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こんばんは、文の成分と連文節についての質問を二点させて下さい。



文の成分において、連体修飾語または連体修飾部は存在しないということが言われていますが、
その理由には「連体修飾語または連体修飾部は単独で文の成分にはならず、他の語と必ずついて文の成分になるからだ」とネットでそのような意見を、多くの方が言われていました。

そこで質問をさせて頂きたいのは、

1.「あの場所にずっと屯なんてしている暇はなかった。」という文がある場合に意味で考えれば「あの場所に」は「屯」を修飾しさらに「屯なんて」までで修飾部になると思います。しかし、連文節として考えた場合に「ずっと」という副詞があるので「あの場所に」と「屯なんて」は一つの連文節として連結しないと考えています。この場合、「あの場所に」は連体修飾部になるのではないのでしょうか?

2.「俺は恋をした。」という文がある場合に、「恋を」は修飾語とされ述部の成分にはなれないと恐らくはされていますが、それはなぜなのでしょうか?。連用修飾語は単独でも文の成分になれるからという説明は読みました。「あの人はハードボイルドな人だ」の「ハードボイルドな人だ」は「連体修飾語」+「人だ」述部になるという理由も納得出来ません。



ご回答頂けると幸いです。

A 回答 (12件中1~10件)

お示しになったサイトを拝見しての私見です。



1.「あの場所にずっと屯なんてしている暇はなかった。」
>この場合、「あの場所に」は連体修飾部になるのではないのでしょうか?:

「に」は着点の意義を持つ格助詞なので、(名詞ではなく)動作・状態に接続します。
「あの場所に」という連文節は「屯なんてしている」という連文節にかかる連用修飾部です。
「ずっと」は「屯なんてしている」にかかる連用修飾語。
「あの場所に」は、「ずっと屯なんてしている」という連文節にかかる連用修飾部。
「あの場所にずっと」を「屯なんてしている」にかかる連用修飾部、と捉えても良いのではないかと思います。
いずれにせよ、
「あの場所にずっと屯なんてしている」という連文節は、「暇」という主部にかかる連体修飾部。
「あの場所にずっと屯なんてしている暇は」という連文節は主部。

2.
a.「俺は恋をした。」

>「俺は恋をした。」という文がある場合に、「恋を」は修飾語とされ述部の成分にはなれないと恐らくはされていますが、それはなぜなのでしょうか?。

「文の成分」ではないから、ということのようです。
因みに「文の成分」とは、【文を直接に組み立てている各部分のことを文の成分】のこと。
詳しく書かれている箇所を以下(※)に抜粋します。
下記のような認識に基づき、
【③ 修飾語(修飾部)…述語(述部)をくわしく説明する部分。】
と規程しているようです。

※【例】僕は、やらわかい ソファーの 上に 座った。

この例文は、「僕は」「やわらかい」「ソファーの」「上に」「座った」という五つの文節から成り立っています。
それぞれの文節の働きを見ると、「僕は」が主語、「やわらかい」「ソファーの」「上に」がそれぞれ修飾語、「座った」が述語であるとわかります。

これらのうち、「やわらかい」は「ソファーの」に係かかって連文節となり、さらにその連文節が「上に」に係ってより大きい連文節となります。
したがって、最終的に文を直接に組み立てられる段階までに文節をまとめ上げた部分は、「僕は」「やわらかいソファーの上に」「座った」の三つになります。
このような、文を直接に組み立てている各部分のことを文の成分と呼びます。※

b.「あの人はハードボイルドな人だ」

>「ハードボイルドな人だ」は「連体修飾語」+「人だ」述部になるという理由も納得出来ません。
:
「あの人」を「は」によって主題提示している文です。

・あの人について言ってみれば、(彼は)ハードボイルドな人だ。

という構文です。
「ハードボイルドな」は形容動詞連体形なので「連体修飾語」であり、「人だ」を修飾している。
「ハードボイルドな人だ」という連文節が述部になります。
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>つまり、文の成分において、連用修飾語または連用修飾部も存在しないということでしょうか?


