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うつ病かも、と思い問診を受けた方に質問です。診断結果はどうでしたか?

私は、自殺念慮が強くなることが時々あり、普段も、生きたいという気持ちはあまりありません。
消えてしまいたいとばかり思います。
ですが、体調は悪くなく、夜も寝付けています。

同じような方で、問診受けて、うつ病診断された、されなかった、という方がどの位いらっしゃるのかを知りたいです。

私が思うにうつ病予備軍的な扱いなのかと思うのですが、相談はしたい気持ちはあるものの、そんな人沢山いるよ、と軽くあしらわれるなら意味ないですし、うつ病認定されても、生命保険とかで不利なので、あまり嬉しくはなく。
こんな冷静なら病気ではないんだろうとは思うんですが。

ただ、今から駅に行って飛び込みたいとは、何度も思っています。
(怖くて実行できませんが)
こういう人でうつ病の人、そうでない人はどれだけいるんだろう、と思いました。

知って何になる?というご質問はご勘弁下さい。
気持ちの問題だけです。。

質問者からの補足コメント

  • その後、smi0227さんのアドバイスの通り、役所の福祉課に相談し、
    うつ病の症状が出ているのでは、と言われ、病院のリストをいただきました。
    そして本日、予約していた診察を受けてきました。
    死にたいと思った原因は、自分の能力不足で仕事も家庭も上手くいってないからでした。
    でも能力不足なのが、発達障害じゃないの?ということらしく、今後検査をすることになりました。
    うつ病かどうかばかりに気が向いていたのですが、そもそもの、死にたいと思うようになった
    根源に、問題があったようで。
    大きな一歩を踏み出せたような気がします。
    本当に皆様、ありがとうございました。
    (もうしばらく、クローズにはせずにおかせてください)

      補足日時:2019/08/24 01:02
  • 市の相談室の話は、kiranyanさんとsmi0227さんからのアドバイスでした。
    本当にどうもありがとうございます。
    これが無ければ、私は診察受ける決心がつかないままでした。

      補足日時:2019/08/24 01:07
  • 皆さん、ありがとうございました。
    全員にベストアンサーとしたいところですが、最初に回答いただいた、kiranyanさんにさせて頂きます。
    貴重なお時間を割いて下さり、どうもありがとうございました。
    また今後も質問させて頂くこともあるかと思いますが、皆様、どうぞ宜しくお願いします。

      補足日時:2019/08/30 20:00

A 回答 (18件中1~10件)

心療内科に通っています。



希死念慮があるという時点で、心療内科または精神科に行くことをおすすめします。
私は、最初、軽いうつ病でしたが、違う病院で双極性障害という病名に変わり、今に至ります。
うつ病よりも、双極性障害の方が、自殺率が高く、危険と聞いたことがあります。

もしも、病院にかかって、病気で無かったら、それはそれで良いのでは?

病院に行くのが抵抗があるのなら、市の保健所や地域保健センターで、「心の健康相談」というのを、
やっています。
心療内科や精神科医の先生が相談にのってくれます。
無料で、予約制です。

緊急なら、病院へ、時間がかかっても良いなら、健康相談も良いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
もうこんな状態が何年と続くので、緊急では無さそうです。
相談窓口も、探してみます。

ちなみに、kiranyanさんは、精神的なものが、体調や寝付きにも影響されているのでしょうか?

お礼日時:2019/08/03 22:28

No1です。



病院に行けて良かったですね。

病名が決まり、落ち着いたら、

最近は、同じ病気の方の集まり「当事者会」というのが、全国にあって、

交流できますので、おすすめですよ。

同じ病気の方とお話しするのは、心が軽くなるので、おすすめです。

無理しないでくださいね。

お大事になさってください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
そんな集まりがあるのですね。
しかし、そもそもコミュニケーションが苦手なので不安ですが。。
無理しないように頑張ります。

お礼日時:2019/08/25 22:34

病院を受診される勇気と、決心が出来たんですね。


まずは1歩を踏み出せたんですね。
回答した甲斐が有りましたよ。
検査結果によっては治療が必要かと思いますが
焦らずに、気長に治療を続けて下さいね。
良かった良かった。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
早く結果が知りたいです。
気になって仕方ありません。(汗)

お礼日時:2019/08/25 22:28

> ちなみに、単に、努力が嫌い、理性的思考が苦手なだけで、希死念慮を持っている人間に対して、どのように思われますか? そんなのはうつ病とは何の関係もなく、ただ甘えているだけだろう、ということになりますか? (厳しいご意見で構いません)



⇒ (努力が嫌い、理性的思考が苦手なだけ)であっても、うつになる危険性は増すと思います。 うつになるのは、もともとの資質とか器質とかもあるのかもしれませんが、失敗経験、劣位感、貧困、生活苦、人間関係の不調が重なるとうつ状態になりやすくなると思われています。 (努力が嫌い、理性的思考が苦手なだけ)であっても、その結果、(努力をいとわない、理性的思考に努める)ということを繰り返しているヒトに比べて、成功確率は下がります、技能や知識、社交方法の習得もうまくいかなくなる確率は高くなり、仕事や交際でも失敗率は高くなります。 そうならば、(努力が嫌い、理性的思考が苦手なだけ)であっても、うつになる危険性は増すと思います。
甘えているのかどうかは、なんとも言えません。 
ただの習慣とか、行動のクセ、思考の習慣、自制・セルフコントロールの習慣が、(努力をいとわない、理性的思考に努める)(努力しない、理性的思考を軽視する)という結果をもたらしている可能性は高いと思います。
うつも重症状態だと、エネルギーがでないので、何もしたくなくなりますが、うつでも(努力が嫌い、理性的思考が苦手)とは限りません。 努力家でも、不幸というかつらい出来事でうつになることもあります。 この場合は、長期の生活苦、疎外感、劣等感、ひがみ、達成感から離絶経験ということでなるうつとは違って、突発的絶望感や孤独感が生理的変化をもたらすもののようです。
ちょっと、自信がないですが、もしかすると、(言い訳が多い)ヒトは、改善や対策はせず、(現状維持)を続けるので、工夫しない、地道な努力をしない、勉強しない、練習しない、カバー(リカバー)しない、追っかけでもやろうとしないという習慣を持っているかもしれないです。 言い訳ならば、どんどんでてくる、屁理屈のような事情説明さえもバンバンでてくるというヒトは、改善も、対策も、結果もなにも出さないという生活をしているのであれば、もしかすると、社会や仲間から外されて生きることを余儀なくされて、もしかすると、うつになっていく可能性が高まるのかもしれません。 (検討、チェックしてない一時の仮説です)

