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1. 次のように――アウグスティヌスにわが自由に従って――考えます。

2. まづ:
▲ (創世記1:27) ~~~~~~~~~~~~~
神はご自分にかたどって人を創造された。
すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~
☆ という一つの聖書記事から伸びて 次の図式が得られると理解します。

3. ひとは カミの似像(にすがた)なり。:

   神(父なる神・・・子なる神・・・・聖霊なる神)
   ↓  ↓      ↓       ↓ 
   精神(記憶・・・・・知解・・・・・意志 ):ひとなる存在
   ↓ (↓・・・・・・↓・・・・・・・↓ )
   国家(司法・・・・・立法・・・・・行政 ):三権分立なる統治機構

4. さらに詳しくします。:

○ ひとは カミの似像である ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ――ひとと社会の成り立ちについての図式的理解―― 

 光のたとえ・・・・・・・光(光源・・・・・・発耀・・・明るさ・暖かさ)
 三位一体なる神・・・・・神(父なる神・・・子なる神・・・・聖霊なる神)
             ↓  ↓      ↓       ↓
 _______________________________________
  スサノヲ市民( S )・・・アマテラス公民( A )
 _______________________________________
             ↓  ↓       ↓       ↓
 身体〔の運動〕(および)精神(記憶・・・・・・知解・・・・・意志 )
 ・・・・・・・・・・・・↓ (↓・・・・・・・↓・・・・・・・↓ )
 [S者/S圏]
 個体・・・・・・・・・・家族(秩序・・・・・・労働・・・・・・愛 )
 社会主体・・・・・・・・自治態勢(自治組織・・〔生産〕・・共同自治)
 経済主体・・・・・・・・生産態勢(組織・・・・・生産・・・・経営 )
 政治主体・・・・・・・・↓ ・・・↓・・・・・・↓・・・・・・↓ 
 [A者/A圏] ・・・・・・ ↓・・・ ↓・・・・・・↓・・・・・・↓
 社会科学主体・・・・・社会形態(社会組織・・・経済活動・・・政治 )
  〃・・・・・・・・・(国 家: 司法・・・・立法・・・・・行政 )

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



5. 神を・つまりすでに普遍なる神を 光にたとえるなら こうです。

  子の父は 光源であり 
  父の子は その発耀であり 
  父と子とのまじわりから発出する聖霊は その明るさ・あたたかさである。

6. ただし 光はただのタトヘですから 本体の三位一体には時間的なへだた
りはなく 三つの位格は つねに一体である。

7. 神はこの三つの位格(ペルソナ)に分かれるとは言え 無限を二で割って
も三で割っても 商はやはり元の無限であるように 父と子と聖霊とは 互いに
ひとしく それぞれの個は全体とひとしく 全体はそれぞれの個とひとしい。と
いうものです。

8. そこで 《ひとは 神の似像である》という命題については こうです。:

 父なる神は 人間の自然本性にあっては 精神の秩序作用としての《記憶》に 
 子なる神は 精神が精神するというかのようなハタラキとしての《知解》に 
 聖霊なる神は 記憶と知解にもとづき生きることの中軸としての《意志》に

それぞれ当てはまるというタトヘです。






9. 神にあって三つの位格が一体であるかのように 社会にあっても三権が分
立して一体である。すなわち 互いに――ただしこの場合は時間的なズレをとも
なって―― 分業し=すなわち協業している。そのようにして 一体ではある。
これが 共生のひとつのかたちであるというタトヘです。




10. 真理(神)にあっては 時間の間を置くことなく 正解が得られている
けれども 人間の経験世界では 時間的なズレをともなって ときに 正解(た
だし相対的であり複数である)が得られ それが実現されることもあるかも知れ
ない。

11. すなわち 人間にあっては 記憶があいまいであり得 そこから得た情
報とそれを加工(思考)する知解も あやふやであり 記憶と知解とをにらみな
がら行為する意志も その心(記憶や知解の内容)にさからうことすらあり得る。
人間は ヘソを曲げ得て あやまちうる。




