『こんにちは。実は最近悩んでいます。
みなさんは、生きている事など虚しいことだ、なんて考えた事はありますか?
思ったのですが、どうせ私達人間が、どれだけ努力をして社会に貢献し、文明を発展させたとしても、何万年後か後に人類が生き残っているなんて言う保証はないし、もっと未来の百億年ぐらい後には太陽系すら消滅しているのだから、巨大な宇宙に比べて一人の人間の存在なんてちっぽけなものにすぎないのではないでしょうか?圧倒的な虚無の前には、人が生きている意味など皆無に等しい。ましてや、意味や概念などは、人が生きるために作り出したものではないか?そんな風に考えていると、かつては美しいと感じていた正義とか愛、自由や平等といった数々の理想が、全く信じられなくなってきます。信仰する宗教でもあればそこに逃げ込めるのですが、残念ながら無神論者です。最近では、自殺も考えます。生きている事が苦しみの連続なら、むしろ自ら命を絶ったほうが幸せではないでしょうか?だいたい、私が今日死ぬのと、明日死ぬのと、どれほどの違いがあるというのですか?家族が悲しむ?そんなの、ささいな問題です。あ、でも一人で死ぬのは癪だから、道連れに大量殺人でもしてやろうか、なんて考えています。』
といった感じの、虚無主義にはまった鬱病患者が知り合い(友人とは呼びたくないが)にいて困っています。彼を説得して人生に対して意義を見出させるにはどうしたらよいでしょうか?それともこんなアナーキストみたいな奴、ほっといたほうがいいのでしょうか?

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A 回答 (13件中1~10件)

寂しい話ですが何故生きているかの意味は無いような気がします、


"殺人"又は歴史に残るような偉業を成し遂げたとしても、
後の世代の目に付くときには、きっと新聞や教科書の一行程度の過去でしょう。

社会秩序から外れた意見ですが、文明社会での生活の手段や生きて行く作業は
自分以外の多数の生命や財産を守る社会人の法的秩序であって、
本来自然の営みの中では死ぬも生きるも個人の自由意思だと思うのです。

仕方無しに生きている、しかしその人が無意味だと思いながら生きている空間にも
生きていく事の楽しさを寿命の限り追及してきた先人が脈々と行なってきた
生きていく事への"技"が受け継がれていると思うのです、
"面白き事無きこの世を面白く"以前意見を頂いた方に教えて頂いた高杉晋作の
辞世の句ですが、必ずその方も人生に楽しさを探せるはずだと思うのです。

下にも意見がありましたが、情報過多になって何を楽しんでいいか
判断出来なくなっている状態ではと思います、
今は単純に自分を探す時間が必要なのではと思うのです。

自分を探すことは迷路を彷徨う事にも似ています、
その方は口ではあきらめていても、きっと出口を探していると思うのです。
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私の極論についてくる人が居ることを嬉しく思う(笑)


さて、数件わからない事があるようなので私なりに考察した結果を論じよう。

>哲学が「なぜ?」と問うことをはじめ
私の立場から答えるならば「なぜ」と言う言葉じたいに意味が無い。
なぜならば、宇宙に意味など無いからだ。
宇宙は「ある」だけに過ぎない。
ただし、宇宙に意味は無くとも宇宙の起源を探求することには意味はある。
なぜならば、人は「知識を探求する欲求」があるからだ。
この場合、意味があるのは人間であり、宇宙ではない。
「意味」「理由」は人間に帰属するものである。
ただし、これらを探求しようとする意思そのものが進化論的過程のもとに本能プログラムに組み込まれたことを忘れてはならない。
つまり、意味・理由を探求しようとする「意思」そのものが物理法則の体現なのである。物理法則に意味は無いように「意味」「理由」には意味は無い。

理論が巡回しているように感じるだろう。
まさにその通りである。
物理法則の体現たる人間そのものに意味は無く。しかし、「意味」は物理法則の体現たる人間に帰属するものなのである。そして、人間は宇宙に「意味付け」をしようとする。にもかかわらず、宇宙は純然と「ただ存在するだけの存在」として「意味の無い存在」として存在する。それでも人は進化論的過程から発生した「意味付け」「特殊化」を行なおうとする。