甘え上手は、人生を上手く生きる秘訣の一つという考えもあります。 甘えるという意味や甘える場合、甘える相手や事柄の選択の問題だろうと思います。 すごいピッチャーでも、キャッチャーや内野手、外野手、交替投手陣をあてにして投球をします。 監督の采配を信用し任せる気がないと、良いピッチャーにはなれないです。 会社の仕事、協働でやること、家庭内のこと、地域社会のことでも、甘えは大事です。 うまく甘えられないのでは、どうにもなりません。 肝心なのは、甘えるときと場合、甘える相手や事柄の選択の問題だろうと思います。 この甘えのことは、簡単には言えないので、ここでは、「甘えはマズイ」「甘えは大切」という考えは止めようとしか言えません。 状況や相手や自分の役割を考えて、必要な甘えはし、不適当な責任回避は止めようというだけです。

習慣というのは、着替え、洗面歯磨き、食事方法、挨拶、歩き方、目線、姿勢、食生活、運動生活、起床就寝、仕事のやり方、思考方法、感情制御、なんだって、そう簡単には変わりません。

努力が嫌い、理性的思考が苦手、(死にたいなどの)希死念慮、地道にこつこつは不得手で気移りや多動になる、感情の起伏が激しく気が付くと感情的になってしまっているなどの状態が長く続いている場合は、そう簡単には治りません。
ちょとでも、変化があった、たまにできたときがあれば『良かった!』と思うことが大事です。 いつも空振りやチップ、たまにゴロやファールでも打てたら、『やったー』と自分で積極的に思うことが肝心です。 打率3割になってない、レギュラーにはほど遠いと思ったところで、やる気がなくなるだけです。 失敗してしまったときに、やり直し(リカバー)できたら、『よし、できた、よくやった』と自分を激励するんです。 むかっとしたり、もういいや、どうせダメなんだと思ったりつぶやいたり、そういうことをしなかったときに、「冷静になれた、感情的にならずに済んだ、ネガティブにならなかった」としっかり思うことが大事です。 それを何度も繰り返して(「繰り返す」ということは、何度も、むかっとしたり、もういいや、どうせダメなんだと思ったりつぶやいたり、ネガティブになったということです)、「冷静になれた、感情的にならずに済んだ、ネガティブにならなかった」という経験を重ねることが、今までの習慣から、新しい習慣に変わっていくということなんだろうと思います。
将棋でも、料理や、水泳やピアノ演奏でも、数学の問題を解くのでも、一度うまくいったら次もうまくいくなんてことはないのです。 たいしてできない、ろくな結果は得られないのでも、自分なりのレベルで、(ひどくはない)(まあまあ)(ホッ よかった)を感じることが、小さな快感が(習慣の大きな変換のエネルギー)です。
レイシックでもすっきり見えたという実感を獲得できたことを積極的に評価すべきです。 「レーシックをして快適を求めて、よかった」と考えるのならば、「やって良かった」を増やせば良いだけのことです。 「死にたい、生きてる間は……」ではなく、「やって良かった」「求めて、よかった」「やったから良かった」を志向してください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても冷静な分析的なご意見ですね。
努力が嫌い→失敗経験が多い→うつ病になりやすい、ですね。
だとすると、最初の努力が嫌い、という時点ではまだうつ病ではないでしょうから、
そこに対しては甘えですよね。
甘えて怠惰になった結果、自分でうつ病になる要因を作り出しているという。
まぁ、それは私は甘えだと思います。

ある程度は努力するけれど、しすぎてうつ病になるのは不本意なので、
ほどほどなところで、あとは周囲に甘える、というのが程よいのでしょうね。
なんだかそれはすごく腹落ちします。

ちょっとの変化でもポジティブに、というのは、そうですよね。
私はネガティブ思考なので、そうならないよう気を付けたいです。
まぁ、でも、もうレーシックの話はちょっと置いときたいです。(笑)

話せてませんでしたが、皆様のアドバイスを受けて、先日、心療内科を予約して
本日受診してきました。カウンセリングで涙が止まりませんでした。
自分の能力不足で仕事も家庭も上手くいかない、もう死にたい、と思っていましたが、
能力不足なのは、発達障害の可能性があるとのこと。詳しく検査をすることになりました。
今まで、どんなに頑張っても人並みのことができず、ダメな人間だ、欠陥だと思い
悩んできたのですが・・・
本当に発達障害なのかはまだわかりませんが、受診して良かったです。
そういうわけで、うつ病とかいう以前の問題でした。。

死にたい気持ちはやはりありますが、頑張って前向きに考えていこうと思います。
色々とありがとうございました。

お礼日時:2019/08/24 00:45

> うつ病の薬の意義は何となくは理解しました。

 社会不適合者を減らして世の中に迷惑をかけないようにする、というのは理解できます。 ただ、自殺率を減らすことも目的としているのでは?
以下で、自殺対策の中核がうつ病対策だと書かれています。 https://www.mhlw.go.jp/seisaku/2010/07/03.html
とはいえ、うつ病でも自殺しない人がほとんどなら、薬の効果の大半は、自殺予防よりも社会不適合者を減らして世の中に迷惑をかけないようにする、なのでしょうけど。

⇒ 「自殺率を減らすことも目的としている」とは思いませんが、「自殺を減らすことも目的としている」とは思います。 交通事故対策でも、事故死を減らすことも目的にはしていると思います。 なお、事故死率(事故死数/事故数)を減らすために、車両のボディ構造を工夫したりということは行われています。 自殺が減れば自殺率も下がる、自殺率が下がれば自殺も減るのですが、たぶん、自殺率を減らす対策をねらっているのではなく、自殺を起こる条件の排除を政策的にねらっているのです。 対策の成果を測れるように、数値目標に自殺率や自殺死亡率を掲げていても、率そのものを目標にしているのではないと思います。 
「多くの自殺は個人の自由な意思や選択の結果ではなく、社会的要因を含む様々な要因が複雑に絡んでいる。心理的に追い込まれた末の死。自殺の直前にうつなどの精神疾患に罹患」というような理解を示すのは、うつが進行して自殺に至るということではなく、社会的要因を含む様々な要因が複雑に絡んで、心理的に追い詰められて、自殺を決行したり、うつになったりすることがあるということを言っているのです。 うつも社会的に困るのですが、自殺も社会的に困るので、社会的要因を含む様々な要因のいくつかを対策するのが、基本政策になります。
結果的に、図にあるような対策をとるのだと説明していることが多いです。

