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国語のテストで出題されている問題を、作者自身が回答して満点を取れなかったという実験がありました。

特に作者の意図を問う問題では、作者自身が回答をしているのにもかかわらず、減点されてしまう有り様。

国語の試験ではありませんが、同様に法律の解釈をめぐって弁護士、検察官、裁判官で三者三様な意見を言う光景もよく目にします。

結局、数学のように絶対的な解というものが存在しないのですから、国語の解答も絶対正しいとは限らないのではないでしょうか?

論理的思考というのは、筋道と解が一緒とは限らないということなのですかね?

国語の教員同士が集まって問題をつくれば、全員解答が同じになるのでしょうかね???

A 回答 (4件)

国語のテストで出題されている問題を、作者自身が回答して


満点を取れなかったという実験がありました。
特に作者の意図を問う問題では、作者自身が回答をしているのにもかかわらず、
減点されてしまう有り様。
 ↑
作者の主観的意図と、文章から客観的に
読み取れる意図が、必ずしも一致しない
からです。
これは、作者、採点者の力量不足もあるし
そもそも言語の不完全性も原因です。




国語の試験ではありませんが、同様に法律の解釈をめぐって弁護士、
検察官、裁判官で三者三様な意見を言う光景もよく目にします。
 ↑
学者の間にも争いがあるのが普通です。
ワタシは理系ですが、法律を勉強して愕いたのがこれです。
法律の根底にはイデオロギーがあるし、
言語の不完全さに起因する場合もあるからです。

例)殺人罪
人を殺した者は・・・に処す。

人って何だ。
法人は含むのか、自然人だけか。
胎児や死体はどうなんだ。
胎児を殺しても堕胎罪、死体に斬りつけても
死体損壊罪、殺人にはならない。
じゃあ、どこまで胎児で、どこから人なんだ。
死とは何を意味するんだ。
心臓停止か、脳死か。

人でさえこれだけの問題があります。
これが「殺す」になったらもっと増えます。

これなどは言語の不完全性によるものです。




結局、数学のように絶対的な解というものが存在しないのですから、
国語の解答も絶対正しいとは限らないのではないでしょうか?
 ↑
理論というのは因果の流れで説明する
というだけです。
その因果は自然科学ならともかく、国語などでは
著しく不完全です。

説得力の問題になります。
そして説得力があることと、正しさは
別です。
マルクスの資本論は説得力があったので、世界に
広まりましたが、結果は惨めなものでした。




論理的思考というのは、筋道と解が一
緒とは限らないということなのですかね?
 ↑
そういうことです。



国語の教員同士が集まって問題をつくれば、
全員解答が同じになるのでしょうかね???
 ↑
なるでしょうね。
見解の相違や、言語の不完全性が修正されますから。
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> 国語の教員同士が集まって問題をつくれば、全員解答が同じになるのでしょうかね???


★ 集まって問題を作っても、その問題の解答に関して全員が合意したのでなければ、同じ回答・解答をするとは限りません。 それは、国語でも、社会でも、理科でも、数学でも同じようなことが起きます。

> 論理的思考というのは、筋道と解が一緒とは限らないということなのですかね?
★ 「論理的思考とは、(筋道と解が一緒とは限らないということ)である」とは、多くの人は考えません。
☆ 「論理的思考とは、得られる情報、把握でき出来ている状況を把握して、その個々の要素の中での軽重等を、問題解決等の視点で判断して、他人に対しても納得性のある方針や手段、手順などを導き出すこと」というような理解で、多くの人は考えます。 当然にして、その判断や導き出すものは、10人がやって10人とも同じになるというようなケースは珍しいです。

> 数学のように絶対的な解というものが存在
★ 「数学」は定義などでルールが限定されていますから、やり方にはいくとおりかのものがあっても、「そうはならない/そうもなる」というのは基本的には同じです。 しかし、その定義に関わる問題が出てしまうと、絶対的な解はだせなくなります。 https://naop.jp/topics/topics23.html

> 法律の解釈をめぐって弁護士、検察官、裁判官で三者三様な意見を言う光景もよく目にします
★ 法の解釈や適用を巡って意見が相違するばかりではなく、事実認定そのものも三者三様になることは珍しくないです。