それか、連用修飾語または連用修飾語は述部になることも可能であり、述語と離れている場合は修飾語、修飾部になれるということでしょうか。

先ず、前提を理解しておく必要があります。
文は、話者の個別認識の表現で、語を含む文法(規範)を媒介とした表現です。この媒介の構造を捉え、話者の認識の運動を捉えなければなりませんが、この媒介の構造が捉えらえないと、結果としての表現された文を形式的、平面的に図式化し理解する他ありません。

そのための、単位が文節で、さらに、これにより文の構造を、平面的、形式的に分割しなければなりません。したがって、語による展開ではなく、文節を単位とした文の構造の枠組が必要になります。それが、文の成分です。

先の定義に従い見てみましょう。
■ 文の成分とは、文を直接に組み立てている部分を言う。

この部分というのは、文節(語ではなく)とそれを組み合わせた連文節という単位になります。文の成分が1【文節】であるときは「―語(ご)」と呼び、二つ以上の文節(連文節)であるときは「―部(ぶ)」と呼びます。

そして、枠組は、

■ 文の成分とは、文を直接に組み立てている部分を言う。
文の成分には、次のような種類がある。
① 主語(主部)…文の主題を示す部分。
〔冷たい 風が 吹く。〕
② 述語(述部)…主語(主部)について述べる部分。
〔虫が 鳴いて いる。〕
③ 修飾語(修飾部)…述語(述部)をくわしく説明する部分。
〔彼は、とても 速く 走れる。〕
④ 接続語(接続部)…前後をつなぐ働きをする部分。
〔天気が よかったので、買い物に 出かけた。〕
⑤ 独立語(独立部)…文中のほかの部分から独立している部分。

です。これだけしかありません。

>つまり、文の成分において、連用修飾語または連用修飾部も存在しないということでしょうか?
それか、連用修飾語または連用修飾語は述部になることも可能であり、述語と離れている場合は修飾語、修飾部になれるということでしょうか。

⇒「③ 修飾語(修飾部)…述語(述部)をくわしく説明する部分。」しかありません。
これを、連用修飾語または連用修飾部と呼べば存在することになりますが、用語としては明確ではありません。

>「あの場所にずっと屯なんてしている暇はなかった」の文ですが、「あの場所に」と「ずっと」と「屯なんて」には文節同士の関係は無いように思えますがそれも連文節となるのでしょうか。

「あの場所に」「ずっと屯なんて」「している暇は」「なかった」が文節なので、「「あの場所にずっと屯なんてしている暇は」が連文節としての主部で、「なかった」が述部になります。名詞句+付属語である副助詞「は」で文節になります。

>あの」と「美しい」が間に並列助詞を省略して並列で並んで連文節になり

「あの」は学校文法では連体詞(正しくは連体的代名詞〔関係詞〕)、「美しい」は助動詞連体形で、共に女を修飾し「あの美しい女は」が主語(部)になります。並立して名詞「女」の話者との関係と属性を表わしています。「あの美しい女【は】」が文節になります。

◆連文節がどのような働きをするかは、連文節の最後の文節の働きによって決まります。
「女【は】」が主語。

しかし、下記の二つの【】内の定義が混乱の元です。
語と文節と文を平面的、機械的に分け、語と文の媒介の関係が捉えられないため、次元が異なる語、文節の関連が捉えられずに形式的な定義をせざるを得なくなります。

文の成分

文の成分としての修飾語(修飾部)は、つねに用言を修飾します。
連体修飾語は、つねに文の成分の一部であって、それだけで【文の成分としての修飾語(修飾部)になることはありません。】
(例)これは 有名な 絵です。→「有名な絵です」で、述部になる。/

文節相互の関係

(2) 修飾しゅうしょく・被ひ修飾の関係
ほかの文節をくわしく説明する(修飾する)文節を修飾語と呼び、説明される文節を被修飾語と呼びます。
そして、修飾語と被修飾語との結びつきの関係を修飾・被修飾の関係と呼びます。
(修飾語についてくわしくは、「文節の働き(2)修飾語」のページを参照してください。)
【例】小さな 修飾語  花が 主語  たくさん 修飾語  咲く 述語 。
この例文では、「小さな」と「たくさん」が修飾語であり、「花が」と「咲く」が被修飾語です。「小さな」が「花が」を修飾し、「たくさん」が「咲く」を修飾しています。
「花が」は主語であり、「咲く」は述語ですが、それぞれ「小さな」「たくさん」との関係では被修飾語になります。

