痔になりやすい生活習慣とは?

武士団の形成について

国司の子孫や地方豪族が勢力を維持するために武装して紛争が発生するようになった

それを鎮圧するために任じられた者の中に武士となるものが現れる

やがて国司の子孫を中心に武士団が形成

教科書を読むとるとこのような流れですが、ここに疑問があります。

国司の子孫たちの紛争を鎮圧するため者である武士が、なぜ国司の子孫を中心に武士団を形成するんですか?
教えてください!

「武士団の形成について 国司の子孫や地方豪」の質問画像

A 回答 (3件)

素直に解釈すれば


「それを鎮圧するために任じられた者」由来の武士に対抗するために
「国司の子孫を中心」とする武士団が形成された
となります。

「自分のものは自分で守ろう」というのはいつでもどこでも起こる人間感情で、現代にも通じることです。
だから日本人は黒船から自分の国を守ろうとしたし、戦後の占領から早く解放されることを望んだのです。
植民地諸国も、財政事情がどうあれ独立運動をおこし主権を勝ち取っていきました。
    • good
    • 1

信頼できる資料などないでしょう。

自然発生だと思います。財産を守るために、集団(村)を守るために、武装を始めた。襲う側も武装した。これを武士と呼ぶかどうか決め手がない。やがて天皇家から、源氏と平家が生まれる。どちらも数々の系統があるが、武士は平清盛と八幡太郎義家の系統だろう。滋賀県にも近江源治がいて、佐々木氏を名乗り、分裂して、京極と六角となった。最終的に京極が大名として生き残った。大阪一帯も、摂津源氏がいて、清盛の時代にかかわらず、大いに繁栄していた。これらは別系統の源氏である。北条早雲(伊勢新九郎)は出自不明だが、姉が大名今川氏の正室になったくらいだから、格はあっただろう。一つには伊勢平氏と言われる。数年行方不明になるが、足利幕府で活躍していた人物と重なる。これは清盛に近い平氏だろう。同じ伊勢の出身である。このように、源・平・藤・橘の出自を武士と呼ぶ。ただし、系図を勝手に作って武士を名乗るものばかりとなり、織田信長の平家、徳川家康の源氏は嘘っぱちだ。豊臣秀吉も、足利義昭の養子となり、源氏を名乗ろうとしたが、義昭に断られた。それで藤原氏の養子となり関白となったが、武家の棟梁とはなれなかった。あれほど卑しい素性が判明していたのだから、征夷大将軍は望むべくもないだろう。
    • good
    • 1

その文脈で言うと



最初のセンテンスは、例えば平将門などだね
で将門を討伐したのも同様に国司や受領などの子孫である
藤原秀郷とか平貞盛

これは、単に武力だけではなく貴族に連なる一族という価値を武力集団も利用している

荘園領主側も、名もない人間ではなく家名を選んで荘園管理を委任するから
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

このカテゴリの人気Q&Aランキング