ちくのう症(蓄膿症)は「菌」が原因!?

何故日本会議は正しい事を主張しているのに
批判されているのでしょうか?
間違いなく戦前の日本が正しかったんですけどね。
家制度を廃止した事によって、
個人主義が進み日本は駄目になりましたね。

A 回答 (8件)

正しいことを言えばそれでよし。

それは学校でのみありうることです。けれど社会では、正しい意見もひとつの意見に過ぎません。自分に都合の良い意見なら何でも良いのです。だからこそ、情報戦争が起きるのです。あなたは、いい加減、学校から頭を卒業させて、リアリストに徹するべきです。世の中の情報は、利益団体にとって嘘であっても、現実の利益誘導に成功していれば、嘘でも良いのです。例えば、温室効果ガスの全体は、自然界放出が97、007%です。人為性の温室効果ガスの排出量は、たった2、93%です。環境のことを騒げば、各国の行政が環境団体にお金を流すからです。グレタもこの一環で金稼ぎしてます。日本はこれまでこの温室効果ガスネタのために累積100兆円出してます。温室効果ガスという集団詐欺に日本人の血税が流れています。
    • good
    • 0

一人一人が同じ立場であり、



その構成員でしかない個人が、偉そうに日本を語るからでしょう。

日本と言うのは私たちの祖先から始まって、これまでの全体の歴史を指します。

そしてこれからの全体の未来を指します。

私たちのご先祖様が立派に生きたとしても、それは私の業績ではありません。

自分の考えが立派であったとしても、他人が感化されるほど良い行いをしていません。

これは誰もが同じでしょう。

その重さを知っていれば、軽々しく「美しい日本」などと語れるはずがありませんよ。

「せめて私はこうしたい。」

と謙虚に言うのが精々でしょう。


先に逝った先輩方に「お前も偉くなったもんだな」と笑われるだけですよ。

本当に、美しい日本の考え方が出来るのならば、

自分達の大言壮語をご先祖がどう思うか想像がつくでしょう。

それに気が付いて赤面してしまうはずです。

この様に思うことが、本当に美しい日本人の考え方だと私は思いますよ。

今生でどんなに大きな成果を残しても、

国全体の歴史を上回る成果を残すことは論理的に不可能です。

そうであるのに、どうして私たちが日本を語れるんでしょうか?

一人一人が自分の人生において考える事であって、

これまでの日本を自分が作り出したような錯覚を覚えたり、

そんな気分を味わいたくて他人を巻き込むのは恥ずかしいで事ですよ。

それは私たちのものじゃないんです。

既に逝った方々のものだからです。

遺産を相続しただけであり、自分が偉いわけじゃありません。



今いる年配の方々だって美しい日本の考えをちゃんと教えて貰っています。

その方々から見れば、

「先輩方が見ていないと思って、急に偉そうに語る様になったよな?

 本当に私たちが憧れた彼らは、君たちの様な決めつけはしなかったはずだ。

 もっと僕らに寛容で、期待をしていただろう?

 なぜ、それを自分達の姿勢をもって伝えない?

 君らが魅力的に見えれば、誰もが真似をするだろう?

