ジャンヌ・ダルクの存在は、フランス史にどのような影響を与えたのでしょうか?やはり、彼女が存在したことによって、フランスが独立したりできたのでしょうか?近代国家への歩み等も含めてお答えいただけたら幸いです。よろしくおねがいします。

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A 回答 (3件)

 味方からは神託者・敵からは悪魔と思われていたとか、イギリス兵は対峙する敵にジャンヌがいるとわかっただけで逃亡した、というような記述が残っているところから見ると、イギリスとの戦いでかなり大きな役割を果たしたと言えそうですよね。


 その後のフランスの近代国家への歩みに与えた影響については、フランスの独立がなければその後の近代化も違うものになったわけですが、そういう意味での影響はちょっとこっちへ置いておきます。
 市民と呼ばれる人々が生まれてくる過程においての影響については、自らと神との間に俗世の諸権力を入れず自ら信じる道をゆくとか、自らが進む道で女性であることが障害になるなら、その範囲内では女性であることを捨てるとか、また、過去に彼女が立ち上がったことは、後の市民革命に関わった女性たちの、心の拠り所の一つになったと、私は思います。
 ありきたりのアドバイスですみません。

 なお、すでにご存じかもしれませんが、
レジーヌ・ペルヌー著、高山一彦訳「ドキュメンタリーフランス史、オルレアンの解放」白水社
レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン共著、福本直之訳「ジャンヌ・ダルク」東京書籍
とか、いいですよね。
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この回答へのお礼

またまたお答えありがとうございます。「ジャンヌ ダルク」は今まさに読んでいる最中です。(明日までに印刷しなきゃいけないレジュメの文献を今読んでいるあたり、、、)「オルレアン解放」の方は残念ながら図書館にはなく、今から買っている余裕もありません。せっかく教えていただいたのに申し訳ありません。

お礼日時:2001/08/04 03:23

<どの文献もだいたいジャンヌの軌跡とかすごさとかについて書いてあるので>


というご発言から、あなたが、すでにジャンヌに関する事実について、かなりのご見識をもっていらっしゃる、ということがうかがわれます。
 そこで、失礼ながら、ジャンヌのフランス史への影響については、ご自身で、より研究されるべきではないかと思います。
 多数派といわれる他人の解釈を簡単に受け入れるより、たとえみんなと違っていても、自分で論を立てていく醍醐味を味わうほうが、わくわくしませんか。
 ちなみに私は、エジプトのピラミッドの中の通路の天井のギザギザは、蜃気楼でピラミッドの上に上下さかさまのピラミッドがあらわれる時の階段だという少数説に賛同しています。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
〉ご自身で、より研究されるべきではないかと思います。
そうしたいのはやまやまなんですが、6日までに仕上げなければならないレジュメなんです(T_T) 私的にジャンヌについてはもういいだろうと思い、本題の魔女狩りについてのレジュメを作成していたところ、教官に「ジャンヌがフランス史に与えた影響についても調べなさい」と言われ、魔女の方も完成していないのに!!!時間がない!!!!!という状態のため、ここで教えていただこうと思ったのです。多数派の他人の解釈でも構わない、という状況です、、、なさけないのですが。どなたか教えて下さい、、、。

お礼日時:2001/08/02 22:39

 こんにちは。

そうですねぇ、ジャンヌに関してはフランスでは(海外でも)超有名人ですし、映画化とかたくさんされてますからね。逆にいえば尾ひれのついた部分もたぶんにあると思われますが(神の声が聞こえたとか、変装した王太子を見破ったなど)実在の人物ではあるし救国の英雄であることも紛れもないようですね。僕が思うのは、歴史というのは、ある危機に直面したときに何かしら神の意思のようなものが働いて劇的な変化をもたらすことがままある、ということです。この場合もそうで、あれだけ劣勢の仏軍を率いて各地で奇跡的な(当時17歳?)勝利を収め仏軍を奮い立たせたんですから、これはもう軍事的才能というよりも究極的愛国心のなせる業なのでしょう。彼女がもしいなかったら・・・なんてのはナンセンスな話なので止めましょう。確実に救国の少女ですね。彼女とアランソン公とジル・ド・レイのことを思うとちょっと切ないですね。近代国家への歩みというのは難しいのでパスします(笑)。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。うーん、ジャンヌが現在に与えた影響について教えていただけるとありがたかったです。どの文献もだいたいジャンヌの軌跡とかすごさとかについて書いてあるので、、、

