1. 哲学は 人知のおよぶ範囲のこと――つまり 一般に経験事象――を
あつかいます。
2. 経験合理性に照らして 妥当であると〔みんながではないようですが〕
大方のひとがみとめることを問い求めます。
3. ところが 哲学は欲張りです。人知を超えたところのナゾについても
何とかして――出来るところまでは―― 問い求めておこうとします。
4. ひとつの答えは こうだと考えます。:
いわゆる絶対性なるナゾについては 人間の能力と努力とではおよばない
(つまり ナゾが何であるかが分からないのですから チカラが及ぶか及ば
ないかが分からない)と捉えるからには:
《考える》ではなく 《無条件で無根拠にてわが心に受け容れる》ことにな
ると定義しました。
5. これを《信じる》とよぶのですが 実際には《無条件・無根拠》とい
うことは 《受け容れても 受け容れなくても 同じことだ》となります。
6. 受け容れているかどうかも分かりません。受け容れるという意志行為
は おのれの意志で成されるゆえ分かるかも知れませんが では 何を受け
容れているか これが 分かりません。初めからのナゾです。
7. ですから 《信じる》とは ひとの自由におこなう(おこなっている
はずの)事象です。つまり 《信じる》には 狭義に《信じる と 信じな
い》との両方の立ち場が――ひとの自由に・対等に――あるとなります。
8. ところで 宗教とは 基本としてオシヘです。人間の言葉で表現され
ており それを人間が《考える》ものです。
8-1. 意味の取れない非合理ないわゆる神秘については 考えても分か
らんわいと言って放っておきます。そうせざるを得ません。
8-2. また それは人間が考えたことであり人間の言葉で表わされてい
るからには 受け容れようかどうかと迷うことはありません。分かるように
表現されていないだけのことです。
8-3. それだけのことだと考えます。
9. つまりその心は もし宗教がそのオシヘを 考えるのではなく 信じ
なさいと言って説くとしたら どうなのか? と言うに それは 自己矛盾
であり精神錯乱に落ち入っているものと見られます。
10. つまり 《考える》対象を《無条件に無根拠にて受け容れなさい》
と言って説くのは 自殺行為です。思考停止せよと強いています。
・・・うんぬんかんぬん。
10-1. つまり それでも――バカになれと強いられていて―― その
ようにする人も世の中にはいます。
11. ぢゃあ 《感じる》は 考えるや 信じるとどうかかわっている
のか?
どこにどう位置づけるのがよいか? どうなんでしょう。
12. なお 《信じる》は――つまり信じる場合も 信じない場合もは
――そのナゾから あたかもチカラを享けてのように ヒラメキが得られま
す。
12-1. 絶対のナゾから 相対的な知恵や知識としてのヒラメキが得ら
れ得ます。
13. また おそらく人間の《良心》は このナゾからの賜物であると
推し測られます。
14. そしてこの良心ゆえに わたしたちは ヤマシサや恥ぢを――意識
せずに・意志に反するかたちでさえそれらが起こり――感じたり意識するよ
うになったりするものと思われます。
15. 果たしていったいぜんたい 《感じる》とは どういうことなんで
しょう。《考える と 信じる》という主題をめぐっての問題としてです。
A 回答 (6件)
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No.6
- 回答日時:
誤った回答をしましたので改めて
「感じると」は
生物学的に言えば自分自身が置かれている状況を把握することです
基本的には五感を用いますが五感を通さない何らかの方法でも感じますね。
考えること信じること
信じる・信じないとは
自分自身の行動を決定するための作用です
考えるとはより確実により有利に生存するために行う知的作用です
状況把握→分析→検討→決定(行動)です
但し考えることばより確実により有利に生存するために行うためそこに「比較」すると言う知的作用が伴いますし比較すると行くことは確率を踏まえる必要性が生じます。
よって考えてだされた結果が絶対的ではありません。
その結果を絶対的にする作業が必要となります。
その作業こそが「信じる」と言うことです
ご回答をありがとうございます。
★ 「感じると」は
生物学的に言えば自分自身が置かれている状況を把握することです
基本的には五感を用いますが五感を通さない何らかの方法でも感じますね。
☆ 身にそなわった五感としての知覚 これによって身のまわりあるいは
要するに世界を認識する。