ところで、修飾語には、体言を含ふくむ文節に係かかるものと用言を含む文節に係るものとがあります。
体言を含む文節に係る修飾語を【連体修飾語】と呼び、用言を含む文節に係る修飾語を連用修飾語と呼びます。
上の例文で、「小さな」は「花が」という体言(花)を含む文節に係っているので連体修飾語であり、「たくさん」は「咲く」という用言の文節に係っているので連用修飾語です。/

「係る文節」、あとの文節を「受ける文節」と修飾の関係もあまり明確ではないですね。修飾というのも形式的な捉え方で、内容が問題なのですが、拡大解釈すれば、主述も修飾ということになります。このように、本質ではなく形式/機能により言語、文法を解釈するのが現在の言語論の現状です。

語、部が種々の単位、段階で不分明に使い分けられ、統一した定義になっていない(できない)、ところに媒介の関係が捉えられない形式主義/機能主義的な言語観の限界があります。■
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この回答へのお礼

回答有難うございます。少しだけ延長させて頂きたいです。

>「あの場所に」「ずっと屯なんて」「している暇は」「なかった」が文節なので、

「なかった」以外は連文節ではないでしょうか?
一つ前の質問の意図は「ずっと」は「屯なんて」ではなく「なかった」を修飾していると思うのですが、そうなると「あの場所にずっと屯なんて」は連文節ではなくなるのではないかということでした。

>「あの」は学校文法では連体詞(正しくは連体的代名詞〔関係詞〕)、「美しい」は助動詞連体形で、共に女を修飾し「あの美しい女は」が主語(部)になります。並立して名詞「女」の話者との関係と属性を表わしています。「あの美しい女【は】」が文節になります。

「美しい」は形容詞連体形でしょうか?



言語って本当に文脈次第だなと思いました。

例えば「美しい人が居る」という文がある時、これを単文か複文か重文かを答える時、
「美しい人」が固有名詞の場合は単文ですし、美しいの前に主語が省略されてると考えれば(例えば、「瞳が美しい人がいる」など)複文になると言えると思うのです。

お礼日時:2019/09/11 12:52

いっそのこと あたらしい文法を考え出してみてください。



試案です。

1. 文は 話し手の思想をあらわし 基本の形として三項形式で次のようになる。

  文=主題 T1 +主題 T2 +主題 T3(=論述 P )

2. 主題は ふつう 第一主題と第二主題とがある。

  T1- ハ T2-ガ・・・となる。

3. 主題には 体言を当てる。論述主題( Tn=P )には 用言を当てる。

4. 体言とは もの・こと・さまを モノと見立てた言葉である。

5. 体言が コトをおこせば 用言となる。〔おや(親)>おゆ(老ゆ)〕

6. 体言と用言とで 次の形態を成す。

  T1- ハ T2-ガ T3‐なり。/ T3‐する。

7. 簡単にして次のように表わす。

  A‐ハ B‐ガ C‐ナリ。 / C‐スル。


8. ここですでに 文の成分および品詞を区分しまとめてみます。

( a ) 主題: 体言

( b ) 論述: 用言
     ( b-1 ) 動態用言(動詞)
     ( b-2 ) 状態用言(形容詞) 

( c ) 条件詞:
     ( c-1 ) 主題条件(連体修飾)
     ( c-2 ) 論述条件(連用修飾;副詞)
     ( c-3 ) 文条件 (接続詞)
     ( c-4 ) 超文条件(間投詞)

( d ) 主題格活用:ハ格・ガ格;ノ格;ヲ格・ニ格;ヨ格・・・

( e ) 用言の法活用: 不定法(未然形)・条件法(已然形)・・・・

( f ) 用言を補充する用言:補充用言(助動詞)




【Q:日本語の文法をあらたに考える。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11268903.html
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なお、若干補足させていただきます。



