これまでで一番「情けなかったとき」はいつですか?

漢字のお経をそのまま音読み?で唱えるが、意味がさっぱり分からないし、伝わらない。例えばキリスト教では口語訳した聖書を神父、もしくは牧師が読むし、イスラム教でも同じだと思う。
説教ではそれなりに分かりやすく坊さんが話すが、一番大事なのはお経を読むときに意味が伝わらないことではなかろうか。結局、呪文を唱えているようなもので、呪術的、まじないの世界であり、病んでいる現代人の心には伝わらないし、救いには到底なりえないと思う。
図書館で原始仏教、大乗、上座の仏教関係の本、各お経の口語訳や解説してある本を読むと、なるほどと思うこと、非常に深い考え、いやそれは違うんではないかと思うことなど 非常に考えさせられ、心も動かされる。
日本の仏教は ほとんどが葬式仏教がメインであり、檀家制度で支えられているように思うが、今檀家も大きく減り、一方、病んでいる現代人の救いにはなっていないのではなかろうか?
今 日本仏教は誰のため、何の為にあるのか、どうあるべきなのかを深く、大きく考え直すべき時ではないか。
口語訳のお経を唱えるだけではすべて解決するわけではなかろうが、少なくとも大きな一歩となるだろう。
日本仏教界の方はどう考えているのだろうか。

A 回答 (7件)

まず宗教というのは、現代のような近代からの科学的で合理的な価値観からみれば「非科学的で不合理」なものです。



近代以前の人々が何を大切にしていたか、というと「身体感覚」なのです。身体感覚と宗教が結びつくと、修行などの体験になっていきます。
 その中でも「誰でもできる」のが言葉による祝詞・読経であり、どの宗教でも「言葉を発しないもの」はほとんどありません(日本の神道は神主以外は言葉を発しませんが、その代り手拍します。手拍する宗教は世界的に見て非常に珍しいと言われています)

キリスト教の場合、キリストの12使徒が各地に散らばり現地の言語で布教したために、いろいろな言語での聖書があります。ただこれはむしろ他の宗教からみると「逆」の面があり、それは「各地の言語が聖書を布教させるために各国語を成立させるのに役立った」と言う部分で、聖書を作る必要があったから各国言語(特にキリル文字言語)ができた、という側面が大きいのです。

そのためキリスト教は各国言語の聖書があり、各国語で説教を行い讃美歌を歌うのが普通ですが、他の宗教ではあまりそういうことはありません。

3大宗教でみてもイスラム教の聖書であるコーランはアラビア語しか許されていません。各国語の参考書はあってもそれは聖書(コーラン)とは認められず、どこの国でも祈りはアラビア語で行われます。なのでイスラム教徒の国は各国語が違うにしても多くの人がアラビア語を理解します。

仏教の場合、使われている言語は各国語の事も多いですが、実際にはサンスクリットの音をそのまま各国語にしただけの部分もあり、たとえば「ハンニャ-ハラミッタ」という般若心経の音はどこの国でも同じ、そして誰も意味が分からない、呪文になっています。

なぜ「呪文のように意味が分からなくても読むのか?」についていえば、現代の科学的で合理的な考えでは「意味が分からないなら意味がない」とされるわけですが、仏教についていえば「そもそも人間が感知できないはずの仏の世界があり、そこにアクセスするための方法の一つが読経である」とかんがえられていて、読経を含めた修行=身体的な体験をすることで人間が「仏の世界に近づき認知できるようになる」という部分が大切にされているからです。

このような「神仏の世界を人間が感じるためには体感が必要」というのは、どの宗教にもあって、キリスト教の修道士もアトス山のような場所で修行しますし、イスラム教にもスーフィズムという修行法があります。またイスラムテロの実行犯もある意味「修行」であり、修行で得た死であるからこそ神に召される、という考え方でもあるわけです。

元に帰って、
とはいえ普通の人々は自分たちの仕事があり、それを行わなければ生活ができません。なので普通の人ができる修行が「読経」になっていくわけです。この点毎日お祈りするイスラム教も安息日に教会で讃美歌を歌うキリスト教徒も「声で神の世界を認識する」と言う点では同じことを行っています。