12. 人間と社会における小さなミクロコスモスとしての三位一体(つまり小
文字の三位一体。三一性)は 時間的な制約を受ける。すなわち 記憶・知解・
意志のそれぞれのハタラキが分立し得るような自由度を〔すなわち自由意志によ
って〕持っていて それらのあいだの協働が 時間的なズレと人間の能力の有限
さとによって マ(間)の違いを生じやすい。

13. 自由意志は 記憶としての心や実際の知覚(感性)の内容を無視してで
も そして勝手な知解によってその無視ないし逆らいを正当化しようとしてでも 
その(ヘンな)自由度を発揮しようとすることがある。よきにつけ悪しきにつけ
の自由度である。



14. なお この三位一体論もしくはそれとしての人間観ないしさらには社会
理論への応用は それをイエス・キリストは後世に託したと言ってよいものと思
われます。

15. もっともっとあたらしい理論づけが出て来るでしょうか。



☆ さらになおご教授ください。自由な感想をもどうぞ。

質問者からの補足コメント

  • 趣旨説明欄のつづき

    16. (4)図における国家ないし社会一般を 全体として――あたか
    もキリストと呼ばれる神のからだとしてのごとく見立てて―― 《見えざ
    る教会(キュリアコン)》と呼べるか?

    16-1. むろん 宗教はいっさい無関係にです。そして神は 普遍神
    です。

    17. 同じく(4)図における《自治態勢》つまり要するに自治体ある
    いはムラ(=市町村)を 《民会(エクレシア)という意味での見えざる
    教会》と呼んでもよいか?

    17-1. ゆくゆくは 国際連合よりも 村際連合(インタムライズム)
    なるネットワークで行くとよいと思う。

    17-2. 社会のお二階さんである国家には あまり任せておけないよ
    うに思われる。世界のムラが連帯して主役である。

    18. 同じく重要な《生産態勢》は 何と呼べばよいか? 《 Kaisya 》?
    いい名前はないか。

      補足日時:2019/10/03 17:53
  • №8お礼欄のつづき

    ★ 逆に言えば犯人がした行為(殺人)を非難する事は犯人からしたら到底理解
    できない事です
    ☆ 《われはわれなり》なる自己の生きる文体は その意志のとうとさに基づき
    《われも生きる。なれも生きる。かれも生きる》という命題を帯びています。

    そして その共生ないし共同自治としての共同主観にもとづき 不法行為者は 
    みんなで取り決めた法という権力によって 更生へ向けて処理されます。

    《権力》とは じつは 不法行為者を拘束し ひとの意志を踏みにじる行為をふ
    くみます。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/10/04 07:40
  • №9お礼欄つづき

    ★ 何故なら脳の働きそのものが己であるからです。
    ☆ いいえ。脳の指示する思惟や行動があったとすれば それに従うか
    は すべてを統覚する《われ》の判断するところです。

    われとは 身と心と霊我とです。霊我が 脳のハタラキを超えています。
    ヒラメキ(⇒直観)や良心(⇒ヤマシサ反応・恥ぢ)が その現実性を
    保証します。

    ★ 意思決定に関わる全ての脳部位で常時同じ選択をしていれば選択が
    正常状態となるのです。
    良心についてもどうよです
    ですからその状態に陥ってしまった脳は脳自身の選択に贖えないのです
    贖えないからこそ脳はその選択結果に機械的に従い行動に移すので
    日本の司法で精神や心の病で起こした犯罪に対してその犯罪を起こした
    犯人にその犯罪責任を負わせないのはそのためです
    ☆ 意志のハタラキがエラーとなっていれば 答責性を問えません。
    あとは分かりません。説明を乞います。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/10/04 08:08
  • №25お礼欄のおぎないです。

    ▲ (ヨハネ福音 14:12 )
    わたしを信じる者は、わたしが行う業(わざ)を行い、また、もっと大きな
    業を 行うようになる

    No.25の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/10/08 09:40

A 回答 (26件中1~10件)

あなたは神を信じますか?