お礼日時:2001/08/02 18:46

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Qジャンヌ・ダルクについて

ジャンヌ・ダルクについて

最近ヨーロッパの歴史などに興味を持ち始めジャンヌ・ダルクに惹かれました
ジャンヌ・ダルクは誰でも知っている聖人であるとだけ記憶していたのですが
百年戦争での活躍や神のお告げを聞いたり 魔女と言われてたり
有名になる要素はたくさんありますが
ジャンヌ・ダルクと日本の間には何か関わりはなかったのでしょうか?

あるいは
日本に影響を与えていたりするんでしょうか?

Aベストアンサー

ジャンヌ・ダルクは15世紀の人物で、日本は室町時代でした。
なので、直接的な関係は無いといって良いかと思います。
しかし、明治以降の日本にとっては間接的に影響を与えていると言えなくもないですね。
以下は私見ですが、参考になればと回答してみます。



ジャンヌ・ダルクがフランスも含め世間一般にも注目されるようになったのは18世紀以降のことです。
それまでの間、「忘れ去られた聖女(魔女)」の一人でしかありませんでした。

当時(18世紀)、絶対君主制の行き詰まりと国民国家の成立へと向かう時代でした。
そんな中にフランスに現れたのがフランスのナポレオンです。
彼は「プロパガンダ(政治的宣伝)」が上手で、色んな手法を通じてフランス国民をフランス国民に仕立て上げていきました。
そんな中で利用されたのが、ジャンヌ・ダルクのエピソードでした。
その後、相次いでジャンヌダルクについての本が上梓されていきます。
有名どころをあげると、

シラー『オルレアンの乙女』(1801年)
シャルル・ペギー『ジャンヌ・ダルク三幕劇』(1897年)
アナトール『ジャンヌ・ダルクの生涯』(1908年)

など、おおよそ、帝国主義とナショナリズムが台頭した時代にあたります。
パリにあるジャンヌ・ダルク像も、19世紀頃の作品だったかとおもいます。
つまり、フランス共和国という民族国家造りに利用されたわけですね。(もちろん、利用出来るだけの史料が残っているのはポイントの一つですけど。

そういった意味では、日本でもその名を冠される人がいますね。
NO1さんがあげておられる幕末のジャンヌ・ダルク新島八重(1845-1932)、東洋のジャンヌ・ダルクといわれた川島芳子(1907-1948)、などなど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A4%E4%BA%BA%E7%89%A9%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

いずれも、その時代において何かしらの功績を残した人々ですね。
ただ、いずれも「ジャンヌ・ダルク」の名を冠された裏側には「イデオロギー」的なモノが見え隠れしてますけど、、、

ではでは、参考になれば幸いです。

ジャンヌ・ダルクは15世紀の人物で、日本は室町時代でした。
なので、直接的な関係は無いといって良いかと思います。
しかし、明治以降の日本にとっては間接的に影響を与えていると言えなくもないですね。
以下は私見ですが、参考になればと回答してみます。



ジャンヌ・ダルクがフランスも含め世間一般にも注目されるようになったのは18世紀以降のことです。
それまでの間、「忘れ去られた聖女(魔女)」の一人でしかありませんでした。

当時(18世紀)、絶対君主制の行き詰まりと国民国家の成立へと向かう時...続きを読む

Q一国史は近代歴史学に影響を与えたか

タイトルの通りです。
19世紀に国民国家に基づいてできた一国史は、近代歴史学(ランケの実証主義歴史学など)に何か影響を受けたのでしょうか。
それとも、一国史は単なる歴史を見る一つの方法でしかなかったのでしょうか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>一国史は近代歴史学に影響を与えたか

