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目を止めてくださりありがとうございます。

大正時代での恋人の逢瀬について教えてください。もしくは友人同士で遊ぶときの方法でも構いません。

どのようなところで会い、何をして遊び、何を食べていたのでしょうか。
カフェーはキャバクラのようなものだったらしいのですが、では恋人たちはどこで楽しんでいたのでしょう……。
浅草などの都会という設定で、なるべく具体的にお願いします。

また、大正時代では既に「デート」という言葉が使われていたのですか? それとも「逢い引き」「逢瀬」と呼んでいたのでしょうか。

ご回答よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 皆様ご協力ありがとうございました。
    どのご回答も大変参考になりましたが、私の質問に対する回答を多く用意していただいたhead1192様をベストアンサーに選ばせていただきます。

      補足日時:2019/11/21 23:55

A 回答 (4件)

カフェと言ってもいろいろあるから、みんながみんないかがわしいところではないけど、


店でいうなら甘味処(ぜんぜい、あんみつ)とか茶店とか。
夜などは牛鍋屋とか酒屋とか、今とあまり変わりませんでした。
大正だとミルクホールというのもあったけど、これは今でいう立ち食い蕎麦屋かスター●ックスみたいなものだから、あいびきにはちょっと不適でした。

川辺とかを散策したり、一緒に海を眺めたりとか、そういうことも多かったかな。

今のように変哲もない男女が肩を並べて歩いてなど居たら、後日学校で何を言われたか・・・

デートという言葉は使われていなかったはずですが、なんと言っていたかまではわかりません。

マンガなら『はいからさんが通る』が大正時代だし、
小説だと井上靖の『夏草冬濤』『北の海』が、大正の香りぷんぷんです。
『しろばんば』の続編にあたる小説なのだけど、今も教科書に載っているのかな。
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この回答へのお礼

甘味処! 茶店! 牛鍋屋! なるほど……!
その単語でもう少し調べてみます!

ネットで調べて「ミルクホール」が出てきたので、これだ!と思ったのですが、ミルクホールはデートスポットというより友人同士で腹ごなしにちょっと立寄る店、という認識だったのですね……お聞きしてよかったです。

はいからさんが通る、気になっていました。読んでみようかと思います。小説の方は聞いたことがなかったです。図書館で探してみます。

丁寧なご回答ありがとうございました。

お礼日時:2019/11/16 15:38

デートではなくて、ランデブー

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この回答へのお礼

ランデブー!
調べたところ、大正から昭和に至るまでその言葉が使われたらしいですね。
自分では思いつきもしませんでした!そもそもランデブーってデートの意味だったのか…!
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2019/11/21 23:51

にょろにぃろ 様  (再投稿です& 長文ですみません)



ご丁寧なお返事ありがとうございます。

昨日の回答では、ウチの祖母の淡い初恋のお話を書かせて頂きましたが、
皆がみな そんな素朴で内気な恋をしていた訳ではないと思い、再度
投稿させて頂きました。

大正時代の有名なロマンス、と言えば…画家・竹久夢二がいますね!
彼は当時、名うてのプレイボーイで、商家の娘 「たまき」と恋に落ちて
結婚しました。カフェと言われるような喫茶店で、結構美味しいものを
食べたり、浅草や銀座などで、お芝居や買い物を楽しんでいたようです。

たまきは、裕福な家の娘でしたので、その援助を受けながら、夢二も
創作に励んでいたという話です。
この頃、夢二が描いた美人画の多くは、たまきがモデルだった事でも有名です。
「黒猫を抱く女」 など、今でも人気作品がたくさんあります。

何不自由ない暮らしをしていた夢二でしたが、ある日、夢二のアトリエに
絵画を学ぶ為にやって来た、「彦乃」という清楚な少女に会った途端、
夢二は一目惚れしてしまいます。ここから二人の「逢瀬」が始まります。…中略…。

相思相愛の恋に落ちてしまった二人は、「駆け落ち」しました。
貧しいながらも、夢に満ちた生活を送っていました。
この頃、夢二は彦乃と、田舎のあぜ道を歩いたりして、静かな恋を楽しんで
いました。後の夢二の作品にも登場する、「日傘をさして夏の陽射しの中を
歩く、儚げな女性」のモデルが彦乃です。

たまきと都心で、派手に遊び暮らした頃とは、うって変わった生活で、暮らしも
慎ましいものでした。 けれども貧しさゆえに、やがて彦乃は体調を崩して
結核にかかり、長の入院生活を送る事となります。

美人画だけでは、療養費や生活費をまかなう事が困難となった夢二は、挿絵や
雑誌のイラストなど、何でも引き受けて、お金に換えていました。
 一方、姉さん気質のたまきは、困窮する二人の事を心配して、時折、人づてに
仕送りをしてやったという話も残っています。

こう考えると、大正時代~昭和初期~現代へと、街並みも服も食生活も娯楽も
見た目は、ゴロっと変わってしまいましたが、人の心は、変わってないのだなぁと
思いました。 
 ※脈絡のない稚拙な文章を長々と書いてしまい、すみませんでした。失礼お許し下さい。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
竹久夢二のお話、たいへん参考になりました。

お礼日時:2019/11/21 23:48

にょろにぃろ 様 (長文ですみません)



昔 おばあちゃんから聞いた話ですが、今とは全く違った世界
だったようです。

男女が、人前で、手をつなぐ事さえ はばかられるような雰囲気
だったそうで、相愛のふたりが、逢瀬をしようと思ったら
人目につかないように、夕暮れ時の木蔭や・人のいない海辺
なんかで、こっそり会っていたそうです。

また逢瀬が、かなったとしても、その時代の男女は、大変謙虚で
慎み深く、そうそう簡単に抱擁したりする事も少なかったという事です。

本当に現代から考えると、隔世の感がありますね。
プラトニック・ラブを絵に描いたような恋愛をしていたようです。
でも、それだからこそ、何十年経った今でも、当時のことを、
美しい想い出として、胸に刻んでいられるのだと思います。

ロマンティックでとても素敵だと思います!
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この回答へのお礼

sigety様のお祖母様の実体験、大変参考になります……!

大正時代は「父」が絶対で結婚も親で決めることが少なくなかったらしいので、恋人の逢瀬が難しいのはその影響でしょうか……。

気軽に店や人気のある場所では会えず、夕暮れの木陰、静かな海辺でこっそり愛を育くむ恋人たち。現代ではあまり見ない純な恋愛観が素敵で少し憧れますね。きっと彼らは好きな人と短い時間でも会えるだけで幸せだったのでしょう。

親切なご回答ありがとうございました!

お礼日時:2019/11/16 15:48

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