それはさておき、ローマ皇帝が、三位一体説を打ち出し、それを否定するものを異端として弾圧した理由は簡単です。
そもそもローマ帝国とローマ皇帝はキリスト教を弾圧していたのですが、あまりにキリスト教徒が増えてきたために、
キリスト教を使って統治したほうが賢いと判断して、キリスト教を国教として、神とキリストとローマ皇帝が同じ存在だと言い出したのです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ あなたは神を信じますか?
☆ 絶対なる普遍神を 相対存在たる人間は誰もが 《有る神》としてか
あるいは《無い神》としてか いづれかのかたちで――そしてそれは互い
に自由に同等で対等に――いだいていると思います。

《神を信じる》と《神を信じないとして信じる》とがある。すなわち後者
は 《〈無い神〉を信じている》。




★ それはさておき、ローマ皇帝が、三位一体説を打ち出し、それを否定
するものを異端として弾圧した理由は簡単です。
☆ 教会も加担しましたが。


★ そもそもローマ帝国とローマ皇帝はキリスト教を弾圧していたのです
が、
☆ はい。

★ あまりにキリスト教徒が増えてきたために、キリスト教を使って統治
したほうが賢いと判断して、キリスト教を国教として、神とキリストとロ
ーマ皇帝が同じ存在だと言い出したのです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
☆ コンスタンティヌス帝には 実利的な思わくもあったようですが。

カエサルのものは カエサルへ 神のものは神へと言いますから 皇帝と
神とは 別でしょうけれど。

お礼日時:2019/10/15 00:13

お礼をいただきました。



例えば、どんなに努力しても叶えられない夢もありますし、逆に、自分では何気なくおこなったことが、後々、大きな結果を導き出すこともあります。自分の人生を重ねてみると、確かに神は存在するのです。
+++
《ロゴスの肉化》を除いた霊性だけとしては 《人に仏性が宿る》説ですね。
+++
魂か、あるいは、スピリットに連携している、あるいは、それを司っている聖霊と呼べるものが、本当に大切な局面で作用することがあります。それは、人間の努力によるものではなく、神に与えられた作用です。そして、それをわかっていて、困難であっても、喜んで受け入れることが、”信じる”ことになると思います。

人間性とは、Humanity を指すのでしょうが、Humanityは、慈愛や良心などといった訳もある、多義的な言葉です。英語で言う、スピリットは心と訳してよいでしょうか。

カルヴィンの予定説には、神の恩寵を受け入れる人と拒絶する人は、もう、最初から決まっている、とあります。全てのHuawai製の端末にこっそり仕掛けられた、スパイウェアのようです。

それは、もう、そうなんでしょうが、ただ、それを受け入れたくないのが、ご存じ、福音派のキリスト教徒です。”自分の努力で世界が(あるいは、自分の周りだけでも)より良い方向に変えてゆける”と信じていたい様子です。ぬかるみのような結婚生活よりも、意を決して、離婚を選ぶ所以でしょう。

私の独断と偏見からゆくと、日本では、多分、諦観・諦念の穏やかさのほうが、より多く受け入れられるように感じます。しかしながら、その教義では、爆発的な信者獲得は、難しいような気もします。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 例えば、どんなに努力しても叶えられない夢もありますし、逆に、自分では
何気なくおこなったことが、後々、大きな結果を導き出すこともあります。自分
の人生を重ねてみると、確かに神は存在するのです。
☆ つまり 《有る無しの区別》や《その原因からこの結果がうまれるという因
果関係》といった経験合理性――つまり人知――を超えたと思われる現象が起こ
り得るように思われます。


+++
《ロゴスの肉化》を除いた霊性だけとしては 《人に仏性が宿る》説ですね。
+++
☆ つまり ブディズムでは 三身常住説として 法身・報身・応身のすべてが
永遠に存在すると言います。摂理と知恵と身体でしょうか。つまり 確かに《身
と心との肉》をも言っているのですが それは ブッダのみなのかも知れません。

