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アメリカだと大統領制、イギリスだと議院内閣制ですがこういうわけ方をすると、中国の政治体制は何に当たりますか?

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A 回答 (10件)

一応、政治学上の用語では「民主集中制」と言い表します。

もっとも、ソ連が消滅してしまった現在では、ほとんど死語といってもいい気はしますが……。

この民主集中制は、もともとはルソーの「人民主権」の考えにその根拠を求めることができますが、要するに人民の代表たる議会が、国政のすべての権限を掌握するという仕組みです(従って、基本的に三権は独立していない)。旧共産圏の国々は、この発想を取り入れましたが、それとあわせて「共産党以外の政党を認めない」ないし「国家は共産党が指導する」ということも憲法に盛り込んだので、結果として議会を支配する共産党がすべてを支配する仕組みになりました。

なお、「共和制」は、王政と対になる概念です。その意味では確かに中国も共和制ですが、共和制の国でも議院内閣制は存在し得ますから、おそらく質問者の方が知りたかったのはこの「民主集中制」という言葉だと思います。
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外務省ホームページによれば「人民民主共和制」だそうです。


同じ共和制でも、フランスやドイツとはちょっと違うように思います。
ちなみに「人民民主主義」というのは広辞苑によれば”共産主義者が中心となって作った左翼的民主主義”だそうです。社会主義の一形態と考えて差し支えないと思います。
それから北朝鮮では権力が世襲されていますが、一応選挙は行われているので共和制です(投票率が九十何パーセントで全員が金正日支持だとか聞いたことがあります)。

参考URL:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/data.html
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>>大統領制/議院内閣制、とは、その国の首脳(行政府の実質上の長)をどのようにして選挙し、どの程度の権限を持たせるかによる区分です。

<<

誤解のないように補足しておきますが、大統領制と議院内閣制は、為政者の選び方というよりは統治機構の分立のあり方を示す言葉ですから、その意味で「民主集中制」はこの大統領制、議院内閣制と対になる概念です。
というのは、一時期のイスラエルのように、首相が公選された場合は大統領制になるのかというと、1)首相は議会の信任のもとで在職する(大統領制の場合、議会は信任・不信任の投票を行うことができない)、2)首相は解散権を持つ ことから、やはり議院内閣制に分類されるべきものだからです。ですから、より正確な表現では、

・完全なる3権分立=大統領制
・立法権と行政権の密接な関係=議院内閣制
・3権が立法府に集約される=民主集中制

ということになります。
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 君主制/共和制、とは、その国の元首が君主であるかそれとも選挙等で選ばれるかによる区分です。

中国の元首である国家主席は、形式上全人民代表大会で選挙されるので、中国は共和制国です。
 大統領制/議院内閣制、とは、その国の首脳(行政府の実質上の長)をどのようにして選挙し、どの程度の権限を持たせるかによる区分です。大統領は直接選挙によって選出され、独立のある程度強力な権限を持つものであり、首相は議会で選出され、これに責任を負って行政を行うものです。国家主席は全人民代表大会(日本の国会に相当)で選挙され、罷免権も全人代の常務委員会にあるのでこの面では議院内閣制に近いのですが、国家主席とは別に国務院総理という行政府の長が置かれているので、この点では大統領制に近いとも言えます。
 民主制/独裁制は、その国が実際どのように運営されているかによるものです。中国は憲法で共産党独裁を謳っていますので、その点では独裁制です。共産主義国のこのような独裁制を特に民主集中制とも呼ぶことがあります。
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No1です。


そういえば「中華人民共和国」ですもんね。
では、共和制の衣を着た独裁制と言い直しましょう。

そういえば北の彼の国も「朝鮮民主主義人民共和国」でしたね。あれも「共和制」というのかしら?世襲の独裁者を仰ぐ共和国なんてもの凄い矛盾だと思いますが(笑)
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共和制だと思いますよ。



他の回答者様の回答は、まずこの共和制の国々のなかで、その国の政治の行い方の一つの言い方にすぎないと思います。

共和制ですから政治体制はフランス共和国やドイツ連邦共和国と同じです。

ただ、フランスやドイツは国民の選挙で政権交代が起こりますが、中国は中国共産党の一党が政治を行います。しかし前述しましたが政治体制はともに共和制です。
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形式上は人民代表大会制度です。


