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今まで国内外問わず、日本によって血がたくさん流れました。その過去があるので人のこと言えねぇじゃねえかと言われてしまうとそれで終わりですが、どうしてあれだけの力と資源、おそらく頭だってあるのに殺戮を繰り返す方法しかできないんでしょうか?

A 回答 (6件)

どうしてあれだけの力と資源、おそらく頭だってあるのに


殺戮を繰り返す方法しかできないんでしょうか?
 ↑
人を動かすには、
 説得、
 金、
 腕力
とあるわけで、その場その場で最も
効率的な方法を選択するわけです。

その選択の結果が殺戮の場合もある、
ということです。

殺戮「しか」ということはありませんよ。

説得で人を動かすなんてのは、現実には
難しいので、金や腕力を使うことになりますが、
中国は金も使っています。
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A:>日本によって血がたくさん流れました。



とりあえず、まず↑を騙る理由とその根拠を教えてください。

私は、無知に公平や中立を気取る資格はないと思っています。

あなたはAの理由を、日本人が無抵抗でいなかったから だとお考えなのでしょうか。
日本人には正当防衛の権利すらないのでしょうか。
当時の支那の状態(↓)をご存じの上でこのような夢を見ているのでしょうか。

当時の支那内陸は、共産党(毛沢東)や国民党(蒋介石)や張作霖等の軍閥政権が割拠している無法地帯でした。
彼らは、支那人から搾取するだけでなく外国人の居留地も襲って略奪や虐殺をしていました。
日本は彼らと何度も話し合い条約を結びましたが、彼らがそれを順守する事はありませんでした。
日本の軍事行動は、それに対処する為のものです。


質問文の「日本によって」という言葉は、↓の事件をご存じの上で仰っているのでしょうか。

【漢口事件】(1927年)
漢口で日本の租界が襲われ暴民が掠奪を行なった。
日本人居留民2000人は上海に退避した。


【南京事件】(1927年)
支那の北伐軍にいた共産党員が南京で行った虐殺事件。
領事館や学校、企業、外人住宅を襲って、虐殺、暴行、掠奪を行なう。
一般市民も略奪に参加していました。

↑に対して英米は日本に「鎮圧の協力」を求めましたが、日本政府は「支那を刺激したくない」として拒否しました。
日本の抵抗がないと知った支那兵は日本領事館に押しかけ、暴行と掠奪を行ないました。
南京事件の結果、揚子江流域の日本人は財産を放棄して内地に引き揚げざるを得なくなりました。


【間島暴動】(1930年)
ソ連の支援を受た満州と朝鮮人の反日・共産主義諸団体が交通機関や発電所と日本の領事館や親日朝鮮人の家を襲った事件。
この後も日本人や親日朝鮮人への攻撃が続いた為、現地日本の武力行使を要望する請願が出されました。
しかし、日本の対応が消極的な為に大陸での反日・侮日は激化していきました。


【日本人僧侶殺害事件】(1932)
上海で日本人僧侶2名、信徒3名が支那人に襲われ、2名が死亡3名が重傷を負った事件。
これが元で第一次上海事変が勃発しました。


【親日社長暗殺事件】(1935年)
日本と満州に友好的な「国権報」と「振報」の社長が暗殺された事件。
調査の結果、国民党の関与がわかりました。



【通州事件】(1937年)
冀東政府の保安隊千数百人が日本守備隊と日本人居留民を襲撃して虐殺した事件。

「通州事件の目撃者による口述書の一部引用」

守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。
某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。
旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射刺殺され、陰部にほうきを押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに堪えなかった。
東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合わせて、それに八番線を通し、一家6名数珠つなぎにして引き回した形跡歴然たる死体が浮かんでおり、池の水は真っ赤になっていた。
夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、
鼻に牛のごとく針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこのちり箱の中やら塀の陰から出てきた。

