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今、私はアドラー心理学にハマっています。

そして人が何らかの目的を持って行動しているということは理解できるのですが、「相手」が存在するということについて、どうも腑に落ちません。

と言いますのも私の昔の行動の目的を考えても、どうにも相手役が存在しないのです。

私は高校時代に同じ男性である友人によく抱きついていました。ハグしたときとても心地良くて見かけたら飛びついてハグしていました。

これをアドラー心理学的に見ると「抱きつきたいから心地よい(=気持ち良い)と思うようになった」という解釈になるのではと思います。

しかし、これでは「'相手'を'屈服させるため'に怒鳴りたく、それを正当化する理由として怒りが生まれた」というような'自分が働きかけたい相手'というのがないように思えます。

「'相手'に'好きという思いを伝える'手段として抱きつきたく、それを正当化する理由として、心地よいという気持ちが生まれた」であれば、とても納得いくのですが、同性相手に恋愛感情を抱いたことがない上に好きという思いを伝えたいということもありません。

「同性である男性に抱きつくことによって'周囲'から'注目を集めたかった'」という解釈もなんだか違和感を持ちます。

ただ「純粋に心地よさを得るため」にハグをしたとしか私には思えてなりません。(しかし、それだとやっぱり'相手'が存在しない、、、)

一番、違和感がないのは「'女性に抱きつきたい'けどできないから似た体験をできる人に抱きついていた」という補償的な理由です。ですが「女性に抱きつきたい」という目的に'相手'がやはり見つけられません。「性欲を満たしたい」等の目的が先行しているように思え、やっぱり'相手'の存在を感じられず自己完結しているように思えてならないのです。

このように自分の体験において'相手のいる目的'として理由を見つけ出せずにいるため、どうにも腑に落ちないのです。

そして、このことから発展していき、周りの人の行為の理由を「相手は誰か」、「目的は何か」というふうに考えながら見たり話を聞いたりしているのですが、さっぱりわからないこともあり、それを傾聴したりし理解するにはどうすればよいかと疑問に思っています。


以上をまとめまして
・昔の私の行為の理由を'相手'と'目的'をセットで理解するとどうなるのか

・相手の行為を「相手は誰か」、「目的は何か」で理解するにはどうすればよいか(本などの紹介をしていただけると嬉しいです。)

という疑問を晴らすべく質問させていただきました。
両方の意見を教えてほしいという贅沢なことは思っていませんので、どちらか一つで構いませんから皆様の意見がお聞きしたいです。

どうか、よろしくお願いいたします。

質問者からの補足コメント

  • 誤解を招きかねない文章を書いていました。申し訳ありません。

    > 「'相手'に'好きという思いを伝える'手段として抱きつき.....たいということもありません。

    これは

    「'相手'に'好きと...気持ちが生まれた」と解釈すればアドラー心理学の主張を満たせられるため、学術的には納得いきますが、私自身としては「そのような目的で行っていた訳ではない」と思えてならず、これは強引な解釈と思えてならない。であれば私は他のどんな目的を持っていたのだろう。。

    という意図で書いていました。また

    > ・相手の行為を「相手は誰か」、「目的は何か」で理解するにはどうすればよいか

    については

    > ・任意の相手が行う行為について「誰に対するものか」「何が目的なのか」を理解するにはどうすれよいか

    と書くべきでした。

    わかりにくい質問をしてしまい、申し訳ありませんでした。

      補足日時:2020/01/12 10:57

A 回答 (7件)

心理学なんたらよりも、人間の性欲・本能だからやっただけ。

「アドラー心理学の「すべての行動には'相手」の回答画像7
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アドラー心理学というのを知りませんが、次のメッセージは適用対象が限られていると思います。



①> アドラー心理学では、人間のあらゆる言動を対人関係のなかで考えます。;幸せになる勇気
②> アドラーは「人間のあらゆる行動は、相手役が存在する人間関係である」と言っています
③> あらゆる行動は、対人関係上の問題の解決を目的としてデザインされ実行されるのだ、と考えます。
④> 一見他者との対人関係とはまったく無関係で、個人の内的世界とのみ関係しているように見えるものがあります。そのような行動も、よく考えれば、対人関係の中でのみ意味があるのです。