質問者様の主旨は「でも意味が分からなければダメじゃないのか」と言う点にあると思いますが、私は必ずしも「呪文を唱えること」が悪いわけではないと思います。

重要なのは「すでに日本では仏教が社会の中での位置づけを失い、葬式・法事ぐらいしか接点がない」ということそのものであり、どのように読経するかは別にして「お経の中に書かれている内容を体得すること、僧侶はその指導ができること」が重要でしょう。

この点はキリスト教でもイスラム教でも同じで、欧米ではすでに教会に行かない層のほうが多いですし、イスラム教も実際には毎日きちんとお祈りしない、または戒律をきちんと守らない層もたくさんいるわけです。

>日本仏教は誰のため、何の為にあるのか、どうあるべきなのかを深く、大きく考え直すべき時ではないか。
その通りだと思いますが、それと読経は必ずしも一体の関係には無いと思います。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。おっしゃる通り宗教は理屈ではなく、呪術的なものも多いことはわかります。密教はわざと 真言 を多用して普通の言葉では誤解が生じる、通じないことを真言で述べるべきだということを言っておられます。
でも口語で教えをある程度分かり、最後のところは呪文、呪術で締めくくるのがまっとうなところでしょう。
私の一番尊敬するのは、原始仏教の中のブッダです。ここで述べられていることは、宗教と言うより、哲学ですが一番の真実でしょう。そこから大乗、上座 そして諸派が出てきたこと、その必要性、必然性は分かりますが・・・、でもその後出てきたお経も厳密に言えば「偽経」なんでしょうが、釈迦の教えをその時代などにマッチしたものに仕上げたということでしょうか。どちらにしても 例えば、妙法蓮華経、観音経、阿弥陀経などは口語で唱えてこそ、それを肯定的にも否定的にも捉えられるから価値があるものでしょう。
南無釈迦牟尼仏

お礼日時:2019/12/22 21:19

呪文を唱えているようなもので、呪術的、まじないの世界であり、


病んでいる現代人の心には伝わらないし、
救いには到底なりえないと思う。
 ↑
今の日本仏教はそもそも救いなど
考えていないでしょう。
葬式産業株式会社ですよ。




今 日本仏教は誰のため、何の為にあるのか、どうあるべきなのかを深く、
大きく考え直すべき時ではないか。
 ↑
その通りで、考え直さないで今のママだと
安楽死しますね。
気がついたら死んでいた。




口語訳のお経を唱えるだけではすべて解決するわけではなかろうが、
少なくとも大きな一歩となるだろう。
日本仏教界の方はどう考えているのだろうか。
 ↑
考え直したら、仏教界の既得権が
危なくなります。
だから、変えようとはしないでしょう。

しかし、
変えなければ、宗教としての意義を失い
いずれ消滅します。
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仏典には八万法蔵と言われる膨大な教えがあります


経、訳、論、とあり、その数は一言で言うと凄い
浅い、単純な経典から、生命の真実に迫る深い経典や
それを解釈したものや論じたものは無数と言える程あります
 聖書等とは比べられない程の広さ、高さ、深さはがあり、凄い
問題は、それを教えられない、堕落した坊主のレベルの低さです
檀家の求道のなさも・・・・あります
 だから
宗教の、仏教のイロハも知らない、無知無能偏見の輩が「非科学的で不合理」等と吠えるのです
仏教ほど、合理的な、科学的な教えはありません
 ちょっとかじっただけで、仏教界を語るのは、さあ、何と言いましょうか、ハア~
やはり、最高峰と言われる法華経が、少しでも分かれば、ね~、
 多摩川の土手しか知らない人に、ヒマラヤは想像できませんね
図書館で見つけた本が、多摩川の土手程度、などとは言いません
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この回答へのお礼

ははは 有難うございます。無知無能偏見の輩が・・・・、というご高説を頂きましたが、私の質問に対する回答にはなっていないと思います。Thank you!