> 「必要性がないと思うし、悩みやストレスも多く死にたい」と考えても論理は破綻してない気がします。 死にたいけれども、今すぐ死ぬ決心がついて今日にでも死ぬというのではなければ、死ぬまでの間、レーシックをして快適を求めてもおかしくないと思います。

⇒ (遊びたいが、家事をする/仕事をする/勉強する/練習する/休養する/会合に出席する)という説明をして、実際にその行動をする場合、不選択(遊びたい)&選択(家事をする/仕事をする/勉強する/練習する/休養する/会合に出席する)ということです。 「遊びたい」は選択肢の中にはあっても、請託されていないのです。 「遊びたい」は不選択・排除・拒否している選択肢です。 (死にたい)(死ぬまでの間レーシックをして快適を求める)で、後者を選択するのなら、前者(死にたい)は不選択・排除・拒否している選択肢になっているのです。 行動に何らかの反映がないのなら、もはや、志向さえもないと言えます。 (遊びたいので、遊ぶために、時間的優先性が高い仕事に集中しはやく済ませる)のであれば、今仕事に懸命になっても、早く遊びたいための行動をしていると言え、整合的です、論理的にもおかしくない可能性が高いです。 しかし、(死ぬまでの間レーシックをして快適を求める)のと(死にたい)との間に整合性や論理破綻のないロジックを構成するのは、難しいです。 人間はどうせいつかは死ぬのですから、(死ぬまでの間レーシックをして快適を求める)は、(レーシックをして快適を求める)とまったく同じです。レーシック手術に限らず、(現状、さしあたり快適を求めて行動を決め、行動する)のであれば、行動選択につながる(死にたい)はないのです。 スターになりたい、持てたい、金持ちになりたい、宇宙旅行したい、偉くなりたい、有能に思われたいというだけならば、それは行動選択につながる願望や欲望ではなくて、孤立した思いというだけです。 そういう孤立した思いは、なにとも関連を問題にすることがないので、破綻や矛盾とは無関係です。 ただ、引き籠もりを続けながら舞台などで活躍するスーパースターになりたいと思い続けているのは、破綻している・狂ってる・わかってないと社会的には思われてしまいます。

> 別に、生きたいから、快適を求めているわけではないです。死にたいけど、そう簡単に自殺できるわけでもないから、生きている間は快適を求めても良いのでは? 自分の中では別に論理は破綻していないつもりでした。

⇒ 苦痛を取り除きたいと思うヒト、苦痛を取り除くために医者に行ったり薬を使ったり「これが効く」という方法を試すのは、生きたいからではないです。 死んでからは苦痛もないでしょうし、いろんな方法を試すこともできません。 「生きている間は」という限定条件を付けるまでもなく、生きているという自覚もなくても、生きていくという決意や願望がなくても、苦痛を避けたり、快適を求めることがあっても、なんら不思議はないです。 ですが、厳しい練習を始める・続ける、苦行や難行に挑む、快適を避け勉学やトレーニング・工夫・他人や社会との協力行動に努めるという行為は、非常に多くあるものです。 快適を求めるよりは、そうでない行動をとることが、ヒトは多いです。 親が幼児や児童にもきびしく接するのは、現状の快適さに留まるだけとマズイと直感的に感じているからでしょう。 歯医者でも行きたくはない、手術や注射はイヤだ、そもそも病院がキライだというヒトは多いはずですが、それでも行くのは、苦痛でイヤでも、今頑張っていく方が良いと行動に結びつく選択をしているからです。痛そうだ、怖い、不安だという感覚に基づく選択肢は(行動に結びつく選択肢から排除)されているのです。
「生きている間は快適を求めても良い」と自分を納得させた時点で、(死にたい)は排除されていることだけは確かです。

> ただ、今抱えている悩みやストレスから解放されることがこの先もしあるのだったら、その快適が一生続いてほしい、死にたくはない、という気持ちは持ち合わせています。 ですが、解放されることなど無いと思っているので、死にたい、と思うのです。 ここまでで、私は矛盾したことを言っていないつもりです。

⇒ この前の三行ならば、矛盾したことは書かれていないと思います。 ですが、「生きている間は少しでも……」と、比較的長時間のことを勘案して行動選択しているのならば、矛盾してます。 「今すぐ死ぬ決心がついて今日にでも死ぬというのではない」「死にたいけど、そう簡単に自殺できるわけでもないから」と自分の状況を説明しているのであれば、「死にたくなんかない」のと、行動選択の方法が同じです。 「今死ぬ決心をしているのではない」「そう簡単に自殺できるわけでない」と弁護しても、多くの人は「アア、死にたくないのね」と理解します。 唐揚げとハンバーガーを食べていても、すごく活動し、ビールも飲まず、シェイプアップのための努力をしているのなら、太りたくない・スマートでいたいと思っているというのを、「なるほど」と理解することはできます。「太りたくない・スマートでいたいと思っている」ということにつながる行動選択が実際になされていると分かるからです。 「死にたい」とつながる行動選択がなければ、簡単じゃない、大変だ、今ではないと繰り返したところで、実は「死にたくない」と判断して間違いはないです。

> 「失敗が怖かった」のは、うつ状態になる前の頃の話です。 「別の思考」というのは、悩みやストレスなんて誰にでもある、もうちょっと頑張ろう、という思考です。 でも長続きしないでネガティブになります。

