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明治、大正時代の女性は尋常小学校卒業後の就職はありえたのでしょうか?ほとんどの人はそのままお見合いして結婚したのですか?

A 回答 (2件)

織物工場の女工。

大きな屋敷の下働き、いまならメイドさん。
農家なら、そのまま百姓仕事。
さすがに小学校卒業して、即見合い結婚は、ほとんどないでしょう。
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>明治、大正時代の女性は尋常小学校卒業後の就職はありえたのでしょうか?


ありえましたし、欧米とは異なる状態でした。

>ほとんどの人はそのままお見合いして結婚したのですか?
少なくともどこかの家の見習い女中や商家などで奉公し、行儀などを習ってから結婚するのが一般的だったといえます。

日本の女性の地位を考えるのに一つ重要なのは「明治・大正時代でも、働いた賃金は自分のものだった」ということです。
何を当たり前、と思うかもしれませんが、欧米では異なっていて、特にヨーロッパの国では「女性が働いた賃金は自分のモノにならず、未婚者なら父親、結婚すれば夫の財産になった」のです。
 ちょうど日本では今でも「結婚すれば妻が夫の給料を全額管理する」というのと男女が逆になっている形で、それも伝統的なやり方ではなく法律で「女性は財産を持てない」と決められていたのが大きく違うところです。

なので、西洋女性は18世紀から19世紀初頭でも「教育そのものを受けない」場合があり、それは「女が読み書きを覚えても、意味がない(仕事をして稼ぐわけではないから教育を受ける時間がもったいない)」という認識だったからです。

日本は江戸時代でも男女問わず寺子屋レベルの読み書きそろばんは習いました。男子はさらに高度な学校に行く場合もあり、それは明治になっても同じでしたが、少なくとも日本では明治の学校制度が始まった時点で「女子も小学校まで行くのは当たり前」であったといえます。

なぜなら女子は家庭に入れば「一家の家計を任される主婦」という仕事があり、読み書きそろばん程度ができなければ家計管理ができなかったからです。

明治・大正の日本の女性達への教育はこのような「一家の家計を任せるに足りる能力」を身に着けることに主眼が置かれていて、だから女学校などに「家政(今の家庭科に近い)」という授業があったのです。

女学校などに進学しない、多くの女性達は小学校で読み書きそろばん程度を身に着けると、奉公に出ます。奉公先では行儀や家事などの仕事を行うのですが、地方の地域社会では「大きなお屋敷か大店で奉公するのが一番よい」とされていて人気の仕事でした。

 なぜなら大きな屋敷や大店の奉公人は行儀が行き届いていて、家事なども仕事だけでなく「大人数の奉公人を管理する方法」なども学ぶことができ、さらによい嫁ぎ先をあっせんしてくれることも多かったからです。

その結果、学校の成績がよく利発で行儀や家事だけでなく、人の使い方も学んだ女性は大店の若旦那や庄屋クラスの家に嫁ぐことができ、彼女たちは「女将」と呼ばれる、采配を振るう立場になれたわけです。

小さな奉公先だったとしても、行儀や家計管理などを学ぶことはできたので、そのような場所で働きつつ5年程度で結婚していったようです。江戸時代末期から日本の女性の婚姻年齢は当時のヨーロッパからみても遅めで、20歳前後が結婚適正年齢とされていて、学校卒業から5年程度は「花嫁修業」として奉公する(またその時に自分のお金を貯める)のが一般的だったようです。

女学校に行けた女子生徒たちは、ほとんどの場合「学校の教師」になっていきました。残念ながら明治・大正の時代では女性が男性と伍して仕事を行える場所は少なく、それは女性差別の部分は有ったにしても、多くの場合は「体力的に女性には向かない仕事」ばかりだったからでもあります。なので新聞記者などの「比較的体力を使わない仕事」には数が少ないながらも女性も参加することは有ったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2019/11/19 11:29

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