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ランボルギーニイオタについて教えください。
マボロシの車、ということですがどうしてですか?
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

「イオタ」という響きだけで胸が沸きますね。

(^^)

創業時のランボルギーニは打倒フェラーリを掲げており、両社の世界最高速争いなど当時の確執もよく伝え聞きますが、フェラーリに対してレースの世界ではまったくといっていいほど活躍はしておらず、それが創業者のフェルッツィオのコンプレックスでした。

「イオタ」は、ランボルギーニのレース界進出の半ばプロパガンダとして、ボブ=ウォレスの指揮よりワンオフ(一台のみ)で生産されましたが、事故で大破したためこれが後に「幻の名車」と呼ばれる所以に。
ベース車である「ミウラ」の最高クラスである「SV」にレーシング(?)のRをつけ、「ミウラSVR」というのがこのワンオフモデルの名称だと聞いています。

「SV」はベルトーネによるその優雅な外観からは想像もつかないほどスパルタンな車だったそうですが、「SVR」はベース車よりも一回り大きく開けられたむき出しのエアーインテーク、巨大に張り出したリアフェンダーなど、見るからにその圧倒的な性能を訴えてくる仕上がりになりました。カッコよすぎですね。確かに。

その後、世界でも指折りのお金持ちや某国の国王などがこの車の復刻を求め、本社内において数台のみ(4台とも6台とも・・)が生産されました。この数も極めて希少ですね。
また、こちらは上と区別して「SVJ」と呼ばれることが多く、「イオタ」という愛称もこのころからついたもののようです。

たった今現在は、手元に資料がありませんので正確な年代やスペックはTake_chanさんの紹介URLを参考にされて下さい。ごめんなさい。

往年のスーパーカーブームでは世界に数台のはずのものが国内のショーなどでゴロゴロ現れましたが、これらはレプリカというより「改造車」で、写真などを見ると「イオタ」と呼ぶにはあまりにはばかるものも多く、特に前述のリアフェンダーの処理などは思いきりが悪いというか、「これなんていう車?」というものがほとんどです。
しかしそれでも、最低でもミウラとは・・・ため息ですね。今となっても。
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写真を掲載しているH.P.で、イオタのボディを見ては、ため息が出ます。

個人的にはミウラSVベースのレプリカイオタが好きです。以下のH.P.、ぜひご覧下さい。

参考URL:http://lambor.hoops.ne.jp
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回答者同士のやりとりは原則として禁止されていますが


kanpachiさん、ごめんなさい。

LoftyBridgeさん、そういう見方があるとは思いもよりませんでした。
よくわかる話です。第一に私の回答ではボブウォレスがベースとしていた車はいったい何であったか、その部分はまったくのブラックボックスですね。
幼少のころのから伝え聞くところの話ばかりで恥ずかしく、うろ覚えの域にて回答をさせていただいたのですが、こういうやりとりそのものを提供させてしまう「イオタ」の存在感と神秘性。
いやあ、楽しいです。本当に。
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 「専門家」としましたが、ランボルギーニで食ってるワケではありません。

某自動車研究所の研究員で、自動車史の研究も業務の一環なので、とりあえず専門家・・・・と言っておきながら、今手元にランボルギーニ社に関する資料がありません。ウロ覚えで打ちますが・・・・(←いかんな~歴史家がそれじゃぁ~;^_^A)

 coven様のすばらしい解説(←ホントに)の後でちょっと気が引けますが、ワタシは専門分野から見た(本来はシャシ設計屋です)技術的な補足を致します(イオタそのものの誕生や歴史的推移は、coven様の御回答を御参考にして下さい)。

 そもそもランボルギーニ・ミウラの設計は、当時弱冠24歳!のジャンパオロ・ダラッラ(最近ではF1の、スクーデリア・イタリアの監督などしてましたね)をチーフデザイナとして、V12エンジンを横置きするとゆぅちょっとヤケクソ的なシャシ設計から始まりました(このレイアウトは、当時のホンダF1のパクリと言われています)。
 その後ジョルジュ・ジゥジアーロのアイデアを元にした、どこにもエンジンが入りそぅもない優雅なボディを纏い発表されます(今日、ミウラはベルトーネのデザインと一般的には言われていますが、ベルトーネ時代のジゥジアーロのスケッチが元ネタであるのはほぼ確実です)。

 こぅして出来上がったミウラは、その優雅且つエキサイティングなスタイルや異様にカッコよいスチール・モノコックとはウラハラに、重く低馬力の横置きエンジンによるミドシップレイアウトを根元とする動力性能不良と複雑なパワートレイン系のトラブル、全く見かけ倒しのインチキなハンドリングなど、空前絶後のガラクタとして誕生しました。
 実は、別にミウラに限らずイタリアン・エキゾチック・カーは、その動力性能に見合うハンドリングを持っているモノは極めて少ないですが、後述します様にすぐ大改造の手が入ったところを見ると、よほどのロクデナシだったと推察されます。(尚、若いダラッラはこのクルマの設計で大変勉強した様で、後にデ・トマソに移り、市販車としてマトモなハンドリングを持つ貴重なイタリアン・エキゾチック・カーの1台、パンテーラを設計しました)。

 発表時には誰もがドギモを抜かれたミウラですが、役に立たない事は当時のエンジニア達の目にも明らかで、早速改良の手が入ります。
 ここのところの記憶が怪しいんですが・・・・開発エンジニアとしてミウラを押し付けられた(?)のは、今日ではスーパーカーの父と称されるジオット・ビッザリーニだったと思います(彼が開発を担当して歴史に名を残す名車となったスーパーカーは数知れず。あの、フェラーリで最も有名な250GTOも、彼の仕事です)。

 彼はエンジンを強力にチューンし、リヤサスペンションをゼロから設計し直し、そして駆動系やブレーキ系などの細かい改良をチマチマと施し、結果ミウラは、スーパーカーに相応しい動力性能と、市販しても恥ずかしくないハンドリングを身に付けました(この改良案が反映された市販バージョンが、ミウラシリーズ中最強といわれるSVです)。

 さてこの数々の改良の実験用として1台のミウラが改造されたワケですが、これが後のモデルJ(=イオタ)の元ネタになった、とゆぅ説があります。

 イオタ自体が生まれた経緯はcoven様の御回答通りですが、もしこの時ビッザリーニが手を加えたミウラがイオタのベースだったとするなら、後に生まれたミウラSVベースのイオタ・レプリカも、スタイルはともかく性能は結構近かったんではないか?と思われます。

 オリジナルのイオタが失われ、関係者も亡くなってしまったかお年寄りで記憶がちょっと怪しい方ばかりとなってしまった現代では、この疑問に対する回答は、決して得られる事はないでしょう・・・・。
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イオタというのが稀なとか言う意味になるんですね。


下記HPで始めて知りました。

参考URL:http://www.can.ne.jp/hana/IllustGallery/Illustra …
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