⇒ 長続きしなくても、もうちょっと頑張ろうと思ったり、レーシックでもやろうとしたりは、もう「死にたくない」ということです。 頑張り屋というようなヒトでも、ゆっくりのんびりの時間はとります。 うつが軽快状態になったり、またとても非活動的になったり、ネガティブになったりという変化を繰り返すことは、ごく普通のことです。 軽快状態を少しでも長くできた方が楽です。 しかし、そればっかり強く期待していると、ぶり返してうつ状態がひどくなったときに、返って強くネガティブになります。 「良くなった時間や日数があっただけでも良かった!」、「悩みやストレスなんて誰にでもある、もうちょっと頑張ろうという気さえ起きた!」ということを、単純の大事にするだけで十分です。 
母親が、子のトイレ躾、食事のマナー、歩行や着替え、言葉の使用で、一歩前進、また後退があったって、良かったことを喜んで、後退を嘆いたりしないようにするのが大切なのと同じです。
ガン治療、腰痛治療、レーシック、英会話、バッティング、シュート、俳句創作、なんだって、順調にいったりはしない。 うつだって、一直線によくなることはないのです。

字数制限です。 続きは、あとで、
「うつ病かも、と思い問診を受けた方に質問で」の回答画像15
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この回答へのお礼

数値目標に自殺率を掲げていても、自殺率そのものが目標ではない、とはよくわからないです。
もうこの際、率じゃなくてもいいですが、自殺の要因を排除することも目的なんですよね。

死にたいけどレーシックする、は、死にたいを一旦保留にしているだけなんですけどね。
レーシックで快適になった結果、ずっと生きたいわけじゃないです。
死にたいは排除じゃないです、一旦保留です。
これ以上はただの言葉遊びになりそうなので、もうやめましょう。

行動をしていなければ意思がないというのはちょっと理解できないです。
意思があるけれど、まだ行動に移っていないだけです。
死なれてから初めて、あぁ、死にたかったんだね、と思われても・・・。

もうちょっと頑張ろう=死にたくないではないです。
死ぬことが社会的に認められていて、誰にも批判されないのなら、喜んで死にます。
遺された人たちのことを思ったり、その結果、もうちょっと頑張ろう、なのです。
死にたいのを我慢して、もうちょっと頑張ろうです。死にたくないのではないです。

そんなに論理が破綻してるでしょうか?

多分、おっしゃりたいのは、もうちょっと頑張ろうと思ったり、
レーシックでもやろう、としたり、というのは、死にたいとは違う
生きることに前向きになっていいる証拠だから、それを素直に受け入れて、
前向きになれた、と喜ぶべきだ、ということですよね?

そういう風な呼びかけなら、気持ちが前向きになるかもしれませんが、
もっと理性的に考えるように、と言われると、なんか私の考え方が
非論理的だと責められているように感じるのです。
そういう意図なのであれば、別に良いですが。

一応、一連のやりとりで、おっしゃりたいことは理解できてきました。
貴重なお時間割いていただき、ありがとうございます。
前向きになれるようには努力したいとは思いますが。。
気が付いたらまた落ちてるんですよね。
時によって気持ちが変わることを以て、理性的でない、というのなら、
そうなんだとは思います。

まぁ、でも死にたいという気持ちに対して、そうなんだ、死にたいんだね、と
理解を示してもらいたいという思いもあります。
死にたい、と言っているのに、いやいや、あなた本当は死にたくないんですよ。
と言われても、そうか、死にたくないのか、とはならない気がします。
ちょっと余談でした。

お礼日時:2019/08/24 00:24

私も同じような症状がありました。

病院へ行けばうつ病と診断されたかもしれません。ただ、病院へ行くことで「認定」されることが不利になると。同じように考えたので行ってないのです。実際に予備軍の人、見た目は明るくて元気なのに隠れうつとかいますよ。

元気だとか一般的な家庭だとかはあまり関係がないものです。独身か子供がいるかなどに関わらないものです。

厚生労働省の体験談
http://kokoro.mhlw.go.jp/over/

銀行員のかたとか、一般の会社員の方とか、主婦のかたとか・・・。誤解しているかもしれませんが、不登校してたとか、リストカット経験があるという人だけではないのです。順調に人生を過ごしていた人でも、あることがきっかけでうつ病と診断されることはあります。一時的な症状から、子供のころから長く引きずってきた人などそれぞれです。

私も仕事はしてますが鬱とはもう思ってません。おんなじ人がたくさんいると思ったら安心できますよね。体験談とかご自身のことよく考えてみてはいかがでしょうか。

https://utu-siawase.com/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
遅くなりすみません。

私と同じように考えられたのですね。
「認定」によるデメリットを無くしてくれたら、もっと気軽に病院に行けるんですけどね。

体験談のページ、拝見しました。
いろんなパターンがあるのですね。
同じ人がたくさんいると安心、というのはあるのですが、
自分と同じ事例で、回復した事例が見つけられず・・・。
もう少しいろいろと調べてみたらいいのですかね。

私の場合、ストレスの元を断つこと自体もストレスで・・・
そう考えると治療自体無理なんじゃないかと。
自分が我慢したらいい、頑張ればいい、そうしなかったら大切なものを失う。
失うくらいなら、今まだ自分は軽傷or予備軍だし、もう少し頑張ろうとも思います。
それか、もう死んでしまうか、どっちしかないと思ってしまいます。
まぁ、確率的には、そう簡単には死ねないんでしょうけど。

お礼日時:2019/08/19 00:31

❶ ただ、重度のうつ病であれば、自殺率は高いのでは?



軽度のうつ、中等度のうつ、重度のうつで分類して、自殺率を比較することは、事実上無理です。うつというのは状態をさしているので、軽度、中等度、重度も、うつ状態の程度をいうことになります。 しかし、死というのはある瞬間に発生する変化なので、自殺したとき、自死したときに、どのようなうつ状態であったかをレビューすることが通常できません。 また、重度のうつ状態の場合、何も自発的行動を起こせない状態になります。 どの程度統計的裏付けがあるのか不明ですが、うつの方が自殺するのは、うつからの回復期であると言われることが多いです。 単純で表面的な理解をするのであれば、若干うつで、将来をはかなんだり、ヤケクソになったりというようなときに、衝動的に自殺を実行し、それなりに自殺完遂までいける自殺を企図実行するには軽度うつというほどになっていいる必要があると想像されます。 なお、自死念慮が強く起きるかどうかは、うつの状態象(軽度、中等度、重度)だけ決まらないと思います。個人的経験でいえば、自殺念慮の強さを「死にたい、消えたい」を口にする傾向、自殺の関連物を集めたりする傾向で見るならば、自殺念慮の強さと自殺の実行率とは相関がないに等しく、リストカットなどの自傷行為の繰り返し頻度も自殺の実行率とは相関しないように感じます。 健康問題が自殺の原因で多いという統計はあるのですが、うつの重症度との関係はなく、軽いうつ状態で&衝動的に行動を決めるタイプのヒトが、自殺する率が高いのではないかと想像します。

❶-2 その重度のうつ病にさせないために薬があるわけではないのでしょうか。

重度のうつであるのを避ける、なんとか中等度や軽症にもっていくために、入院やいろいろの治療法があるのであり、重症のうつが自殺率が高く寿命が短くなるので、それを避けるために、治療や入院があるわけではないです。

❷ 自殺率がそう変わらないのであれば、自分が心の苦しみに耐えられると思っているうちは通院しなくても良い?

