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これは、私の素朴な質問なのですが。。


《質問1》
もし、あの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチに最愛の妻がいたら、どのように歴史が変わると思いますか?


《質問2》
以下の①と②のダ・ヴィンチの変化を想像で良いので皆さんのご意見が知りたいです。

①妻がいる。子供はいない設定。

②妻がいる。子供がいる設定。
子供がいたら可愛がると思いますか?
それとも、子供と過ごすより研究に没頭するでしょうか?



レオナルド・ダ・ヴィンチさんを調べているとインターネットでは「性格上、結婚はしない。」というのを目にします。
でも、もし彼にも最愛の人がいて家庭があったら今私達の知っている歴史や生活も大きく変わるのか気になりました。

ダ・ヴィンチさんは弟子にサライやメルツィなどがいます。
ダ・ヴィンチさんにとってはサライは息子のようだったかもしれないし、
メルツィは孫のように思っていたかもしれない。と、私は妄想しています。

でも、実は同性愛者やメルツィに恋愛感情があったとか、なかったとか。と噂はあります。

その真相はまだ謎ですが。。。

なので皆様のご意見お待ちしております!

A 回答 (2件)

レオナルド・ダ・ヴィンチは、性格上結婚をしないのではなく、同性愛者です。


噂ではなく、宗教裁判にもかかっています。25歳の誕生日を間近に控えた1476年4月に逮捕・拘禁
フィレンツェの裁判記録に、レオナルド他3名の青年が同性愛の容疑をかけられたが証拠不十分で無罪、放免されたというものがあリます。
その2ヶ月後にも同種の告発を受けて、再度逮捕されています。

レオナルドが残したスケッチやドローイングには同性愛者である事をものづけるような作品がたくさん残っています。
1555年「人間の姿をした天使」のスケッチのモデルはサライですが、下半身は勃起しているものが描かれています。
弟子のメルツィの残した記録には、細かにレオナルドが同性愛者であったことが記載されています。

あなたの仮定の
①妻がいる。子供はいない。
『洗礼者ヨハネ』も『聖アンナと聖母子』も『バッカス』も、こういった名画は存在しなかっただろうし、妻子を連れてミラノには渡らなかったので『最後の晩餐』も存在しなかっただろうと思う。イタリアからフランスへも渡らなかっただろうし、フランスで亡くなるのではなく、お墓も今あるフランスではなく、死ぬ前にはイタリアに戻ってきてダ・ヴィンチ村かローマにお墓を立てていただろうと思う。
未完成作品が多く遅筆で有名だけど、妻に早く仕上げろと発破をかけられ、尻を叩かれて頑張っていたかもしれない。
そうすると未完成作品ではなくジョコンダ(モナリザ)くらいの完成度で、名画がたくさん存在していたかも。

②妻がいる。子供がいる。子供がいたら可愛がると思いますか?
レオナルドは、愛弟子のサライに月に5足もの靴を買い与えたり、何着も服を買い与えてあげていたと、事細かに書き込んで記録していたものが残っています。その記録からもわかるように、自分の子供だったらかなり甘やかして過保護に育ていると思う。
サライの実家の両親は貧乏だったので、レオナルドがかなり援助していました。土地も絵画もぶどう園も遺産としてサライに残しています。
妻がいた場合も、妻の両親や兄弟もレオナルドは援助していた事でしょう。
レオナルドには、たくさんの異母兄弟がいて、イタリアの研究でダヴィンチ家の家系図を作成し、血縁者35が存命していることが発表されました。そのうちの一人は監督・脚本家のフランコ・ゼッフィレッリさんなどもいます。
レオナルドの子供であったら、確実にDNAは引き継がれ、また違う世界になっていたかもしれません。
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レオナルド・ダ・ヴィンチは、性格上結婚をしないのではなく、同性愛者です。


噂ではなく、宗教裁判にもかかっています。25歳の誕生日を間近に控えた1476年4月に逮捕・拘禁
フィレンツェの裁判記録に、レオナルド他3名の青年が同性愛の容疑をかけられたが証拠不十分で無罪、放免されたというものがあリます。
その2ヶ月後にも同種の告発を受けて、再度逮捕されています。

レオナルドが残したスケッチやドローイングには同性愛者である事をものづけるような作品がたくさん残っています。
1555年「人間の姿をした天使」のスケッチのモデルはサライですが、下半身は勃起しているものが描かれています。
弟子のメルツィの残した記録には、細かにレオナルドが同性愛者であったことが記載されています。

あなたの仮定の
①妻がいる。子供はいない。
『洗礼者ヨハネ』も『聖アンナと聖母子』も『バッカス』も、こういった名画は存在しなかっただろうし、妻子を連れてミラノには渡らなかったので『最後の晩餐』も存在しなかっただろうと思う。イタリアからフランスへも渡らなかっただろうし、フランスで亡くなるのではなく、お墓も今あるフランスではなく、死ぬ前にはイタリアに戻ってきてダ・ヴィンチ村かローマにお墓を立てていただろうと思う。
未完成作品が多く遅筆で有名だけど、妻に早く仕上げろと発破をかけられ、尻を叩かれて頑張っていたかもしれない。
そうすると未完成作品ではなくジョコンダ(モナリザ)くらいの完成度で、名画がたくさん存在していたかも。

②妻がいる。子供がいる。子供がいたら可愛がると思いますか?
レオナルドは、愛弟子のサライに月に5足もの靴を買い与えたり、何着も服を買い与えてあげていたと、事細かに書き込んで記録していたものが残っています。その記録からもわかるように、自分の子供だったらかなり甘やかして過保護に育ていると思う。
サライの実家の両親は貧乏だったので、レオナルドがかなり援助していました。土地も絵画もぶどう園も遺産としてサライに残しています。
妻がいた場合も、妻の両親や兄弟もレオナルドは援助していた事でしょう。
絶倫の父親を持つレオナルドには、たくさんの異母兄弟がいて、イタリアの研究でダヴィンチ家の家系図を作成し、血縁者35が存命していることが発表されました。そのうちの一人は監督・脚本家のフランコ・ゼッフィレッリさんなどです。
たとえばそれが、レオナルドの実の子供であったとしたら、その子孫らもまた多岐分野にわたり偉大なる業績を数多く残し、レオナルドのDNAは確実に引き継がれていたかもしれません。現在の2019年が、全く違う世界になっていたかもしれませんね。
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