誕生日にもらった意外なもの

一口メモによる情報交換です。

 
何でも話を聞いてくれるのが――ただし その願いがかなうかどうかは分からない
のが―― 神である。
 
しかも 何でも願いに耳をかたむけてくれて 元気づけてくれる。ひょっとすると 
永遠に元気づけてくれる。

 
エゴー(=" I ; Ich " :わたしは )と言って思惟し行動する《わたし》をとうと
び エゴーを中心にして生活を立て直すチカラを――誤解をおそれずに言えば エ
ゴイズムに自由に無理なくそのわが持てるチカラいっぱいに かつ きよらかなお
それの下に 立ち得る元気――をあたえてくれる。

A 回答 (7件)

天使が人のメスとの間に子供もうけたと言う話しがあるようですから仮に神が存在しているとしても神は神の都合で物事を決めてるんでしょう

    • good
    • 0

ところが西欧自我哲学が、我という個々それぞれの神のデザインを一般化して語りすぎて、キルケゴールが怒って、真理とは個別において真理である、と語ったと思います。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


今回は 必ずしも複雑ではないように――まちがっていたら ごめんなさい――
思います。

神について 《一般絶対性と個別絶対性》を捉えました。

しかも 個別でありつつなおそこにその人の主観が現われる余地があると捉え
これを 《特殊絶対性》と名づけています。

《おれは神を見たんだ》と誰かが言った場合 だれもこれを肯定も否定も最終
的なかたちにおいて論証することは できないですね。(できるか出来ないか
が分からない)。

そういう場合が成り立つゆえにこそ 表現の自由が 証明抜きの公理としての
ごとくみとめられている。とも考えられます。



キルケゴールは 最後まで読んでいなくて こういったコメントでよろしいで
しょうか? 



☆☆ 【Q:一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教へ
の絶対批判】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11097065.html

お礼日時:2019/11/12 12:10

神は人のためになにもしてくれない


人が神を信仰して幸福になるのは人の勝手な思い込み
神がすべての人を許すのは、寛大だからではなくそもそも興味がないから
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 神は人のためになにもしてくれない
☆ 人によっては・またその人の主観によっては 奇蹟が起きることさえある
かも知れません。

と同時に 一般には 神は沈黙し 隠れたる神(デウス・アブスコンディトゥ
ス)のままですね。



★ 人が神を信仰して幸福になるのは人の勝手な思い込み
☆ たしかに《主観》の問題でしょうね。



★ 神がすべての人を許すのは、寛大だからではなくそもそも興味がないから
☆ まぁ どうなんでしょう。よごれたところは よごれるにまかせていると
も言われていますが。神がです。

お礼日時:2019/11/12 11:29

そもそも近代自我の西欧哲学とは、我という神のデザインに、耳目を傾ける意図があったのではないでしょうか?

    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


そのとおりですね。神論は 存在論――《〈わたしはある〉 それがわたしだ。》
――であり 存在はとうぜん人のそれであり 人間論になるかと思います。

しかも ほかならぬ《わたし》ですね。

▲ (マタイによる福音書 22:32 ) ~~~~~~
 ――『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』(出エジプ
   ト記 3:6 )とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者
   の神なのだ。
~~~~~~~~~~~~~
☆  アブラハム以下の三代の人間。これは 個別性を問題にしているとも解釈で
きると思います。それぞれの《わたし》ですね。


と考えます。

お礼日時:2019/11/12 11:24

悪*魔とはイエスが対戦してますね。

名誉、金といった誘惑のことですね。囚われない、という教えが、そこに在りますね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

むつかしい。悪魔がです。――ご回答をありがとうございます。

たしか ヨブ記〔の冒頭〕で悪魔は 神に報告をおこなっていて その悪魔
の振る舞いは 神の許可を得て可能になるといった話になっていたかと思い
ます。

そう考えるなら――悪魔は 神のもとにおさまっているからには―― 何も
むつかしいこともない・・・かも知れません。



ううーん。ここからの展開は どうなりましょう?

もう少し問題をしぼったり テーマを具体的に決めて思索をすすめたりしな
ければならないかも知れないですね。

お礼日時:2019/11/12 11:12

考え方には賛成です。

しかし、神という以上、悪のチカラも存在します。
効果的に戦うために組織に属することは大切なことです。

「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。
三つ撚りの糸は簡単には切れない」伝道の書4:12
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。お久しぶりです。


★ 考え方には賛成です。
☆ ありがとうございます。

★ しかし、神という以上、悪のチカラも存在します。
☆ 直接に・あるいは目に見えて対処するようには神は振る舞っていない
と思いますが ――神は 善と悪とを超えているからには・つまり 善悪
の彼岸であるからには――悪をもその受け身のチカラのうちにおさめてい
る・・・とは思います。

神のよわさは 人間のつよさよりもつよい。と。(論証抜きになりますが)。



★ 効果的に戦うために組織に属することは大切なことです。
☆ もう少しくわしくお聞きしたほうがよいかと思うのですが それは 
一概に決まっているものではないかのようにも思われます。

国家権力(主導する官庁)にさからって企業活動をおしすすめた経営者の
判断のほうが 先見の明があったという場合がしばしばです。

組織の仕来たりから外れた人間のほうが 将来性があるという場合もです。

そしてもちろん 組織と一体となったかたちのほうが よき仕事や改革な
どを成し遂げることができる場合も あります。



▲ 「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。
三つ撚りの糸は簡単には切れない」伝道の書4:12
☆ そうでしょうけれど。確率から言って 仲間のちからをまとめた場合
のほうが よりよく仕事ができる。


ですけれど そういった集団のまとまりとしてのチカラは よく見てみる
と その中の一人ひとりがけっきょく《主観として ゆるぎない主体性を
発揮し得る落ち着きを得ている》ゆえにこそ有効である・・・ようにも感
じられます。

この質問は そういった《個別性》に焦点を当てて 神の問題についてか
んたんに触れようとしたかとは思います。


でも けっきょくは 綜合的に捉え全体としての視点が 必要であり大事
ですね。とは成りますね。謝謝。

お礼日時:2019/11/12 11:06

神がわれわれの声を聴くというよりは、我という神のデザインにわれわれがいかに耳目を傾けるか、が大切なのではないでしょうか?

    • good
    • 1
この回答へのお礼

ん? どういうことでしょう?

――ご回答をありがとうございます。

つまり:
★ 神がわれわれの声を聴く
☆ ということは われわれがそれぞれ自分の思いや考えを――神に――
聞いて欲しいと思った結果ではないですか?


★ 我という神のデザインにわれわれがいかに耳目を傾けるか
☆ は けっきょく間接的に 神の声をわたしたちが聞きたいということ
と それを神が聴き届けるということがあって それがメールとなってわ
れわれにとどく。そんな内容の過程が展開される・・・のでは?





あぁ。個別のうったえであるよりは 《我という神のデザイン》である存
在というものについて もっと哲学による問い求めを深めなさい・・・と
いうことなんですかね?

そういった人間性としての姿勢をまづ みづからに問うことから始めよう
・・・でしょうか?


かも知れません。



この問いは いくらか《甘え》という要素をふくみ持っており それはゆ
るされるのではないか。という視点をも 問うているかと思います。どう
でしょう。


《あやまち得るスサノヲ人間語の要素が 萎縮しないように》というアマ
エが 出汁としてのごとく 効いてしまったかも知れません。

《いいや。きびしく》派ですか?

お礼日時:2019/11/12 10:42

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す


おすすめ情報