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小学館版学習まんが「世界の歴史」の挿絵の説明に、次のものがあります。

「日清戦争の講和会議(この下関会議の後、日本も清への侵略を始めます。)」

講和会議って、戦争が終わったから、しているのでは?

A 回答 (7件)

「戦争」とは「武力的侵略」であり、近代においては「宣戦布告」をすることが一般的です。


当然、そこには、国家間の互いの交戦意思表示が必要です。
昭和初期、そうした国際ルールを無視して、日本は戦争をしました。
それが「満州事変」などの「事変」で「満州戦争」とは言いません。
日本軍が、手順を無視して現地で勝手に「交戦状態」になったわけです。
また、「侵略」は他国の権利や活動を、不当に奪うことすべてをさします。
「経済的侵略」という言葉があるのは、そうした事実を示しています。
「世界の歴史」の挿絵の説明の、「日清戦争の講和会議」後、「日本も清への侵略を始めます」という意味は
日本は、戦争を通しての中国の「武力侵略」は止めたが、「ほかの方法で中国を侵略した」ということです。
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この回答へのお礼

解決しました

>「戦争」とは「武力的侵略」であり、近代においては「宣戦布告」をすることが一般的です。
>昭和初期、そうした国際ルールを無視して、日本は戦争をしました。
それが「満州事変」などの「事変」で「満州戦争」とは言いません。

そうなのですね。

>「侵略」は他国の権利や活動を、不当に奪うことすべてをさします。
>「経済的侵略」という言葉があるのは、そうした事実を示しています。

なるほど。

>「世界の歴史」の挿絵の説明の、「日清戦争の講和会議」後、「日本も清への侵略を始めます」という意味は
日本は、戦争を通しての中国の「武力侵略」は止めたが、「ほかの方法で中国を侵略した」ということです。

良く分かりました。
早速のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2019/12/11 18:48

No4、6の回答者です。



日清戦争とはあまり関係はありませんが江華島条約についてお話しさせていただきます。
(世界から嘘つきがいなくなれば、こんな無駄な事をしなくてもいいのに)


江華島事件とは、1875年(明治8年)9月20日に朝鮮の江華島付近で起きた日本と朝鮮の武力衝突事件ですが、
その原因は朝鮮側の不手際によるものです。

当日雲揚号が江華島付近を公開していた理由は↓です。

A:対馬海域の測量
B:朝鮮の東南西海岸~清国牛荘の航路調査と研究
C:帰路、琉球諸島を測量

雲揚号は、まず対馬の測量を行い、次に朝鮮東南西海岸から清国牛荘に向かいました。
しかし途中で水が不足した為に、補給のため江華島に行き、事件がおこりました。
当時の日本と朝鮮は、お互いに船への水や燃料を補給するという約束を交わしていました。
(その際、日本は日の丸の国旗を渡し、日本の船はコレを掲げていると説明しています)


江華島事件の経緯は以下の通りです。

1:江華島に向けて給水要請の為のボートを派遣した。
2:朝鮮の砲台からボートに向けて激しい砲撃があった。
3:雲揚号が応戦し朝鮮の台場を破壊。
4:その後事情聴取の為のボートを出したが、朝鮮が再び発砲。
5:雲揚号が再度応戦。
6:日本は上陸の後、朝鮮陣地を制圧。

結果は、朝鮮側の死者35名、捕虜16名、(日本は負傷:2名のみ)
朝鮮側には担当官がいたらしいが逃走した模様。



事件の原因は、朝鮮政府には日本国旗は既に届出られていたが、その後の各地への連絡が遅れており、
その為に江華島の部隊が不審船による侵犯と誤認したことでした。

以上から、この事件の全責任は朝鮮側にあります。


事件後、日朝間で大臣が会談を行っており、朝鮮側は以下の発言をしています。

イ:事件前に朝鮮政府が日本国旗を受け取っていたのは確かである。
ロ:しかし、地方には見本・通達が届いていなかった。
ハ:日本の軍艦と分かっていたら,そんな無礼な事はしなかっただろう。