> 特に作者の意図を問う問題では、作者自身が回答をしているのにもかかわらず、減点されてしまう有り様。
★ 実際にそのような場面に遭遇したことがないし、そのような情報を見た記憶もないのですが、あり得ることでしょう。 毎日のようにみるニュースなどでも、周囲が動機や意図を推定して、「あなたは~~をねらって××したでしょう」と問い詰めているが、その問い詰められた当人はそれを否定しているなどは多いです。 犯罪がらみや不道徳行為ではなくても、また当人が言い逃れるとか秘匿したいとかの意図がない場合でも、行為者本人の自覚している意図や動機と、周囲の分析家や研究者が推定する行為者の意図や動機とが違うことはあっても、さほど不思議ではないです。
意図や思考、行動などに関して《当人が自覚している(意図や目的意識、理由や状況認識)》と、《親や親しい人、上司、後輩、関係者が推定する(あの人の意図や目的意識、理由や状況認識)》とは異なることは、多いです。
この例にでてくる酸っぱいブドウなどは、比較的良く知られていることです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%A3 …
ネットで拡散を熱心にやっているひとや、ツイッターなどでも、そうした本人が自覚している意図と、他人からみたあの人の意図や気持ちは、かなり違うと思います。


論理的思考を勧める人は多いです。 どうしてだと思いますか。
当事者の説明を鵜呑みにしたら間違ってしまうことが多いという経験則があるからです。
また他人でなく、自分自身についてさえも、「私は、、、、だから~~~」と考えていたとして、その考えがまあ見当違いというか、勘違い、思い込みであって、「私は、、、、(ではなかったり)」、「、、、(であった場合でも)~~~(とは限らない)」ということが、結構多いので、【もうちょっとは論理的思考を身につけましょう】と勧められてしまうのです。
https://kodomo-manabi-labo.net/logical-thinking
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ーー国語の教員同士が集まって問題をつくれば、全員解答が同じになるのでしょうかね???



論理的思考以前に、根底となる思考パターンが人によって異なっているために起こる問題ですよね。
ですから、それは教員同士がどのような思考パターンを持っているかによって異なります。

他の言い方をすれば、スポットライトという焦点をあてる方向や数によって解釈が変わるということです。
本来、物事は一面的でもあり、尚且つ多面的であるからですね。また、それ以外にもまるで違う見方も存在しています。
数学上の数字というのも同じで絶対であって絶対ではない。
理由はその理論を覆すものが新しく誕生したとき、一部は絶対であり一部は絶対ではなくなるからです。
しかし、それを言い出すと切りがないので、ある地点で最上のものとして固定しているに過ぎません。

採点者側が一面的かつ多面的以上に見ることできることを求められていますが、人間の脳には限度があり。
やはり採点者に近い思考パターンを持っているのか、それとも違う思考パターンを持っているかによって正解率が比例しているといえるのでしょうね。無意識に思考をカテゴライズしてしまっているということですよね。

ですから、問題を作る場合は回答に一つの軸を設けるべきですが。
その軸をどこに設け、どの範囲まで適応させるかによってまた意味が変わってきます。
例えば、軸を大きく設けた場合、対象となる問題から著しく脱線した回答、あるいは著しく無関係と判断される回答をした場合は明らかに不正解とする。現実的に不可能である場合は不正解とする。それ以外の、可能である回答は正解とするなど。

ーー論理的思考というのは、筋道と解が一緒とは限らないということなのですかね?

そもそも、回答者に「何を求めているか」が軸を設けるときに大きく左右されることですから。
正しい・正しくないとはまた違う問題なんですよね。
その点踏まえていただくと、人の数だけ筋道と解がある。筋道が共通することもあれば、解は共通しないこともある。
反対に、筋道は共通しないにもかかわらず、解は共通することもある。また、筋道も解も共通することはないけれど、全く別の新しい思考として成立することもある。

しかし、大抵の場合はそのすべての判断は採点者に委ねられてしまうので。
多くの人々を平等に評価されるとは限らないのですよね。
そうなると、やはり問題を作る意味があるのかという話になるわけです。


結局、日本の教育は間違っているわけですよね。
個人個人に合わせた教育をしていないため、一括教育ではその個人の能力を十分に伸ばせているとはいえないわけです。
教育者(採点側)との相性によって左右されてしまうからですよね。
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>国語の解答も絶対正しいとは限らないのではないでしょうか?



その通りです。
ただテストでは正解がないとテストにならないので
正解(最大公約数的な共通の見解)を設けているだけです。
しかしそれが曲者で、だから作者自身でも満点を取れないのです。
いや、むしろ作者自身だからこそ満点を取れなかったと言うべきですね。
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