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後醍醐天皇は、隠岐に流されたけれど兵をあげる

幕府は足利高氏に後醍醐天皇の追討を命令

この後に、学校のプリントで
1333年、討幕のため上京した高氏が、後醍醐天皇に、寝返って六波羅探題を滅ぼした、とあります。

これは後醍醐天皇側に高氏がついて、幕府の設置した六波羅探題を滅ぼし、幕府は滅亡

ということでしょうか?(簡単に言うと)

A 回答 (2件)

足利高氏は討幕を狙っていたが、鎌倉幕府の命で後醍醐天皇を討つと見せかけて六波羅を攻撃。

新田義貞が鎌倉襲撃。かくて幕府は滅亡。
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足利尊氏が


>後醍醐天皇側に高氏がついて、幕府の設置した六波羅探題を滅ぼし

六波羅探題は京都におかれた幕府の機関ですので、これでもって鎌倉幕府が滅亡したわけではありません。
六波羅探題を尊氏が落としたのが、1333年5月7日
新田義貞を中心とする朝廷軍が鎌倉に攻め入り幕府を滅亡させたのが5月21日です。
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