No.9ベストアンサー
- 回答日時:
身分制度としては、その熟語はちょっと違うんかなあと思います。
漢書の語句で、江戸時代は朱子学や儒学が武士のたしなみだったので「士農工商、四民に業あり」のくだりから江戸幕府もあらためて、職業別の身分制度の強化徹底を朱子学に学んで行ったということだと思います。それをいちいち「士農工商身分法」みたいにオフィシャルに制定したわけではなかったので、そういう意味では「士農工商は明文化された身分差別法ではない」という話です。
いわば為政者階級で互いに了解していた身分の分類の指標、手本、イメージモデルが「士農工商」だと思います。関が原を勝利し江戸幕府をひらいて、心機一転いよいよ身分差別を促進するぞ!そういう時期にあたっての支配階級の合言葉、スローガンみたいなもの。
だから身分制度や格差や差別自体はあったし、なかったどころかそんなふうに推奨されつづけただけなので「士農工商という区切りではないけど、身分制度はすっごいえげつなかったのが江戸時代」というのが正解ですね。
その身分制度は明治維新で消えたりはしていませんが換骨奪胎されたのは本当です。
その換骨奪胎するときの合言葉というか国民向けのスローガンが「四民平等」でした。
「士農工商、四民に業あり」という漢書のフレーズの前半部分が江戸幕府の合言葉だったので、明治政府は後半部分をもじったのです。
なお四民とは「人間のありとあらゆる仕事はだいたい四種類に分けることが可能」という古代中国の思想から出てきている言い方で、意訳したら「みんな、全員」という意味なので、四民平等というのは、武士や商人が消えて平民になったという意味ではなくて「みんな平等」というメッセージにすぎません。
政治家の選挙ポスターに「国民と、ともに。」みたいなクソどうでもいいスローガンを書いてあったりするのと同じです。
そして今も昔も国民の多くはエリート武家階級でもないし公家でもないので漢書なんか知らない。きゅうに幕府が消えて田舎藩士たちが「華族」に変身して「これからは士農工商じゃない、四民平等だ!」とか言ってこられても、メッセージの意味が読解できない。
多少機転のきく人でも「ああ将軍や武家がとりつぶしになったってことは、士農工商が江戸時代の身分制度だったんだろうな、そして明治時代になったのでもう士農工商はなくなりましたっていう意味で、四民平等っていうんだな」というふうに誤読したんだと思います。
そしてそのまま教科書にもそういう感じで記載をしていたんだけど、最近になり「いや、あれって漢書のやつやんな?それ身分制度ちゃうて!たぶん意味わかった!」といい始めた庶民の学者たちがいたんだと思います。そして「みんな聞いて!士農工商は身分制度じゃなかったよ!」という記事がワーって増えていったんでしょう。
しかし、ネット記事にアカン印象操作をしてそれを書くブームがまた何かあるので、記事の書き味によってはいかにも「江戸時代には身分制度がなかったのだった!」という話に読めてしまい、剣呑です。事実は逆ですよ。
江戸時代の本を読んでいると、一部の町民・百姓・武家は交流をほとんど対等に行えており、職業的にも武家から町民になるとか、百姓から武家に行くというチェンジが若干ありえた記録など詳細に出てくるので、局所的にはそういう現象はあったみたいです。
しかしその箇所だけをスポイトで吸い上げて「差別や身分なく、フラットだった」という話の書籍やネット記事は悪質です。
それは六本木ヒルズだけを見て「このように平成時代末期にはIT社長も政治家も老舗の大企業の会長もみんなひとつの長屋に暮らす隣人で、総じて裕福でした。格差は全くなかったのです」と書いてる記事みたいなもの。ワーキングプアは!?生活保護は!?みたいになりますね。
関が原で負け組になった大名将軍に仕えた下級武士は、商人になったり百姓になったり、場合によっては被差別まで身分を落としたというだけで、それは「武士も町人も百姓も対等で裕福でした」ていう話ではない。
また、歴史の表舞台に出てこないとしても江戸時代にも宮家や公家などは延々と存在していたし、一部の神官や僧侶も代々かなりの権力や蓄財を成しています。そこは士農工商にさえ反映されないほど「ロイヤル」な身分だったといえます。身分制度なかったわけじゃなくて、身分制度が細々ありすぎて士農工商にはうまく収まらなかったくらい。
「えた、等」も常に語尾を濁されてフェイドアウトされがちですが「、茶筅、夙、ささら、乞胸、猿回し、陰陽師、飯盛女…」みたいに様々な職があります。
一部の百姓が一部の武家に匹敵するほど裕福であれたわけは、それだけの人口を差別搾取していたからなので、日本の制度が優れてたから百姓が富裕になれたというわけではありません。屍が累々としていたけど、田んぼとか家督を代々受け継いでいる息子はそれを見てみぬふりすることで、さらに富裕になれていたんでしょう。今も同じですね。
明治維新で勝ち組になったのは田舎武士にとっての敵だった「将軍、大名、徳川よりの武家」が表向きは消えました。けど将軍や大名は何もそのまま平民になっているわけではなくて「華族」「伯爵」みたいなワケワカラン称号を「将軍」「大名」のかわりにペタってオデコに貼りなおして生きていっています。