聖書の場合も キリスト・イエスにのみ限られるのでしょうが ふつうの人びと
も イエスが去って行ったあと パラクレートなる聖霊を贈ると言われました。

このキリスト〔と父なる神〕から贈られる聖霊なる神のチカラによって 人びと
一般も――信仰をとおして―― 《イエスよりももっと大きなわざをおこなうよ
うになる》と言われました。


★ 魂か、あるいは、スピリットに連携していあるいは、それを司っている聖霊
と呼べるものが、本当に大切な局面で作用することがあります。それは、人間の
努力によるものではなく、神に与えられた作用です。そして、それをわかってい
て、困難であっても、喜んで受け入れることが、”信じる”ことになると思います。



★ スピリットは
☆ 霊性:超経験:非思考の庭:クレド( credo )
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  理性:経験存在:思考の緑野:コギト
  感性: 〃  :感性の原野:センスス・コムニス

☆ スピリットは 霊性と〔理性なる〕心と 両方があると思います。

アニマ:霊性・精神(心)・〔動物の本能にも似た〕感性。

★ カルヴィンの予定説には、神の恩寵を受け入れる人と拒絶する人は、もう、
最初から決まっている
☆ と言ったのは 人間たるカルヴァンです。

★ 諦観・・・の教義では、爆発的な信者獲得は、難しいような気もします。
☆ 人はみな――キリスト・イエスが指し示した真理としての――普遍神の子
です。

お礼日時:2019/10/08 05:53

前提として言いますが質問者さんのお考えは質問者さんの中では正しいかもしれませんがそれだけです


仮定の話に仮定の話をを上乗せているだけです。
説得力はありません。
せめて質問者さんのお考えを現実に当てはめて話をして下さい。
少なくとも質問者さんのお話しの進め方は信じる・信じないレベルで止まっています
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 前提として言いますが質問者さんのお考えは質問者さんの中では正しい
かもしれませんがそれだけです
☆ 《自己表現したものの内容が 本人の主観の中ではただしいと思ってい
る》というのは 誰もに当てはまります。


★ 仮定の話に仮定の話をを上乗せているだけです。
☆ 《人知を超えたナゾ》については まづそのナゾについて《仮説》を立
てなくては話になりません。

仮説を立てたなら その前提で推論をすすめます。その過程のどこかで 現
実との照合が出来て 不都合がないなら 一定程度においてその仮説は理論
としての効力を持ち始めます。・・・


★ 説得力はありません。
☆ 学問は そのような思考の過程でみんなが寄ってたかって ああだこう
だと自由に批判しあいつつ検証を重ねていくものです。

★ せめて質問者さんのお考えを現実に当てはめて話をして下さい。
☆ 記憶・知解・意志あるいは司法・立法・行政といった現実との照合がそ
の理論の整合性を明かそうとしています。


★ 少なくとも質問者さんのお話しの進め方は信じる・信じないレベルで止
まっています
☆ あなたが知らず知らずの内に・しかも意志によって もう理解したくな
いという行動に出たのでしょう。

お礼日時:2019/10/07 13:21

如何なる宗教組織であっても不法行為を行なった信者が一人もいない宗教組織は有りません


仮に神が存在し神が人に何らかのメッセージを送っているにしても人智を超越したる存在を人智で理解出来ない以上神から送られているだろうメッセージを誰一人真に理解する事出来ません。
現実に起きている事象に対しその事象を現実として受け止め現実除く中で処理をしその経験を次に繋いでくようにするしかありません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 如何なる宗教組織であっても不法行為を行なった信者が一人もいない
宗教組織は有りません
☆ そこは 問うても仕方のないところではないでしょうか。

組織宗教の存在理由を無にする欠陥は 特殊絶対性である神観を一般化し
ようとすることです。すなわち 《考える》対象であるオシヘを《信じな
さい》と言って説くところだと思います。

