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何故昭和天皇は戦犯として処刑されなかったの
でしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

表向きの理由は色々言われてますが。

裏取引というか、そもそも戦争自体が出来レースだった可能性が高いと思います。

東京大空襲でも皇居の周りだけは無傷、A級戦犯は処刑されたのに何のお咎めも無しって異常ですよ。同じく安倍総理の祖父の岸信介とか、巣鴨プリズンから無罪で釈放された人達は全て裏取引きか仕掛け人かどちらかだと思います。

自分のせいで何百万人もの人が死んだのに、他人事のように喋ってますから。罪の意識全く無さそうです ↓
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よく他人の発言を切り取って論う方がいるようですが、下衆な人間と思われたくないならその真意まで洞察するべきだと思います。(あの民族にとっては難しい事かもしれませんが)


【日本への原子爆弾投下】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …
《原爆投下に対する所感質問について、陛下は広島市民を気の毒だと述べて遺憾の意を表明しつつ、「戦争中のことだからやむを得ないこと」と述べており、被爆者団体など[要出典]が抗議する事態になった。特に、広島県被団協の森滝市郎が宮内庁へ抗議文を出した[要出典]時には、宇佐美毅が発言の補足として、『天皇が原爆投下を肯定する意味あいのご発言ではない。ご自身としてはそれを止めることが出来なかったことを遺憾に思われて、「やむを得なかった」のお言葉になったと思う。第二次大戦の犠牲となった人々、今なお原爆の災禍に苦しむ広島、長崎両市民に心を砕かれておられる両陛下のご真情を理解してほしい』と回答した

「日本会議広島」公式サイトでは天皇と広島との関係を扱っており(日本会議広島:天皇陛下と広島)、1975年の失言を取り上げているが、終戦勅書の「新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所」と言った発言から決して原爆を容認していなわけでないと述べている。

原爆投下後に早速日本政府はスイス政府を通じて原爆投下に対する抗議文を送り、『ヒロシマ平和メディア』の「過去の広島新聞から」には、実際1945年に昭和天皇が広島、長崎市に侍従を真っ先に派遣して惨状を視察し救護関係者を激励するよう指示しており、1971年に「原爆にあった被爆患者には、今後も援助、援護の手をさしのべるよう一層の努力をするように」と述べ、さらに原爆慰霊碑や原爆病院に訪問、1974年には昭和天皇が秋の園遊会で重藤文夫広島原爆病院長に伝言し「患者の方々によろしく伝えて下さい」と激励した事が掲載されている。

つまり一度も昭和天皇は原爆投下を肯定するような発言は公でした様子は見られない。》

↑の発言は、1975年に訪米から帰国した時の記者会見でのものです。
そのような時代や場で、アメリカを非難するような発言ができるのでしょうか。
そもそも、そのような質問をするべきなのでしょうか。



~思います ~そう って便利な言葉ですね。
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No8、9です。


3「マッカーサーの都合」(A級戦犯に昭和天皇が入っていない理由)についてお話しします。


GHQから日本の占領統治を任されたマッカーサーは、日本を「民主化」した功績を武器にアメリカの大統領になろうとしていました。
(終戦の主要な原因は原爆とソ連の参戦なので、彼の功績にはならない。ライバルのアイゼンハワーは欧州戦線で大活躍。)

彼は、A級戦犯と同様に天皇の処刑を考えていましたが、天皇と日本人との関係の深さを知って、処刑するより(自分の為に)利用したほうが良いと考えなおしました。


しかし、他の連合国の主張は↓のようなものでした。

英豪蘭中:酷い目(植民地を失った)にあった恨みを晴らしたい。
ソ連:日本を共産化→領土化する為には天皇が邪魔。(とりあえず「戦後処理」で北海道と東北が欲しい)
→日本の精神的な支柱としての天皇を処刑する必要がある。

「彼ら」は、未来における日本の再武装への懸念を主張し、その防止の為に自分達による日本列島の分割統治案や国民統合の象徴としての天皇の処刑を求めていました。

しかしそれらは、アメリカとマッカーサーの意向と対立するものでした。

アメリカ:戦後の日本にソ連が居座るのは困る。
マッカーサー:日本を「民主化」した功績でアメリカの大統領になりたい。
→その為には日本人の支持を得る必要がある→天皇は必要。
日本:ソ連の目的や革命が起こった他国の有様を知っているので、とにかく国体(皇統と領土)は守りたい。