そりゃ、解けないわな

>物事に優劣をつけたがる傾向にあるように見える
それは真理である。
これは進化論的立場から回答できる。
世界にある絶対的な真理は「強いものが勝つ」である。
これだけは確かだ。
物は引力が強い方に引き寄せられる。
原子は結合が強くなるような方向に化学反応を起こす。

人間の場合はよりすぐれた人間の子孫を残したいと思う。
逆にいうと自分の子孫を優れたものとして残す為には優れた異性の気を引く必要がある。その異性もまた優れた人間を探し出そうとしている。
ならば、自分は他とは違う「より優れた存在」として認めさせなければならない。
優劣の概念はここに起因していると言えるだろう。

>生命と物質が同価であるという思想
正確には違う。
どちらにも「価値(意味)がない」のである。
意味付け、価値付けは人間に帰属するものである。

>「殺人は悪」という論理は(中略)変わる新しい論理も見当たらない
「殺人は悪」という思想はルールである。
本能に帰属したルールと言えるだろう。
”限定つき真理”と言う言葉はまさに的をえているように思う。

>殺人が善であるということを、論証できる場面も、社会にはあり得るだろうか…?

裁判における死刑判決がこれにあたると思うが?
いや、違うな。
害悪を抹殺するという意味があるだけで善ではない。

カマキリの話しを思い出した。
カマキリのメスは出産直前にオスを食べる。
栄養をつける為だ。
これは同族殺しとも言えるかもしれないが、カマキリにとっては当たり前の事であり、その社会の中では善である。

そもそも、善と悪という言葉自体が人間の主観によるものであり、自然界では無意味である。人間でも種族、宗教などで善悪が変わる事を忘れてはならない。

以上
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はふん?


いいね、いい感じだねぇ。
オッケーだ。ナイスだ。
おおいに悩み賜え。
って感じだな。
だが、他人に愚痴るのはエレガントとは言えないな。
こういう問題は自分で結論ださにゃいかんな。
そもそも、見ていて鬱陶しいしな。

そう言う奴に私から一言
「進化論的視点から人間の発生過程を考えて見ろ」
「物理法則の視点から人間を考えろ」
ですな。

-----------------------------------------
補足説明
私自身がいつも取っている立場から意見を言わせてもらおう。

私自身は無神論者で「人間とはそこら辺の石と変わらないただの物である」という意見の人間だ。唯物論とは少し立場が違うように感じるので唯物主義者と自称してるがな。

どう違うかというと霊や神の存在を否定しないところである。化学的証明のしようのないものは「存在する立場」と「存在しない立場」の両方を取るということだ。また、「精神」の存在も考慮する。精神も物理法則が体現した一つの形態とみなす。

話を戻そう。
閑話休題

この立場をとった場合、進化とは「物質の進化」のことであり、人間とは物理法則を体現した一つの形態にすぎない。
その価値は魚やそこらの石ころ、太陽、星々と同価値である。

ところで、「価値」とは何だろうか?
人がなにかに価値を見いだすときとはどのようなときだろう?
それはある物事に対して「他とは違う状態」「特殊性」をもって初めてそのものに「価値」を見いだすのである。

ここで唯物主義的立場からするとすべての事象、物は同価値である。
等価であり、優劣はない。
優劣がないと言うことは特殊性がないと言うことである。

一方、人間は進化論的人間発生過程において、自らの特殊性を主張したいと本能的に考えるように作製されている。
つまり、人間は自らに意味づけをし、特殊化しようとする。

しかし、等価であり特殊でない人間を特殊化しようにも出来るわけがない。
よって、自己矛盾が発生し悩む。

自爆してるわけですな。
愚かなり(合掌)

----------------------------------------
私の立場からすると「正義や愛や自由、平等が美しい?その成り立ちをよく考えてから言ってる?」とか「正義って何?自由って何?」とか言っちゃいます。
信じてる?……愚かです。
人間が作り出した幻想です。