《「対人関係」には、「相手がない関係」も含む》というのであれば別ですが、ある個人がたまたまボートに一人で乗ったまま海流に流されてしまった状況下で、日差しを避けたり、喉を潤したり、排泄したり、睡眠をとったりする、あるいは揺れるボートから振り落とされないためにボートの舟縁を掴むというような行動をすると思いますが、それらの行動を人間関係として理解するのにはかなりムリがあるでしょう。 「そのような行動も、よく考えれば、対人関係の中でのみ意味があるのです」とは、思えません。
腰が痛くて姿勢を変える、寝るために夜具を掛ける、排便のため下着を下ろすなども、「そのような行動も、よく考えれば、対人関係の中でのみ意味があるのです」とは、思えません。
私はしないのですが、神社でおみくじを購入して読む行為をする人で、中には「対人関係に属すること」を気にしている人もいるとは思いますが、数割程度は「対人関係に属すること」を気にしていたのではなく、単に風習や習慣に従っただけという人もいると思います。 歯を磨く、洗顔する、保湿クリームを塗る、肌着を着てから上着を着るなどの行為でも、それを人間関係への配慮や意識として理解するのは誤解であることの可能性が高く、ただの動作記憶で自動連続行動をしていると理解する方が合理的な可能性が高いです。

周りの人の行為や発話、発声を、「対象となる相手がある行為のハズだ」と思うのは、間違しまうケースがそこそこ発生すると思います。
もちろん、政治家でも、商売人、芸人、医者、警官、父母子、友人、道や車中でたまたま遭った人の「ある行為や発言」を、状況などを勘案して、その勘案内容の一部として、「対象となる相手がある行為」の可能性を想起するのは、意味があることである可能性は高いです。

なお、「ある友人によく抱きついていました」は、「ハグしたときとても心地良くて見かけたら飛びついてハグ」ということもあるかもしれませんが、「感触面の心地よさ」の他にも、「親愛感の相手へのアピール」とか、「いつもやっているのを今回しないと、疑念を起こさせてしまうのではないかという懸念」、「自分とある友人との関係を第三者アピール」とか、「自分の中で湧き上がっている元気や躍動感の発露」とか、「ある友人との挨拶の一種」とか、いろいろある可能性はあります。
5~6歳の子が、道を歩くとき、ときたまスキップをしたり、跳びはねたり、いろいろやるのを見かけることもあります。 雨上がりの水溜まりでバシャバシャというのも見かけます。 あれらは、「自分の中で湧き上がっている元気や躍動感の発露」だろうと私は思っています。 大人が景色に見とれているのも、「対象となる相手がある行為のハズだ」「そのような行動も、よく考えれば、対人関係の中でのみ意味があるのです」と理解するのは適当ではないです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
質問文だけでなくお礼までも読んだ上で回答してくださってとてもうれしいです。ありがとうございます

①②③④なのですがアドラー心理学は「人間の最も強い欲は所属感を求めること」「すべての行動には目的がある」と考えており、この2つから論理的に導けるのが「人間のすべての行為は対人関係上の目的がある」なのです
そのため学術的には適用対象を制限していないと思います(実際にそうであるか、正しいか間違っているかなどはさておき)

全体を通して白亜気さんは「習慣化された無意識的な行動であるため無目的である」ということでしょうか?

私の意見としては「このような状況において、この行為をすることが適切である」と生きていてどこかで学んだのではと思います

「おみくじはみんなと話す話題にできる」とか「みんなから汚いものとして見られたくないから清潔にしようとしている」とかが起点となりやり始めた行為が実際に「話題にできる」「汚いものとして見られなくなった」等の目的が達成されることで無意識に「くじを引けばよいのだ」「清潔にすれば良いのだ」という価値観が生まれライフスタイル(性格)として刻まれたのではないでしょうか。正しいかは知りませんけど。

何が言いたいかと言いますと、こういったことは対人関係上の目的が十二分にあるんじゃないかなぁということです。正しいかは知りませんし強引に判断しているかも知れませんけどね。

また「いつもやっているのを今回しないと、疑念を起こさせてしまうのではないかという懸念」、「ある友人との挨拶の一種」は思いつきませんでした。なるほどありえそうです。

> 5~6歳の子が、道を歩く.....「自分の中で湧き上がっている元気や躍動感の発露」だろうと私は思っています。
このころの子供って本当に元気ですからね。実際に元気や躍動感が溢れ出てるんだろうなぁって私も思います。
ここから私の意見なのですが「この元気と躍動感はどこから来るのだろう?」と考えると「自分にできることを増やすため、確認するため」ではないかなと思います。それは社会的動物として社会に対して貢献できる存在になろうとしてるんだろうなぁって見てます。

