出産前後の痔にはご注意!

人間が機械の力なしに空を飛ぶことは、現在は不可能ですが、何千万年か何億年か
後に、肉体が進化して翼が生えて飛べるようになることが、あり得ないとは言えな
い気がします。

また、様々な技術の進歩があって、人間の寿命は飛躍的に伸びることはあっても、
物質の老朽化というものがあるので、不老不死は不可能であると思われます。

山中ファクターの発見、即ち、IPS細胞の作り方の発見は、私にとって実に衝撃的で
「何故そんな方法が存在したのか?!」がとても不思議でした(勿論今でも)。
このことを思うと、実は宇宙には不可能はないのかな?なんて思ったりします。

不可能はあるのでしょうか?
あるとしたならば、可能と不可能の境目とは、何だと思いますか?

「可能と不可能」の質問画像

A 回答 (40件中1~10件)

おほちょえこー


・・・というformant motion
が思い浮かびました。
o
ho
cho
echo
音像そのものから体感してほしい。

なぜこんな?

それは言葉という鋳型にガチガチに固められている思考回路や完成をほぐしたいからです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

>言葉という鋳型にガチガチに固められている思考回路や完成をほぐしたいからです

あなたの主たる主張はここなんでしょう。
気持ちは分かりますが、大変なことでっせ。

お礼日時:2019/08/04 13:00

ニャンポコさんや。

この気鋭のミュージシャンご存知ですか?


彼の声が走った後は、傷がつく。それが心地いい。音も詞も良いけど、血潮が通ってる感じがする。

不可能に見えるけど実現してる。実体をもって。
表現って、ありふれたものと、固有のものがあって、固有のものこそ表現だと言われますよね。他のはコピーとか、劣化版とか言われる。
ありふれたものは、誰にでも可能です。固有のものは、その人にしかできない。

その人にしか不可能。ここら辺が、生き方の目指すべき方向になるのかもしれないですね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

崎山蒼志、知りませんでした。

この曲は中一の時に作ったそうですから、才能はあるのでしょう。
印象を正直に言いますと、私の心を揺らす要素は「個性的」という点だけです。
しかも、その個性も何かカスタマイズされたというような感じ。

おそらく、パソコンとかスマホの「つくり」を直観的に吸収して、頭脳の基礎に
しているのではないかと思えました。若い世代の共通点をここにも私は感じてい
ます。

>その人にしか不可能。ここら辺が、生き方の目指すべき方向

これは、素晴らしく深い哲学でしょう。

お礼日時:2019/08/03 19:49

不可能はいくらでもありますよ。

ドラえもんのポケットやサリちーちゃんの魔法でやってる事は不可能です。

小さな子供はそれを可能と思うかもしれませんが。

可能なことは真理の法則に則ってやれば 因果律に上手く乗せて可能になります。

出来なかったことが可能になるのです。

現実は全て可能だから現実になっているのです。それを夢のようにとか理性で変えようというのは難しいし

時間がかかります。しかしそれをやって来たから人間は生き残ったのです。

不可能だったことを可能にするという夢を見ましょう。正夢になるかもしれません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

>可能なことは真理の法則に則ってやれば 因果律に上手く乗せて可能になります

言わんとすることは分かります。

「仮想現実」「夢想」は大抵不可能だが、その中の一部は実は可能である、と言う
感じですか。

お礼日時:2019/07/31 02:58

はい、これでおしまい」←おしまいなら 偽お礼など せずに 無視するだけでイイ



俺は あなたの疑問が 解けようと 解けまいと どちらでも構わない・・

只 こんな偽お礼を 無くしたいだけ・・

祖先は 俺達に 世界遺産にも なる物を残して くれました・・

俺達は 子孫に こんな くだらないネットサイトを残す事になる・・

それが嫌だから 少しでも 良いネットサイトに・・ したいだけ
    • good
    • 2

猪突さんのno28の回答読んでやっと気が付きました。


ニャンさんの質問からはちょっとそれますが、許容範囲と思い言わせてください。

近代科学や西洋文明で発見・発明されたと思われたものは、神がかり的、ヒューリスティックに、非論理的ではあるがそれ以前の文明ですでに発想されていた。

これって発見とか発明とかいうものは、すでに人類の頭の中にあるものだったという事ですね。
幼児が言語を取得する際に、すでにその枠組みが脳の中にあるっていうのと同じ。

と思いました。

・・・って当たり前なのかも。何しろずっとあまり勉強してなかったんで(;^ω^)
    • good
    • 1
この回答へのお礼

近代以降に発見・発明されたもののほとんどが、人類の「誰かの」頭の中に
すでに存在していた、ということは考えられることだと思います。

将来、全く新しいものが「創造」されうるのか、つまり、あらゆる事物という
ものは創造されるのか、発現するものなのか?は以前あれこれ考えましたが、
改めて、思索したい問題です。

お礼日時:2019/07/28 16:11

ベストアンサーというのは、客観的な「正解」なのではないですよ。


質問者が一番気に入った回答ではないですか?」←で?