次の質問の趣旨説明欄に述べています。
〇 【Q:【Q:これが神だ】の補論です。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11314005.htm


★ 仮に神が存在し神が人に何らかのメッセージを送っているにしても人
智を超越したる存在を人智で理解出来ない以上神から送られているだろう
メッセージを誰一人真に理解する事出来ません。
☆ ① 絶対性なる神は 《もし仮りに存在するとしたら》という扱いに
は 馴染みません。

② 《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》です。人間の認識にと
っては 《非知》です。

③ 非知なる神は 絶対性としてその間に絶対なるヘだたりを置く相対世
界(そして人間)に対していかようにもハタラキカケを成すことが出来る
と考えられます。それが メッセージです。

④ 《人知が及ばない》非知は 《理解し得ぬかも知れないし 同時に理
解し得るかも知れない》のです。

⑤ メッセージを受け取りそれを理解したと言う人が現われてもおかしく
ありません。それが 特殊絶対性です。つまりただし その内容はおのれ
の主観内でのみ意味を持ちます。

⑥ 神と我れとのタテの関係において その《信じる》の主観的な解釈が
特殊絶対性として起き得ます。ただし解釈としての神観はすでに思想とし
て《考える》の対象となっています。

⑦ 神観としての思想を 人びとに伝えることは 《タテの関係》を《ヨ
コの関係》に寝かすことです。それを《信じよ》と説くのは 筋違いもい
いとこです。組織宗教の致命的欠陥です。


★ 現実に起きている事象に対しその事象を現実として受け止め現実除く
中で処理をしその経験を次に繋いでくようにするしかありません。
☆ 《信じる》は はっきり言えば タテの関係のみです。ヨコの関係は
人と人の間の《考える》の対象である経験思想です。むろん経験的な仕事
として事に当たって行きます。

お礼日時:2019/10/06 23:33

以下、オーソドックス・ウィキの、ホーリー・トリニティのページです。



https://orthodoxwiki.org/Holy_Trinity

こちらでは、三位一体を、人間のソウル(魂)、体、スピリットを含めて、一人の人間であるように、神も、父なる神・キリスト・聖霊をひっくるめて、神であると説明されています。ただ、死に直面する人間と違って、神の属性は、永遠・普遍・不滅です。(スピリット、というのは、日本語ではなんていうんでしょう。)

受肉(incarnation)については、父神のunbeggottonness キリストbegottonness 聖霊processionという属性で説明しています。聖グレゴリーが、この神秘を理解するのは、人間には不可能であると、戒めた、とあります。ここでは、”気が狂うから”と説明されています。

ギリシア正教会のアプローチとしては、神の存在と強く感じ、神と個人的な関係をもちながらも、神の構造の全てを人間が理解できるとは、思うなよ。ということらしいです。ですから、派生した、新教でも、棚の上のトロフィー扱いになります。

以下、二ケアのクリードで、英語だけでなく、ギリシア語もついています。現在でも、世界中のキリスト教徒が信じ、従っている大本の教義です。ご存じのとおりです。こうして決まったんだなぁ、と思うと、感慨深いものがあります。

https://orthodoxwiki.org/Nicene-Constantinopolit …

そして、イスラエルはもちろんのこと、アウグスティヌスの住んでいた南地中海も、正教会の中心地であったコンスタンチノープルも、イスラム教の手に落ちます。現在は、ギリシアこそ、キリスト教が復活していますが、長い占領のせいで、キリスト教遺産は、ないに等しいです。でも、ギリシアらしく哲学的な、三位一体の教義は、残りました。人類の遺産と呼べます。

私見ですが、私は人間の脳は信じていません。自分よりも賢い人間には騙されるし、うっかりすることがあるし、怒りを覚えると我を忘れます。そして、お金や見栄のために、人を殺すことさえする、体たらくです。脳の呪縛から逃れるには、人間よりも崇高なものを信じることだ、というのが、現在までの結論です。
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この回答へのお礼

そうですね。ここは簡潔にまいりたいと思います。――ご回答をありがとうござ
います

具体的な一点に集中しますと 次の事態が三位一体説のもたらすものとして特徴
的ではないでしょうか?

