出産前後の痔にはご注意!

特殊な変化を起こす二例について仮説です。不案内ですが 図解を見てみてください。


《く(来) / くる(来る)》の活用形が どのように生成したか。


原形:0(ゼロ): kö
・ 法活用:活用形 強変化(ⅰ) R‐派生  強変化(ⅱ) 混合変化(ⅱ) 混合変化(ⅲ)
Ⅰ(不定法:未然形) ka    kö-ra    kö      kö         ko
Ⅱ(条件法:已然形) kä    kö-rä    kä      körä > kure     kure
Ⅲ(概念法:連用形) ki    kö-ri    kö      kö > kö-i > ki   ki
Ⅳ(命令法:命令形) ke   kö-re / kö-yö ke      köyö        koy
Ⅴ(連体法:連体形) kö-    kö-rö-   kö-       kö- > kuru-     kuru-
Ⅵ(存続法:終止形) ku    kö-ru    ku      ku         kuru
語例 ・ ・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来・・・・・・・・来ル
活用形式 ・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・二次・オウ二段・・・二次・オウイ三段




《す(為) / する》の活用形式の生成

原形:0  sö
・強変化 R‐派生  強変化 混合変化(ⅱ) 混合変化(ⅳ) 混合変化(ⅰ)
Ⅰ sa   sö-ra     sö   sö > sä     si / se     si
Ⅱ sä   sö-rä     sä   sö-rä > sure   sure       sire
Ⅲ si   sö-ri      sö   sö / si     si       si
Ⅳ se   sö-re / sö-yö se   söyö > säyö   seyo      siyo / siro
Ⅴ sö-  sö-rö-     sö-   sörö- > suru-  suru-     siru-
Ⅵ su   sö-ru     su   su        suru      siru
語例・ ・ ・ ・・・・・・・・ス・・・・・・・スル・・・ *シル
活用形式 ・ ・ ・・・・・・・・オウ二段・・・・・エウイ三段・・・イ一段




☆ ひじょうに端折った言い方になりますが このようにかなりの程度に
おいて恣意的な活用形式をつくっているとしたら 文法というものは き
びしく守ることを前提とした《規範》ではない――と考えられますが い
かがでしょうか?

A 回答 (4件)

No.2 へのお礼に答えて



>文法がむしろきわめて流動的でさえあるということ。このことを問うものです。

先の引用の続きを掲げておきましょう。

 ところが、言語表現に必要な語法・文法などの規範は、鉄道やバスの運転に必要な規範に比較すると、成立のしかたも現象形態も異っている。語法・文法は時刻表とちがい、運転をはじめるに先だって目的意識的に作り出されるものではなく、表現生活の中で自然成長的に体系化していくものである。もちろん、言語が生れると「命名」ということが行われ、これは目的意識的に規範をつくり出すことではあるが、これは各個人が目的的につくり出すにとどまって、時刻表のように規範全体が統制・支配の下におかれているわけではない。

それゆえ言語規範全体はやはり自然成長性にゆだねられているものといわなければならない。ある集団が、その中で通用する特殊な語法をつくり出し、いわゆる隠語を使う(3)ことも自由であり、これがその集団の枠をはみ出してひろく国民全体に使われるようになったとしても、別に禁止されるわけではない。テレビのコメディアンが、アドリブで「新語」をつくり出すと、それがたちまちに流行したりしている。これらを見ると、まったく恣意的(しいてき)につくり出せるもののようにも見えるのである。

また、運転に必要な規範は、実際の運転のありかたを見てそこから読みとることもできないではないがふつうはそんな手数のかかることはしない。書店から時刻表を買ったり、駅や停留所に掲(かか)げてあるのを見たりして、覚えるのである。しかしながら言語表現に必要な規範は、まだ幼いときから日常生活の中で聞いたり話したり読んだり書いたりする訓練を受け、実際に表現についての経験を重ねるうちに、いつしか身につくという方法をとっている。もし規範を忘れたときには、家族にそのものを何とよぶのかそのことばは何をさすのかたづねて、このむすびつきを教わることから規範をとらえなおすのがふつうである。

けれども、この幼いときの訓練で身につけることのできる規範は、全体のわずかの部分でしかない。子どもにとって「むずかしい」多くのことばは、学校教育の中で教えたり、規範について記した印刷物から読みとらせたり、しなければならない。それに、「やさしい」ことばも、経験のままに放任するのではなく、正しい発音や意味や使いかたや書きかたを示してやることがのぞましい。それゆえ運転に必要な規範である時刻表と同じように、言語表現に必要な規範を知るための手びきとなる特殊な書物が編集され、印刷され、書店で売られるようになった。これが辞書である。
(三浦つとむ『認識と言語の理論 第一部』 p.180 )
http://okrchicagob.blog4.fc2.com/?tag=%E8%AA%8D% …
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早速の応答をありがとうございます。



>ぢゃあ 日本人がその名前をローマ字で書いたら どうなりましょう
か?

どうもなりません。
日本語の音韻のローマ字への変換規範に従わねばなりません。

本当に、規範ということが理解できていませんね。

ソシュールの音声第一主義に毒されています。■
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本質問者には、言語が話者の認識の表現であり、規範を媒介とした概念認識の表現であるという言語本質の理解が欠けており、いつも言語事実の現象/形式を問題にするだけで、それで足りない場合は機能で補填するだけで、言語本質に一歩も迫ることなく、本質の廻りを巡っているだけの論を飽きずに展開しています。



本活用の理解も、音韻規範を無視した形式的な分解で、ソシュールパラダイム下の誤った形式主義的な解釈を拾い挙げているに過ぎないことを自覚しないと言語事実には向き合えません。■
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この回答へのお礼

この質問は ひじょうに説明が少なく きわめて横着なものです。


ですが 説明をし出したなら 一件4,000字分を 四・五回必要と
するかに思われます。

ですから 回答者の方々にお願いするのですが どうか 図解とし
っかりと にらめっこして 言わんとするところを捉えてみてくだ
さい。




そしてこの質問の直接の意図は 文法がむしろきわめて流動的でさ
えあるということ。このことを問うものです。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/09/05 22:14

いつもの誤った言語観による誤解です。



活用というのは、次に続く語による単なる形(形式)の変化で、意義が変化するわけではありません。
自然成長的な規範です。

これは、内容と形式の矛盾で、相対的に独立しており、固定しているものではありません。
時間的に変化します。

「来る(口語)」の活用は、
未然形-こ
連用形-き
終止形-くる
連体形-くる
仮定形-くれ
命令形-こい

で、この「こ」が日本語の規範としての音韻で、これを「ka」や「ko」と音素に分解しても何の意味もありません。
「k」は単なる物理的な音で日本語の音韻ではありません。

示された図解は、日本語の音韻とは関係のない無意味な単なるお遊びということです。■
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この回答へのお礼

ぢゃあ 日本人がその名前をローマ字で書いたら どうなりましょう
か?



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/09/05 22:08

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