この事件に関する日本の行動に関しては、以下の事が未だに言う方がいるようです。

a:領海侵犯
b:砲艦外交
c:日本による挑発
d:日本の侵略のはじまり

aですが朝鮮の砲撃理由を、雲揚号が無断で江華島水域の測量をしていたからだという意見があります。
しかし、上記の会談時、日本の黒田大臣を乗せた船は釜山→江華島間を、測量しながら航海した為に、20日も掛かっており、雲揚号が江華島の測量を行っていたとしたら、不自然です。
他にも、雲揚号は朝鮮沿岸を測量していますが、朝鮮は容認しており、問題は起こっていません。

bですが、当時でも270トン程度の雲揚号で「砲艦外交」は不可能だと思います。

cですが、この事件で日本が挑発行為を働いたという記録はありません。
日朝は事件前から燃料の薪や水等の供給を約束しています。
この事件では、雲揚号はそれに基づいて支援を要請しており、しかも少人数のボートを先行させています。


dですが、この事件が元で結ばれた「日朝修好条規」を不平等条約として、日本の侵略の意志の現れと主張する方がいるようです。
しかし、日朝修好条規は、江華島事件の謝罪の意味もありますので、日本に有利なのは当たり前です。

それ以前に、当時の朝鮮は文明国とは全く言えない状態だった為に、対等な条約を結ぶ資格はありません。
キチ○イや愚か者に対等に権利を認めるのは危険ですらあります。

朝鮮を擁護していたはずの福沢諭吉も、いつの頃からか、朝鮮をアジア¬の悪友とみなしています。
一体何が彼を変化させたのでしょうか?





嘘を騙るのは簡単ですが、それを否定するには論理を尽くし事実を示さなければならないのは、理不尽な気がします。
「「日清戦争の講和会議の後、日本も清への侵」の回答画像7
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この回答へのお礼

ありがとう

早速のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2019/12/11 19:01

No4の回答者です。


やれやれ・・・


賠償金や領土の割譲は講和条約に必須の条件ではありません。
講和の条件は、その時の戦況や両国の都合によって決定されるものです。
力が拮抗している場合は、お互いに何も得られない場合すらあります。
実際に、日露戦争で日本は辛うじて勝利しましたが、賠償金は得ていません。

遼東半島は三国干渉により返還させられましたが、それは李鴻章がロシアに頼んだ為です。
仏独も自分の都合(ロシアの力を欧州ではなく極東に向けさせる)で、それに賛成しました。

三国干渉でのロシアの理由は以下です。

建前:日本による遼東半島の領有は、清国を危険に晒し朝鮮の独立も名ばかりものにし、極東の平和を乱すものである。
本音:満州を奪いたいロシアにとっては、遼東半島が日本に割譲されるのは困る。



実際にロシアは清国に日本が返還した遼東半島の租借権を認めさせています。
更にその後に露清密約も結ばれ、満州はロシアに実質的に支配されてしまいました。
(日本が侵略をした言っている人達にとっては、これは戦争をしない侵略ではないのでしょうか)
これが清国に衰退の原因になり、他の列強も進出しました。
これが後世の歴史家が言っている「支那の生体解剖」です。

結果として、李鴻章は目先の日本に対抗する事に執着して、より大きな脅威を引き込んでしまいました。

一方、日本はロシアの南下に非常な脅威を感じていました。
列強に領土を奪われた清国では白人への反感が高まり、義和団の乱や北清事変が起こりました。

質問者様は、清国を侵略して極東の平和を乱したのは誰だと思いますか。






余談ですが、豊臣秀吉の朝鮮出兵以前に元が日本侵略を企てて大失敗していまね。
元寇のおける元の軍隊は多くが朝鮮や漢人(宋)で、対馬や壱岐での残虐な行為は彼らによるものだったそうです。
ヒント:騎馬民族は水泳や歩兵戦闘は苦手です。