古代・中世・近代という3区分を始め、時代区分というのはなかなか難しく、近代を「いつからいつまで」という共通認識を持っていないと、度々話が噛み合わなくなることがよくあります。
なので、ここでは「近代=明治~昭和初期(戦後)まで」として「一国史問題」を簡潔に述べてみます。

近代以前の歴史研究では大きな違いがあります。
それは、「時間は一方向に流れ不可逆的である」「文字史料を主に重きを置く」という「実証主義」的な認識・方法論があったかどうかという点です。
近代以降はそうした研究方法と認識を持つことが「科学的・実証的」なものであるとしています。
それ以前は、あまりそうした意図を持たずにつづられた物が殆どです。
それは当然のことであり、上記のような時間認識や研究方法は明治期に西洋歴史学を取り入れた為であり、そうした意味では近代以前と以後とでは大きく異なります。
つまり、日本歴史学も良くも悪くも「ランケの実証主義歴史学など」に多大な影響を受けています。(ランケとならんで、マルクス歴史学にも大きく影響を受けています)

明治期の日本は、欧米列強に追いつけ、追い越せというのが国是となっていました。
その一つとして、「天皇を頂点とする永い伝統(=歴史)を持つ国家」を主張するために歴史編纂が行われました。
その代表的なモノとして「明治政府の修史事業」というのがあります。
この事業が行われた裏には、「西洋歴史学」に対抗すべく、西洋的な意味での「歴史(記述)」がまだ日本にない事に危機感を持った事があげられます。
そして、主に儒学系知識人が中心となり編纂されていきます。
彼らは、西洋の歴史書から学び取り、その知識を生かして「正史」を作り上げていきました。
もちろん、そうした「正史」に対して反対を唱える知識人もおり、現在ほどでないにしろ、闊達な議論がかわされていました。
とわいえ、色々と紆余曲折があり、現在は国による「正史編纂」は行われていません。
ただ、「教科書検定問題」に代表されるように、ある程度国家側も携わっていますが。

結論としては、「一国史は近代歴史学に影響を与えた」のではなく「近代歴史学のもと一国史が編纂された」となるかと思います。


>それとも、一国史は単なる歴史を見る一つの方法でしかなかったのでしょうか


「一国史」という見方は、現在の「国家」を一つの単位として、その内部だけで簡潔するような「歴史記述」です。
「内部だけで完結する」ということは、当然「日本の外の歴史」は無視されるか「日本側から観た歴史」として記述される事になります。
これは、ドイツ史、フランス史、イギリス史などの各国史も似たようなモノです。
ということで、この問いに対する回答は、

「一国史は歴史を観るときの一つの見方である。しかし、多くの場合、現在の国家・民族というアイデンティティーでもって歴史を観る(記述する)」

となるかと思います。
ではでは、参考になれば幸いです。

>一国史は近代歴史学に影響を与えたか

古代・中世・近代という3区分を始め、時代区分というのはなかなか難しく、近代を「いつからいつまで」という共通認識を持っていないと、度々話が噛み合わなくなることがよくあります。
なので、ここでは「近代=明治~昭和初期(戦後)まで」として「一国史問題」を簡潔に述べてみます。

近代以前の歴史研究では大きな違いがあります。
それは、「時間は一方向に流れ不可逆的である」「文字史料を主に重きを置く」という「実証主義」的な認識・方法論があったかどう...続きを読む

Qジャンヌ・ダルクについて。

ジャンヌ・ダルクの伝記や文学などが最初に出たのは何年頃なのでしょうか?1456年に処刑されてから、20世紀のバチカンまでの間のジャンヌの経歴を知りたいです><

Aベストアンサー

一般論ですが、全国(全フランス)的にヒューチャーした
最初の人物はナポレオンであったとされます。
彼がジャンヌ・ダルクを持ち出したのはナショナリズム高揚のため。
それまではあくまでもローカルなヒロインにすぎなくて
一部の地域で(生まれ故郷とオルレアン近郊)しか知られてもいませんでしたが、
それは当時としては自然です。
何しろテレビもラジオも無い時代ですから情報は限られます。

それ以前は、シェークスピアがヘンリー6世で”魔女”として描いてます。
ただし公平を期すためにいうと、シェークスピアはフランス人のセリフとしてですが
黒太子も悪魔と評してますから、特別悪く言うつもりはなかったように思います。
当時の一般的イメージが反映しただけでしょう。

