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ご縁がある、縁が強いと言いますが、縁の強さとは何が強いのでしょうか?
縁が強くなければ切れてしまうこともあのでしょうか?

A 回答 (9件)

少し調べてみました。



一般には縁は運命と言う言葉と同義になっているようです。

人の思いや意思とは無関係に未来が定まっているという概念です。

これに仏教の因縁果報の縁を当てたのだと思います。

結論から言うと、私たちが日常で生きている感覚とあまり変わりません。


縁については、

「偶然に見えるけど自分の知らない理由がある」

と言い換えれば良いかと思います。

仏教用語からの派生なので仏教の解釈を含めてお話します。


縁が切れるというのは、

「偶然を頼りにして自分の落ち度をカバーできていたが、

 偶然がそれほど続くわけがないので、そろそろ自分で何とかしないといけない。」

と言う意味になります。

別の言い方をすると、「運も尽きる」です。


例えば恋愛の場合は、

どうしてパートナーと出会えたのか?

どうしてパートナーを好きになったのか、好かれたのか?

どうして今の関係になることに踏み切れたのか、続けられたのか?

こういったものを考えていますでしょうか?


意識していない理由が沢山あったはずです。



例え話をします。

貴方に興味があり、貴方に「話しかけたい」という方がいたとしましょう。

その方は貴方の行動を調べ、貴方が良くいくショッピングモールを知ったとします。

そこで、

「偶然でも出会えたら?」

と考えて、良く足を運ぶようになったとします。

そんなとき、貴方と彼が出会う。

すると、今度は別の場所で出会ったとします。

彼は上手くいったと感じ、貴方は運命的なつながりを感じてしまうわけです。

この様に偶然よりも確率が高まってしまうな行動や力のことを縁といいます。

ここでは彼の作戦行動ですね。


ここで私が貴方に、

「いやいや、運命とかじゃない。

 確かに偶然もあったろうけど、君が知らない理由があるよ。

 うーん、ある人の名誉のために、教えられないけど。」

と話したとします。


こういうときには仏教の用語を使って、

「縁(=作用、力、誰かの意思)があるよ」とヒントを与えるわけです。

しかし、貴方は偶然だと思い込んでいますから、

「そうか、縁というのは神秘的なつながり、偶然を強化する凄いものなんだ。」

と勘違いするでしょう。

そのため一般的には運命の力みたいに神秘的なものと誤解されています。

縁があるよの意味は、

「貴方の知らない所で誰かが仕掛けているよ?」

という警告に近いものが正しいです。


縁を神秘的なものと誤解するのは、

専門知識が無かったり、

自分が他人に興味がないため相手の行動を予想していなかったり等、

情報不足から生じる印象です。

つまり自分の側の落ち度です。


因縁果報はお釈迦様が示した仏教の根幹の教えだそうです。

古代のインドでは数学や物理学が進んでいまして、

仏教も現代の科学と同じ内容を述べています。

お釈迦様は、

「物が突然生じたり、消えたりしない。

 形を変えたりして残っているものなんです。

 今あるものは過去にあったものに何か力を加えた結果であり、

 突然現れるものじゃありません。

 確かに突然目の前に生じたように見えると、驚いてしまうよね。

 すると悩んだり、喜んだり、

 色んな感想が出てくる(=報い)。

 これが私たち人間なんだよ。

 だけど理由を知って納得すれば、この気持ち(=苦しみ)は消える。

 今を変えることはできないけど、

 現実的な反省と次回への実際的な心構えが出来るし、前向きになるものだよ。」

と言う思いを込めて、教えていたわけです。

これが初期仏教の禅です。

積極的に世の人の苦しみを減らそう(=カウンセリング)と活動していたのが、

中期の仏教です。

迷信深い人を立ち直らせるため、おとぎ話的要素を追加しています。

古代や中世であっても、数学と物理学は現代とさほど変わらず進化していましたが、

一般に伝わるのはルネッサンス以降になるので、布教しづらかったのかもしれません。

知識や教育が不足していると、

お釈迦様の言葉が物理学や人間行動学、大脳生理学だと思えなかったわけです。

後期の仏教は末期にあたり、

セックスによって悟りが開けるとして、人を集めていたそうです。

お釈迦様と同じ説を唱えている他の偉人は沢山います。

派生した語録に傾倒して、神秘を欲しがって深い入りしないことです。

それはお釈迦様が一番嫌っていた事です。

「因縁果報」だけを有難く参考にすると良いと思います。


さて、縁が切れるという表現は二通りに解釈できます。

縁が切れそうな二人がいたとします。


1.二人がお付き合いできたのは偶然じゃないと知っている人から見ると?

 「ああ、ちゃんと理由を知ろうとしないから。

  彼の苦労を知って協力しないと。

  ああ、縁(=彼の頑張り)が切れてしまった。

  彼はあきれて止めてしまった。もう、同じ様にはいかないよ。」


2.二人がお付き合いできたのは、
  何かしらの素晴らしい偶然や運命があった思い込んでいる人から見ると?

 「ああ、最近なぜか上手くいかない。

  縁(=運命)が切れたってことかしら?」


当然ながら、後者の人は前者の人と比較して上手くいかない場合が増えます。

時間がたつと段々と不遇になります。

こういう方は恵まれた人や運命を呪って心がやみます。


お釈迦様はそんな方に、

「いやいや、知らないまま放置して生きているからだよ。

 偶然なんてないんだよ。

 視界から消えても、物は残っている。

 あなたが忘れても、他の人が覚えている。

 ここに着眼していないだろう?

 自分の想像と違う事が起きても、驚かない癖がついているよね?