景色についてはどうでしょう?さっぱり思いつきません。反例として覚えていたいと思います。

この度はありがとうございました。

お礼日時:2020/01/12 12:15

no.3です。


ご返信ありがとうございます。

そうですね、言葉というのは難しいものです。見る角度によって解釈が変わるからですね。

ーー「抱きつくという行為の理由は何か?」

それはもう既に質問者様が述べています。
ーー'相手'に'好きという思いを伝える'手段

そして、その後に続くのがこちらの言い分である。
ーー相手が拒絶しないから受け入れてくれたと感じ心地よい気持ちが生まれた


ここでこちらはあなたが仰る「相手」が存在すると言いたいわけですね。
つまり、最初から相手は存在していましたが、あなたは「相手役が存在しないのです」と仰る。このことを矛盾していると話をしていたわけですね。
相手の存在を改めて考慮すると話の筋が通りましたよね。そして、あなたが導き出した答えが「所属感」であったということですね。しかし、忘れてはいけないのは、結局答えを導き出したのは質問者様であって、私ではない。
理由は私がしたことは矛盾への指摘でしかないからです。
これと同じことが起こっていると言いたいのです。

現実では、あなたが仰るようにその「相手」の心の内はわからない。
精神的には苦痛だった可能性もありますが、それでも友人と認めていたから渋々でも受け入れていた可能性もある。
それがno.4さんの仰る言葉の説明でもあるわけですよ。
状況や環境によって行動の意味は繊細に変わってくるからです。常に答えが一定とは限らないのです。

ですから、必ずしも「所属感」ではなく、自己満足のための行為でもありますし、それ以外の場合もある。
なにも特別な意味がない場合もあるわけですね。人間は全く意味のない行動を取ることもあるからです。
しかし、思考の整理をする上で説明が必要であれば、あえて適切な言葉を用いている。
ただその用いる言葉には多々意味がある。どの意味を取るべきかは毎回変わる可能性がある。

恐らく第三者の視点で見てみるとよろしいと思いますよ。
主観的に見過ぎると、どうしても誰でも視野が狭くなりがちになり見落としてしまいがちですが。
全く他人の立場からみると、見える景色がぐっと広がりますよ。

失礼します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

seeandarrowsさんの仰る矛盾の意味がわかりました。
「'相手'に'好きという思いを伝える'手段」という目的に対して「相手役が存在しない」といっているけど「相手はいるじゃないか?」とお考えになられていたのですね。

また「私が抱きついたときに相手はどう感じたのか?」が質問の主題と思われたのかなと思いました。(それとも、回答する側から見れば質問者の持っていた目的を解釈することは不可能だ、と仰りたかったのでしょうか。。?)

もし、そうでしたら、やってしまいました。確かに読み返して見るとそう捉えられかねない文章を書いていました。


> 「'相手'に'好きという思いを伝える'手段として抱きつき.....たいということもありません。

これは

「'相手'に'好きと...気持ちが生まれた」と解釈すればアドラー心理学の主張を満たせられるため、学術的には納得いきますが、私自身としては「そのような目的で行っていた訳ではない」と思えてならず、これは強引な解釈と思えてならない。であれば私は他のどんな目的を持っていたのだろう。。

という意図で書いていました。「とても納得いく」を曖昧に使いすぎていました。また

> ・相手の行為を「相手は誰か」、「目的は何か」で理解するにはどうすればよいか

については「相手」を曖昧に使いすぎており、正確には

> ・任意の相手が行う行為について「誰に対するものか」「何が目的なのか」を理解するにはどうすれよいか

と書くべきでした。

おかげさまで修正すべき点が判明しました。

ただ、これは私個人の意見なのですが、「ある行動の目的は常に一定」で「全く意味のない行動を取ることはない」と私は思っています。
勘違いかも知れませんが、今の心理学では「どんな行動にも理由がある」というのが主流だと感じています。(正しいか間違っているかはさておき)。
そう考えた方が、建設的に問題を解決できますからね。

この度はありがとうございました。

お礼日時:2020/01/12 11:19

アドラー心理学は、フロイトの精神分析学と同じく社会科学です。

物理などの自然科学と違い、人間心理の大雑把な傾向を説明する理論でしかありません。多くの学問がそうであるように、発展途上であり、完成版ではありません。

アドラーが喧嘩別れしたフロイト理論と同じく、全ての行動を自然科学的に説明するものではありませんので、例外的なものや、思想を拡張していく過程で、時には無理やり自分の理論に強引に当てはめて説明し、他派からこっぴどく攻撃を受けるレベルだとお考えになった方が良いでしょう。大筋としては興味深く、大きな説明力を持っているとしても、あらゆる行動を心理的に説明しきれる学問ではありません。