先に紹介した論文が群化を提唱していますが、残念ながらこれで問題が解決できるわけではありません。

文節というのは、竹の節のように固定した形式的な区分で、竹は根から養分を得て成長するように、固定した形式ではありません。

文も単なる形式ではなく、立体的、重層的な話者の個別認識に対応しており、この認識の科学的な運動を捉えなければなりません。

これを明らかにしたのが、橋本進吉の教え子で、東大の国語学教室を引き継いだ時枝誠記の言語過程説です。

時枝は、客体的表現(いわゆる自立語)と主体的表現(いわゆる付属語)の入れ子型構造を提起し、さらに話者の認識の運動を明らかにしたのが、三浦つとむの『認識と言語の理論 1~3』他です。

このダイジェスト版とでも言うべきものが『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)で、学校の図書館にもあると思いますので、参照下さい。■
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質問をいただき少し調べてみました。


当方も慣れない内容で若干独断の誤りがあるようです。
連文節については、やはり教育側にも相当の混乱があり最後に挙げた論文のように問題視されています。

しかし、橋本文法はあくまで文節中心のため、この点を考慮する必要があります。
先の、
https://www.kokugobunpou.com/%E6%96%87%E3%81%AE% …

の文の成分の解説を見ると、

それぞれの文節の働きを見ると、「僕は」が主語、「やわらかい」「ソファーの」「上に」がそれぞれ修飾語、「座った」が述語であるとわかります。

のように、「僕は」が主【語】になっています。通常「語」といえば、「僕」「が」が語ですが、文節単位の発想では、句である「僕は」が文節であり文の成分ということになります。<主語(主部)>と書かれているように、「主部」でもあるという曖昧な定義で、この点も下記の論文他が問題にしています。さらに、これを二つ以上組み合わせたのが連文節ということになります。

したがって、

連体修飾語は、つねに文の成分の一部であって、それだけで文の成分としての修飾語(修飾部)になることはありません。
(例)これは 有名な 絵です。→「有名な絵です」で、述部になる。

の解釈ですが、「有名な 絵」は名詞句ですが、文節、文の成分という発想からは、名詞句や名詞節は文節、文の成分ではなく、単に語(句)のレベルでしかなく、付属語である助動詞「です」とセットで、文節、文の成分、さらに連文節ということになります。

そうしないと、「です」や「に」「を」などの付属【語】が宙に浮き、文節に取り込めないからです。

これが、「文の成分において、連体修飾語または連体修飾部は存在しない」という意味の内実です。

したがって、連用修飾も、

③ 修飾語(修飾部)…述語(述部)をくわしく説明する部分。
〔彼は、【とても 速く】 走れる。〕

のように、「とても 速く」のような句、文節単位になります。この述部も実際は時枝文法が明かにしたように「彼は、【とても 速く】 走れる■。」のように零記号の判断辞があり、文節となっています。「走れ【ます】」のように丁寧表現になると「ます」の肯定判断辞が顕れます。

こうした解釈によれば、

1.「あの場所にずっと屯なんてしている暇はなかった。」

は、「あの場所にずっと屯なんてしている暇は」が連文節の主部で、「なかった」が述部になります。したがって、「あの場所にずっと屯なんてしている」は連文節ではなく、文の成分で独立語(独立部)とした方が良いような気がしますが、判断が分かれるところですが。

2.「俺は恋をした。」は、

【例】僕は、やらわかい ソファーの 上に 座った。
この例文は、「僕は」「やわらかい」「ソファーの」「上に」「座った」という五つの文節から成り立っています。
それぞれの文節の働きを見ると、「僕は」が主語、「やわらかい」「ソファーの」「上に」がそれぞれ修飾語、「座った」が述語であるとわかります。

に倣えば、「僕は」が主語、「恋を」は修飾語、「した」が述語になります。
「した」は動詞「する」+過去の助動詞「た」で、一文節。
この場合、連文節はありません。

>「あの人はハードボイルドな人だ」

は、「あの人は」が主語、「ハードボイルドな人だ」が連文節の述部ということになります。

>「あの美しい女は誰だ」

は、「あの美しい女は」が主部で、連文節、「誰だ」が述語(部)になり、「あの美しい」は並立の関係の連文節では。

(2) 並立の関係や補助の関係にある文節どうしは、つねに連文節になる。
〔サンショウウオと カエルが](並立の関係) 閉じ込められた。〕
より。

このように、語の分割と、文節単位の分の成分、連文節を分けて考えないと混乱する気がします。(非常に紛らわしいのですが。)