人民代表大会は日本の国会に当たります。
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一党独裁政治と言います。



党が全てを決め人民はそれに従います。
指導者は選出によって決められ
自由諸国のように選挙によって選ばれる訳ではありません。

又、他党の存在を認めず共産党を批判した者には
弾圧が加えられます。
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一党独裁制かな。

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独裁制でしょうね。

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内閣総理大臣の任期についてなのですが、アメリカでは四年で二期までですが日本ではどうなっているのでしょうか?
憲法第七十一条には「内閣総理大臣は、衆議院の解散や衆議院議員の任期満了により国会議員の地位を失っても、次の内閣総理大臣が任命されるまでの間は、その地位を失うことはない」とありますが何期できるのですか?
知っている方は教えてください。

Aベストアンサー

 日本の内閣総理大臣は,「1期○年」と決まっている訳ではありません。
 首班指名されてから,衆議院選挙後の首班指名まで,或いは辞職・死亡するまでが1期と言えるでしょう。というより,「第○代」と言う言い方をします。
 
>何期できるのですか?
 制限がないので,何年でもできます。
 ただ,自由民主党では,総理には党の総裁が就くことになっています。自由民主党の総裁の任期は現在,3年と定められており,2期までと定められていますから,最長6年ということになると思います。
 でも,自由民主党は総裁公選規程をコロコロ改正しています。昔,中曽根氏が総理総裁の時,総選挙で大勝したから,総裁任期を1年延長されたりしました。

参考URL:http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html

Qアメリカとイギリスの政治制度の違いについて

 アメリカとイギリスの政治制度の大きな違いを3つ程度教えてください。
また、日本では議員は当選回数が多いほど後ろの席に座りますが、
イギリスはその逆です。その理由を教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

議院内閣制か大統領制か
トップ選出:アメリカは大統領を国民が選挙。イギリスは議員が首相を選出
元首:アメリカは大統領が名実とも。イギリスは君臨のみの女王
上下院:アメリカは上院優越。イギリスは下院は実権を持ち、貴族院は名誉職的
上院:アメリカは選挙。イギリスは職・身分等から選出

イギリス議会は議員同士の討論を行うという伝統から、花形は最前線で向き合う。
日本は、偉い人は高いところというイメージを引きずってるらしいです。

Q現在のロシアの政治体制は?

どうなっていますか?
共産主義ですか?
資本主義ですか?
自由主義経済ですか?

Aベストアンサー

複数政党の民主主義体制ですね。
民主的に大統領→首相独裁になりつつありますが・・・

ロシア連邦議会は
プーチン与党・統一ロシアが、三分の二以上の、多数を占めています。
ちなみに、ロシアでは共産党・自民党は、一割以下の少数政党です。

・共産主義ですか?
資本主義ですか?
自由主義経済ですか


政治体制じゃなく経済様態だよ\(^^;)...

政府統制の強い自由主義経済です

Q議院内閣制のメリット

議院内閣制のメリットを教えてください。

大統領制と比較したメリットでお願いします。

Aベストアンサー

大統領制は国家権力を一人の人物に集中しがちです。王様と同じで、英邁な人物ならいいですが、そうでないと国家運営が上手く行きません。特に日本人のような理詰めでものを考えず情に流される傾向がある、いわゆるテンション民族には不向きです。

議院内閣制は大統領制ほど一人の人物(首相)に権力を集中せず、議員から選ばれた国務大臣に権限を分散しているので、比較的権力の集中が起きにくいメリットがあります。日本人に向いた政治制度です。反面、外交や安全保障などの危機管理でリーダシップを発揮できないデメリットがあります。短期間にころころ首相が替わるのはそのためです。大統領制に較べて明確で毅然とした国家運営が出来ません。今の日本はこのデメリットが裏目に出ています。

Q「自然法」と「自然権」の違いをおしえてください。

「自然法」と「自然権」の違いが、いまいちよくわかりません。すっきり単純明快な説明をお願いいたします。

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>ホッブズの考えでは、自然権=生命、自由、財産のなのではないでしょうか?