☆☆ (趣旨説明欄) ~~~~
10. 真理(神)にあっては 時間の間を置くことなく 正解が得られている
けれども 人間の経験世界では 時間的なズレをともなって ときに 正解(た
だし相対的であり複数である)が得られ それが実現されることもあるかも知れ
ない。
~~~~~~

☆ あるいは言いかえると 《神にあっては 不法行為はその犯した時点ですべ
て知られ・裁かれている。人間世界では その犯罪行為(《意志》)とその認識
(《知解》)とそして結論としての裁き(《記憶≒司法》)という三者のあいだ
には 時間的なズレが生じる》。

したがって 情況によっては 完全犯罪が成り立つかも知れないとも言われます。

ただし もし《人がかみの似像である》とすれば 少なくともその意志行為の本
人はあたかも三位一体の神のごとく 意志・知解・記憶の三者を一瞬のうちにす
べて捉えて・すなわち時間差なく自己による審判をあたかも終えている。


いや そんな机上の空論は 屁理屈ですらないというとき これが現実だ――こ
れが人間にとっての《人間性であり現実である》――と語っているのが イエス・
キリストのはりつけであると思われます。


つまり 特に被害者は 加害者が裁きを完全にまぬかれたときには むくわれぬ
現実だと成りますが その被害者の心の前に 十字架上のイエスがあるのだと思
います。

無実の罪で磔の死に甘んじた人がいるのだから 我慢せよ・・・ではありません。

人間たるイエスが キリストたる神であったという《まぼろし》の説は 人間性
というものも それほど捨てたものではないと語ろうとしています。

本人が みづからによるみづからの裁判を じつは終えているということ。これ
が 人間性であり現実であると。


つまり気の長い話ではあるのですが もしこの《人は神の似像》説――つまり三
位一体説つまり《イエスはキリストなり》説――に人びとがもとづかないならば
犯罪等の不法行為がこの世から影も形もないようになることは あり得ない。

《ロゴスの肉化》を除いた霊性だけとしては 《人に仏性が宿る》説ですね。

お礼日時:2019/10/06 05:05

脳科学は行動決定するあたり数多の脳神経細胞の働き同士が議論のようなことをして答え出すは言っています


上記を前提にして話を進めるなら答えを出す=意思決定となります。
と言うことは答えを出す=意思決定は議論に登った議題次第となるのです
このことを相模原市の事件に当てはめるなら
議論のような事をする数多の脳神経細胞の働きがしうる選択が圧倒的に「多重障害者を殺害すべき」多かったからこそ多重障害者を殺害すべきとの答え=意思決定が為されたと言うことです。
仮に「多重障害者を殺害すべき」という選択肢と「多重障害者を殺害すべきでは無い」と言う選択肢の割合が5対5ならその議題は「多重障害者を殺害すべきでは無い」と言う答え=意思決定が為された可能性があったと言うことです。
更に言えば「多重障害者を殺害すべきでは無い」と言う選択肢が圧倒的に多ければ多重障害者を殺害すべきでは無いとの答え=意思決定が為されたと言うことです。
ですから重要なのは意思決定では無く議題=選択肢なのです
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 脳科学は行動決定するあたり数多の脳神経細胞の働き同士が議論の
ようなことをして答え出すは言っています
☆ つまり《知解》の過程ですね。

★ 上記を前提にして話を進めるなら答えを出す=意思決定となります。
と言うことは答えを出す=意思決定は議論に登った議題次第となるので

☆ ん? 世界について問題をとらえ これを一定の主題とし課題とし
て 理論的な解明をおこない実践としての対策を打ち出す。



★ このことを相模原市の事件に当てはめるなら
議論のような事をする数多の脳神経細胞の働きがしうる選択が圧倒的に
「多重障害者を殺害すべき」多かったからこそ多重障害者を殺害すべき
との答え=意思決定が為されたと言うことです。
☆ そうですか。

私見を述べるなら 《これは どんづまりだ。もうどうすることも出来