この事件に日本の世論は沸騰し、支那への感情は非常に悪化しました。



【大山大尉虐殺事件】(1937年)
上海で車で視察中の大山勇夫海軍中尉が支那の保安隊に殺された事件。
大山中尉は機関銃弾で殺された上に、頭を青竜刀で割られていました。


【長沙焚城】(1938年)
日本軍からの攻略を受けた都市は焼き払うよう命令されていた支那軍による暴行略奪事件。
支那軍の放火によって大火災が巻き起こり、二十万人以上の死者が出ました。
放火後支那軍はお決まりの略奪を開始しています。


【黄河決壊事件】(1937年)
国民党が日本軍の進軍を止める為に黄河と鄭州の堤防が破壊し、それによる洪水で水死者百万人、被害者六百万人、水没した耕地は一千七百アールの被害を出した事件。

国民党は「日本の空爆で黄河が決壊した」との偽情報を報じた為に、各国の世論も日本を非難しました。
その後、真相が外国人記者に見破られ、国民党の自作自演が明らかにされています。




満州事変で満州を独立させたのは、満州を支那から切り離す為のものです。
しかし、その後も彼らは満州国内でテロ行為を繰り返しました。
日本軍の支那本土への進出は、彼らの本拠地(南京)を叩かないと問題が解決しないと判断したからです。
「平和ボケしてるであろう私の中国への疑問」の回答画像6
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> 日本によって血がたくさん流れました。



それは殆ど嘘と言って良くて。
歴史的な細かい時系列をきちんと押さえているわけではありませんが、要するに日清戦争以降、中国の無政府状態が酷くなって、野盗の群れが毎晩(かどうか知りませんが)どこかを襲うような状態だったのでしょう。
そこに日本がやってきて、治安を良くして、日本の占領地には、人が集まるくらいになったのです。
つまり、日本が居なければ、遙かに血が流れていたわけです。
実際、日本が撤退したら、毛沢東が5千万人を殺したわけです。
それに、日本が殺戮をしまくったなら、住民は帰ってこないどころか町から逃げますよね。日本が統治したら、人口が増えるんだから。
人のことが言えないのは中国人韓国人ロシア人です。
日本人は概ねそんな酷いことはそれほどしてないはずです。

文化や来歴。
そもそも、ろくに言葉の通じない少数異民族が、それぞれ集落、町を形成していたところに、漢字というコミュニケーションツールを用いて通商できるようになったのが、所謂漢人の元でしょう。
そこに更に、周辺異民族が押し寄せてきて、脅してタカって、ついには王朝毎滅ぼし、おそらく住民もかなり殺されて、という入れ替わりが10回近くあったわけです。
それに、中華平原の一カ所で不作飢饉疫病等が起きると、自然条件が広範囲で均一なため、被害が広範囲になり、手の打ちようが無くなるそうです。
日本なら、山や海でわりと区切られていることが多いし、太平洋側と日本海側で気候が全然違うし、なんてことで、広範囲に均一な被害は起きにくいらしいです。
そんなこんなで大量に人が死ぬと、内乱が起きるし、周辺異民族が乗っ取りに来るしで、人口が度々激減し。
そんなこんなで、血族と金以外、信用できないらしいです。
知恵があったところで、対立勢力に知恵者がいるのは、むしろ拙いわけですよね。
それに、結局そういう征服王朝の積み重なりは、野蛮人世界一武闘会のチャンピオンが国を統治しているようなものなのでしょう。
事実、日本も、連中があまりにも野蛮なので遣唐使を廃止しましたよね。
その中では、清は割と優秀な政権だったらしい。勿論女真族による異民族国家だけれど。何が異民族なのかもはや判らないのだけれど。
考えてみれば、中国残留孤児も、満州人がよく育ててくれたわけです。朝鮮残留孤児なんて、聞いたこと無いのに。
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中華思想の根源だからですよ




絶対的に王者であれとね
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一番楽な方法だから。

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平和ボケなんかしてません


中華社会を築き上げるために各地の戦闘の準備をしているのです
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