んで、このような主張な私だが死にたいと思ったことはあるのか?
ありまくりだ。
というか、精神的には常に崖っぷちだ。
崖っぷち状態で15年以上生きているな。
我ながらしぶといものだな。
自殺するくらいなら死ぬ気でなにかやってから死のうと思っているからかもしれんがな。
それに本能は「生きよ」と命じるし。
「好きなこと」たくさんあるし「責任」もあるし……ま、いろいろ現世に縛るものがあると言うことですな。

---------------------------------------
彼の人の言動に対して一言ずつ述べる
>生きている事など虚しいことだ
そう感じる場合、あなたは好きなことはなく、他人から見放されているように感じている可能性がある。まず、それを解決するのだな。

>どれだけ努力をして社会に(中略)巨大な宇宙に比べて一人の人間の存在なんてちっぽけなもの
人間と宇宙の価値は等価だ。
宇宙に物質があるように宇宙に人間があるのだ。
その発言は人間の主体である「私」の存在を絶対視しているが故に出てくるものである。主体たる「私」は他と自分を区別し「特殊化」するためのものである。「特殊化」するが故に優劣を決定しようとするのだ。物に優劣はないようにただの物にすぎない人間の価値に優劣はない。人間と宇宙は同等である。

>意味や概念などは、人が生きるために作り出したものではないか
生きるために必要かどうかは知らないが人間が作り出した虚像であることは確かだ。
しかし、虚像であることを知りながらその意味に固執しているのはあなただな。
生きている事が苦しみの連続ならというが「苦しみ」も虚像だ。同時に「幸せ」もまた虚像だ。
結局、お前は虚像だらけの世の中で何がしたいんだ?
幸せをつかみたいのか?
「幸せ」も虚像にすぎないのに?
自己矛盾だらけだな(やれやれ)

>あ、でも一人で死ぬのは癪だから、道連れに大量殺人でもしてやろうか
よくよく考えてその結論に達しなたらやっても良いが自分の無知、考えなしを棚上げしてないか?自分は何?自分の意見が人間代表の意見見たく勘違いしてない?
聞いてる分だとただの馬鹿で愚か者だぞ?
よく考えて主張があるならやってくれ賜え。

--------------------------------------
ま、なんにせよ。
ここら辺の悩みは自分で悩んで自分で結論を出すしかないんじゃないかな?

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=115914
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=116514

上記のURLでも同じような悩みの輩がいるな。
115914の方では生きるための原動力について考察している。
参考になれば幸いだ。

以上
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この回答へのお礼

 なるほど、批判をすると言うことは何らかの価値観に依拠したものであって、おおよそ人間界で教育を受けて育ち、風土的な影響を受けてきたものは、信仰する立場を捨てて思考することは難しいのかもしれない。

 確かに私も言葉の枝葉をとらえて、矛盾を追及することはできるが、それでは結局本質的な疑問には答えられないのだ。
 哲学が「なぜ?」と問うことをはじめ、歴史が記録されてから数千年たつというのに、私達は、なぜ宇宙は存在し続けるといった面倒な事を続けているのか?いつ宇宙は生まれたのか?人間の知りうる事には絶対的な限界があるのだろうか?我々はそもそもどこからきたのか?そしてどこへ行けばよいのか?といった、いくつもの根源的な質問に答える事は、まだできない。(といっても、数千年経ってわかっていないという事実が、時間的に遅いのか早いのか、比較する対象がないからわからないが。)
 そういう疑問が解ければ、理由がわかればもしかしたら人間は生きる事に対して何の疑念も抱く必要もなくなるのかもしれないが、結局、今の時点では私はそういう疑問には答えられないのだ。だけど、解くべき命題が残っているというのは、生きる理由に充分なるとも思う。

 ところで人々は、価値観というものが社会の産物(もしくは遺伝子の?)であることに気づいても、物事に優劣をつけたがる傾向にあるように見える。もしかしたら人類には価値体系を欲しがる習性を持っているのだろうか?