お礼日時:2019/12/22 20:55

え? お経って(うちは浄土真宗)阿弥陀さんに対して


唱えていますから漢文ですね。阿弥陀さんが一番わかる
原語が漢文だから。でも,一部,日本語の文語でだれそ
れがどうした・・・ということも唱えてますけど?うち
の坊主は・・・

また,葬式等の講話はもうほとんど講演会です。客に合
わせた話題を前の晩までに一生懸命考えてきて,お話し
してくれます。中身の本質はいつも同じですが,音楽家
が多いときには・・・・とか,理系が多いときは・・・
などなど,ものすごく工夫されていて,ときには滑稽な
くらいです。何度も聴いている親戚のおっちゃんは,「
あ,また因果の話だなぁ。でもよくあんなことを思いつ
くなあ」とつぶやいていますが・・・うちの坊主は真面
目で,日本語をちゃんとしゃべります。民衆からお布施
をもらうために念仏だけでいいと言った真宗だからかな?
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この回答へのお礼

御高説を頂き有難うございます。でも阿弥陀様って中国の人なんですか?インドの佛の一人だと思うんですが。阿弥陀様の居られるという極楽は金銀ダイヤモンドでちりばめられ、花も木も鳥もそれらで出来ているんだそうですが、そのこと一つをとっても現代人が口語訳でそのことを知ったら、行きたいと思う人はほとんどなくなるようにも思います。
有難うございました。

お礼日時:2019/12/22 21:00

> 漢字のお経をそのまま音読み?で唱えるが、意味がさっぱり分からないし、伝わらない。



浄土真宗では、当時の言葉に口語訳した教典が多数あり、『本を読む』という表現で、分かりやすく教えを広めていました。


> 日本の仏教は ほとんどが葬式仏教がメインであり、檀家制度で支えられているように思うが、今檀家も大きく減り、一方、病んでいる現代人の救いにはなっていないのではなかろうか?

江戸時代、一国一城によって城の数が激減した後、城や砦の代わりとして寺が非常に多く生まれ、その寺の収入源として現在の『檀家』制度ができました。寺は今でいう市役所の代わりをしていたのです。それが明治になって自治体が仕事をするようになって寺の仕事が急減し、現在のように葬式で儲けるスタイルに変わっていきます。言ってしまえば江戸時代に作りすぎた寺のツケが、今になって出てきているんです。


> 今 日本仏教は誰のため、何の為にあるのか、どうあるべきなのかを深く、大きく考え直すべき時ではないか。

皆さん、とっくにやってます。


> 口語訳のお経を唱えるだけではすべて解決するわけではなかろうが、少なくとも大きな一歩となるだろう。

ならないと思うけど、自信があるなら、御自分でやってみては?
通信教育で僧侶の資格も取れますよ。
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この回答へのお礼

ははは、ご回答ありがとうございました。すれ違いのお話ばかり頂き有難うございました。

お礼日時:2019/12/22 21:24

唱えにくいからかな?



なんか、歌のようになりそうですもんね

(  ̄▽ ̄)にっこり
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とても良い視点ですね。


仏教は歴史の中でも時代時代で利用されたり逆に排除されたり常に政治のツールの1つとして
捉えられてました。そしてそれは現代においても同じだと私は考えます。
戦後~現代において日本人が宗教によって結束力を持ちすぎる事を警戒した
GHQの思惑がまんま反映されてると思われます。
仏教が葬儀や法事など儀式・形骸化してしまったのも多分にその意図によるものではないかと。

つまるところこの問題って仏教云々だけでじゃなくもっと大きな意味・・・
国際社会における日本の政治的な立ち位置とかそういうものと密接に関係してるのではと。
今アメリカはトランプ政権で彼の政策って「自国ファースト。てめぇの国はてめぇで守れオレは干渉しない」
ですから日本も真の意味で独立するチャンスなんですけどね。
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この回答へのお礼

GHQ,USAが関与している説は初めて知りました。ははは、有難うございました。

お礼日時:2019/12/22 21:26

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