正確には、ホッブズの場合は、「生命・自由・財産を保持する権利」=自然権です。生命・自由・財産=自然法です。

で、ホッブズの場合は、世の中の資源は限られているので、各人は自分の自然権を行使すれば、他者の自然権を侵害しなければならないと考えたのです。これが「万人の万人にたいする闘争」というやつです。つまり、ホッブズの場合、自然法と自然権は矛盾するのです。各人が自然権を行使することによって、他者の自然法が侵害されるからです。

そこで、社会契約をむすび、各人が自然権を放棄して、一人の支配者に自然権を委ねるのです。この支配者をリヴァイアサンというのです。つまり、自然法を守るために、自然権を放棄せよというのがホッブズです。

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

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世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

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封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
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Q日本って何主義?

よくわからないのですが、
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みんな上手いこと言いますね。全員セイカイでしょう。

質問に対する答えは、日本は民主主義だし資本シュギです。
民主主義で社会主義を選ばなければ資本主義なのです。民主主義によって資本主義を選んだという二つの主義があっていいのですよ。
民主主義で共産主義を選んでもいいのです。民主主義で自分たちを役人と外人のための奴隷にしてもいいのです。

民主主義で資本主義の日本は同時に「個人主義(格差)=良くない」主義なので、その実態にふさわしいのは社会民主主義です。
北朝鮮がやむを得ず共産党独裁を続けながら目指している理想の国は私有財産権のない日本の姿です。ですからこの豊かな日本においてまだ格差だなんだと所得再分配を訴えている連中は理想が北朝鮮と同じなのです。
韓国と台湾以外の東アジアは社会主義です。そう、天皇がいましたね。日本は民主主義で資本主義である社会民主主義王国です。
つまり私たちが暮らす日本という経済大国は、その民主主義も含めて、ちゃんとした主義なんてもんがない自然な国ちゃんです。行儀のいいアニマルランド。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q煩悩ってどういう意味ですか?

煩悩(ぼんのう)ってどういう意味ですか?
辞書で調べても難しくて理解できません。
具体的に、わかりやすく教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
 
  煩悩とは、わずらわしく、悩みになることだ、ということになります。しかし、そんなに煩わしく悩む、困ったことなのかというと、日常の用法では、ちょっとニュアンスが違います。ここは、仏教のお坊様に出てもらって、具体的な使い方の説明をしましょう。
 
  仏教では、覚りを開くため、修行する人が、元々「坊様」だった訳です。従って、元の仏教の「戒め」では、修行者は、例えば女性となれなれしく口をきいてはならないとか、女性の姿もまともに見てはならないなどとなっていました。女性の美しさなどは、「迷い」の元だというのです。
 
  しかし、坊様がすべてそうではないでしょうが、すけべな坊様もいる訳で、道で通りがかりの、和服の美人を見て、ほわ、と口を開けて見とれ、なんちゅう、綺麗なべっぴんさんや、いや目の毒じゃ、これも「煩悩、煩悩」などと云いながら、女性の後ろ姿を見送ったりします。別に和服でなく、洋装でも構わないのです。また、坊様も、そんな女を見るとすぐ見とれるような人は珍しいでしょうが、やはり、坊様も男ですから、美人と道ですれ違うと、ふと、心が動くこともあるのです。
 
  あるいは、仏教では、イスラム教と同様、精神の安定や、日常の心の状態を興奮させたり、おかしくする飲み物などは禁じています。例えば、麻薬などは無論駄目ですし、煙草やお酒も駄目なはずです。しかし、日本の坊様は、何時頃からか、「般若湯(はんにゃとう)」と称して、酒を店で買って飲んでいたりします。坊様が、良い酒を味わいながら飲みつつ、何という味わい、この酔い心地、さすがに銘酒は違う。極楽じゃ。しかし、考えてみれば、これも「煩悩、煩悩……仏様よ、お許しあれ、南無阿弥陀仏、いやもう一杯、何ともうまい」などと云っていると、どこが、煩い、悩みの煩悩か分からないでしょう。
 
