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祖母の妹さんは昭和27年生まれですが、このくらいの世代になると子供の時特別貧乏したという世代でもないですか?

A 回答 (12件中1~10件)

貧乏は貧乏でしたが、周りも皆同じですから


特別に貧乏なんて感覚は無かったと
思いますヨ。

バナナなどは、小さな一本を家族で分けて
食べたことがあります。

皆、賃貸安アパートでした。
トイレも風呂も無い、四畳半一間に
家族4人が暮らしていました。
持ち家など大金持ちだけです。

洗濯機などありません。
お母さんが手でゴシゴシやります。
炊飯も、薪割りから始めます。
掃除はホウキとハタキです。
東京の話ですよ。

自動車など持っている人はほとんどおりません。
よほどの大金持ちだけです。
海外旅行など夢の又夢。

それでも毎日楽しかったです。

今はどうでしょう。

経済的には比較にならないほど豊かですが
それに比例して、幸福度は上がっていますかね。
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いや貧乏のどん底ですよ。

バラック生まれでね。
親の収入で食えずね。

こんな歌がはやった。
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いや世の中はまだ貧乏でしたよ、だからその妹さんの小学校時代の集合写真を見れば分かりますよ。

生徒の着てる物が違いますから、最近押し入れを整理してて見たらボサボサ頭でズック靴をはいてない女の子とか男の子ががいたよ、その頃は気にならなかったけど。
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一部の人が小型の自家用車を買うことができ、大学進学率も2割を超える様になったが、しかし同時に家庭の事情で、成績は良いのに大学進学を断念する人も珍しくはなかった時代です。



食うものに困って、泥棒する人はいなくなりましたが、中学校の給食費を持って来れない子なんて普通にいたし、まだまだ貧しさは身近にありましたね。
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その頃まだ全体的に豊かになってはいなかったので貧富の差が激しかった様です。



母が比較的裕福な生活をしていましたが、高校へ通わすのも大変な家庭もあった様で、母の話によると、当時流行り始めた下校してから喫茶店通いが出来た生徒と、下校してから夕飯のおかずにと道端に生えている野菜を取って家に帰る生徒と、生活の差が激しかった様です。

母の住んでいた街の貧しかった女子生徒は、学校に通いながらも花嫁修行(男を見る目を養う)をして将来社会的地位が高くなる男と結婚した人が多かった様です。
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質問者さんの認識する「貧乏」の定義によります


平民貧民の景気が良くなってきたのは37年以降でしょうか
従って27年生まれですと小学校5年ですから、極貧時代の記憶がまだあると感じます
一般論としては、昭和31年生まれ以降だと極貧の記憶があまり残っていないと思われます
30年は微妙
20年代生まれだとちゃんと記憶が残っていると思う

今の連中が想像できる「貧乏」とはレベルが全く違う
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昭和22年生まれですが、小学校の頃は、日本は、超貧乏国。

中学になってから、超貧乏国を脱出すれど、貧乏国が高校時代になっても。大学を卒業するころに、貧乏国も脱出で、世界の中の下にやっとこさなりました。

昭和27年生まれ、5歳下ですから、小学校時代は超貧乏国です。中学に入る前で、超から並みの貧乏国経験者です。
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その年代だと世の中を回していたのは明治生まれと大正生まれ。

現在67才と言うことなら、畑付き田舎なら勝ち組、野良組なら貧乏。でも助け合いや近所付き合いがあった。みんな貧乏だったから、今みたいにプライバシー権とか言う奴など無く、家に鍵すら無かった。全裸のばあさんが田んぼで、稲を刈っていたなどなど。
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昭和27年は西暦だと1952年。

高度成長期は1955年〜1973年。
平均的な年収であれば、学生時代で金銭面の苦労はさほどなかったであろうと想像できる。
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そんなことはないですよ。


昭和30年代最後生まれくらいまでは、貧富の差が激しかったです。
私は昭和35年生まれなので、子供心にそういう差をめちゃ感じてました。
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