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キリスト教ですが、神を信じ過ぎて辛くなっています。神父に心の中に神がいる、と言われて大変辛い。
神を信じて、事態が最悪の事にもなったし、神を呪ってしまいます。神に祈ろうとしても、神に腹が立って、あんたのせいやんか、と祈れません。心の中の神が害されてしまいました。全ては神の摂理、と思いたいですが、あまりにも重大な不幸を引き起こし、人も悲しませたので、そんな言葉では、自分を納得させられません。どうしたら良いのでしょうか?
どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (9件)

ここで言うキツネは稲荷神社の神様に相当する中級霊のことで、動物霊のキツネではありません。


霊格の低い神様がキツネに化身したものです。悪霊ではありません。プライドが高く女性に憑き安く、いつも為政者のように世界を憂えていますが、智慧と力が追い付かず失敗してばかりです。神様ですので、そこいらの霊能者では外せません。外せ無いなら、なだめて空して、ヨイショして、余り期待しないで付き合うしかないかも知れません。
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無知無能な神父ですね


悩める人を、更に苦しめるとは
「神の国は汝らの中に在る」と翻訳もあるが
盲目のバリサイ人を相手にした、その背景から
「神の国は汝らの間に在る」が正しいのです
汝らの中に在る」じゃ、仏教じゃないですか
仏教のパクりですね

キリスト教作家で有名な遠藤周作の作で
「沈黙」と言うのがあります
何をしても、どんなに祈っても、神は沈黙を守ったままです、
いい加減、目をさましましょう
キリスト教の歴史②
http://rokusann.sakura.ne.jp/default2.htm
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キリスト教では、あなたの存在そのものが、神のデザイン=プロビデンスだからです。

苦しいこと、不幸なこと、納得できないことのなかで、あなたの心や存在が、どういった納得、着地点を見出だすのか、学ぶのか、これらの苦しい学びの経験も、神のデザインのうちにあるのではないでしょうか?
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霊的な話で言うと、神は次元の異なる高次の天上界にいるので、術でも使わなければ人間界に降臨することはできません。


神や眷属や悪鬼が人間に転生した人物とか、余程の大物でも無い限り、術を使っていちいち人に憑依してきたりはしません。
あなた自身の魂か、何かに憑かれているんでしょうね?気位が高い割には失敗するので、キツネ辺りでしょうか?
本物の霊能者に相談することをオススメします。
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仏教的にいえば仏性というものでしょう。

 潜在意識ともいいますし守護霊ともいいます。
自分の良心にしたがって選んだ結果ですから、他のせいにしないことです。


神のせいでもなく、自分が右か左かをえらんだでしょう? その選択が間違っていたのです。
守護霊も一生懸命インスピレーションをを下したはずですが、あなたが正しく受けてないのです。

それかむしろ、悪霊からインスピレーションを受けて行動したのかもしれません。そうだとすれば貴方の心が神の想いにかなっていなかったのでしょう。

正しく想い、正しく行動することです。
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シェイククスピアは、この世の全ては芝居の舞台、人はただの役者と述べています。


ディーン ルディアは人間の自我はレンズのようなもの、神の意思は自我を通して個人の行動に集約される。人の人生はもはや人のものではなく、人という肉体をとうしてすべては存在するのだと述べています。
つまり、心の中に神はいるのではなく、私たちの自我を通して神は何事かを成さんということでしょうか。
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非常にざっくりとナマな話をすると、だ。


キリスト教徒は(イスラム教もだが)「モーゼの十戒を守らせるための宗教」なのである。

私が作り出しましたと舞台裏を告白するより「神の啓示である」とした方がインパクトがあるし権威づけられる。
強制力も強い。
だからモーゼは「神の言葉」とした。

神の御心に従う、それはモーゼの十戒を実践することである。
神の御心のそむく、それはモーゼの十戒をないがしろにすることである。

つまり、神とはモーゼの十戒のことなのである。

モーゼの十戒が心に刻まれているものは言動も清らかになり、自らの心も静まり迷うことがない。
モーゼの十戒に背くものは人生苦、世間苦、経済苦などあらゆる苦しみを受ける。
モーゼの十戒とはそういう苦しみを取り除く術であり、それをないがしろにするとは、苦しみを取り除く手段を放棄することだからである。

手段とは道具のようなものである。
正しく使えば効果を発揮するが、間違えた使い方をすると何の効果もないばかりか害にすらなる。
だから使いこなすための修行が必要なのである。
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神であれ恋人であれ依存はよくない。


人のせいにするのも。自分がどこで判断間違えたのかよく反省しましょう
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>心の中にいるのは何者ですか?



衆生の生命(心)の奥底にあるのは、十種の境涯が存在します。
この存在自体を、『十界』と言い何かの縁に触れ瞬間瞬間変化していきます。
その生命状態が、心に表れ、意識や表情、言動となって現れて行きます。

【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界互倶』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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