ない。そしてこれは 周りの人に助けられている以外に道はない》とで
も思ったのではないか?

★ 仮に「多重障害者を殺害すべき」という選択肢と「多重障害者を殺
害すべきでは無い」と言う選択肢の割合が5対5ならその議題は「多重障
害者を殺害すべきでは無い」と言う答え=意思決定が為された可能性が
あったと言うことです。
☆ 私見を述べますが たとえ《この人たちは 人びとから介護を受け
て生きながらえるよりほかない》という事実認識をおこなったとしても
――つまり 《死んでいるも同然だ》と理解したとしても―― 意志お
よび存在を踏み倒すことは あり得ません。

人間性にとってあり得ない不法行為です。


★ 更に言えば「多重障害者を殺害すべきでは無い」と言う選択肢が圧
倒的に多ければ多重障害者を殺害すべきでは無いとの答え=意思決定が
為されたと言うことです。
☆ 《わたし》が ふと我れに還って 《わたし》を取り戻すことです。

それには 《たましづめ(魂鎮め)》が必要です。《われがわれに還る》
ために わたしは世間との・そしてわたし自身との和解をすることが必
要です。

この和解を得るには しばしばまづ《たまふり(魂振り)》を必要とし
ます。

《わたし》の思想を・その意味であたまを シャッフルします。よき思
想を得るようにし余分な思想を 振り落とします。

言わばたましいを揺さぶります。そうして たましづめへとみちびきま
す。

お礼日時:2019/10/05 05:12

人格全体としてのわたしそれ自体が私の脳神経細胞の働きによるものです


だからこそ人格にしろ私にしろ脳機能と切り離すわけにはいきません
脳機能を破壊すれば人格にしろわたしにしろ破壊されます。
ですからカルト宗教と称される組織は対象者の脳に不当に干渉して対象者の人格を破壊しそのような組織に都合が良い人格を作らせるのです
このような行為を洗脳やマインドコントロールと称します 
質問者さんはこの当たり前の事実に向き合うべきです
脳は物理的かつ生理的に機能していてだからこそ機械的なのです
そのようなに脳の生理的特徴は無視できません
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 人格全体としてのわたしそれ自体が私の脳神経細胞の働きによる
ものです
☆ 自律神経としての脳のハタラキと それとは別にものごとを考え
どう振る舞うかを決める知解のハタラキとがありましょう。

むろん知解は おもに脳でおこなっています。


★ だからこそ人格にしろ私にしろ脳機能と切り離すわけにはいきま
せん
☆ したがって どうなりますか?


★ 脳機能を破壊すれば人格にしろわたしにしろ破壊されます。
☆ 人格形成の努力と過程 あるいはそうしてよく成就した《わたし》
という存在は――もう活動し得ませんが―― のこるでしょう。

脳機能の破壊と 人間の破壊とは別です。


★ ですからカルト宗教と称される組織は対象者の脳に不当に干渉して
対象者の人格を破壊しそのような組織に都合が良い人格を作らせるので

☆ そうですか。


★ このような行為を洗脳やマインドコントロールと称します 
質問者さんはこの当たり前の事実に向き合うべきです
☆ というふうに ムカリンさんも わたしを洗脳しようとしています
か?

いや ウソですが 運動選手などで よかれと思ってのマインド・コン
トロールがおこなわれているようです。


★ 脳は物理的かつ生理的に機能していてだからこそ機械的なのです
そのようなに脳の生理的特徴は無視できません
☆ 自律神経と言うんでしょ?

お礼日時:2019/10/05 04:53

相模原市で多重障害者を多数殺害した犯人はその行為が倫理的にも法的にも許されない環境で殺人を行なったから非難されているです。


仮に多重障害者を殺害することから倫理的にも法的にも正しいとしている社会で行ったなら犯人は非難されるどころか英雄扱いすらされるでしょう
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