アドラー派も、自説を説明しやすいような事例を持ち出して「目的」と「相手」を使っているだけであると理解した方が宜しいでしょう。
あらゆる事象を強引に「目的」「相手」で説明しきることに意味はありません。
アドラー心理学で世の中の見方を楽しみたいということでしたら、「血液型別の行動特性」よりは遥かにましである、という感覚でお楽しみください。
そうではなく、今後は学問的に人間心理の研究を続けたいというお話ならば、アドラーなど先人の研究を補完するなり、アドラー派も驚くような新説を創るために是非頑張っていただきたいと存じます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「【傾聴】相手の...になるには」ではお世話になりました。

やはり、すべての行為を相手役がいる目的として解釈することは難しいですよね。

「人間は所属感を求めて動く」「人間はすべての行為に目的を持っている」
私個人の意見なのですが、アドラー心理学には、この2つの主張があり、そこから導かれる結果の「すべての行為には対人関係上の目的がある」という流れがあることを私は感じ取りました。
なるほど確かに矛盾なくよくわかる論理展開だ、と興味深く感動しました。
気持ち良い流れだなぁと思っているため、すべての行為から対人関係上の目的を見つけたかったのですが、無理なのでしょうかね。。

また心理療法おいて、目的を見誤ったり、相手役を見誤ったりしたら適切な対応をできないのではないか。
ならば、相手役と目的を見誤らないように理解しようとするための技術や手法が存在するのではないか。

等々、色々と好奇心がくすぐられていたのですがアドラー派にそういったのはないのでしょうか。。。
そうなると「どうやってカウンセリングするんだろう?」と疑問が残りますが。。。

うーん。流石に、全てを強引にではなく説明することは不可能で、その技術も手法もないのかもしれませんね。
そうなったら血液占いよりマシな程度で、治療なんかもまやかしなんじゃないかと思えてきますが、そんなものなのかも知れませんね。

いや、私はこのことから「その程度かも知れないという視点も持って心理学を見ること」を学ぶべきなのかも知れません。

勉強になりました。この度はありがとうございました。

お礼日時:2020/01/12 10:31

それほど難しい話ではないのではないでしょうかね。



ーー「'相手'に'好きという思いを伝える'手段として抱きつきたく、それを正当化する理由として、心地よいという気持ちが生まれた」であれば、とても納得いくのですが、同性相手に恋愛感情を抱いたことがない上に好きという思いを伝えたいということもありません。

まず、好きという感情は異性間だけのものではありませんよね。
人間そのものへの愛情も存在します。家族愛だけにとどまらず、見知らぬ他人の愛らしい姿の赤ちゃんを可愛いと思うのもそれと同じです。赤ちゃんが男か女かはさほど重要ではないのです。

また、あなたの例文には常に一方的になってしまっているから矛盾が生まれているのですよ。

「'相手'に'好きという思いを伝える'手段として抱きつき、相手が拒絶しないから受け入れてくれたと感じ心地よい気持ちが生まれた」

こうですよね。
一方通行な思いでは成り立たず、相手が存在するからこそ成り立つこともある。
結局は本人が好きになったり認めた相手からも好きになってもらったり認めてもらえたら嬉しい。
その心は単純です。
本ではなく、現実世界で周囲の人々をよく見てみるといいかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

seeandarrowsさんのおっしゃる一方的という意味が私には理解できませんでした。申し訳ありません。
自分では自覚できていなかったのですが一方的だったでしょうか。。また、自分では矛盾は感じていなかったのですが矛盾していたでしょうか。。。

> 「'相手'に'好きという思いを伝える'手段として抱きつき、相手が拒絶しないから受け入れてくれたと感じ心地よい気持ちが生まれた」
> こうですよね。

えっと。。そうであってそうじゃないって気持ちです。(苦笑)
ですが、seeandarrowsさんのおっしゃりたいことはわかりました。

私は「抱きつくという行為の理由は何か?」を主軸に例文を作っていたのですが、seeandarrowsさんは「その気持ちが生まれる理由は何か?」というのを主軸に読まれているように思いました。ここがスレ違いの元でしょうね。