↑のような状況で、マッカーサーは皇統の存続を条件にして他の戦勝国を納得させる為に、様々な「民主化」を行いました。




マッカーサーはこれらによって、日本の脅威は消滅したとして英豪蘭ソの主張と要求を否定しました。
そして、アメリカは、今後はアメリカが日本を守っていれば(それで日本をアメリカに依存させれば)アジアに影響力を行使でき、それでアジアは平和になると考えていました。

しかし、その後中国が共産化し、朝鮮戦争が起こりました。
これによって、アメリカは、共産主義と戦っていた日本を侵略者と決めつけて潰してしまったことの過ちに(今更のように)気が付きました。
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No8です。


今回は、3の「マッカーサーの都合」の前に、他のいわゆるA級戦犯についてお話しさせていただきます。

前回の説明により、軍事裁判で裁かれるのは「戦時中の国際法違反の行為(虐殺や捕虜の虐待等)」です。(「戦争の指導者」や「戦争そのもの」は対象にはならない)
そして、戦争は国家の権利である交戦権の行使であり国家の行為なので、当時はその指導者個人が責任を問われる事はありませんでした。

しかし、連合国が全ての責任を日本に押し付け、日本の指導者を処刑する為に、↓の戦犯の定義を拡大した「裁判所条例」を日本がポツダム宣言を受諾した後に作り、それによる裁判を行いました。

1946年1月19日極東国際軍事裁判所条例 発効
(ポツダム宣言の発行は7月25日→日本はこれによって裁かれる事を承知で降伏したわけではない)

日本これに対して抗議をおこないましたが、ポツダム宣言により武装解除されていた為に、抵抗できませんでした。


以上の経緯から、東京裁判は【事後法】による裁判です。
更に、審議や判決も以下のような連合国による一方的なものであり、連合国の報復感情による私刑でしかありません。

A1:判事は、国際法より連合国の意向に沿う判決を要求されていた。
(「法」以外の何かの「意向」が優先されている時点で裁判ではありません)
A2:元A級戦犯の罪状である「平和に対する罪」が戦時中には存在しない「事後法」を適用している。
A3:判事や裁判官に戦勝国側の者しかいない(裁判の公平性が保たれていない)
A4:判事に国際法の専門家は、インドのパール判事しかいない。(パール判事は、日本の無罪を主張)」
A5:実際の審理も、連合国に有利な証拠は審理が甘く、敗戦国側からの証拠や弁護は認められなかったり、却下されている。(これは、判決後、裁判に関わった者も指摘しています。)
A6:戦争を個人の罪として裁いている。





東京裁判は以上のような異常性から、日本は いわゆる元A級戦犯=冤罪の被害者 であり犯罪者としてはいません。
いわゆる元A級戦犯は、サンフランシスコ条約により主権が復活した後に、国会の決議による名誉回復をされています。(当時の社会党ですらこれに賛成でした)


↑に対して、「日本はサンフランシスコ条約で東京裁判の正当性を認めている」という意見があります。
しかし、日本が認めたのは「判決」とそれの執行に過ぎません。
「法」はそれ以上の事を要求することはできません。
それは、法は個人の思想まで強制することはできないからです。
それが許されるなら、憲法の「内面の自由」も認められないことになります。
→裁判所から「不当判決」の紙を持って走り出る事や、記者会見で不満を述べる事もできなくなります。


【戦争犯罪国はアメリカだった】(ヘンリー・S・ストークス著 ハート出版)
そこで行われた裁判は邪悪なものだった。犯罪行為だった。
戦勝国が、一方的に敗戦国を裁く事は、許されない。
戦勝国が、一方の将兵のみを戦争犯罪人として処刑することは、復習であり犯罪である。
東京裁判は、その全てが違法だった。
東京裁判が、「裁判」の名に値しないことは、誰の目にも、明らかだった。
東京裁判の誤りは、正されなければならない。

事後法で裁いた東京裁判を支持することこそ、文明への冒涜であり、復習を合法とするようなものだ。
これでは戦争が終わるどころか、殺されたら、殺し返すという社会を認めるようなもので、
「裁判所」すらいらない世界を生み出す事になる。
東京裁判を受け入れることは、そういう社会を肯定し、支持することである。
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質問の主旨を理解する読解力より、質問の目的を見抜く能力の方が重要な場合がありますね。


特にこの時期には。

一応回答はしますが、あなたの期待には応えられないかもしれません

ヒント
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11251161.html


A:>何故昭和天皇は戦犯として処刑されなかったのでしょうか?