もし自分の言動に責任を持っているとしたら 人間にかんするかぎり
その人の〔表明された〕意志をないがしろにするほど踏みにじるなら
ば――なぜなら 存在じたいを抹殺することは 意志の踏みにじりに
なります―― 何がどうあれ アウトです。

不法行為であり 原状復帰すべき問題です。



★ 仮に多重障害者を殺害することから倫理的にも法的にも正しいと
している社会で行ったなら犯人は非難されるどころか英雄扱いすらさ
れるでしょう

☆ 意志と心さらにその基体を成す存在じたい これを踏みにじるこ
とは 例外なく認め得ない不法行為です。

犯罪者を拘束し 更生のため法のさだめるところに――強制的に――
したがわせることは 《意志を踏みにじるという不法行為》を権力が
みなの取り決めによって託されているという一点で ゆるされていま
す。

別に 例外としてではないはずです。緊急避難です。

正当防衛 それが 例外規定ではないか? 法律の条文の問題として
なら 例外視しているかも知れませんが 《意志と存在をないがしろ
にする不法行為――それは 認め得ざるものである――》に 例外が
あるわけではありません。

お礼日時:2019/10/05 04:41

意思決定それじた脳神経細胞の機械的な処理によるものです


加えて脳神経の機械的な処理自体に特別な意味は有りません
何度も言いますが意思決定そのものは重要では有りません
重要なのは選択肢です
選択肢に無いことは選択できないからです
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 意思決定それじたい脳神経細胞の機械的な処理によるものです
☆ 自律神経というくらいですから 自分ではたらいてくれましょう
ね。



★ 加えて脳神経の機械的な処理自体に特別な意味は有りません
☆ そうなんですか。


★ 何度も言いますが意思決定そのものは重要では有りません
重要なのは選択肢です
選択肢に無いことは選択できないからです
☆ それは 記憶・知解・意志のうちの《知解》力の問題でしょう。

よく前提となる事実や情況を観察し そのままを認識し これを分析
し その上でおのが欲するところを見据えて自分の価値判断にて ど
う振る舞いどう対処しまた解決に向けてことをすすめるか・・・。

選択肢は ひとつのみであっても 一つひとつ地道に着実にすすめて
行きましょう。

お礼日時:2019/10/05 04:28

質問者さんが述べている人格にしろ私にしろどちらであってもそれらは脳神経細胞の働きによって生じたものです


即ち脳神経細胞の働きそのものが私なのです
ですからわたしを扱うから潜在意識下で起きている脳神経細胞の働きにや顕在意識
下で起きている脳神経の働きを無視は出来ません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 質問者さんが述べている人格にしろ私にしろどちらであってもそれらは
脳神経細胞の働きによって生じたものです
☆ 脳細胞等における神経系統のハタラキを受け留めつつ 《わたし》はそ
の人格の全体として これを考えこれを成し それを思いそれを――思うよ
うにはならないという世の中(つまり 人間関係・つまり 相手の意志の問
題という情況)において――行動に移します。



★ 即ち脳神経細胞の働きそのものが私なのです
☆ というふうに自律神経のハタラキの独壇場である場合も起きます。

それ以上に――実践し実現し得るかどうか分からないながら――《わたし》
は 欲するところがあり のぞみを持って生きています。



★ ですからわたしを扱うから潜在意識下で起きている脳神経細胞の働きや
顕在意識下で起きている脳神経の働きを無視は出来ません。
☆ そう言われると 無視したくなりますね。

これは 冗談ですが わたしが高望みしたりせず無理を言わないとすれば
わが脳も からだ全体も けっこうすこやかにまわって行ってくれますよ。

お礼日時:2019/10/05 04:21

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