一般に登場しだすのは、19世紀になってから。
1850年代になると、もう国民的英雄というベタなイメージが定着していたといっていいでしょう。
もともとフランス(という国家)を擬人化したものが女性なので
そういうかねあいから自然にうけいれらたんでしょうね。

20世紀になってから聖人に列せられたのは、
完全に教会の露骨な人気取り政策でかなり浅ましいものです。
カトリックでは女性をいまだに不浄としているのにね。

一般論ですが、全国(全フランス)的にヒューチャーした
最初の人物はナポレオンであったとされます。
彼がジャンヌ・ダルクを持ち出したのはナショナリズム高揚のため。
それまではあくまでもローカルなヒロインにすぎなくて
一部の地域で(生まれ故郷とオルレアン近郊)しか知られてもいませんでしたが、
それは当時としては自然です。
何しろテレビもラジオも無い時代ですから情報は限られます。

それ以前は、シェークスピアがヘンリー6世で”魔女”として描いてます。
ただし公平を期すためにいうと...続きを読む

Qジャンヌ・ダルクの塔について

ジャンヌ・ダルクの塔にジャンヌは幽閉されていると聞いたのですが、具体的に塔のどの部分に幽閉されていたのでしょうか。
塔の一番上でしょうか、それとも全く違うところなのでしょうか…
回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

推測ですので、本当のところは今の時代になってしまったら真実もあいまいになってしまうのでしょうけど、塔の上の方だという見解が多いみたいです、その理由としては塔の入口や塔の下の方に幽閉されていたのだとすれば、門番や他の警備をしている人の邪魔になりますよね!

従って、おそらくは上の階だと考えるのが一般的みたいです。

塔の内部の2階はかなり狭くなっていましたので、おそらくは?
窓のある2階部分ではなかったのかと思われます。
(多くの写真には塔の上の部分には窓が無いようにも撮影をされてはおりますが内部から撮影された部分の写真もありますのでご参考までに)

http://www.ilyfunet.com/par-ci-par-la/voyage/652_sp.html?page=2

ナポレオンも英雄ならジャンヌも今となっては英雄ですけど、それぞれが同じような運命を辿るとは、当時の人は想像もしていなかったのことなのかもわかりませんね? 

参考URL:http://www.ilyfunet.com/par-ci-par-la/voyage/652_sp.html?page=2

推測ですので、本当のところは今の時代になってしまったら真実もあいまいになってしまうのでしょうけど、塔の上の方だという見解が多いみたいです、その理由としては塔の入口や塔の下の方に幽閉されていたのだとすれば、門番や他の警備をしている人の邪魔になりますよね!

従って、おそらくは上の階だと考えるのが一般的みたいです。

塔の内部の2階はかなり狭くなっていましたので、おそらくは?
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(多くの写真には塔の上の部分には窓が無いようにも撮影...続きを読む

Qジャンヌ・ダルクについて詳しい書籍、ウェブサイト

最近ジャンヌ・ダルクに興味がありいろいろ調べまわっているのですが、なかなか彼女のことを詳しく記したサイトに出会うことができません。
大方の歴史たけに留まらず、そのとき何が起きたのかや、ジャンヌの周りの人物、ジル・ド・レやラ・イールについても詳しく載っている書籍やウェブサイトをご存知でしたら教えてほしいです。

Aベストアンサー

私も彼女について興味があり数冊の本を持っています。
詳しいのは、創元社から出版されている「知の再発見」双書シリーズの「奇跡の少女ジャンヌ・ダルク」です。これは絵や写真など多くの図版が載っていてとてもおもしろいです。ジル・ド・レやラ・イールについての記述もあります。
あとは藤本ひとみさんの歴史エッセイ、「ジャンヌ・ダルクの生涯」(中公文庫)です。これは歴史書とはまたちがった観点から書かれていてとても興味深いです。
ウェブサイトのほうは調べたことがないのでわかりません。ごめんなさい。でも、ウィキペディアとかで詳しく書かれているんじゃないでしょうか?


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