そして、どちらにしてもseeandarrowsさんの主張は「'相手に受け入れてもらえたことによる所属感の獲得'が理由」というわけですね。

なるほど。と思いました。実際、好意的に受け入れてもらえてたかというと、まったくでしたが、確かに所属感の獲得という点で解釈できる状況ですね。
面白いですね。seeandarrowsさんのおかげで抱きつくという行為には受け入れてほしいという隠れた目的が存在しえると気づきました。
そうなってくると隠れた目的を知るためには、自分の行為に対する相手の反応をどんなふうに受け取っているのか、を傾聴で聞いてみるというのがいいかもしれませんねぇ。

あと、感情には所属感の獲得・喪失・略奪のために生まれるのかなと思いました。
所属感を得たときに嬉しいと思い、所属感を失ったときに悲しいと思い、所属感を手に入れようと怒ったり。
感情はそこに行き着くのではないだろうかとふと思いました。
これなら、根底には所属感を得たいという欲求がある、というアドラー心理学の主張も満たせますしね。

この度は、稚拙な文を読んでもらった上にしっかり回答していただきありがとうございました。
色々、気付きが得られました。

お礼日時:2020/01/08 21:42

長いので、良く読んでいませんが、


あれでしょ。

悲しいから泣くのではなく、泣くから
悲しいのだ、てやつでしょう。

これ、現在の認知心理学では否定されていますよ。
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この回答へのお礼

ありがとう

ご回答ありがとうございます。

私の理解が正しければですが、泣くことを例にしますと

周りに対して「もうやめて!」と訴える手段として悲しみを伴いながら泣いている。

と行った具合で「泣いてるから悲しくなってくるのだ」という感じではありません。

それと「涙は'周囲'を支配しよう」という他者の存在がある目的だと感じ取れますが、「食事をしてお腹を満たそう」という目的は他者の存在がありません。それは許されることなのか?というのが質問の意図です。
(最初からこう書けばよかった……申し訳ありません。)

お礼日時:2020/01/08 17:24

「すべての行動には目的がある」とは言っていますが、


アドラー自身の言葉で「すべての行動には'相手'と'目的'がある」と言っている文献ってありますか?

アドラーを解説する人が自分で勝手に「すべての行動には'相手'と'目的'がある」と言って'相手'を付け足しているケースは見ますが、
アドラー自身の言葉では「相手と目的」と書いてある文献が私自身の記憶にないので、差し支えなければ、そしてもし覚えていたら、教えてみてください。

アドラーに関する書籍はかなり所有してますので、ご指定いただけたら私自身で前後の文脈を調べることもできるかもしれません。

正直言いまして私自身も、すべての行動に目的がある、までは十分理解可能ですが、すべての行動に相手がある、というのは理解不能です。

たとえば、空腹で死にそうなときの食事という行動はどこに'相手'があるのだろうか、と。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

今、さっと読み直したのですが

アドラー心理学では、人間のあらゆる言動を対人関係のなかで考えます。;幸せになる勇気

アドラーは「人間のあらゆる行動は、相手役が存在する人間関係である」と言っています。;アドラー流一瞬で心をひらく聞き方

とありました。しかし、ご指摘どおりアドラー自身の言葉としては書かれていませんね。

対人関係論で調べたところ次のpdfが見つかりました。野田俊作先生が書いたようです。
http://adler.cside.ne.jp/database/002/002_01_nod …

ここには

アドラー心理学は、あらゆる行動は、対人関係上の問題の解決を目的としてデザインされ実行されるのだ、と考えます。

一見他者との対人関係とはまったく無関係で、個人の内的世界とのみ関係しているように見えるものがあります。そのような行動も、よく考えれば、対人関係の中でのみ意味があるのです。

という2つの文がありました。

また記憶頼りで、今、目で確認したわけではありませんが
アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4478026300/books …
の中で書かれていたような気がします。手元にないため確認できませんが、印象に残っているため、おそらくはあったかと。
参考程度ですが、https://diamond.jp/articles/-/143399にも、書かれていたのではないかと思わせることが書かれています

ですが、どれもアドラー自身が述べているのかどうかは定かじゃありませんね。アドラー自身が本をあまり書かなかったことが影響したのか。はたまた、そんな意味合いは存在しなかったのか。悩ましい限りです。。


余談ですが、hanzo2000さんのおすすめするアドラー関連の本って何かありませんか?今、どれを買おうか悩んでいまして。よろしければお願いします。


あとさらにお遊びみたいなことですが

空腹で死にそう=食事をしないと死ぬ=他者と関われなくなる
よって
食事=他者とまだ関わりたい

なんて言葉遊び的なことをふと思いついたりしました。

お礼日時:2020/01/08 18:45

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