「連文節」と「文節の群化」
―国語教育における文法教育との関わりから―
http://trail.tsuru.ac.jp/dspace/bitstream/trair/ …

また、「学校文法における文の成分と文節」を検索、参照下さい。

教科書による定義、説明の相違にも触れています。◆
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この回答へのお礼

アスナロウ様

ご回答有難うございます。本当に助かります。


>したがって、連用修飾も、

③ 修飾語(修飾部)…述語(述部)をくわしく説明する部分。
〔彼は、【とても 速く】 走れる。〕

のように、「とても 速く」のような句、文節単位になります。この述部も実際は時枝文法が明かにしたように「彼は、【とても 速く】 走れる■。」のように零記号の判断辞があり、文節となっています。「走れ【ます】」のように丁寧表現になると「ます」の肯定判断辞が顕れます。

つまり、文の成分において、連用修飾語または連用修飾部も存在しないということでしょうか?
それか、連用修飾語または連用修飾語は述部になることも可能であり、述語と離れている場合は修飾語、修飾部になれるということでしょうか。

>こうした解釈によれば、

1.「あの場所にずっと屯なんてしている暇はなかった。」

は、「あの場所にずっと屯なんてしている暇は」が連文節の主部で、「なかった」が述部になります。したがって、「あの場所にずっと屯なんてしている」は連文節ではなく、文の成分で独立語(独立部)とした方が良いような気がしますが、判断が分かれるところですが。


「あの場所にずっと屯なんてしている暇はなかった」の文ですが、「あの場所に」と「ずっと」と「屯なんて」には文節同士の関係は無いように思えますがそれも連文節となるのでしょうか。


しかし、「あの場所にずっと屯なんてしてる」は複文の名詞節でもあり、内部に連文節があって、一部が外部にも連文節を作っていると考えると複雑ですね。その上独立語と考えることが出来るとなると非常に各人の定義が拠り所になりますね。

>は、「あの美しい女は」が主部で、連文節、「誰だ」が述語(部)になり、「あの美しい」は並立の関係の連文節では。

(2) 並立の関係や補助の関係にある文節どうしは、つねに連文節になる。
〔サンショウウオと カエルが](並立の関係) 閉じ込められた。〕
より。

有難うございます。非常に納得しました。「あの」と「美しい」が間に並列助詞を省略して並列で並んで連文節になり「女は」を連体修飾して主部になるとアスナロウさんの説明を受けて解釈しました。



これで恐らく最後の質問とさせて頂きます。

私も、しっかりと本や論文から学びます。

ご回答有難うございます。

お礼日時:2019/09/10 12:44

#6 の応答の答えて



>私は「なんて」を副助詞として捉えているので「屯なんて」を(屯+服助詞で分節が一つなので)連用修飾「部」ではなく「語」として捉えています。

失礼しました。
「たむろする」で動詞とうっかり捉えたので、「て」接続助詞などと誤ってしまいました。
「屯なんて」は、名詞「屯」+副助詞「なんて」ですね。

そして、「している」を修飾する連用修飾部になります。
それは、

「やわらかい」は「ソファーの」に係かかって連文節となり、さらにその連文節が「上に」に係ってより大きい連文節となります。

という定義にしたがってです。

ただ、あくまで、「あの場所にずっと屯なんてしている」という名詞「暇」の連体修飾節という連文節ではない節の内部のということになりますが。

でも、連体修飾節は連文節とはしないという定義は形式的で奇妙ですね。■
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この回答へのお礼