 生命と物質が同価であるという思想に、反論するだけの論拠は見当たらないが、それだと少々困ることが起きるとも思う。
 もしかしたら人々は、そういう科学にはカバーできない分野を宗教という非論理的なものに求めているのかもしれない。
 「殺人は悪」という論理は、全宇宙的に考えれば真理でも何でもないが、少なくとも人間界では、この意見はかなりの広範囲にわたって流布しているものであるし、割と優れた論理でもあるので、”限定つき真理”といって差し支えないだろうと思うし、それに変わる新しい論理(殺人が善であるということを、論証できる場面も、社会にはあり得るだろうか…?)も見当たらない。
 

お礼日時:2001/08/13 21:00

先程、私がすばらしいと思える文章に出逢えました、


その方がどう受け止めるかはわかりませんが機会がありましたら是非。

参考URL:http://www3.justnet.ne.jp/~rinri/046.htm
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どうして「一人で死ぬのは癪」なのでしょう。


この辺からせめては如何ですか?
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鬱・・・。

そう書いてあって少し変に思いました。大変親しい友人に,鬱病に悩まされている方が一人いらっしゃいます。いろいろ理由があって治療は受けずじまいなのですが,今回お教えいただいた知り合いの方とは,何ともタイプが違っているようですね。わたしが知っている鬱というのは,『人間が生きている価値がわからない』のではなく,『自分が生きている価値が判らない,自分の存在に罪を感じる』といったものです。人間そのものが,虚無の対象になっているというのは,なかなか,本心ではないような気がしてなりません。鬱病ではないのか,もしくは,その発言は本当の心に気付いて頂きたいがゆえか,どちらかなのだと思います。そういった自分の暗い部分を,visnuさんに知って欲しかったのではないのでしょうか。そしてそれでも,visnuさんに,変わらぬ友人でいて欲しかったのではないでしょうか。visnuさんは,きっと彼に頼られているのですよ。visnuさんなら,彼の心を開く事もできるような気がします。話を聞いてあげてください。彼の存在を受け入れてあげてください。見知らぬ医者よりもずっと,visnuさんは彼の心を開く事が容易だと思います。彼そのものを認めてあげれば,彼は死んだりはしません。visnuさんが,悲しむ事になるのですから。今は強がっているだけなのだと思います。こういう形でも,彼を想っていてくれているvisnuさんは,優しい方ですね。ですが,それが帰って重荷になってしまわぬよう,お気をつけて,気長に相手をしてあげてください。そして,もし宜しければ,またこのように開かれた場で,近況や,困った事をお教えください。少しでもお役に立てれば何よりです。
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空海は10歳のとき自殺未遂してますね。


松ノ木にひっかっかって命があったのでこの世にご用があるのだろうと生きることにした。最期は不治の病にかかって食を絶って死にました。
鬱病は結構頭が良いのかも。
昆虫などは食べて生殖して死んで・・生きがいなど必要ないように見えます。
人間も生きがいを必要としないのが原点で、ただ退屈凌ぎに生きがいなんて言葉を作ったと考えれば、お知り合いに人生の意義を持たせようと考えなくて良いのではないでしょうか。その方は空海のように哲学者になる人なんだから「うん、そこまで考えたか!次はどうなるのかな」と言ってあげてたら?
なお、殺人は(本来は自殺も)犯罪です。命が人工的に創られず神(?)の領域にあることを考えてみれば、禅の考案の「どこから来てどこに帰るのか」といった、内面的解決に向かうと思うのですが・・
仏教ではこの世のことは来世に持ち越します。それだけでも教えて上げたい気になりますね。
>生きている事が苦しみの連続なら、むしろ自ら命を絶ったほうが幸せではないでしょうか?
・・死んだら終わりではなく、その続きは来世に持ち越すだけですよ。
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実は何千年も前に同じような課題で悩み苦しんだ人がいました。

誰かといえば、
仏教の教祖であるお釈迦様です。

「四苦八苦」なんて言葉も現代に残っていますが、これも仏教からきています。
四苦は「生・老・病・死」です。(八苦は忘れた...)
生きるのが苦しい、年寄りになるのもイヤだ、病気はつらい、ましてや死ぬのも...
なんて、まるでvisnuさんの友人のようですね。

これらの問題に正面から取り組んで、修行の末に悟りを開いたのが仏教の始まり
なんですが、まぁ仏教の経典なんて読んでも難しいだけですので、まずは
手塚治虫先生の「ブッダ」あたりから始めましょう。

手塚治虫先生の「ブッダ」はもちろん漫画ですしフィクションも相当入っていま
すが、それでも随所に人生のヒントや生の希望が散りばめられています。
先ずは一読を!
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私も 無価値主義です。


残念ながら虚しいという方向に考えた事はないですが
ほっとけば良いと思います
どのような説得にも無効化にできる考え方ですから

でも 自殺をしようや 大量虐殺をしようなんて
人生に意味をもたせようみたいな感じですね
そんな事しても意味がないのに 意味がないからこそやってもいい
矛盾が生じます この世のあり方へのわるあがきみたいな感じですね 

そう考えると みんなのやっている 社会貢献や 文明発展と同じ
わるあがき 
ただ 何もせずこの世を流れておくのが嫌なんでしょ
だったら 自分がしたい気持ちいいと思える事をすればいい
ってな感じですかね 言うとしたら

それとも これから素っ裸で 東京を練り歩き 東京タワーで叫んでもいい
意味なんてないならできるはず 出来ないと言うのが答え
やりたくないと言う感情が答え みたいな
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この回答へのお礼

確かにそうですね。
話し合うことですら無価値だといわれたら、もう進展しませんから。
だけど「虚しい」と感じるということは、かつては何らかの価値を信じていたと言う事だろうか?信じていたものに裏切られたから、「虚しい」と感じたのか
それとも自分の価値を他人が賞賛してくれなかったから「虚しい」と感じたのか、あるいは自分の望みがかなわない事に対するいらだちからだろうか?
ということは何か原因のある感情なのだろうか?
まあよくわかりません。

お礼日時:2001/08/10 01:30

>どうせ私達人間が、どれだけ努力をして社会に貢献し



私が言うのもなんですが、その方は、本当に努力して社会に貢献した経験がない方だとお見受けしました。
一度、達成感や協調感、無償の汗を流す楽しさを経験したほうがいいでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに労働して汗を流す喜びを知れば、また別のことに興味が向いてくるのだろうと思います。ただ、そういった行動力がある奴だったら、人生が虚しいだなんて感じないと私は思うのですが、一体どうなっているのでしょう?

お礼日時:2001/08/06 21:28

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参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%BE%E3%81%AE%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%8F

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こんにちは。
私も初めて聞きましたがすてきな言葉ですね。

勝手ながらお若い方と推察いたします。もしそうならば、この言葉を簡単には理解しなくとも、この言葉を目に留めて、ご自身の疑問を提起されたこと自体、大変に有意義で、価値ある感性をお持ちの方と思っております。
その上で、さて、次のようなアドバイスではいかがでしょう。

ポイントは次の2つで、少々言い換えてみましょう。
(1) 「明日死ぬ」ではなく「家族との夕食中に15分後に死ぬとしたら」・・・
(2) ある事項を学ぶ機会に恵まれたとき(例えば、数学のより高度な方程式を大変わかりやすく、無料で教えてくれる先生に出会えた)、でもただちに「私には関係ないから」(数学なんてうんざり・・・)と思ったならば、なぜ瞬間的にそう言い切れるのでしょう・・・

「明日には死ぬ・・・」。なかなかあり得ない状況ですが、この前提では「無茶をしてでも好きなことをする」と思う方は少なくないと思います。貯金をおろすどころか、迷惑をかける家族がいないなら強盗や強姦をしてもかまわないかも知れません。(パニック映画でよくあるパターン)
しかし、今回の語句は、「残された時間が大変に短い」という前提で考えてみると良いでしょう。楽しむ時間さえもない・・・
この場合、「無茶をしてでも好きな・・・」と考える方々は急速に減るでしょうが、ではどのように?

私なら、(きっと)死を受け入れる(覚悟する)努力をするとともに、心を落ち着け、家族に感謝し、生きてきた中の良かったところだけを想い出そうとし、そして、ちょっとだけ、「もしその危機を乗り越えることができればこんなチャレンジもしてみたいのに」との夢を描く・・・という感じですね。まあ、「良い死」をみずから作ろうとするのでしょう
現実には死は目前にはありません。でも、あれっ?「感謝」や「チャレンジ」は「死を目前にしてから考えるべき」ものではないですよね・・・・

