アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

お世話になります。
中世ヨーロッパのキリスト教の異端審問において、異端判決には軽いものから重いものまで様々あると聞きます。
そのうち、比較的軽いものに、巡礼の旅に出させられる、というものがあったそうですが、これが具体的にどのような条件でどのような目的地へ向かわされたのか、また、実際に行ったことをどのように証明したのかなど、詳しい方がいらっしゃったら是非教えていただきたいと思います。
併せて、参考文献などありましたら是非ご教示いただけますでしょうか。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

巡礼自体はキリスト教徒が一生に一度は行うべきとされているイベントです。


イエルサレムへの巡礼もありますが、当時は政治的にほとんど無理でした。
それよりメジャーなのがスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す旅です。
途中にもフランスのベズレーのような聖地もあり、そういうところも立ち寄れば聖地巡りです。

日本でいうお遍路のようなものです。

巡礼をしている人は、貝殻を体のどこかに着けています。
貝殻はヤコブの象徴です。
これをつけることによって「私は巡礼をしています」という意思表示になります。
例えば巡礼者向けの宿に泊まることができました。

数百キロの旅になることもあるので(もちろん徒歩)、そう簡単にできることではありません。
いくら宿をタダ同然で利用できると言っても、それ以外の食費とか、いろいろ入用になります。
しかも平民の場合、農民だろうと商人だろうと、日々の生活の糧を放り出して行くことになります。
蓄えもないのに強制されれば、相当の打撃になったことでしょう。
また、自主的な巡礼なら誇りにもなりますが、罰として行かされるのです。
ご近所にも顔向けできません。
それら自体がすでに罰です。

日本の巡礼ではスタンプがもらえるように、キリスト教の聖地巡礼でも巡礼証明書なるものが境界から出されました。
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます!
巡礼や巡礼地自体については一般的な事柄は知っていましたが、なるほど、突然強制されることによる経済的・社会的なダメージや、顔向けできない、という感覚が当時どの程度のものだったのかを改めて想像してみる必要はありそうですね。
同じく軽度の罰に「フエルト地の黄色い十字を服につけさせられる」などあったそうですが、これなども当時の社会における「顔向けできない」という感覚を想像しないとピンと来ません。
巡礼証明書、御朱印みたいなものがあるわけですね。それをいつまでに持って帰ってこいという期限があったのか、それとも帰ってこられないことを前提にした事実上の追放だったのか、その辺りも気になるところです。
詳しいご説明、ありがとうございました!

お礼日時:2019/09/10 17:47

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