アスナロウ様

ご回答有難うございます。随分と考え込んでいて、お礼が遅れてしまい申し訳ありません。

学校文法を土台にする時は何故連用修飾語の場合、述部として認められないのか。そして連体修飾語は「修飾語や修飾部」にならないのか、おかしさを持たずにはいられません。

お時間がある時に考えていただきたいのですが。質問をさせて頂きたいです。

>そして、「している」を修飾する連用修飾部になります。

私は、屯なんて(1文節)をしているに掛かる連用修飾語になると考えています。部と捉えるのは何故でしょうか。

>ただ、あくまで、「あの場所にずっと屯なんてしている」という名詞「暇」の連体修飾節という連文節ではない節の内部のということになりますが。

でも、連体修飾節は連文節とはしないという定義は形式的で奇妙ですね。■

連体修飾節は複文の中の文の定義であって、節全体ではなく、節の中の一部分が必ず連文節になると思うのですがどうでしょうか。
例えば、あの場所にずっと屯なんてしている(連体修飾節)+暇は無い。とありますが。している+暇は連文節になる。だから連体修飾節として機能出来るのかと考えました。

もうひとつ、連文節を調べていくうちに何を連文節と捉えるのか学校文法とその他で定義が変わってしまうと認識したのですが、学校文法に合わせた時は「あの場所にずっと屯なんてしている」はずっとが入ってるので「あの場所に(修飾部)/ずっと(修飾語)/屯なんて( 修飾語)/している(述語)」という連文節一つと文節2つからなる連体修飾節として捉えていいのでしょうか。


最後に、連体修飾語が必ず連文節を構成すると考えた時、「あの美しい女は誰だ」といった文の場合、「あの」という連体詞は美しいが間に入っているから連文節になることは出来ずこれはやはり例外になるのかと考えました。アスナロウさんだったらどう解釈されますか?


長々と付き合って頂き有難うございます。お時間があれば回答宜しくお願い致します。

お礼日時:2019/09/09 18:13

#5 の質問に答えて



1.(屯なんて)は「している」の修飾語で宜しかったでしょうか?

「屯なんて」の「て」は学校文法では接続助詞としているので、接続部になります。

2.
「ハードボイルドな」は連体修飾語(連体修飾部ではなく)で最終的な文の成分として述部になる。』で宜しかったでしょうか?

「(ハードボイルドな)人」が名詞句で、「(ハードボイルドな)人だ」が述部になります。

「ハードボイルドな」は学校文法の定義からはいわゆる一語の形容動詞で、被修飾名詞「人」の連体修飾語になります。したがって連文節ではありません。

先の、

連体修飾語は、つねに文の成分の一部であって、それだけで文の成分としての修飾語(修飾部)になることはありません。
(例)これは 有名な 絵です。→「有名な絵です」で、述部になる。

という定義によれば、「ハードボイルドな人だ」が述部になります。

「ハードボイルドな」は連文節ではないので、上の定義ではなく、連文節を無視し「絵です」を述部とするのであれば、「人です」が述部になります。

この辺は、定義の問題になります。

「です」「だ」は肯定判断(指定)の助動詞です。

なぜ連用修飾だけを連文節とし、連体修飾は連文節としないのかの理由は未確認です。■
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この回答へのお礼

有難うございます。ご回答頂けたことが非常に嬉しいです。

おっしゃる通り最後は「定義」の問題になりそうですね。

私は「なんて」を副助詞として捉えているので「屯なんて」を(屯+服助詞で分節が一つなので)連用修飾「部」ではなく「語」として捉えています。
また、ハードボイルドな+人だを連文節の述部として捉えています。述部とした時は連文節になるのではないでしょうか?

お礼日時:2019/09/07 20:45

次の説明ですね。



文の成分としての修飾語(修飾部)は、つねに用言を修飾します。
連体修飾語は、つねに文の成分の一部であって、それだけで文の成分としての修飾語(修飾部)になることはありません。
(例)これは 有名な 絵です。→「有名な絵です」で、述部になる。

https://www.kokugobunpou.com/%E6%96%87%E3%81%AE% …

「あの場所にずっと屯なんてしている暇はなかった。」

は、「(あの場所にずっと屯なんてしている)暇はなかった。」という構造で、「(あの場所にずっと屯なんてしている)」が名詞「暇」の連体修飾部(節)になっています。

そして、「(あの場所にずっと屯なんてしている)暇」が主部になります。

上の定義からすれば、「(あの場所にずっと屯なんてしている)」は文の成分ではありません。
<連文節として考えた場合に「ずっと」という副詞があるので>ではなく、元々連文節ではないということです。

