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新聞では、記事を書いた者の名前が掲載される時と載らない時がありますが、どう云う使い分けをしているのでしょう?
スペースの問題もあると思いますし、デスクが責任を持って載せている事も推察されますが、記者名を掲載されると、こちらも信頼感が増すのですが....

又、別の質問になってしまいますが (了)って云うのを良く見ますが、この意味は何ですか?

A 回答 (5件)

確か、毎日新聞は、全部署名入りですよね。

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記者名を、乗せない。

=文責者がいない。ですよね。

しま・う ―まふ 0 【仕舞う/▽終う/▽了う/▽蔵う】
りょう れう 1 【了】
了は、終わりということで、連載したものの、最後です。あるいは、単発で完結で、続きはありません。という意味だと思いますが。。。
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この回答へのお礼

なるほど「終了」でしたか!
ありがとう ございました。

お礼日時:2004/12/29 08:38

欧米の新聞は,ほとんどの記事が記者の名前入りです(署名記事といいます)が,日本は最近まで,署名のない記事が大部分を占めていました。


(例外として,外国に派遣した特派員が書いた記事は,昔からほとんどが署名入りでしたが。)

理由として,日本のマスコミは,報道の仕方として,主観を廃してなるべく客観的であるべきだ,という建前があったからではないでしょうか。
でも,大事なのは「主観的な内容と客観的な事実とを区別すること」ですから,それがきちんとできていれば,「これは記者の個人的な考えです」と断った上で,個人的な意見を載せたっていいわけですし,むしろあまりにも主観的な判断を客観的であるかのように装って書く方が問題だと思います。

そんな中で,毎日新聞はかなり前から「記者の目」という欄で,記者個人の名前や顔写真まで載せて,かなり突っ込んだ個人的見解まで時には掲載していましたし,数年前からはほとんどの記事に署名をつけるようになりました。
もちろん,おっしゃるとおり最終的にはデスクが内容をチェックして載せているわけで,個人の書きたい放題ではありませんが,それでも名前が出ることで,読む側には信頼感が生まれますし,書く方にとっても励みになるのではないでしょうか。
他紙は毎日に比べると少ないですが,それでも以前と比べると少しずつ増えているように思われます。

ちなみに,この点で進んでいるのは韓国で,かなりの新聞が,ほとんどすべての記事の末尾に記者の名前をつけており,それだけでなく個人のメールアドレスまで載せていることも多くなりました。

(了)は,実際にgoo_0102さんがどういう場面でご覧になったのか分からないので,もし違っていたら補足して下さい。
No.2さんのおっしゃるとおり,これでおしまい,続きはないよ,という印としてよく使われます。
実際にはあまり紙面では見かけませんが,ウェブ上に乗っている連載ものの記事のタイトルなどで,最終回であることを示すのによく使われます。
「○○を考える(1)」
「○○を考える(2)」
「○○を考える(3=了)」
こんな感じでしょうか。
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この回答へのお礼

そうですね、意味はそんなだと思います。
ただ日本人も そろそろ ここのメディアの特徴は、こうだ。こちらの新聞は、こう云う傾向にある。と判断力を持ち始めているのでは無いでしょうか?
平等,平等 って言葉には、限界も無理もあるでしょう。
個人的には、もっと個性のある報道体制でも良いと思います。

そして、その判断をする材料に、署名がある事が必然と思います。

お礼日時:2004/12/29 08:44

(了)については、すでに解決ずみのようなので、署名についてです。



毎日新聞以外の新聞については、大ざっぱに「ニュース解説記事、コラム」には署名が付き、「事件事故記事、ストレート記事(何月何日に●●があった)」には署名が付かない傾向があります。

解説、コラムに署名が付くのは、主観が入ったり、どうしても記者の見解が入る場合があるためです。

事件事故記事「●日午後●時ごろ、新宿区●の国道●で、●さんの乗用車がセンターラインを越え、対向の▲さんのオートバイと正面衝突した。」や、ストレート記事「●幼稚園児が●を慰問」では、ある程度訓練を積んだ記者ならほとんど書き方は変わらないでしょう(ひどく乱暴なくくりですが)。

しかし、お尋ねの通り、繊細な問題を扱ったものや長いストレート記事の場合、両者の中間地点になり、あった方がいいのでは? という例も見られます。

そうは言いながら、毎日新聞以外の新聞も、この十年で見ると、明らかに署名入りの記事が増えてきました。

記者の顔を前面に出していく、文責をはっきりさせて主張を明確にしていく、というのは全体的な流れのようです。
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日本の新聞の場合は、社説ですら、間違ったことを、書いても、訂正記事は、出さないし、あまり、文章に記者個人が責任を持つ(当然、ディスクも、社としても責任を持つ)と、いう意識は、まだまだ育っていませんです。



まだまだ、三流週刊誌記事とそんなにレベルが変わらず、全国紙の記事に、記者としての表現と責任が、両方バランスよく出している新聞は、無いのでは???(それこそ、私個人の主観と言われればそれまでですけど)

ようやく、法律違反行為をしている会社の広告は、取り扱わないと言う程度の、企業倫理感なんですね。

他人や他社は、激しく批判し、糾弾するが、自己や自社には、甘いと言うのが、日本の新聞の、レベルでしょう。

まず、警察記者発表について、どれだけ自社で、裏を取ってから、報道するかとか、記者発表のニュースソースから、社として、裏をとって、社独自の責任記事を続稿するかというと、それは大変めずらしいケースでしょうね。

一般企業に、企業倫理の高揚を、ニュースにする、全国紙各社が、自社の報道倫理自主基準を、大々的に、発表し、徹底して守っているというのは、あまり聞きませんでしょ。

そんな程度ですので、文責者、個人名や、文責部署名(社会部とか)を、すべての記事に記入する。あるいは、文字数制限があれば、一文字マークを付けるなんて行為は、しないというのが、ベースにあって、一部に、責任部署や文責者名を、記すという程度が、実情だと思います。
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