定する論理として述べている点に、大いなる誤謬が存在していますね。
そもそもが、どのような形で『空間的・時間的に位置付けよう』としているのかが、「因」だけでは表し切れていないでしょう。
お互いに補足的な関係にあるわけで、これは三浦氏の指摘している点でもあるのではないですかね。
>三浦は『認識と言語の理論 1』で、唯物弁証法に基づく科学的な認識論を展開し、
:
無意識や観念論を批判しているということですかね。
今のわたしには荷が重そうですが。
いずれ機会がありましたらまた教えていただければ。
>精神的にはヤングのつもりですが。
:
十分満ち溢れていますよ。(笑)
ただし年寄りの冷や水とならぬようお互い留意してまいりましょうかね。
#22お礼欄からの続き。
もう少し書こうと思いましたが、言語実体観というものについて、もう少し知ってからにしたほうが良いのかもしれません。
・東京に行く
に沿って、具体的にどのように「意味の取り違えが実際に発生する」のか?
という点についての解説を所望いたします。
お手数をおかけして申し訳ありませんが、急ぎませんので、お時間のとれるときにでもよろしくお願いできればと思います。
お時間のあるときにでも、
・東京に行く
【に沿って、具体的に】どのように「意味の取り違えが実際に発生する」のか?
解説お願いします。