以下の理由があります。
1:当時の国際法では、天皇と日本の戦争指導者は戦争犯罪人ではない。
2:そもそ戦争を仕掛けたのはアメリカの方。
3:1に加えてマッカーサーの都合。


どちらも長くなるの今回は1と2の説明をさせていただきます。

あなたに疑問は、国家や戦争についての無知や誤解からきていると思います。


イ:戦争について。
まず、主権の存在により、国家には自分に関するすべての事を決める権利があります。
それは、戦争をする事についても同様です。
 ↓
国家に「戦争をするな」と命令する権利や、その戦争を裁く権限のある他者は存在しない。
他国も主権により、戦争を仕掛けてきた国と戦争をする権利があります。
戦争は権利である以上責任は発生しません。


以上から、国力の差はあっても、主権を持つ国家は存在自体は対等なものであり、それらを裁けるものはいません。
それ故に戦争の処理は裁判による判決ではなく、講和条約という国家間の契約でするしかありません。
以上の理由に寄り、国家にとって「条約」とは非常に重要なものです。



ロ:戦犯について。

これも誤解している人が多いようですが、同じ理由により戦争裁判とは戦争中の国際法違反の行為(捕虜や民間人の虐待等)を裁くものであり「戦争そのもの」は対象になりません。
(戦争自体が犯罪なら、戦争のやり方を決める必要はありません)

そして「イ」により、戦争は国家の行為なので昭和天皇や日本の戦争指導者個人に責任や罪は発生しません。



ハ:アメリカが戦争を仕掛けたことについて。

日露戦争後、アメリカはロシアを破った日本を警戒するようになりました。
そして、アメリカでの日本人移民の勤勉さも恐れていました。
(大正までにカリフォルニアで開拓された農地の80%は日本人移民によるといわれています)
また、当時は世界恐慌の嵐が吹き荒れており、アメリカは大陸の市場への進出を狙っていました。
以上の理由から、アメリカは自国内では日本人移民への迫害政策を行い、支那では現地人の反日を煽る等の工作をしています。

アメリカの排外政策

1906年:アメリカは支那大陸で反日運動を煽り始める。
     サンフランシスコ大地震が起きる
日本政府は見舞金50万円(現在の10数億円に相当)を送ったが、地震調査のために渡米した博士等は投石され、日本人料理店はボイコットされる有様。
アメリカの新聞は「日本軍がハワイに上陸した」「日本がメキシコと同盟を組んだ」「日本がアメリカに最後通牒を送った」等のデマを流した。
サンフランシスコ市教育委員会、日本人と朝鮮人学童の隔離教育を決定(後に撤回)。
1907年 :サンフランシスコで反日暴動が起こり、多くの日本人が殺傷される。
1913年 :カリフォルニア州で第一次排日土地法が制定される
    (日本人の土地所有の禁止、借地期間を3ヵ年に制限等)
1920年:カリフォルニア州で第二次排日土地法成立
    (日本人の借地権や日本人移民の子供の土地所有なで禁止される
    その後、同様の法案は1924年までに10を超える州で成立。
1922年:アメリカ最高裁が黄色人の帰化権を否定。
    すでに帰化した日本人の権利まで剥奪できるとした。
これにより、WW1でアメリカ兵として従軍した日本人移民まで帰化権を剥奪される。
1924年:絶対的排日移民法成立(国家として日本人移民を拒否)


アメリカの対日制裁

1940年1月:日米通商修好航海条約破棄
    3月:蒋介石に2000万ドルの借款供与
7月:軍需資材輸出許可制交付(工作機械・原料・石油・屑鉄等の輸出が許可制になる)
11月:フライングタイガース派遣
12月:全ての鉄鋼製品・工作機械の輸出が許可制になる。
1941年7月:在米日本資産凍結
1941年8月:石油禁輸強化を発令
1941年11月:ハルノート手交


