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なぜ大阪府堺市の仁徳天皇陵の近くにいっぱい古墳が集まっているのですか?

全部、仁徳天皇の親戚ですか?

普通はもっと離してお墓を作るのでは?

こんなに密集してお墓を作ったのはなぜですか?

A 回答 (2件)

私は仁徳陵の近くに住んでいますが、本当に近隣には大小様々な古墳があります。

堺市博物館には埴輪┌|∵|┘や土器が多数展示されています。
一説によると、古墳があるのが昔の海岸線の近くや高台(大仙古墳の最寄駅は三国ヶ丘)なので、大阪湾からも渡来人に誇示出来たようです。更に堺から大和に行く街道(今の府道堺大和高田線)近くにあることから、ますます渡来人は驚いたと思われます。
http://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunka …
「なぜ大阪府堺市の仁徳天皇陵の近くにいっぱ」の回答画像1
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お礼日時:2019/12/15 20:29

倍塚の事ですかね。

近親者、従者の墓と言われています。以下Wikiより。
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陪塚
陪塚は「ばいづか」と読み、陪冢(ばいちょう)ともいう。陪塚は近親者や従者を葬ったとされる大古墳の近くに存在する小さな古墳である。大仙陵古墳で宮内庁が指定・管理する陪塚は12基ある。坊主山(円墳、直径10m)、源衛門山(円墳、直径約40m)、大安寺山(円墳、直径55m)、茶山(円墳、直径55m)、永山(前方後円墳、墳丘長104m、周濠あり)、丸保山(帆立貝式、墳丘長87m、周濠あり)、菰山(帆立貝式、墳丘長36m、周濠あり)、樋の谷(円墳?、直径47m)、銅亀山(方墳一辺26m)、狐山(円墳、直径23m)、竜佐山(帆立貝式、墳丘長67m、周濠あり)、孫太夫山(帆立貝式、墳丘長56m、周濠あり)である。しかし永山古墳は規模が大きく造出しを有する前方後円墳であること、坊主山は三重濠外縁から264mと遠いことから陪塚とは考えにくい。逆に坊主山より近くにありながら宮内庁が指定していない塚廻(円墳、直径35m)、鏡塚(直径15m)、夕雲一丁南(方墳)、収塚(帆立貝式)、昭和初年頃まで存在していた帆立貝式一基は陪塚の可能性が高い。以上により陪塚は15基あるとされている[25]。
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