 ここはびっくりして、原因を探ろうとしようよ。

 自分で予想できない事が起きないようにするんだ。

 そういう状態を維持して、対処するんだよ。

 すると、君も”やり様”があると感じて、やる気が出てくるはずだ。」

と言う説得の仕方を選んだわけです。


自然法則や科学には善も悪もありませんよね。

非情で、機械的なものです。

頼んだり祈ったりしても、意味がありません。

ですので、良く知って対処するしかないんです。


運命と言う言葉も本来は神秘的なものじゃありません。

世の中のすべてが物理法則で動いており、

ぶつかったり軌道をかえたり、

壊れたりし、

壊れた粒がまた固まったりして、形を変える。

人も物質で出来ていますから、これらの変化は変更できないでしょう。

これを運命と呼んだわけです。

そもそも神のような存在を認めないのが運命論です。


結局誰もが、

自分の知らない事情によって失敗するという事です。

自分の知らない事情によって成功しても、

その事情が変わったことを自分は知り得ませんよね?

それでも、

「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!。」

とか喜んでしまい、二度目、三度目を求めてしまうもんです。

そして最後は大失敗をします。

事情は変わるからです。

事情を知っている人は、制御しようとしますし、離脱もできます。

偶然だと思って舞い上がっている人はそれが出来ない。

論理でいうと後者は必ず不幸になるわけです。


「良く知って対処する」という考えを習慣にして、

予想以外の事が起きたら、原因を知ろうとすることです。


例えば、

「あの人は私に脈があるかも?」

ではだめで、

「あの人は明日、私をデートに誘うはず。」

でなければいけないという事ですね。


縁の解釈がとても大事という事です。

縁(=自分の知らない事情、他の人の努力や意思)が切れるのは確かに問題ですが、対処できます。

縁(=神秘的な力による依怙贔屓)が切れるのはどうにもできません。

縁を後者で捉える人は、救えません。

これは仏教三毒(三大煩悩)の一つである、癡から生じます。

三毒は猛毒の様に人を蝕み、助からないそうです。

気を付けましょう。


以上、ご参考になれば。
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スピリチュアル詐欺にはお気をつけくださいね。

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縁とは何か、を理解しましょう



縁起の法は 主観と客観の上に展開されたもので
どんなものでも、ある因とある縁が結び合って成り立っている
因と縁が仮に和合して成り立っている と言う概念です

日本文化の基盤となったのが仏教ですが
人間と自然の関係を考えるうえで、大切な真理を説いています。
それが仏教の「 縁起の法」です。

「縁起」とは、「縁によって生起する」という意味です。
人間にせよ自然にせよ一切のものは、それ自体として単独で存在するのではなく、
互いに縁となりながら、すべて他との相依相資

(相依り、相資ける)
あいより、あいたすける
という関係で成り立っていると見るのです。

「縁起」を説明する譬えとして、インドの仏教哲学者・
竜樹は『中論)』で「火と薪との考察」をあげています。

--今、燃え盛る薪を見るとき、火と薪は一体となっており、
両者をはっきり分けることはできない。火は、薪がなければ、
そこにはなかった。薪も、火がないときは単なる木片のままであり、
薪とはなっていなかった。

つまり、燃える薪においては、単独に「火」があるのではなく、
単独に「薪」があるのでもない。しかし、どちらも存在しないかというと、
無いわけではない。火は薪によってあり、薪は火によってある。

このように、一切の事象は他との相依相資性によってあり、
「縁」によって起こると説くのです。

この「縁起論」を、生命主体とその環境に当てはめて、中国の妙楽は
「依正不二」論を示しました。一言でいえば、環境世界としての「依報」と、
生命主体としての「正報」は、現象面では相互に依存しあい資けあっている。

しかも、この二者は、「宇宙生命」ともいうべき深い次元では
「一体不二」であるという法理です。

長くなるので、この辺まで

その辺から、考えて
縁が強くなければ切れる、と言う事は、? ない
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まりこ79様


 世間では、よく前世とか来世とか、不思議な縁…などという言葉で
人生の話や人との出会い・別れを語りますね。

 私は、「諸行無常」と考えます。古今東西いかなる事象も、全ての
ものも、ず~っと続く事はないのです。良い事も悪い事も起こり続ける
ことはなく、全ての物事は変化して行きます。

 という訳で、私的には、「縁」 は 「運」 と言い替えられるかなと
 思ったりします。
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あるある縁なんかシャボン玉よ。

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感情を解放してしまえば何も思わなくなるね。

夫婦の場合互いに学びあいの相手だね。だからこそ価値観が違うからスタートする。それを気づきながらとはでは大違い
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この回答へのお礼

わかります。
私もパートナーとは価値観全然違うと思います。一生学びですね。。

お礼日時:2019/09/21 02:48

それぞれの相手に対する意欲ですね


モノにしたけりゃ睡眠時間削って金使って会いに行くけど
片方が意欲が失せれば結局縁が切れるって事です。
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合わなくなる。

。。んー人には過去世でやり残したり因果あると今生でも出会うのね。大半は
簡単に言うとその人との関係性をクリアしたりしたら、次にってまた出会う「試練」って感じかな。
けど、大半は前世と似たパターンで今世も終わってるの
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この回答へのお礼

そうなんですね。
試練をクリアしたら気持ちがなくなるのでしょうか。。
夫婦でも試練を乗り越えるため出会って結婚したんですかね。

お礼日時:2019/09/21 02:16

過去世で幾度なりと出会っている人


縁が切れる時はエネルギーの質が変わってしまうから、離婚、失恋などが起きてしまう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど。
エネルギーの質、なかなか難しいですね。。相手と合わなくなるということでしょうか

お礼日時:2019/09/21 01:54

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