  また仏教では、生き物のいのちを大切にせよと教え、殺生を禁じ、従って、動物の肉は無論、鳥の肉も、魚も食べてはならないことになっているのですが、それも何のことかです。酒のさかなに、コイのあらいを食べつつ、いい気分になって来て、坊様が、いや、浮き世もまた楽しいぞよ、酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ……などと歌っていると、「生臭坊主」ということになるのですが、以上は極端に戯画化しているので、日本では、昔から、坊様が、妻帯し、子供がおり、酒は飲み、魚も食べ、それで別に社会から糾弾などされていません。
 
  大酒を飲み、酔っぱらって、寺の本堂で乱交パーティを開くような坊様は、それは別に坊様でなくとも、普通の人でも社会から糾弾されます。
 
  仏教の坊様にとっては、女性と触れたり、メイクラヴすること、酒を飲んだり魚を食べたりすることは、仏教の教えに反することで、こういう「欲望」を、修行の妨げになる「煩悩」と呼ぶのですが、煩悩というのは、多くの坊様の日常生活から云うと、自然なことのようです。
 
  もう一つ、坊様ではありませんが、一般に、「子煩悩」という言葉があります。これは、別に、子供が煩わしく悩みの種で、何かの邪魔になるのかと云えば、そうではなく、子供が可愛く、何時も子供のことを考え、細かいことにも、子どものためにと、あれこれ気も身も使う親のことを、こう呼びます。別に、子どもが、何かの「妨げ」になっているのではないのです。親にしてみれば、ふと、思うと、「ああ、おれは、何と子どものことばかり思っているのか。これも煩悩か」などとなります。
 
  「煩悩」というのは、仏教の教えとか、人間の生き方はいかにあるか、などということの前では、何か安楽な、気持ちよい、楽しい方にばかり気が向くようで、困ったことだという考えもある他方、「自然な欲求」「自然な望みのおもむく方向」であって、煩悩だが、しかし、これもまた良しなどというものです。
 
  これは、仏教の教義として、煩悩に迷う人の姿こそ、すなわち、仏の姿に他ならないという考えもあるのです。
 
  煙草をやめないと、肺ガン確実と云われていて、それでも吸いたいという人の場合、煩悩とは云いません。また、大学受験中なのに、異性のことに意識が向いて勉強に集中できない高校生も、それを煩悩とは云いません。(ただし、高校生の親が、寺の住職だったりして、子どもに、そんな煩悩は振り払え、と説教するかも知れません)。
 
  煩悩というのは、本来の仏教の教えでは、たいへん厳しい、覚りの道にあって、克服せねばならない誘惑や欲望だったのですが、「煩悩すなわち仏」というような考えは、人間は自然に振るまい、自然に生きるのがやはり一番であるという考え方でしょう。
 
  肺ガン寸前の喫煙者や、受験勉強に必死な高校生にとっては、喫煙や、恋愛は、自然のままを楽しもうなどということではないのです。
 
  人間は、欲望が強すぎると、色々不都合なことが起こることが、或る程度分かっているともいえます。分からない人、自制がきかない人は、酒に溺れて身を滅ぼすとか、守銭奴になって、世人の顰蹙を買うなどとなり、そういう人自身は、煩悩も何もないでしょう。しかし、そういう人を横目で見ていると、酒を飲み、恋愛をし、ギャンブルで小銭を失い、自堕落な生活を少々しても、歯止めがかかっていて、ああ、これが煩悩というものか……で片が付きます。
 
  「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、確か古い歌の言葉ですが、そういう心境の「分かっている」のが、煩悩だと分かっているということで、度を超さなければ、やめる必要もない訳です。本格的な修行をしている坊様にとっては、厳しいことでまた別ですが、普通には、煩悩はまた楽しいことなのです。本来しない方がよい、というのをするのは何とも楽しいことなのでしょう。
 
  世界中の文化がそうだとは分かりませんが、日本は、煩悩を楽しむ文化です。
 

 
  煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。
 
  しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。
  「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。
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