華族や士族という言い方は明治時代に出来た「あたらしいようでそうでもない身分制度」です。大日本帝国には「貴族院」という議員制があったけど、江戸時代まで大名か公家だった家柄の子孫しか政治の中枢部の議員さんになれないよ。という制度です。
昭和22年、1947年までその制度はありました。
彼らは太平洋戦争中も戦争に行く必要もありませんでした。
身分制度が消えたのは、日本が負けたのでGHQが日本の軍部や政治のトップの世襲制度を表向き、チャラにしたからです。アメリカも馬鹿じゃないので、それでホントに日本の政治の世襲制が無くなるなんて考えてなかったですが、アメリカの息を吹きかけた議員をホイホイ送り込むには一旦ほぐさないと介入できないわ、みたいな発想だったんだと思います。
いつから「士農工商は職業区分に過ぎない」という不思議なブームが到来したのかは私も知らないのですが、私がたまたま知ったのは5,6年前だったかなあ。
なんとなくは韓国の政治と日本の政治に連動しているブームみたいには見えますね。
その二国の後ろには、まだGHQがいる、という話でもありそうです。あーやだやだ。
ご回答ありがとうございました。
<一部の町民・百姓・武家は交流をほとんど対等に行えており、職業的にも武家から町民になるとか、百姓から武家に行くというチェンジが若干ありえた>ようですね。下級武士・町民・百姓の間では、一人でその職業を兼ねている(名前はその職業により違う)こともあり、特に支障が無い限り、公でも黙認されていたようですね。
<しかしその箇所だけをスポイトで吸い上げて「差別や身分なく、フラットだった」という話の書籍やネット記事は悪質です。>全体的に武士階級が為政者であり、身分制度は堅持されていたようですね。
No.7
- 回答日時:
士農工商に対しては、じゃ漁師はどこじゃ?などという疑問も多く、日本の実情に合った言葉ではないのではないかとも言われていました。
または、けがれが多いという意味で、何かと言うと動物の皮を加工していた人たちを指す言葉であって、差別用語とは少し違うという話もあります。今風に言えば工ですからね。『この牛の死骸の皮のバッグ、100万円ざますの。マークでわかるでしょ?』みたいな金持ち自慢アイテムで持てはやされているモノもありますが、そういうのを作っていた人たちをと呼んでいたわけです。
質問の回答としては、戦後になってから、(今と違って)昔はそういう風に言って差別していたんだみたいな話が、実情とマッチしてしまって広まったのでしょうかね。
早速のご回答ありがとうございました。
<(今と違って)昔はそういう風に言って差別していたんだみたいな話が、実情とマッチしてしまって広まった>のですね。
為政者や最近までの歴史学者は<差別していた>ということが、都合がよかったのでしょうね。
No.6
- 回答日時:
近代の農本主義の影響かもしれません。
武士と読める士の次に農が来てたので、農業を重視する人には都合よくみえたのでしょう。
それと士農工商が身分制度でないということと、江戸時代に身分制があったかは別の問題です。
実際の江戸時代は武士の下に町人と農民が並んでいたとされていますね。
早速のご回答ありがとうございました。
当時は、農業が(特に米の生産が)経済・社会の基をなしていたのですね。
農本主義を保持することは、為政者の務めだったのですね。
したがって、農民(百姓)を(一見)優遇しつつも、厳重に確保しておかなければならなっかった、のですね。
No.5
- 回答日時:
これは中国の思想です。
つまり、国家に対する貢献度の高い順に
職業を並べたものであって、制度としては
存在しませんでした。
士農工商の士とは、武士のことではなく、
科挙の試験に合格した、キャリア官僚の
ことです。
職業の貢献度は、こうだ、という中国の
思想です。
士農工商は身分制度である、と(死者に鞭打つようですが)
なぜ誤解してしまったのでしょうか?
↑
マルクス主義の影響があったと
思われます。
マルクス史観、というのがありまして
これは教条的な思想で、実証研究をやらず
かくあるべしだった、という理念的に
歴史を分析するものでした。
社会主義が崩壊し、マルクス史観の評価が
さがり、実証研究派が強くなったので
こういう事になったのでしょう。
ついでに。
マルクス史観によれば、過去に遡るほど
悲惨でなければなりません。
それで、実証研究もしないで、封建時代は悪だ、
人民は塗炭の苦しみにあえいでいた、
女子は不当に差別されていた・・・
こういう具合だったのです。
しかし、実証研究が進むと、江戸時代の
百姓などはかなり豊かな生活をしており、
発言権も強かったことが判ってきました。
ついでに、女性の発言権も強く、三行半などは
女性のための制度であったことが、
判ってきました。
早速のご回答ありがとう五zぁいました・
<教条的な思想>である<マルクス史観>では、かくあるべしだった、のですね。
<マルクス史観によれば、過去に遡るほど
悲惨でなければなりません。
それで、実証研究もしないで、封建時代は悪だ、
人民は塗炭の苦しみにあえいでいた、
女子は不当に差別されていた・・・>と。
一時、マルクス史観は、教条的だけに曖昧さの無い論点で、一世を風靡していましたね。
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