当人だけのために治療や医療があるわけではないです。 感染症の場合、防疫対策があります。他人に感染させないこと、社会を不健康にしないことなどが目的です。 事故による怪我でも、当人が怪我で痛い、動作が上手くできないというだけでなく、周りにも迷惑を掛けるので、なるべく短期間に正常に近い活動ができるようになってもらうためにも医療や介助などはあります。 心の苦しみでも、本人が耐えていて、行動面では健康な状態とほぼ同じであれば、他人がとやかくいうことではないですが、引き籠もったり、思考やまともでなくなったり、注意力が落ちていては、社会にとっても迷惑ですし、家族だって困ります。 自分自身の中で堪え忍ぶというのは、多くの場合、それはそれで大事なことですが、実は耐え凌いではいないで、周りに迷惑をかけるのでは困るのです。 学校教育でも、日常会話でも、普通の人並のことができなくても、当人がそれでも構わないと思っているなら、言葉が通じない、簡単な計算ができない、日常生活にも介助が必要だ、社会生活はとてもできないのでは困ります。 学齢期になれば、当人の思いはどうであれ、基本、義務教育は真剣に学習し、身につけてもらわないと、社会が困るのです。 うつでも、本人の気持ちの中でとまって、社会生活には影響が出ないのならばいいですが、そうではないのなら、どういう方法でも良いですが、普通に社会の一員として活動できるように何らかの努力はすべきでしょう。

❷-2 そうしているうちに重度のうつ病になって、自殺率が高まることを、防ごう、というのが処方の主目的だと思っていました。 ただただ、つらい思いを軽減してくれる、という効用がメインなのですか?

つらい思いを軽減してくれる、その結果、愚痴が減り、少しは明るい顔をし、家族や他人からのアクションにも気分の良いリアクションをしてくれるのであれば、家族や他人も嫌な気分を起こさずにすみます。 当人だけでなく、周囲にとっても効果はプラスです。 重度のうつは、当人が自分で思っているつらさもさることながら、周囲ははなはだ迷惑です。 重度なら中等度に、中等度なら軽症に、軽症ならば寛解・転帰、再発防止にと強く望むのは、本人も、家族や周囲のものも同じです。 自殺率を下げることを目的にはしてないし、自殺しなければ重度うつ、中等度うつ、軽度うつのままでOKと考えるひとは、非常にまれでしょう。

❷-3 だとしたら、ケガで多少痛くても通院しない人がいるように、うつ病でも通院しないという選択肢が、推奨しないまでも、それなりにアリなのでしょうか。

うつとかうつ病というものの考え方です。 転んで出血しても、腹痛や下痢でも、通院しないヒトは大勢います。 うつだって、通院しないヒトは大勢いるはずです。 治療しないと状態が悪化するとは限らないです。 失恋した、失職した、昇進し責任ある立場になった、結婚が決まった、妊娠した、転勤などで住む場所が変わった、仕事でミスした、後輩に馬鹿にされた、いろいろなことで、うつになるヒトはいます。 そのうちうつを自力でクリアできてしまうなら、それで普通です。 しかし、そのうつの初期に自殺してしまうようなヒト、一気に中等度のうつになって社会生活が普通でなくなってしまうヒトは、何かの治療をした方がいいです。 精神不安にすぐなるヒトは安定剤を服用すれば、そういう危険はかなり減ります。 自分のタイプは自分でもある程度分かるでしょう。 当人が気付かなくても、家族や周囲のヒト、職場の人が「おかしい、おかしくなっているようだ」と感じてしまうほどの影響が出ているのであれば、とりあえず診療をうけ、医師の指導の下で服薬すべきでしょう。

❸ 別の思考も持っている時があるから、今、生きています。 でも、そうやって惰性で生きてきた、近い過去を振り返って、やっぱり生きている必要性は無かったと感じています。そしてもう死んじゃえ、と思います。

別の思考をもっているときがある、もう死んじゃえとも思っているときもある、というのは、単に持続性もなく、整合性もなく、事情の変化などもなく、《ただ精神状態、感情状態が不安定だ》ということです。だから、「生きている必要性は無かったと感じています」と書けてしまえるのでしょう。 「生きている必要性はあったと感じているから、いま私は生きている」なんてひとは、滅多にいるモノじゃないです。 生きている必要性を感じて生きているなんてヒトに逢うのは、育児に懸命な親をみるときくらいないものです。 ヒトに限りませんが、生物は生きている必要があって生きているのではないです。 高齢者や障害者、あるいは難民や貧窮に苦しむ多くの人も、生きている必要性を感じて生きているのではないです。 「もう死んじゃえ」というのは、ただの衝動であって、生きている必要性を感じているかどうかとは、全く関係がないです。 

❹ レーシック手術の時、成功すれば、今の生活の不自由の一部が改善されて、快適度が上がるのであれば、それはありがたいと思いました。 失敗が怖くてレーシックを出来ずにいましたが、死にたい気持ちだったので失敗も怖くなく、だったら今までやってみたかったことをやるか、という考えがありました。

ご自分で、「失敗が怖くてレーシックを出来ずにいました」とか「今の生活の不自由の一部が改善されて、快適度が上がるのであれば、それはありがたいと思いました」とか思い起こすことができるということは、思考というか、気分が、あちこち揺らいでいるということです。 「死にたい気持ちだった」のなら、手術など受けずに自殺企図するという選択が整合的です。 「死にたい気持ちだった」ので「今の生活の不自由の一部が改善されて、快適度が上がるのであれば、それはありがたいと思い、レーシックを選択しました」では、とても整合的ではないです。

