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以下の文章を読んで、どう考えますか?
この文章に返信する形で答えてくれると嬉しいです。



広島に来て、戦争や、核兵器の愚かさと悲惨さを学んでください。そしてわすれることなく、伝え広めていってください。戦争や被爆の体験者の高齢化も進み、語り継ぐ努力にもかかわらず「風化」が進んでいるとも言われています。
どうか広島で平和記念公園、資料館、慰霊碑を見て感じて学んでください。そしてぜひ、どうか少し考えてみてください。「悲しい、、、怖い、、、ひどい、、、恐ろしい、、、嫌だ、、、」と多くの人が言います。そして「戦争反対、核兵器廃絶」が語られます。ではどうしたらいいのでしょう。感情を揺さぶられたあと、何をすればいいのでしょうか?皆がそう思い続ければ大丈夫なのでしょうか?
同じ様に「悲しい、、、怖い、、、」と、阪神淡路や東日本大震災の時に人々は思いました。しかし、これはどうすることもできない天災です。「震災反対」は無意味ですが、人々はどう備えるか、その時どうするか、考えてゆくではないですか。
けれども戦争が起きる、核兵器が使用されるのは人災です。人災は防げるのではないでしょうか。なぜ防げなかったのか。戦争に向かう時代、人々は何を考えしていたのか?「何も考えてなかった」「国や偉い人のやることでどうにもならない」「世の中の流れ、大勢には逆らわずに」、、、無関心や諦めが防げなかった理由ではないでしょうか。そこから学び考えてください。選挙権を持つと、この国の有権者になってゆくのです。社会やその動きに関心を持ち、考えて生きる大人、有権者になってください。そうすれば「悲しく、、、怖い、、、」思いが、社会に関心を持って生きることに繋がり、戦争を防ぐ力になってゆくと、私は思うのです。

A 回答 (3件)

>どう考えますか?



No2様に同意。

1:内容は「歴史」ではなく ぼくのかんがえたせんそうやへいわ だと思いました。
→カテ違いは迷惑だと思いました。


2:文章から、上から他人様にたいせつな事を教えてあげている という意識が臭いほどに匂います。


>どうか広島で平和記念公園、資料館、慰霊碑を見て感じて学んでください。

3:よくいる、国家間の関係である「戦争」の定義やそれに至る歴史を知ろうともせずに、「戦場や戦時下の生活」を混同して後者の悲惨さを語って幼稚な正義感や感傷で語って、自分に酔っているだけの無知だと思いました。


4:あなたは、原爆は日米どちらの方の人災だと考えているのだろうかと思いました。


5:また、自分の国を貶して先人を犯罪者と謗ることで、「過ち」とやらを反省している良識人である事に酔う無知が大量発生する8月が来た と思いました。



6:宿題の作文なのかもしれませんが、戦争→参政権の繋げ方が無理やりすぎると思いました。
「以下の文章を読んで、どう考えますか? こ」の回答画像3
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そんなきれいごとで平和が来るなら世界にはとっくに平和が来ています。



>「悲しく、、、怖い、、、」思いが、社会に関心を持って生きることに繋がり、戦争を防ぐ力になってゆくと、私は思うのです。

「私は思うのです」は勝手ですが、もう少し具体的に世界が平和になる機序を説明しないことには説得力がありません。

戦争を防ぐのは強い政治と、その政治力を裏打ちする防衛力・軍事力(+経済力)です。
毛沢東は「政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である。(政治是不流血的战争,战争是流血的政治。)」
と述べている様に、戦争と政治(平和な状態)は表裏一体です、紙に裏表があるように、政治(平和)にも裏表があります。
世界のすべてが平和であるようにと願うのは市民として当然ですが、願うだけでは平和は訪れません。
平和を保つには強い力(軍事力)が必要です。これは道義・倫理で「いけない」といったところで無意味です。
「平和を保つには強い力(軍事力)が必要です」というのは道義や倫理ではなく政治力学です。

街の中、国の中での争いには警察や裁判所が介入できますが、国家間の争いに介入できる警察や裁判所は事実上存在しません。
世界の政治は軍事力・経済力の強い国の意思のままに動いているではありませんか?
核兵器を持つと三流国家でも世界を驚かせています。強い軍事力を持てば世界を揺さぶることもできるのです。
しかしその三流国家が世界を揺さぶり切ることができないのは、もっと強い軍事力のある国があるからです。

広島・長崎の原爆被害ですが、もしその時点で日本に核ミサイルがあれば、アメリカは原爆投下はできなかったでしょう。
そういうことなんです。
20世紀にできた核拡散防止条約や21世紀の核兵器禁止条約もありますが、核兵器が廃絶するような傾向は全くありません。
世界の核兵器保有国は核兵器禁止条約に批准もしていません。

2000年以上前にできたイソップ寓話に「ネズミの相談」というのがあります。
猫にいじめられているネズミたちが相談し対策を練ったところ
「猫に鈴をつければ良い。そうすれば猫が近づいてもすぐわかる。」という意見が出て「それはなかなか良い」ということに成りました。
しかしそこに「じゃあ、その鈴は誰が猫につけるんだ?」という意見が出ると場内はシーンとしてしまいました。

これはどんなに立派な意見であっても、実現性のないものは無意味であるということのたとえです。
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理想と現実はちがいます

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