事実をわざわざ語るという作業は、面倒くさい上に虚しいものですね。
(世の中から嘘つきがいなくなればいいのに。
「「日清戦争の講和会議の後、日本も清への侵」の回答画像6
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この回答へのお礼

ありがとう

早速のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2019/12/11 19:01

№1回答者です。


お礼のコメントありがとうございます。

追加の質問内容が、えっ?と思う内容だったので、理解していただけないかもしれませんが、補足します。

日本が勝利していますので、当時の国際慣行としては、戦勝国が領土の一部を得て巨額の賠償金をせしめることになります。下関条約はそれを取り決めたに過ぎないと思います。
なお、日本が得た領土のうち主戦場となった遼東半島は、翌年の三国干渉により清に変換されることになります。また、遼東半島はその後の日露戦争の舞台にもなります。

平和条約は二国間の状況の変化により、どちらかが一方的に破棄できる極めて脆いものなので、平和条約を締結しているから安心できるというわけではないと思います。
終戦間際のソ連参戦は、その典型例です。
当時の日清間で平和条約と呼べるものは、1885年に締結した天津条約になると思います。

小学館のマンガでは、「日清戦争後に清への侵略」となっていますが、実際は1875年の江華島事件で朝鮮半島への進出を推し進めたころに大陸進出への野望を抱いていると思います。

余談ですが、朝鮮半島への進出は豊臣秀吉が企てて大失敗していますが、明治時代から進めた朝鮮半島進出では秀吉時代とは比較にならないほどの破滅的な損害を被る結果になりました。
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この回答へのお礼

Thank you

>小学館のマンガでは、「日清戦争後に清への侵略」となっていますが、実際は1875年の江華島事件で朝鮮半島への進出を推し進めたころに大陸進出への野望を抱いていると思います。

そうなのですね。

再びのご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2019/12/11 19:00

質問の主旨は↓の「A」でしょうか。


(だとしたら、漫画の内容は全く関係ありません)
私は聞かれなかった事まで答えるような無駄な事はしたくありません。
そして聞いていない事に答えなかったいう文句は認めません。
質問の主旨は明確に表現して下さい。
(今回は、騙される人が増えると困るのでお話ししておきます)



A:>講和会議って、戦争が終わったから、しているのでは?


回答A:違います。

講和会議とは、戦争を終わらせる為の条件を話し合う会議です。
である以上、会議中は戦争中です。→会議中でも「戦闘」が継続される場合があります。 
それに講和会議=必ず纏まって調印される とは限りません。

また誤解している方が多いようですが、「戦争」と「戦闘」は違うものです。
戦争:国家間の関係。
戦闘:戦場で行われる戦い
戦闘が行われていなくても、宣戦布告をしていれば「戦争状態」ではあります。



>「日清戦争の講和会議(この下関会議の後、日本も清への侵略を始めます。)」

そもそも、日本は「侵略戦争」も「戦争をしない侵略」もしていません。

その漫画では、日本はどのような侵略をした事になっているのでしょうか。
また、日清戦争の原因となった朝鮮の状況についてどのように語られているのでしょうか。

日清戦争の目的は、当時清国の奴隷(属国)状態だった朝鮮を独立させる事です。
日本はこの戦争の宣戦布告文で「朝鮮を苛めるな独立させろ」と語っています。
これに対して中国は「朝鮮は昔から清国の属国だ、文句を言うな」と言っています。

以上の事を語っておいて、侵略をしたら戦争の大義がなくなります。
(独立後の朝鮮に酷い事をしてもいません)



日清戦争後の日本の大陸での行動も、侵略ではなく安全保障の為のものです。

日清戦争後に列強は清国への経済進出をしましたが、日本はそれほど危機感を抱いてはいません。
当時の日本はそれらよりロシアの南下は遥かに恐れていました。
実際、ロシアは日本が独立させた朝鮮を乗っ取ろうとしており、それが原因で日露戦争が起きています。