❺ 自傷したい気持ちもありましたが、痛い思いをするのは嫌で(矛盾してますね) 自傷した気持ちになれて、少しはすっきりするかな、という思いもありました。

自傷行為と、自殺企図は別です。 また、(消えてしまいたい・死んでしまいたい)など念慮はするが、自傷は怖いからやらないというのも、けっこう多いです。

もう文字数制限に近いので、終わりにします。

愚痴が多い、どうせおれはダメ人間だ、途中脱落するやる気のない人間でしかないんだ、この世から消えてしまいたいと頻繁に思っているというのは、広い意味で自殺念慮ですが、自殺する率は低いです。 
たんに、真剣に考えたり、真剣に努力したり、ことこつ頑張ったり、論理的に理性的に考えたりが、キライというだけである可能性が高いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
うつ病の薬の意義は何となくは理解しました。
社会不適合者を減らして世の中に迷惑をかけないようにする、というのは理解できます。
ただ、自殺率を減らすことも目的としているのでは?
以下で、自殺対策の中核がうつ病対策だと書かれています。
https://www.mhlw.go.jp/seisaku/2010/07/03.html

とはいえ、うつ病でも自殺しない人がほとんどなら、薬の効果の大半は、自殺予防よりも社会不適合者を減らして世の中に迷惑をかけないようにする、なのでしょうけど。
(効果の大半はそうですけど、目的としては自殺予防がそれなりのウェイトありそうなんですが)

「生きている必要性がある」と考える人はレアでしょうけど、「必要性がない」とは考えない、あるいは「必要性があるかどうかは分からないけど死にたくはない」と考える人が大半だと思います。
「必要性がないと思うし、悩みやストレスも多く死にたい」と考えても論理は破綻してない気がします。
死にたいけれども、今すぐ死ぬ決心がついて今日にでも死ぬというのではなければ、死ぬまでの間、レーシックをして快適を求めてもおかしくないと思います。
運悪く(良く?)手術失敗しても、別に良いわけだし。
別に、生きたいから、快適を求めているわけではないです。
死にたいけど、そう簡単に自殺できるわけでもないから、生きている間は快適を求めても良いのでは?
自分の中では別に論理は破綻していないつもりでした。

ただ、今抱えている悩みやストレスから解放されることがこの先もしあるのだったら、その快適が一生続いてほしい、死にたくはない、という気持ちは持ち合わせています。
ですが、解放されることなど無いと思っているので、死にたい、と思うのです。

ここまでで、私は矛盾したことを言っていないつもりです。
「失敗が怖かった」のは、うつ状態になる前の頃の話です。
「別の思考」というのは、悩みやストレスなんて誰にでもある、もうちょっと頑張ろう、という思考です。
でも長続きしないでネガティブになります。

ちなみに、単に、努力が嫌い、理性的思考が苦手なだけで、希死念慮を持っている人間に対して、どのように思われますか?
そんなのはうつ病とは何の関係もなく、ただ甘えているだけだろう、ということになりますか?
(厳しいご意見で構いません)

お礼日時:2019/08/16 23:45

> 投薬は延命治療にしか見えません。



精神科の処方薬は延命治療ではないですが、世の中には延命治療薬であるものは多いです。延命治療薬であるかないかの大きな差は、服薬しなかった場合と、服薬した場合との、その後の余命が大きく異なることです。 精神科で処方する薬品の効果は、精神安定剤や抗不安薬というのもありますが、それほど大きく余命には影響しません。 希死念慮が強くても、多くのケースでは死なないからです。 希死念慮を減らすのは、希死念慮が周りにも、本人にも、持ちたい感情や思考ではないからです。 腹痛や腰痛、頭痛などがイヤだとか、喜びはあっても良いが苦しかったら悲しかったり辛らかったり落ち込むのがどうもイヤだという希望を持つヒトが多いので、そういう思いを減らす効果のある薬を開発して売って処方しているのです。 延命効果を求めて精神科の薬を開発しているのではないです。

> 過程に幸せを感じないということです。結末を思い描いている訳ではないです。間欠的な小さな喜びのために継続的に苦しむくらいなら、死んだ方がいい、と感じます。

喜びを得たりor感じるために「死よりも生を選んでいる」というヒトはさほど多くはないと思います。現実に、質問者たくみnさんも、{喜びを得たりor感じるために「死よりも生を選んでいる」}のではなくて、生きていて、なぜか、こうした投稿をし、回答を見て、コメントまで書いているのでしょう。
たくみnさんが、「間欠的な小さな喜びのために継続的に苦しむくらいなら、死んだ方がいい、と感じ」ていても、生きているのは、《別の思考ももっているときがある》からでしょう。あるいは、思考や感情とは別に、惰性というか、生活習慣がこびりついていて、苦しくても、痛くても、辛いことが続き、その先にも展望が開けなくても、そういうこととは無関係に、苦しくてくじけて、痛くて逃げて、辛いから泣いて、どんな選択肢を選んでも今のストレスから逃れられる訳ではないと希死念慮を抱きながら落ち込んでも、相変わらず生きているのでしょう。
とにかく、生きてるなら、痛くないように痛み止め、息が苦しけければ呼吸を増やし、下痢で苦しければ下痢止め、便秘で苦しければ下剤など、かゆければかゆみ止め、気がうつうつとななったりイライラしたりするなら安定剤、うつ状態がひどく自死企図自殺念慮がつらいのなら抗うつ薬というのは、一種の対症療法であって、当人の願望に添った処方です。

> それでも投薬を勧められるので、病院には行ってみます。 薬を飲んでも、ネガティブ思考回路が無くなる訳ではないし、良くなるイメージはあまりわきません。 気は少し楽になるのかも知れませんが。

薬効に期待を持ちすぎるのも、強く懐疑を持ちすぎるのも、あまり良いことではないです。 「気が楽になればそれはそれで好ましいこと」とお考えになるのであれば、 効果を「鰯の頭も信心から」「プラセボ効果も効果の内」と考えてください。

