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子供の哲学の話。

子供がレゴで何かを作っていたので私が「何を作ってるの?」と聞いたら、子供が「わかんない」と言った。

ということは、本人はあるブロックを適当に何も意識せずに目的もなく積んでただけだったっていうこと。

目的もなく積んでただけ。

これは目的もなく積んでた無意味なものは無かったことに等しいのでは?と思ったのですがどう思いますか?

目的がない工作物は無いに等しい?それとも現実に無意味な工作物があるのでこの世に存在していると言える?

A 回答 (16件中1~10件)

それは、ある種の芸術ですよ。



芸術と工芸との違いを意識して下さい。
あなたはレゴに目的を求めていますが、目的を持って存在しているものは工芸品です。

芸術作品に、目的はありません。
ただ、なんか凄い! 感動する!
それが芸術です。
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この回答へのお礼

みんなありがとう

お礼日時:2019/12/17 23:25

京都では八橋はペニスの方形なのでしょうか。


日度s具いませんか。
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191216/k10012 …

~~~~~~~~~~

nhkに方形のニュースが合ったのですがトルトの京都名物マスクをしているのは
方形をバカにしてるのですよね。レトルトのマスクは方形の嫌m知恵素yね。八橋作ったら同緒だった
これは方形をバカに知ったと憂いことでしょうか。
清水手一平の方形がーム実況h差とか俺的ゲーム速報い宵子妥当こと奈央でしょうね。

レトルトは人を場k日誌食いですよね。
東方のkyらは全部防止はペニスと方形のメタ人をせっくすっ笑いまくりですね。なのですね。ひどすぎでウ。

なんいせよれとるとは

スチュワーデスもののあわれですね。
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何を作ってるか説明できるものしか作れない人は、今後存在価値がなくなくなります。

だってAIがやればいいから。
子供の大切な感性を失わないようにしてあげてください。
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子供は知識が発達するまでは、嘘をつきません。


親に怒られたりすると、怒られないように嘘をつき始めます。

この場合は、子供が「わかんない」というのは真実です。
子供はあなたが知らないものを作っていたのでしょう。

私も子供の頃、頻繁に母にシャボン玉の夢を観たと言っていたそうです。
誰も理解できなかったそうです。
今考えると、泡宇宙や多元宇宙(マルチバース)やパラレルワールドを観ていたのかもしれません。

この世には、認知バイアスに捕らわれた大人には理解できない世界があるのかも知れませんよ。
例えば、鏡の中の世界はどこまで続いているのか気になった事はありませんか?
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レヴィストオー素が気持ち悪いですが


ブリコラージュという尾kとなのでしょうか。
野生の思考とかでしょうか。構造主義でしょうか。

デザインとは対立しているので干すね。
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こどもに「何を作ってるの?」と質問したとき、何を求めていましたか。


こどもはなにについての答えをしようとして、「わかんない」と応答したと想像しますか。

私は、「何を作ってるの?」と質問されたら、作っているものの名称を求められていると思ってしまいます。
こどもに、「これなーんだ?」と問えば、こどもは「おもちゃ」「猫」「バス」「包丁」などの名称を答えることを求められたと思うのではないかと想像します。 「これ」の機能とか役割を説明する必要があるの理解はこどもはしないと思います。
「何してるの?」と質問した場合でも、「実行中の行為の名称」を答えるのだと思って、「ゲーム」「野球」「おままごと」「お勉強してるの」「食べてるの」「考えてるの」のように答えるのだと思っていて、理由や目的を問われたと思うことは少ないと思います。

レゴを組み合わせて、自動車、消防車、飛行機、家、男の子、犬を作ろうとしている場合でも、その名称を答えるでしょうが、ただ組合せ/はめ込んでいること自体を楽しんでいるような場合には、「何を作ってるの?」と質問されたら、「わかんない」と答えるしかない、というか、こどもには、そうした状態を説明するやり方をまだ学習できてないと思います。
中高生、大学生、サラリーマンや老人でも、「いま(この瞬間)何をなさっているのですか?」と質問されたら、(明らかに何かをしているのにもかかわらず)、「特別、何かをしているのではないです」とか、「スマホをいじってるだけです」とか、「なんか(私に)問題でもあるんですか」とか、「何をしようが私の勝手でしょう」とか、行為で達成しようとしていることを答える人は少ないと思います。

3~5歳くらいのこともが親と歩いているとき、(ただ歩いていることも多いですが)こどもは跳びはねながら歩いたり、小石を拾ったり、親の前を行ったり立ち止まったり、小走りしたり、縁石の上を歩こうとしたり、まあいろんなことをします。小学生だと、雨の日は水たまりにわざわざ入ってバシャバシャしたりもします。 それを、「何をしているの?」「なんのためにそんなコトしているの?」と問う人は少ないと思います。
昭和の大人でも、雪が降ると新雪に足跡を記してみたり、雪だるまや雪兎を作ったり、海浜で砂山を作ったり、現実に無意味な工作物をこしらえることがあったと思うのですが、、、

評論家川本三郎さんが、大佛次郎の随筆「散歩について」という随筆に触れて、ぶらぶら歩きは、遊び人か犬のすることでまともな大人のすることではなかったが、明治になって学生や知識人、高等遊民と呼ばれる人たちが始めたことと紹介しているのを読みました。 明治でも、多くの庶民や官人、商売人、職人、実業家は、「目的もなく歩き回るなど無意味なものは無かったことに等しい」ことと思ったのでしょうか。
山登り、ハイキング、観光旅行、温泉旅行、寺社巡りに行く人は、どのような目的意識があるのでしょうか。 実際のところは、とってつけた理由や目的でやっているのではなく、なんだか行きたくなったという衝動とか、一種の習慣のようなものでやっているのだと思います。 
学生が学校に行く、サラリーマンが勤め先に行くのだって、ただ習慣のようなものではないでしょうか。 目的や理由が強く意識されている人や時もあると思いますが、普通は、「だって今日は学校があるから」のようなものです。 山があるから山に登る、 朝の挨拶だから「おはようございます」   なんだこりゃ。 理由や目的を問うこと自体におかしさがあるように思います。

「目的がない工作物は無いに等しい」と考える人はそうしたことをしないのかもしれませんが、特に目的をもっているわけではないが工作物をつくる人は多いと思います。 パチンコをしに行く人も、時間つぶし、金稼ぎ、家から離れるためというような目的意識をもってない人が多いと思います。
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進化論で言えば目的はなかったが、たまたまその環境には有効だった、或いは必要だった。



教育的な見地から見ても色々遊ばせて何がどう関わるのか 意味があるのかないのかを

気づかせる1つの機会だったのではないだろうか。
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その工作物に興味を持つとか、価値を見出すとかしなければ、ただの邪魔で無意味な存在でしかないでしょう。



自分の子供が作ったものだから、何だかわからないけど大事にしたい、なんて思う親にとっては意味ある工作物といえるでしょう。
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みる人によって、無意味って思われるのでしょうね(笑)



私は大人ですが、あなたのお子さんと同じ事をします。
目的無く何かをするのが無意味なら
無計画な旅行や
空想に浸る時間も無意味って事かな?
私の世界(お子さんの世界)なので
理屈じゃ無いと思います。
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