ベストアンサーなんて欲しくない回答者も居るだけです・・

運営の くだらない遊びに付き合うか 付き合わずに 本来の問答の目的を実施するか?・・くらいです・・
    • good
    • 1
この回答へのお礼

はい、これでおしまい。

お礼日時:2019/07/28 16:02

#31の補足:



アインシュタインは相対性理論でノーベル賞をもらったのではなくて、この写真は何故映るのかの原理を解き明かした光電効果の理論の業績と、この世界が分子で出来ていることを疑り深い物理学者に最終的に説得せしめた、ブラウン運動の理論でノーベル賞を貰ったのです。

ブラウン運動とは煮詰めた花粉を顕微鏡で見ると、花粉が死んでいるはずなのにフラフラ動いていることを生物学者のブラウンが発見したのでこう呼ばれています。このフラフラ運動の原因が水が分子で出来ていて、さらに、花粉の粒子にこの水の分子がデタラメに当たっていることにあるとアインシュタインは見抜きました。そして、ある時間あたりに花粉が動いた距離を測定すれば、ある容積の中に入っていうる水の分子の数がわかることを計算で示したのです。

そこで、その理論をもとにペリンと言うフランスの実験物理学者が実験で調べ、それがなんとそれより100年も前に化学者が仮説として出していた分子説によるその容積の中の粒子の数の一致することを示しました。その結果、水の流体力学(すなわち連続体の力学)に基づいて、水は連続体であり、分子なぞ存在しないと頑強に分子説に反対していた物理学者たちも、ついに化学者の導入した得体の知れない分子仮説を受け入れるようになったのです。ペリンもその業績でノーベル賞をもらっています。

なぜ得体が知れないかというと、分子其の物はやっと最近になって直接見ることができるようになりましたが、つい最近まで、分子を直接見た人が誰もいなかったからです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

>つい最近まで、分子を直接見た人が誰もいなかったからです。

そうだったのですね。

お礼日時:2019/07/28 16:01

あなたのやろうとしている事は思想の自由に反するからではないでしょうか?

    • good
    • 1

なるほど。

とても面白い話をありがとうございます。そしてそのやり取りをさせて下さったにゃんポコさんにも感謝です。
ありがとうございます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

どういたしまして。

お礼日時:2019/07/28 15:56

#29関連で:


>物理学においても、既に先代において解明された現象が、後代においてあらためて興味を持たれ、解き直されて、別の、より高度な数学を用いた表現に置き換わるというようなことです。

そういう例はあります。ただし物理学の対象はこの自然界を眺めて最も単純な現象を選択的に論じているので、芸術のようにはるかに複雑な現象の理解を敢えて避けています。物理学者はそのような複雑な問題を秩序立てて論じるほど人類の言語能力がまだ発展していないと思っているからです。その結果、人間の他の営みよりも決定的に物が言え、一度是とされた理解をのちに改めることはほとんど不可能です。そして単純な問題に限っているので、物理学の主張が時代時代によって覆されるものではないという点が、物理学が信用される所以です。

さて、その例で思い浮かぶのは、ニュートンやゲーテやそれ以前のホイヘンスなどによって光とは何かに対する喧々諤々の議論がありました。ニュートンは粒子派、ホイヘンスは波動派でした。しかしその後1805年頃のヤングの2重スリットの実験による干渉縞の確認で、光は波動であることが確認されて、一件落着しました。

ところが、その100年後の1905年になって、アインシュタインが写真はなぜ写るのかを説明する光電効果の理論を発表し、それによると写真が写るには光が粒子でなくては不可能であることが明らかにされました。

粒子は粒で存在するので、こことあそこに同時に存在することはできない。すなわち粒子は空間的に局在しているのです。一方、波動は空間のこことあそこの関係のことであり、それは区間的に非局在の存在です。ですから、ヤングの干渉縞の実験により光は波動であり、非局在の存在だ。一方、アインシュタインの光電効果による写真の原理から光は粒子であり局在の存在だ。したがって、光は局在しつつ同時に非局在である。

この一件矛盾した観測事実を見事に解決したのが量子力学です。そして、その量子力学の定式のために、数学自身が途轍もないレベルで発展しました。

でも光がなんであるかなんて問題は、うちのカミさんが今なんで怒っているのかを解き明かす問題と比べて桁違い単純で易しい問題です。だから、物理学者は決して、カミさんの心を読むなんてな超複雑な問題は意識的に避け、光なんていうカミさんと比べてどちらかと言うとどうでも良い単純な問題を選択的に選んで、脳味噌の遊びをしているのです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

>物理学者は決して、カミさんの心を読むなんてな超複雑な問題は意識的に避け、
光なんていうカミさんと比べてどちらかと言うとどうでも良い単純な問題を選択的
に選んで、脳味噌の遊びをしているのです。

なるほど、そうそう聞けるレベルの話ではないですね。

お礼日時:2019/07/28 15:56
1  2  3  4 次の回答→

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す


人気Q&Aランキング