> 山登りで言えば、途中脱落したやる気のない人間でしかありません。

本当にやる気が最初からなければ、山登りなど誘われても断ろうとするものです。 断るかどうかは、それだけ(やる気の有無だけ)では決まりません。 結婚するのでも、「結婚したくなくても、よんどころない事情があって」と本人は言い訳することもあるくらいのものです。 では、確実な真実というものはあると言えるのか。 
山登りなら、それなりの服装をして数十分も歩いたところで、「もう止めた」とやる気のなさいっぱいな態度をするヒトは、どうしてその服装をして、そこまできたのでしょう。 希望とか、辛いとか、登山の喜びとか、登山の苦痛とか、間欠的な小さな喜びのために継続的に苦しむくらいなら死んだ方がいいという思考とか、全く関係がないところで、自分の行動や生き方を決めているということでしょう。 
自分のやっていること、やってきたことを、もうちっと、理性的に振り返ったらいかがでしょうか。

> 7年ほど前に1度だけ、仕事の関係で絶望を感じて、自傷したい気持ちにはなったのですが、何のプラスにもならないと冷静に考えた結果、レーシック手術を受けました(笑)失敗したら人生終わり、それはそれでよし、という気持ちで。

当人が「冷静に考えた結果、自傷は止めて、レーシック手術を受けた」と書いているのですが、「失敗したら人生終わり、それはそれでよし、という気持ちで」あれば、自傷を止めて、レーシック手術を選択した《冷静に考え》は、なにを考えたのですか。 レーシック手術が成功したら、良いことになるかもしれないなどと、結果を期待したのですか。
https://www.yoshino-eye-clinic.com/lasik/reason. …

どうにも、理性的に考えるのは不得手である、その都度わき起こる気分や感情で行動し発言してしまうのを止められない、「間欠的な小さな喜びのために継続的に苦しむくらいなら死んだ方がいい」と思ってしまうときもあって、そのときは、その思いを自制し他の思考をしているときがあったのさえも忘れている、希望や期待に甘い夢を抱いていたときもあったのもすっかり失念してしまっている ということでしょうか。

ヒトは感情の動物という面もあって、怒りまくっている、落ち込んでいる、ハイテンションになっている、仲間で共感し合うことを最重視しているように見える、そこそこ理性的に自分をみている、などが、時間的に交替しているものです。 
自分を冷静に眺めることができる瞬間が少しでもできたときには、そのチャンスに、一方向の自死念慮のときの思いだけを思い出すのではなくて、他のときもあったことを、思い出してください。
本当に一途に「間欠的な小さな喜びのために継続的に苦しむくらいなら死んだ方がいい」と思い込んでいれば、自死企図を実行方向に突き進むことになるのが多いです。 一途には思い込めないから、質問サイトを読んだり、他人の意見を求めたり、投薬処方をされることが明らかだと思いつつ病院に行こうとしたり、薬で少しは気が楽になるかもと思ったりするのです。 「薬で少しは気が楽になっても、苦しいことが続くなら、生きていなくなんかない」と一途に思っていたら、病院には行かないし、こんなサイトを開いたりもしません。

同じような状況を繰り返していても、事態が改善されていく可能性が高くなるわけではないと思います。
少しは理性を働かせ、自分の生きている様を多様な視点、視線で眺め、強くすると、生きやすくなる方策ややり方、考え方、息の仕方、背筋の伸ばし方、ストレッチなどの仕方、勉強の仕方、計画を断念するときの断念と方向変更の仕方を変えるように努力されると良いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

延命治療ではない理由はある程度理解できました。
ただ、重度のうつ病であれば、自殺率は高いのでは?
その重度のうつ病にさせないために薬があるわけではないのでしょうか。

自殺率がそう変わらないのであれば、
自分が心の苦しみに耐えられると思っているうちは通院しなくても良い?
そうしているうちに重度のうつ病になって、自殺率が高まることを、防ごう、というのが処方の主目的だと思っていました。

ただただ、つらい思いを軽減してくれる、という効用がメインなのですか?

だとしたら、ケガで多少痛くても通院しない人がいるように、うつ病でも通院しないという選択肢が、推奨しないまでも、それなりにアリなのでしょうか。

別の思考も持っている時があるから、今、生きています。
でも、そうやって惰性で生きてきた、近い過去を振り返って、やっぱり生きている必要性は無かったと感じています。そしてもう死んじゃえ、と思います。

レーシック手術の時、成功すれば、今の生活の不自由の一部が改善されて、快適度が上がるのであれば、それはありがたいと思いました。
失敗が怖くてレーシックを出来ずにいましたが、死にたい気持ちだったので失敗も怖くなく、だったら今までやってみたかったことをやるか、という考えがありました。

自傷したい気持ちもありましたが、痛い思いをするのは嫌で(矛盾してますね)
自傷した気持ちになれて、少しはすっきりするかな、という思いもありました。

極端に忘れっぽいようで、希望や期待、楽しい思い出も、正直、忘れてしまいがちです。
希死念慮を一途に持っているわけではないようだ、という自覚はあります。
ですが、他の事も考えつつ、やっぱり払拭できず心病んでしまいます。
あまり深く考えない時の方が、「もうしばらく生きてみるか」という気持ちになれます。
今置かれている現実を直視し、考えれば考えるほど、死にたくなります。
仕事はできないし、家庭での夫、父親という役割も全然です。
結婚した時も、希望や期待があったわけではないです。
どこをどう考えても、生きたい、という方向には行かないです。
提案いただいた、多様な視点で、というのは、考えているつもりです。
でも、ポジティブに考えよう、と頑張っても、そう持続はしないんです。
多様な考え方の中に存在する、ネガティブ君が全てを食い尽くすんです。。