日本はその戦争にもかろうじて勝利し、満州の権益を得ました。
しかし、清国の滅亡によって生まれた様々な軍事(馬賊)政権が誕生し、それらが外国人(日本人も含む)を襲う事件が起こりました。

これに対して、欧米は武力による対応をし、日本にも協力を求めています。
しかし当時の田中義一内閣は、支那を刺激するべきではないとして交戦を許可しませんでした。
この為に、生き残った現地の日本人は財産を放棄して帰国するしかありませんでした。

満州でも日本人や朝鮮人の入植者への迫害やテロが起きています。
「侵略」が他国の権利や活動を不当に奪う全てのことを指すなら、馬賊政権の行為がそれではないでしょうか。
一部の人達が日本による侵略と言っている満州事変は、それらから自国民を守る為に行われたものです。





満州事変後も、支那の軍事政権(蒋介石の国民党)は満州への徴発を続けました。
彼らは日本が攻撃をすると、大陸の本拠地(南京)に逃げていき、同じことを繰り返しました。
日本は、この事態を解決するには国民党の本拠地(南京) を潰す必要があると考え行動しました。

日中の紛争は以上のような経緯で始まったものです。


そして、中国の市場獲得競争に出遅れたアメリカは、以上の日本の行動を侵略と決めつけて、様々な経済制裁を課し、それが大東亜戦争の原因になりました。


一通り簡単に説明しましたが、これらを詳細に語るには字数が足りません。
知りたいなら、個別の事例毎に質問を立ててください。



それから読む本は選んだ方がよいと思います。
質問者様はご存じないかもしれませんが、日本には日本が嫌いな人達(外国人も含む)が作っているメディアや政党があります。

【元外務省「放送業界は在日韓国・朝鮮人が牛耳っています」】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=ZocyPf_gDsY&feat …
(1:00 馬淵:ある「ザイニチ」の方が私に「息子がNHKに入りました」と喜んでおられた。
まだその頃はNHKも目立たなかった。今その影響が出て来ている。

渡辺:反日の「ザイニチ」系のひと。またその手の回っているひとが、非常に高い地位にいっぱいいるような気がするんですよ。)
「「日清戦争の講和会議の後、日本も清への侵」の回答画像4
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この回答へのお礼

ありがとう

早速のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2019/12/11 18:51

日清戦争の敗北で、中国が弱い国だという


ことが知れ渡りました。

だから、列強が我先にと侵略を始めたのです。

中国は隣国です。
隣国が欧米列強の支配下に置かれ、軍隊が駐留
するようになったら、日本の安全保障が
危殆に瀕します。

それで日本も中国に進出したのです。
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この回答へのお礼

解決しました

>日清戦争の敗北で、中国が弱い国だという
ことが知れ渡りました。

>だから、列強が我先にと侵略を始めたのです。

>中国は隣国です。
隣国が欧米列強の支配下に置かれ、軍隊が駐留
するようになったら、日本の安全保障が
危殆に瀕します。

>それで日本も中国に進出したのです。

そういう事情だったのですね。

良く分かりました。
早速のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2019/12/08 23:06

挿絵の説明で間違いありません。



戦争が終わって講和会議も間違いありませんので、日清戦争の場所を把握しておくことが大事です。
この時代は、戦争と言っても局地戦ですので、北京や日本本土は平和な光景だったと思います。日清戦争後、列強各国は清は植民地化できる、と考えを変えていると思います。
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この回答へのお礼

どう思う?

早速のご回答、ありがとうございます。

つまり、
①日清戦争(大きな戦争)は終わり、講和会議が開かれた。
②日本は、清と平和条約を結んだわけではないので、再び侵略(小さな戦争)した。
・・・ということですか?

お礼日時:2019/12/08 22:59

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