「あの場所に」は「(屯なんて)している」という「している」という複合動詞句を修飾する修飾語(修飾部)ですが、これは連文節ではない連体修飾節内部の区分です。

>2.「俺は恋をした。」という文がある場合に、「恋を」は修飾語とされ述部の成分にはなれないと恐らくはされていますが、それはなぜなのでしょうか?。

「(恋を)した」が述部としての連文節で、述部の成分は「した」で、「恋を」は連文節の成分ということになります。

>「あの人はハードボイルドな人だ」の「ハードボイルドな人だ」は「連体修飾語」+「人だ」述部になるという理由も納得出来ません。

「(あの人は(ハードボイルドな)人だ」という構文で、「ハードボイルドな」は連文節ではなく連体修飾(語)部です。

「あの人」が主部で、「(ハードボイルドな)人だ」が述部になります。

学校文法では、

文の成分としての修飾語(修飾部)は、つねに用言を修飾します。
連体修飾語は、つねに文の成分の一部であって、それだけで文の成分としての修飾語(修飾部)になることはありません。
(例)これは 有名な 絵です。→「有名な絵です」で、述部になる。

という定義で、

連体修飾語は、つねに文の成分の一部であって、それだけで文の成分としての修飾語(修飾部)になることはありません。

という誤った定義のため混乱しますが、この定義を取り合えずは理解する他ありません。


学校文法(橋本文法)は50年以上前から非科学的で、形式主義/機能主義的な文法論と指摘されていますが、それに替わる科学的な文法論が確立されていないため形式的な理解で対応するしかないのが現状です。

この点は、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)等を参照下さい。■
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。非常に参考になりました。教えて頂いた本を、後日読んでみます。

二点ほどご質問させて下さい。

1.>上の定義からすれば、「(あの場所にずっと屯なんてしている)」は文の成分ではありません。
<連文節として考えた場合に「ずっと」という副詞があるので>ではなく、元々連文節ではないということです。

「あの場所に」は「(屯なんて)している」という「している」という複合動詞句を修飾する修飾語(修飾部)ですが、これは連文節ではない連体修飾節内部の区分です

(屯なんて)は「している」の修飾語で宜しかったでしょうか?


2.>「(あの人は(ハードボイルドな)人だ」という構文で、「ハードボイルドな」は連文節ではなく連体修飾(語)部です。

「あの人」が主部で、「(ハードボイルドな)人だ」が述部になります。

>連体修飾(語)部です。

『「ハードボイルドな」は連体修飾語(連体修飾部ではなく)で最終的な文の成分として述部になる。』で宜しかったでしょうか?

もし宜しければご回答頂けると助かります。

お礼日時:2019/09/07 18:30

「だ」と「である」は、ま同じことです。

明治時代に「言文一致運動」が行われ、「だ体」「です体」「である体」などが試されました。しかし、考えてみると、なんでこんなことで騒いでいたのか、不思議になります。「です」は確かに違います。「丁寧語」の意味がありますから。「だ」と「である」とはおんなじではないのか。「人間だ」が変だったら「人間である」に置き換えたら、どうでしょう。「ある」という動詞も入っているし。もっとも、「である」の「で」は何だということにもなりますが。
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1.「あの場所にずっと屯なんてしている暇はなかった。


「あの場所にずっと屯なんてしている暇は 」主語連文節  「 なかった。」述語文節
(「あの場所にずっと屯なんてしている」連体修飾連文節 「暇は」を修飾 )
(「あの場所に」連用修飾連文節 「屯なんてしている」を修飾)
(「ずっと」連用修飾文節「屯なんてしている」を修飾)
(「屯なんて」は連用修飾文節「している」を修飾)
(「あの」は連体修飾文節 「場所に」を修飾) 
2.「俺は恋をした。」
 「俺は」は主語文節
 「恋を」は連用修飾分節
 「した」述語文節
要するに「主語文節」「述語文節」「連体修飾文節」「連用修飾文節」(「独立文節」)しか有りません。(連文節になっても同じ)

「あの/人は/ハードボイルドな/人だ」動詞・形容詞・形容動詞がなくても「人だ」で述語になるのです。「彼は人間だ」どんな学者でも、それで文になっていると言うでしょう。
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