このような行為は、国際法では戦争行為とみなされます。

上記のアメリカの行為について、ローガン弁護人(東京裁判の日本側弁護人)は、

【これらの経済制裁は武力による戦争行為とかわらず、むしろより激烈なものであり、対中・対日政策は、交戦状態にある他国に対する、中立国の行為として公平なものではない】

と述べています。
パール判事(東京裁判裁判官)も同様の事を語っています。


《1:05 「国際法の基本原則によれば、もし一国が武力紛争の一方の当事国に対して、武器、軍需品の積み出し禁止し、他の当事国に対して積み出しを、その積み出しを許容するとすれば、その国は必然的に、そのその紛争に軍事干渉することになるものであり、宣戦布告の有無にかかわらず、戦争の当事国になるものである。」
(東京裁判裁判官ラダ・ビノード・パール※国際法の世界的大家)》
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マッカーサーの


新婚旅行は
戦前でしたが
日本でした

その前にも
同じ軍人であった父に連れてもらって
20代の頃に日本に来ています

戦後厚木に到着して
最初に宿舎にしたのは
新婚旅行で泊まった同じホテルでした

戦争をする前の日本を見ています

戦後の極東裁判では
天皇の死刑はほぼ決まりかけていましたが
タイムリミットで
ギリギリで
憲法の改正をすることと
天皇の人間宣言を条件に
極東裁判の判決をくつがえしました

このあたり
マッカーサーが戦前の日本を見ていることで
政治とは関係なく
処刑されなかった理由があるように感じていますが
いかが?
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マッカーサーは米政府から陛下を処刑し日本を骨抜き状態にするよう命令されました。



陛下がGHQに赴いた時、マッカーサーは(命乞いに来ただけだろう)と思っていました。

ところが、挨拶が終わり、陛下が口にした言葉が「戦争責任は全て私にある、A級戦犯は誰一人としていません」
「司令官のご慈悲の元、私の命に代えて疲弊した国民に最低でも衣食住を与えて下さい」と言ったのです。

その言葉を聞いた瞬間マッカーサーの気持ちが変わり「陛下、今あなたは興奮している、椅子に座ってコーヒーを飲んで落ち着きましょう」となだめ、この後の会見はお互い誰にも言わないという約束をした為誰も分かりませんが、最後は一緒に写真を撮り、玄関先で握手をして終わったようです。

この後マッカーサーは、今まで戦争で負けた国の指導者は、国民の信頼を失い処刑なり追放なりされて失脚するのが普通なのに、陛下は未だに国民から支持を受けている、しかも自分の命と引き換えで国民の生活を守ろうとしている、こんな指導者は見たこと聞いた事もないどころか、私の心まで鷲掴みにされた、と思ったようです。

それでマッカーサーは米政府の命令よりも陛下との約束を優先にし、陛下を生かす事で日本国民に活力が与えられ、むしろアメリカにとっても有利になると考えた様です。

それで陛下が処刑されず、A級戦犯者が身代わりになって処刑されたという事のようです。
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1,取引がありました。



 東京裁判で、日本側は反論を控えることを
 条件に、天皇の責任を追及しないことを
 米国と取引しました。

 色々悪さをして来た米国にとって
 法廷で反論されるのは困るのです。


2、社会主義の台頭がありました。

 日本の隣国として、中国、北朝鮮、ソ連があります。
 この社会主義の防波堤として、日本の地政学的地位が
 重要視されました。

 社会主義は平等を理念としますので、天皇のような 
 存在は許されません。
 天皇を存置すること、それだけで社会主義の蔓延に対する
 防波堤になったのです。

 米国は防波堤とすべく経済援助もやっています。
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あらゆる犯罪で、実質犯罪を指揮していた者が主犯です。

その他犯罪に加担した者たちは犯罪を幇助したことになります。
幇助した者たちにも罪の差があります。A級戦犯でも、笹川、児玉、小佐野のように生き残った者もいます。
幇助を強要された場合は罪になりません。
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処刑されたら祝日の天皇誕生日が無くなるから

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