さらにいわゆる第六感のような知覚がありましょうか。
★ 考えること信じること
信じる・信じないとは
自分自身の行動を決定するための作用です
☆ 前項の感性による知覚を 概念として認識することをふくめて 今度
は心(精神)のハタラキによって世界を知り身の処し方を決める・・・で
しょうか。
★ 考えるとはより確実により有利に生存するために行う知的作用です
状況把握→分析→検討→決定(行動)です
☆ はい。
★ 但し考えることばより確実により有利に生存するために行うためそこ
に「比較」すると言う知的作用が伴いますし比較すると行くことは確率を
踏まえる必要性が生じます。
☆ これはおそらく 世界は有限で相対的であると捉えたときにも それ
を認識するひととしてのわれも 身と心とから成っていて同じく移ろいゆ
かざるを得ない存在であり 認識や意志行為としての判断にも限界がある
・・・ということでしょうか。
★ よって考えてだされた結果が絶対的ではありません。
☆ そうですね。
★ その結果を絶対的にする作業が必要となります。
その作業こそが「信じる」と言うことです
☆ イエス&ノー と言いますか びみょうですね。
身と心とのハタラキでは ものごとの確実性に限界があるところへ もし
そのほかに人間に何かチカラがそなわっているとしたら それは 感性と
理性(ひろく知性)をも超えた霊性の領域だ・・・となります。
つまり 信じるです。
ですが その・感じるや考えるを超えたハタラキは――それが想定される
として―― じつは 感性・知性に対応する経験合理性の範囲を出ないか
も知れない。
経験世界を超えたところの場としての霊性のハタラキ。これは なるほど
有限で相対的な世界よりも確実なわれつまり存在を捉えさせてくれるかも
知れないけれど それは ただ朽ちざるを得ない経験世界であってもそれ
についての安定性や安心を得させてくれるのであって 世界を絶対的なも
のとするわけでは・・・ない。のでは?
No.5
- 回答日時:
感じるとは
せうふ
▲ (ピクシブ百科事典:セウフ) ~~~~~~~~~~~~~
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%BB%E3%82%A6%E3%83 …
セウトの派生造語。
セーフと言いかけたがアウトと思い直し、よくよく冷静に考え直し
たらぎりぎり何とか問題ないと判断できた場合に使用する。
概ねセーフ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ですかぁ。知らんかった。
ご回答をありがとうございます。
ん? ただし・つまり 《おおむねセーフ》として そのあとどう
なるんですか 《感じる》は?
No.4
- 回答日時:
「感じる」とは、五感覚に知覚されたものに意味づけを与えることでしょう。
寒さと感じるとか、暖かさを感じるとかの。感じるとは知覚が出発点になり、その知覚で得られた対象をどの様に認識し理解し、分かって行くかの観念の問題になるでしょうね。観念の感じると言う問題は過去の経験・体験上から得られたものが基になって先のことへの想い関わりの感情でしょう。ご回答をありがとうございます。
★ 「感じる」とは、五感覚に知覚されたものに意味づけを与えること
でしょう。寒さと感じるとか、暖かさを感じるとかの。
☆ ええ。たしかに 目に見えている視像(感覚そのもの)とそれが何
であるか(認識つまりその概念)とがあるでしょうね。
すなわち:
★ 感じるとは知覚が出発点になり、その知覚で得られた対象をどの様
に認識し理解し、分かって行くかの観念の問題になるでしょうね。
★ 観念の感じると言う問題は過去の経験・体験上から得られたものが
基になって先のことへの想い関わりの感情でしょう。
☆ たしかに 視像なら視像の経験を積み重ねて行って――記憶という
倉庫にたくわえつつ――その概念が 捉えやすくなるでしょうし それ
だけではなく ほかのものごととのカカハリにおいても その広い視野
での認識が得られやすくなっていくでしょう。
そしてさらには その情況の中で どう振る舞えばよいか・問題をどう
解決すればよいかなどにかんしても よく学習した成果を活用していく
でしょうね。
基礎だとは思います。
No.3
- 回答日時:
《哲学》していると“人知を超えたナゾ”に遭遇するようですが、
その“ナゾ”に遭遇したその経過が知りたいですね。
哲人ブラジュロンヌ、に付いて不勉強だから故の疑問です。
ご回答をありがとうございます。
★ “人知を超えたナゾ”・・・に遭遇したその経過