 そうやって伝えるべきだと先輩方が教えていたはずだ。

 政治活動でどうこうするものじゃないだろう?」
 
と思えるんですよ。


私たちに本当に内在するストレスは、

自分達で作り方が分からないもの(技術)に依存するようになったことでしょう。

個人差が出来てしまっているんです。

人間関係や人の在り方について妙に過敏なのは、

「それならば分かる。」

と思うからです。

自分達が制御できるものを欲しており、ああだこうだと言うようになる。

そういうものですよ。


人間関係や人の在り方、国の在り方を考えることは難しい。

「老いて死する運命にあるものが、いまの生をどう考えるか?」

という命題であり、それほど簡単なものじゃありません。

技術の方が簡単ですよ。


本当に私たちが捨てたものは、

家族との絆でもなく、友人との絆でもなく、

「自分達に必要なものを自らの手で作る。」

という発想です。

この義務から逃げてしまい、もっと難しいものに手を出して自分をごまかす。

または簡単だと誤解して手を出す。

これは賢くありません。



同じ命なんですから、

主義や仕事として分けて避けず、

発展したこの世の中の神髄が何なのか感じて逝くべきです。

学校教育が19世紀どまりだからと言って、

19世紀の人たちの限界を自分の人生の限界としてはもったいないでしょう。

技術に明るい人たちには、今の世の中が光り輝いて見えるんですよ。

生まれてきて良かった。

積み上げてきた先輩方に見せてあげたい。

本当にその様に感じるんです。

手元にあるパソコンがどれだけ凄い機材なのか。

これを使って他人の批判をするのも結構ですが、使い方が勿体ない。

「それは俺には無理だから。

 それらを作り出してきた日本とか、世界全体を俺は語ることにする。」

こういう恥ずかしい趣味は自重すべきですよ。


同じものを作ろうとして苦労をすれば、

例えやり切れなくても気持ちが収まる物ですよ。

そういう簡単なところから初めるのが当たり前だと思います。

手元にパソコンがあるんですから、コンピュータについて勉強し、

何かプログラムでも作ってみると良いでしょう。

それが出来てから、日本を語ることにしたら如何か? と思います。

同等の知力が無いものが、

これらの総体をどうこう言えば、どこかで心がゆがみますよ。

笑われているかもしれないと不安になるはずです。

そういう不安な要素は消しておくのが誠実ではないでしょうか。

「わかった。同じことをして。どこかで潔く負けて。

 気持ちよくスゲーっていってやる。

 ちぇ、めんどくせえ。いくぜ。」

と言うのが昔の日本人でした。


現代の殆どの人は、

自分で作れないものを、他人の力やルール等で接収していると感じてるはずです。

これは生きていて苦しい。


道徳教育も必要だと思いますが、私たちの世代、私たちの次の世代には、

「世界が滅んでも。自分さえ生き残っていれば、また同じものを作れる。」

という自信を与えてあげたいですね。

「失われてしまえば二度と作り出せない」

と悲観する世界観は辛いでしょう。

知識が体系だって積みあがっていますから、ご先祖と同じ苦労はしないはずです。

そういう意味で私たちは本当の幸福を子孫に与えていないんです。


食べるものに苦労をした時代は、幸福とは幸であり、食べ物でした。

あらゆる技術が進化した今の時代では、幸福は技術という知識でしょう。

自らの手で作り出せるという自信、その知識が脳に詰まっていく満腹感。

そういったものを感じれば、不足していたものが何か分かるはずです。

時代が変わり、「幸」が分かり辛くなったという事でしょう。


例えば世界中のコンピューター技術者に通用する文言で、

「Hello, World!」

という言葉があります。

世界中のすべて技術者がほほ笑むでしょう。

心が温かくなります。

プログラミングの初心者が必ず覚える言葉です。

ド素人であった。

委縮していた。

単に憧れていた。

そうだった過去を思い出す。

これを知っている人と知らない人に分かれているんですよね。


現代を語るには、まずはこういった分断に気づくことです。

大変な教育格差が生じています。

子供時代は、いずれ教えて貰えると思って、ゲームやアプリを楽しむでしょう。

しかし大人になっても教えて貰えないと知れば不思議に思うはずです。

「これを作れる人はどこで習ったの? 僕らは使うだけなの?」

知らぬ間に世界が分けられているという事です。


疎外感や閉塞感は、日本の在り方にあるのではなく、個々人の中にあります。

便利なものが自らを責めるんです。

「これを使う資格が君にはあるのか?

 これに注文を付ける立場にあるのか?」

気づかないようにしても、ストレスは溜まりますよ。

そして、これらのストレスから解放されている人が必ずおり(でないと製品は生まれない)

その方々は今の自分達と違った感覚でいるのかもしれませんよ。

その感覚を共有できず、自分たちが世界のメジャーだと言い張っても、虚しいだけです。



ノスタルジーに浸っても本質的な力になりません。

今現代を乗りこなす。

そしていずれは、老いて体が動かなくなっても、

想像で創造ができるように自分を耕しておくべきです。


私は空き時間、待ち時間などを利用して、頭の中で色んなものを作っています。

勿論、その通りに動きます。作り出せます。

スマホをいじる時間など惜しくてありません。

素晴らしい時代になっているんですよ。


ゲームをやるより、

ゲームを作るスリルの方が何倍もゲーム性が高いし、とても満たされます。

私たちは他人が満足した残滓を有難がっており、ここにお金と寿命を使っているんですよ。

これではだめですよね。

必要な機材は目の前にあり、既に手に入れているんです。

何となるはずです。


以上、ご参考になれば。
    • good
    • 0

>>何故日本会議は正しい事を主張しているのに


批判されているのでしょうか?

単に「正しい」って言う場合、その国、その地域、その会社だけといった「ローカル・ルール」というか、ローカルな価値観で判断することも多いです。
たとえば、東芝とかソニーなどの会社においては、社内の経営会議では「正しい」とされたことも、一般の日本人(その会社の平社員)からみれば「正しくない」と思うことも多かったでしょう。
さらに法律からみて、「正しくない」とみなされて東芝は大変なことなりましたね。

日本は、明治以前は「武士道」という世界にも通用する「価値観(=正義)」ってものがあったと思います。
でも、戦後に宗教を捨て去ってから、世界の人々に通用する「正しい」つまり「正義」という観点が無くなって「儲かるか?」「損しないか?」っていう観点のみから日本人は判断するようになってしまいました。
だから、日本人は「我々は正しい」ということを声高に主張できなくなってしまった。

すべての価値判断の根本には「宗教」というか「神」の価値判断があるのです。
それを捨て去った日本人の主張が(たとえ過去において、正しかったとしても)日本人自身が世界にそれを自信もって主張できないのも当然なのかもしれません。
    • good
    • 1

個人主義が進み日本は駄目になりましたね<その最もたるのが



スマホですね。まずはご自分がスマホを持たなくする所から

始めてみてはいかがでしょうか?

戦前はスマホなんかありませんでしたから。

スレ主様の考えに賛同する人がいれば、皆さんスマホを捨てて

同調してくださると思います。
    • good
    • 1

見方を変えれば 戦前の日本は今の北朝鮮を豊かにしたような状態で 軍国主義と富国強兵で進んでいた状態だ。


憲兵があちこちで 反社会的という名目で 思想家たちを捕まえていたのもこの時代。
今の日本ではそう考えられない 自由が束縛された時代でもあった。

それが「正しい」と 今の日本が「駄目」だと 自分は言い切れない。
失敗 無駄 愚かさ 山ほどあっても この日本には それを改良し乗り越え より高く跳ぶ力が在ると思っている。
もう駄目? 出来ない? いや これからだ。
    • good
    • 5

あなたに分別がないからですね。

    • good
    • 5

正しいことを主張しているとは、思われていないから非難する人の数が多いというだけの事


ただの多数決です
アエラですらも7割の人が否定的だと載った
単に質問者さんが少数派だと言うだけのことです
深い意味はありません
色んな思いの人がいる
    • good
    • 1

時代の流れには逆らえません。

    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング