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《無い神》は いやしくも神なら 《有る神》とまったく同じく普遍神の
ことではないのか?

どうして へんな常識が出来上がっているのか? おしえてください。

A 回答 (5件)

そもそも知らないので、認めるも認めないもない。


そのへん詳しく書いてあるURLをお願いします。
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この回答へのお礼

いえ 複雑なことは何もないんです。――ご回答をありがとうございます。

言いかえるなら こうです。

〇 信仰でない無神論は あるか?



☆ そもそも神はあるとか 神はないとかという命題が いづれについて
も 人間が証明することができますか?



できないなら 神はあると言っても 神は無いと言っても どちらも神に
ついての――互いに自由で同等な――説明である。

・・・となるのではないですか? です。

お礼日時:2020/01/03 19:06

浅原に聞いてみるといいよ

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この回答へのお礼

それは どういう理由ですか?

浅原が こたえを知っていると思うのは どこから?



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2020/01/03 19:29

#1です。


有無の定義は?
物質として存在しなくても、存在を感じられるものは色々あると思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 有無の定義は?
☆ 基本あるいは基礎としては 五感による知覚に発して認識しうるもの
これが 《ある》です。

そのあと たとえば《香り》という認識が得られて さらにこれを抽象化
してそれなりの概念として用いる。


よき知らせを持って訪ねてくれる人は じつによき香りである。といった
使い方ができます。

さらには その思想が いい香りであるという表現も得られます。


というように:
★ 物質として存在しなくても、存在を感じられるものは色々あると思い
ます。
☆ となりますね。



このあと どうなりましょう?

お礼日時:2020/01/04 13:09

>《無い神》は いやしくも神なら 《有る神》とまったく同じく普遍神のことではないのか?



『神』という固有名詞が付いているのであれば、それは『有る』、『無し』の論議ではなく
『有る』という事です。

それは、「目に見えるもの」、「目に見えないもの」、「感じられるもの」、「感じられないもの」
「香のするもの」、「香のしないもの」etc

という概念ではなく、『存在』である。

①.『存在するもの』であれば、、、『神はいる』⇒信仰の対象とする。

②.『存在しないもの』であれば、、、『神はいない』⇒信仰の対象としない(できない)。

のではないのだろうか。

『有る』、『無い』いうからおかしくなる。


■ただし、、、何か他の質問者の質問にも回答をしましたが、『神』という存在は一神教、神道、
仏教宗派によっても捉え方は違います。

■質問者様の質問での『神』は、一神教に基づく『神』をとらえて仰っているとここでは考え、
一般的な『神』の概念に基づいて思うところを回答いたしました。

■私の認識に問題があるのであれば、是非、質問者様からの御指摘をいただきたいと思います。
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この回答へのお礼

あらためてのご回答をありがとうございます。

■ 『神』という固有名詞が付いているのであれば、それは『有る』、『無し』の論議ではなく
『有る』という事です。
☆ たぶん 《有る・無し》をまとめた上位概念としての《有る》をおっしゃっているのであろ
うと思います。

■ それは、「目に見えるもの」、「目に見えないもの」、「感じられるもの」、「感じられな
いもの」・・・という概念ではなく、『存在』である。
☆ この《存在》も 上位概念ですね。

そして ちょっと奇抜なことを言えば そういった絶対性に当たる上位概念というのは 《見え
るもの・見えないもの》をともに――上なる次元から――覆い包む。ということにもなると考え
られます。


■ ①.『存在するもの』であれば、、、『神はいる』⇒信仰の対象とする。
②.『存在しないもの』であれば、、、『神はいない』⇒信仰の対象としない(できない)。
のではないのだろうか。
☆ ん? つまり 《総合的な上位概念》である《有る》は 《神はいる・神はいない》の両方
をふくむことになる。と思うんです。



■ 『有る』、『無い』いうからおかしくなる。
☆ いえ。おそらく 《いる・いない》は 《ある・ない》という見方としての存在を擬人化し
たときの表現です。それに限る場合です。


■ ただし、、、『神』という存在は一神教、神道、仏教宗派によっても捉え方は違います。
☆ わたしの考えでは 名称の違いは 存在の本質には影響しないと思います。

多神のばあいは 普遍神の分身と見ればよいでしょうし ブディズムでは 《人知を超えた何か》
なら 普遍神の言いかえであるとみられます。

ブッダは 人間であるとすれば ややこしい。あるいは 人間でありつつ 人知を超えているの
かいないのか? そこらへんは それを奉じておられる人に訊くしかありません。

■ 質問者様の質問での『神』は、一神教に基づく『神』をとらえて仰っているとここでは考え、
一般的な『神』の概念に基づいて思うところを回答いたしました。
☆ 多神・汎神の場合にも そのまま当てはまります。ブディズムだけでしょう ややこしいの
は。
 
以上のことが 次のお申し出のお応えになると思います。
■ 私の認識に問題があるのであれば、是非、質問者様からの御指摘をいただきたいと思います。

お礼日時:2020/01/04 14:43

#3です。


その定義なら、神は明確に存在するでしょう。
無神論者というのは、神の存在を否定するというよりは、それぞれの神の考え方に共感できないという部類の人ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ その定義なら、神は明確に存在するでしょう。
☆ 有る無しの概念から 感覚の要素を抜き出して抽象化するならば ただの
概念あるいはつまり観念として 言葉を用いることができる。

そういう意味で 《有る・存在》を使うならばそれは 経験的な《有る無しや
存在するしない》を超えたところの――人知を超えたところの――神について
当てはめてもよい。と。




★ 無神論者というのは、神の存在を否定するというよりは、それぞれの神の
考え方に共感できないという部類の人ではないでしょうか。
☆ ええ。やっと―― 一人合点してはいけないでしょうが――雲のすき間から
明かりが差して来た感じです。

《有神論》派で描き説明する内容としての神には ついていけない。けれども
自分の感覚や思いに合わせて神をとらえた場合には その神を われは抱くと
いうことになるのかも。

飾りをつけない神・その本体のみといったイメージなら 受け容れられると。


こういうふうではないかと想像〔ですが〕します。

お礼日時:2020/01/04 14:54

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