☆ 経過は いたって簡単です。
ブディズムについてまなんでいたら どうもここは行き止まりだ
と思ったわけです。
論理一般やあるいは時に心理学のことを勉強できるとは思ったけ
れど めざすところは――親鸞の境地を別にして―― 筋がちが
う・・・と思いました。
だからというわけではなく 西欧のことを知らなければ話になら
ないのだし それには クリスチアニズムをしっかりと勉強して
おかないとダメだということで そのときから本格的にまなぶの
だと覚悟を決めました。
何から手をつけてよいかは分からなかった。ただ 丸善で物色し
ていると 当時¥3,600ほどの(いま¥10,000)アウグスティヌ
スの本があったので よっしゃやろうと――根拠なく――決めた
わけです。
護教論であってふるい書き方をしているのですが――あっ 『三
位一体論』ですが―― 雰囲気がわたしの求めていたところでし
た。
この一冊の本(600ページほど)に三年ほどかかり切りでした。
思想としては 《悪は存在しない》という命題がよかった。
この過程で《超経験なるナゾ》に出会いました。
理論立てたのは ずっとあとです。Q&Aを始める前からですがこ
こで しっかりした内容を考えつくようになりました。
アウグスティヌスに出会ったから というのが答えです。
No.2
- 回答日時:
フランス語の名詞から定冠詞のれをとる感じでしょうか。
ふむ。ううーん。ふむ。
――ご回答をありがとうございます。
定冠詞は 特定のものか・あるいは一般のものを示すのですから
それを取り去るということは 人間の自己表現というものを消し
去る・・・んですかね?
名前だけはあるが 何とも得体の知れないようなものが――語と
して――ある・・・といった感じでしょうか。
ううーん。どうですかね。
語あるいは言葉というものを超えたところ。――これが いま問
い求めているナゾになるんでしょうか。
めづらしい視点でしたね。
あっ。いや。
★ フランス語の名詞から定冠詞のれをとる感じでしょうか。
☆ は 《感じる》とは何か? の答えでしょうか。
不定冠詞だけは なおつけている〔可能性がある〕・・・という
意味でしょうか?
なるほど それだとまだ《考える》に到らないそのときの《感じ
る》の世界なんですかねぇ。
そうですねぇ。その《感じる》が 《言葉を超えたところなるナ
ゾ》と どうかかわっているか?
《〈感じるや考える〉を超えたナゾ》と《感じる》とは――おそ
らく 絶対のへだたりをはさみつつ―― どういうカカハリ方を
しているのか?
No.1
- 回答日時:
母の胎内から産出された赤子の上げる産声は、温かな母の胎内から冷たい外気に晒された事によって受ける恐怖と、母から離されたと云う孤独感も加わった事に依る《拒否》の泣き声の様に聞こえます。
でもやがて、母の温かな肌に抱かれて安堵する、その安らぐ様子は孤独と云う一個の存在になった事を、諦めて受け入れた様にも思えます。
こうした共通の心の反応が人間にはありますね。
学んだ訳でも無いのに。
こうした内在?した心は、ブラジュロンヌさんの考えでは《信じる》と云う世界なのですか。
ご回答をありがとうございます。
★ 母の胎内から産出された赤子の上げる産声は、温かな母の胎内から
冷たい外気に晒された事によって受ける恐怖と、母から離されたと云う
孤独感も加わった事に依る《拒否》の泣き声の様に聞こえます。
★ でもやがて、母の温かな肌に抱かれて安堵する、その安らぐ様子は
孤独と云う一個の存在になった事を、諦めて受け入れた様にも思えます。
☆ ううーん。こういった赤子の心の動きについては 何とも分からな
いのでは? それとも研究がすすんでいるのでしょうか?
たとえば 産声は 泣いているように見えますが 世界に現われたこと
のよろこびを表現しているかも知れない・・・とわたしなんかは 思い
たくなるのですが そういうことにはならないですかね。科学の探究に
よると。
★ こうした共通の心の反応が人間にはありますね。
☆ ええ。たしかに:
★ 学んだ訳でも無いのに。
☆ ということが特に言えましょうね。
★ こうした内在?した心は、ブラジュロンヌさんの考えでは《信じる》
と云う世界なのですか。
☆ そうですね。この赤子の事例としては 信じるは間接的にかかわっ
ているように思います。
つまり生まれつきそなわった自然本性のなせるわざであって 自然本性
は 〔意識してはいないでしょうがその赤子にとってもの〕信じるとい
う世界におけるめぐみではないかと思われます。
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