また、「学ぶ」機会」に対して、こんな例はどうでしょう。
例えば、「中学生での数学は何のためにあるの?こんな方程式は生活では使わないのに。」との典型的な答えは、「中学生にとっては、将来、どんな職業につくことになるかわからない。どんなチャンスがある(あるいはないかもしれない)かわからないし、自分の好みも変わっていくので、広く基礎知識を持っておくことで、与えられたチャンスをみすみす失うような状況を減らしておきたい。」というものがあるでしょう。

しかし、逆に、この理論はある程度職業が定まると(例えば八百屋さんになったら)数学は不要なものになります。そうなれば、数学の大家のお話を聞くなんて、何の役にも立たないと言い切れるため、たいていは「私には関係ない」と言い切ることになるでしょう。

しかし、これだけだと見落としになるのはお気づきでしょう。思わぬ学問が思いもかけないところで必要(あるいはその知識を持っている者に負ける)になることもあり、また、周辺知識(数学の知識から発見者の人生模様へ・・など)への広がりも重要で、何より、常に学ぼうとする人の姿は美しく、細かな感動を重ねており、総じて優しく、尊敬も集める傾向も強くなります。
(反して、学ぶことから何か理由をつけて逃げるようでは、テレビのお笑いくらしか見ず(真面目にお笑いをやっておられる方ごめんなさい!)、刺激を求めても自分が工夫が出来ないのでお金や他人への攻撃で楽しませてもらうしかほう方がなく、何かにつけ不満が多く・・・とまあ私もその一人ですが)

そこで、「もう生活の道が決まっていて他に役に立つ可能性がないのだから、こんな勉強は無駄」とばかり考えず、「無限に命があるのなら、いつでも、どんな可能性でもある。そのくらいの気持ちでいろんなことを勉強してみましょう」というのはご納得いただけませんでしょうか。
(ちなみに、私は、英語が好きでもなく、使うはずもない職場に就職したはずでしたが、職場の都合で容赦なく英文を扱う羽目になり、何も考えずに暗記した受験用英単語に今更感謝しています)

いささかの勝手な先入観を許していただき、少々口の悪いことを承知で申し上げれば、この言葉を理解し、そこにちょっとした感動を覚えるためには、少なくとも自分のことだけで精一杯という年代では困難で、ある程度の年齢と、多少の恥ずかしい・悲しい経験の積み重ねが必要とは思います。

特に、「明日死ぬと思って・・・」「永遠に生きると思って・・・」のくだりは、ご指摘のように明確な矛盾です。
これをかみ砕くためには、まず、「単純なミスや幼稚なウソやいちいちあげ足をとらずに笑って許せる寛容(優しさ。たくさんの小さな矛盾に出会った経験)」と、「あえて矛盾をあげて目を留めさせ、小さな感動を誘発するテクニックに感心する感性(自分で言う言葉で相手がウケる・感心するような多くの小さな工夫を現に行ったことのある経験)」が必要です。

それでも、質問者さんがこの言葉に目を向けられたこと自体、ある程度の人生経験の証であり、大変に良いことだと思います。

ずいぶん長くなってしまいましたがさてさて、いかがでしょうか
お役に立てば幸いです。
(おかげで、私にとっても一つ勉強になり、ガンジーの業績についてもういちど何か読んでみたくなりました。)

こんにちは。
私も初めて聞きましたがすてきな言葉ですね。

勝手ながらお若い方と推察いたします。もしそうならば、この言葉を簡単には理解しなくとも、この言葉を目に留めて、ご自身の疑問を提起されたこと自体、大変に有意義で、価値ある感性をお持ちの方と思っております。
その上で、さて、次のようなアドバイスではいかがでしょう。

ポイントは次の2つで、少々言い換えてみましょう。
(1) 「明日死ぬ」ではなく「家族との夕食中に15分後に死ぬとしたら」・・・
(2) ある事項を学ぶ機会に恵まれ...続きを読む

Qあまのじゃく・・・

なんとなく、あまのじゃくな性格です。
この性格ってどうしてこうなるの?
解決する方法とかありますか?

