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先日、義実家にて法事がありました。
その際、お下がりを分けるのが大変なので、参加人数分のお供えを準備するように言われました。「それが、うちの風習だ。」と。そんな風習、初めて聞いたのですが、皆さんは知っていますか?
(ちなみに、我が実家はそれぞれ頂いたお供えの中身を分けて、お下がりにします。)

本題はここから。お下がりを頂いたら、お供えの掛け紙(いわゆる、熨斗紙)がついたままだったのですが、分ける際に外すべきではないのですか?
仏さんに対してつけた人の名が入ったお供えの掛け紙をそのままつけて持って帰るのも、その後その紙を捨てるのも抵抗があります。それに自分のお供えも熨斗紙ついたままで、なんかそのまま突き返されたような複雑な気分になるのですが、、、。
お供えとして受け取ったという意味でも、外すほうがいいのではと思うのですが、本来はどうすべきなんでしょうか?

A 回答 (1件)

神道では、直会(なおらい)と言って、神様に差し上げたものを戴くという意味での「神人共食」という祭りの根本的意義が示されているようです。


そして日本の仏教の場合、こうした神道的な風習が、ごく自然な形で混じり合っているところもあるのかもしれません。

さてその場合の考え方ですが、お下がりを戴くのは、お供えをした人からではなくて、お供えをした方は、仏様にお供えをなさったので、仏様からのお下がりなのですね。
但し、ご質問者様の義理のご実家様の場合、志 そのものを お供えにして、そのお下がりとして戴くという風習のようですね。

もともと、風習ならば、つべこべ言わず、従うしかないのですね。

だからお供えをお下がりになさる時には、供養のその席には、仏様のご縁に結ばれて、今生かされて出会えたわけですから、その仏様から戴くお下がりには、感謝すれば良いと思います。

そこで、お供えと書いたかけ紙(熨斗のついて無いもの)をかけずに、同じ内容の御品物を、人数分用意して、お供えをして、お下がりの時に、
仏様のお気持ちとしての「志」または、「御礼」と書いた結び切りのかけ紙(熨斗のないもの)をお付けになるという方法もあると思います。
また、お供えの懸け紙をして、お下がりにお渡しする時には、御礼 又は 志 の かけ紙に替えて、本日はありがとうございましたと一言添えて、お渡しするのも良いかと思います。

あくまでも風習ですから、施主様のなさり方を尊重すべきだと思います。

そこで、あなたの自説を伝えずに、
お下がりには、志の懸け紙をつけて、 お斎(おとき)の席で、お渡ししたいと思いますが、宜しいでしょうか?とお伺いを立てたら、如何でしょうか?

そしてその後で、尚、お下がりは、お供えとして、仏様にお供えしてからおさげして、志のかけがみを付ければ宜しいですか?とお伺いを立てたら、如何でしょうか?
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この回答へのお礼

丁寧にアドバイスして頂き、ありがとうございます。

「志 そのものをお供えに~」には、合点がいきました。
ただ、志 の掛け紙は、粗供養と同じですよね?
私たちは、施主側ではないので、その掛け紙に付け替えることは難しいです。

おっしゃって頂いたように、風習なので従うしかないですね。

お礼日時:2019/08/01 18:04

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