お礼日時:2019/08/15 00:13

理性的に考えてみるという習慣はないですか。



> どの選択肢もバッドエンドなんです。。

グッドエンド(ハッピーエンド)とバッドエンドとは、どういう見方をしていうものだと思いますか。
どこかで終わり The End として、その時点のことを、グッ/ハッピー 0r バッド としているだけでしょう。
http://kotowaza-allguide.com/ka/kafukuazanaeruna …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA …
複数の結末のあるゲームでは、バッドエンドにならないと攻略できないキャラや拝めないCGがあったり、他では語られない裏設定が出ることがあったり、場合によっては一度バッドエンドにならないと真相が分からないことがあるため、わざとバッドエンドを選ばざるをえないこともある。
ゲームオーバーの特殊な形としてバッドエンドが存在するというケースも中にはある。
また、「一見ハッピーエンドに見えなくもないけど、この終わり方って根本的な部分は一切解決してなくね?」などといった、少し捻った形のバッドエンドなども時には存在する(ノベルゲーなどに顕著)。→メリーバッドエンド
グッドエンドになってもシナリオに対する解釈の仕方から「これはバッドエンドである」とされることも多い。あるキャラのグッドエンドを見る場合、他のキャラを振るだけならまだしも、時には命を犠牲にすることによって成り立つという展開もあり、その場合犠牲となったキャラのファンにしてみればバッドエンドにしか映らず、グッドエンドを迎えたキャラのファンにしても後味の悪い結末に思え、しばしばファン同士の論争になりやすい。また、キャラによっては「バッドエンドじゃないと生存しない」というパターンもある。


うつ病には、ばい菌やウイルスはなく、身体を調べても器質に異変がないので、思考や感情、行動の状態をみて"程度で判断"するものがうつ病です。 自死念慮とか絶望感のようなことを3回思ったからうつ病という判断はしません。 今から鉄道で飛び込みたいと7回も思ったらうつ病というものでもないです。 
"うつ病であるか"/"うつ病ではないか"、今は禍福の"禍であるか"/"福であるか"を、「まよい、悩む」ことにメリットはないでしょう。
これから変わると思ったところで、これからも変わらないと思ったところで、そのことで将来が決まるわけではないのだとしたら、良くなるに違いない、苦労するからほっとするときが分かるんだと、思い込んだ方が、以下を楽にできます。
私ごとですが、せいぜい5時間程度のハイキングでも登りはきつくて、もうダメと本当に思って、息が上がり、脚が上がらなくなるのですが、「どのみちここに止まっているわけにはいかないし、やがては登り下りしながら尾根や頂上にでて、マタ降り登りしななら平地に戻るんだ」と思って、なんとか脚を上げ一歩一歩進みます。そもそもそんな苦しいことをしなければならないハイキングをしてなんになるんだ?という見方もできますが、勉強でも、仕事でも、家庭内でのことだって、なんでそんな面倒で、大変で、苦労や心痛も起きることをするのかと考えれば、ハイキングでも、水泳や、サッカーでも、こどもには無理な食べ物でも、大人びて食べ、飲むから飲食の楽しみが広がるので、どれも同じだということだと、私は思っています。
結婚したり、女性であれば妊娠したりは、その後に大変なことが起きて、場合によっては危険を招くこともあっても、そんなことを気にしていては喜びもなくなると思うからでしょう。

> 失敗したら人生終わり、それはそれでよし、という気持ちで。

まあそういう気持ちでもいいのでしょうが、大変だし、痛いし、我慢も必要だろうけれども、やったということがそれ自体「萎え」を自分から捨て、何があっても頑張る気を起こすのだと思います。 
(グッドエンド・ハッピーエンド/バッドエンド)なんてどうでもいいことに気を回さないことです。
甲子園野球でも、なんでも試合をしたり、勝ち負けや順位を争うことでも、英語や数学や国語や料理や仕事など勝負や順位が問題になるものではないものでも、成果や結果を気にするのではなく、苦労やトラブルを気にするのでもなく、そのヤッテイル過程での自分の力を使っている感じが生きている実感を得させてくれれば十分だと思います。

恨まれるようなことをわざわざすべきではないと思いますが、恨まれないために何もしないとか、自分がいなくなれば、関係がなくなった以降に新たに恨まれることはなくなるという発想は、おかしいでしょう。
恨まれるようなことをわざわざするのではなければ、自分がやったことで誰かが恨むことがあっても仕方ないです。 試合に勝ったら、相手に恨まれた、商売でうまくいったら、対抗業者に恨まれたということがあったとしても、そういうことで恨む方がマズイんだと思えば済むことです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
遅くなってすみません。

バッドエンドと言ったのは、過程に幸せを感じないということです。
結末を思い描いている訳ではないです。

間欠的な小さな喜びのために継続的に苦しむくらいなら、死んだ方がいい、と感じます。

恨まれることをしたい訳ではありませんが、妻からしてみれば、夫が自分の幸せだけを考えて、家族をかえりみないで離婚した、としか映らないと思っています。
それに、山登りで言えば、途中脱落したやる気のない人間でしかありません。

もうどんな選択肢を選んでも、今のストレスから逃れられる訳ではないし、投薬は延命治療にしか見えません。

まぁ、それでも投薬を勧められるので、病院には行ってみます。
薬を飲んでも、ネガティブ思考回路が無くなる訳ではないし、良くなるイメージはあまりわきません。
気は少し楽になるのかも知れませんが。

お礼日時:2019/08/13 05:55

まあ、うつ病だと思います。



自傷行為はある?(リスカ・アムカ・ODなど)

希死念慮の心当たりはありますか?

原因があるのでしょう。

人生が楽しくて希死念慮なんて人いませんから。

悪い事が続いたとか、何かしら原因があるのでしょう。

取り除いて(希死念慮が回復して)また生きていたいとは思いませんか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自傷行為はありません。

強いて言うと、7年ほど前に1度だけ、仕事の関係で絶望を感じて、

自傷したい気持ちにはなったのですが、何のプラスにもならないと冷静に考えた結果、レーシック手術を受けました(笑)

失敗したら人生終わり、それはそれでよし、という気持ちで。


うつ病の人と考えはすごく近いのですが、どこかしらに冷静になる自分がいるような気もします。

体調の異常もないので、軽度中の軽度なのだろうと勝手に思っています。


市役所に電話しようと思っていたのですが、ここで色々と相談させてもらっているうちに、

なんだか気持ちが晴れてきてしまいまして・・・ また落ちたら電話しようと思います。


希死念慮の心当たりは、あります。原因もすべて理解しているつもりです。

でも、それを取り除いてしまったら、多分、身の周りが不幸になるので、できません。

家庭の問題と、仕事の問題と、両方です。

取り除く=離婚だと思っていて、それはそれで恨まれながら生活する事になるので嬉しくはありません。

どの選択肢もバッドエンドなんです。。

お礼日時:2019/08/07 23:08

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