Aベストアンサー

同じくあまのじゃくです(笑)
#1さんのおっしゃること、確かに当たってるような気が・・・。
私は最近は、思わず言い返してしまっても
後で家に帰ってから反省をするようにしています(笑)
あまり役に立つか分かりませんが
参考程度に読んでおいていただけるとありがたいです。

Q宗教関係者に質問です。人はなぜ死ななくてはならないのですか。 また、死ぬことにどんな意味がありますか

宗教関係者に質問です。人はなぜ死ななくてはならないのですか。
また、死ぬことにどんな意味がありますか?

Aベストアンサー

>お釈迦様は死についてどう説いてますか?



 『スッタ・ニパータ』の中で、釈尊は、次のように述べられています。


 
 『この世における人々の命は、定まった相(すがた)なく、どれだけ生きられるか解らない。惨ましく、短くて、苦悩をともなっている。

 生まれたものどもは、死を遁(のが)れる道はない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。

 熟した果実は落ちる。それと同じく、生まれた人々は、死なねばならぬ。かれらにはつねに死の怖れがある。

 例えば、陶工のつくった土の器が終わりにはすべては破壊されてしまうように、人々の命もまたそのとおりである。

 若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべてしに屈服してしまう。すべての者は必ず死に至る。

 かれらは死に捉えられてあの世に去っていくが、父もその子を救わず、親族もその親族を救わない。

 見よ。見まもっている親族がとめどなく悲嘆に暮れているのに、人は屠所(としょ)に引かれる牛のように、一人ずつ、連れ去られる。

 このように世間に人々は死と老いとによって害われる。それ故に賢者は、世のなりゆきを知って悲しまない。」

 汝は、来た人の道を知らず、また去った人の道を知らない。汝は(生と死の)両極を見きわめないで、いたずらに泣き悲しむ。

 迷妄にとらわれた自己を害っている人が、もしも泣き悲しんでなんらかの利を得ることがあるならば、賢者もそうするがよかろう。

 泣き悲しんでは、心の安らぎは得られない。ただかれらにはますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。

 みずから自己を害いながら、身は瘠(や)せて醜くなる。そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。嘆き悲しむのは無益である。

 人が悲しむのをやめないならば、ますます苦悩を受けることになる。亡くなった人のことを嘆くならば、悲しみに捕われてしまったのだ。

 みよ、他の[生きている]人々は、また自分のつくった業にしたがって死んで行く。かれら生あるものどもは死に捕えられて、この世で慄(ふる)えおののいている。

 ひとびとがいろいろと考えてみても、結局は意図とは異なったものとなる。壊(やぶ)れて消え去るのは、このとおりである。世の成りゆくさまを見よ。

 たとい人が百年生きようとも、あるいはそれ以上生きようとも、終には親族の人々から離れて、この世の生命を捨てるに至る。

 だから<尊敬されるべき人>の教えを聞いて、人が死んで亡くなったのを見ては、「かれらはもうわたしの力に及ばぬものだ」とさとって、嘆き悲しむのを去れ。

 たとえば家に火がついているのを水で消し止めるように、そのように智慧ある聡明な賢者、立派な人は、悲しみが怒ったのを速やかに滅ぼしてしまいなさい。―譬えば風が綿を吹き払うように。

 己が悲嘆と愛執と憂いとを除け。己(おの)が楽しみを求める人は、己が(煩悩の)矢を抜くべし。

 (煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき者となり、安らぎに帰する。』

        『スッタ・ニパータ』第3章・574~593


要約するならば、

死はどのような生き物にも避けることは出来ない。
だから、それを嘆き苦しむことには意味がない。
嘆き苦しむのは執着があるからで、それを捨てれば
苦しみは起きない。
その煩悩の理を知るべきである。

というようなことになろうと思います。

>お釈迦様は死についてどう説いてますか?



 『スッタ・ニパータ』の中で、釈尊は、次のように述べられています。


 
 『この世における人々の命は、定まった相(すがた)なく、どれだけ生きられるか解らない。惨ましく、短くて、苦悩をともなっている。

 生まれたものどもは、死を遁(のが)れる道はない。老いに達しては、死ぬ。実に生あるものどもの定めは、このとおりである。

 熟した果実は落ちる。それと同じく、生まれた人々は、死なねばならぬ。かれらにはつねに死の怖れがある。

 例えば、...続きを読む


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