私の家は、浄土真宗です。
亡き祖父母の影響もあってか、年齢の割には、説教(節談説教)を聞くことが趣味の一つです。
例にあげれば、”吉崎御坊、肉付きの面”などでしょうか。

ところで、死に際に”死ぬのは怖い”あるいは”死ぬのはいやだ”と言ってお側付きの方に泣いて困らせた有名なお坊さんの名を教えてください。

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A 回答 (3件)

浄土真宗の門徒さんであることと、節談説教が好きな事と、ご質問は関係が無いようですが・・・・



ご質問の有名なお坊さんとは、
晩年を共にした盲目の森女に、「死にとうない」と言った室町時代の臨済宗の僧・一休禅師のことではないでしょうか?

ちなみに、No.1でご回答のshibako74さんが私ども浄土真宗のご開山・親鸞聖人もといっているのは、死にたくないという意味ではありません。
歎異抄九章に
「念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定(と)おもひたまふなり。よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。・・・」とありますが、現代語にしますと、
「念仏を申していますが、天におどり地におどるほどの喜びの心が湧いてきませんし、またはやく浄土へまいりたいと思う心も起こってこないのはどういうわけでしょうか」とおたずね申しあげたところ、聖人は、「親鸞も同じように思っていたが、唯円房、そなたも同じ心であったか。よくよく考えてみると、天におどり地におどるほど喜ばねばならないことを、そのように喜ばないわが身を思うにつけても、いよいよ往生は間違いないと思います。というのは、喜ぼうとする心をおさえとどめて喜ばせないのが煩悩のしわざです。ところが阿弥陀仏は、このような私であることを前もってお見とおしのうえで、煩悩具足の凡夫であるとおおせられて、このような煩悩具足の凡夫である私たちを救うために大慈大悲心よりおこされたご本願ですから、ご本願の目当てがこのわたしどものためであったと気づかされて、一層たのもしく思われます。」の意です。誤解の無いように。
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この回答へのお礼

amida3さん、回答ありがとうございました。

>浄土真宗の門徒さんであることと、節談説教が好きな事と、ご質問は関係が無いようですが・・・・

確かに、今の因果関係はありません。
ある35日法要のお座で、お寺の住職が説教を語られたとき、その名前を聞きそびれたのです。それで、気に止めていたのですが、どうにも判らなくて・・。

>「死にとうない」と言った室町時代の臨済宗の僧・一休禅師のことではないでしょうか?

回答を頂いたこの方は、その当時の平均寿命でいうと相当に長生きされたと聞いておりますが、90才程度で亡くなられた方でしょうか?
お分かりならば補足を入れていただければ幸いです。

また、歎異抄の詳細説明ありがとうございます。
私もここは読んでおりましたが、目に映る程度で理解できずにいました。

まずはお礼まで。

お礼日時:2001/08/08 08:05

amida3さん、訂正ありがとうございました。

インターネットで検索したところで親鸞のその文章を見たものですから、私も知らずに浅い知識で載せていたのでした。
tadanokumaさんにも誤解をさせてしまい、ご迷惑おかけしました(ぺコリ)。
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この回答へのお礼

shibako74さん、再度の書き込みありがとうございます。
誰にも誤解はつき物です。
私も、完全に誤解は無いとは言い切れませんので、余りお気にされないようにお願いします。
お気づきの点がありましたら、ご回答をお寄せください。お待ちしております。

お礼日時:2001/08/08 16:37

鑑真ではなかったか?と私の記憶は言ってますが、


親鸞聖人も「極楽にいきたいとはちっとも思わない」と洩らしていたそうです。
また、何かの書物で、三重県(和歌山かも)には死期が近い住職を海岸から小船で極楽浄土へ流すというしきたりがあって、中には泣いて嫌がる住職を縛り付けて無理矢理海に流した、というくだりがあると聞きましたが、ごめんなさい、書名は覚えていません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
いろいろ教えてくださり、勉強になります。
さて、「鑑真」「親鸞聖人」ですが、私の勉強不足なのでよくわかりません。

>死期が近い住職を海岸から小船で極楽浄土へ流すというしきたりがあって、中には泣いて嫌がる住職を縛り付けて無理矢理海に流した、というくだりがあると聞きました。
については、昔なら十分あった出来事と思います。自分なら絶対いやですが。
お坊さんは「住職」の可能性もあります。
できれば、また、教えてください。<(__)>

お礼日時:2001/08/07 10:35

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Aベストアンサー

>仏教のお坊さんで悟りを開いたお坊さんはどれ位いるのでしょうか?

・一人もおりません。

>高僧と言われる人は悟りを開いた人なのでしょうか?

・違います。

>悟りを開いたお坊さんとそうでないお坊さんはどこでわかるのでしょうか?

・お坊さんは悟りを開いてはおりません。

※ご質問の中に、「仏教」とありますので、仏教で言うところの『悟り』についての記述には、「物事の道理を明らかに感知すること。迷いを離れ真理・実相を証得すること。成仏の境地・仏果を得ること。」とあります。

そもそも、「僧」と言われる立場の方々は、古来より伝わる仏典、釈書によって仏教を研鑽し、その教えを行じてきました。あるものはその宗門に残り、あるものは独自の宗派を開いてきました。しかしながら、全てそれらの教えが、釈尊よりの教えを正しく理解し行じているかといえばそうではなく、独自の解釈や全く仏意を度外視した内容としてしまったり、また、時代の流れの中で、寺をその周囲の住民を管理させるもの(檀家制度)としてしまったり、仏の本意からは大きくかけ離れてしまっているのが現状です。

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そういった意味で、単なる「僧」というにはあまりにもかけ離れている為、上記の回答といたしました。

>仏教のお坊さんで悟りを開いたお坊さんはどれ位いるのでしょうか?

・一人もおりません。

>高僧と言われる人は悟りを開いた人なのでしょうか?

・違います。

>悟りを開いたお坊さんとそうでないお坊さんはどこでわかるのでしょうか?

・お坊さんは悟りを開いてはおりません。

※ご質問の中に、「仏教」とありますので、仏教で言うところの『悟り』についての記述には、「物事の道理を明らかに感知すること。迷いを離れ真理・実相を証得すること。成仏の境地・仏果を得ること。」とあります。

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そのほか僧侶の立場での他宗派との大きな違いを教えてください。

Aベストアンサー

不良坊主(というか実家が忙しいときだけ手伝っている身分)なのであまり専門的なことは申せませんが。

僧侶になるには得度が必要です。
大学等は一切関係ありません。
浄土真宗では開祖の親鸞上人が9歳で得度したことから、9歳から得度できます。

私自身は大学1年生の時に得度しました(薬学部でした(笑))その時の同期には、小学生からお年を召された方、外国の方まで様々でしたよ。
剃髪については本山によって異なります。
浄土真宗には10派あり、それぞれに本山があります。私の場合は頭にかみそりを当てるだけでした。

生活については実家がお寺というだけでごく普通に成長しましたし、学生時代は仏教にあまり興味がありませんでしたので薬学部に進学しましたし…。お経の練習や内容、教義などは父親や本山での研修そして独学です。

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不良坊主(というか実家が忙しいときだけ手伝っている身分)なのであまり専門的なことは申せませんが。

僧侶になるには得度が必要です。
大学等は一切関係ありません。
浄土真宗では開祖の親鸞上人が9歳で得度したことから、9歳から得度できます。

私自身は大学1年生の時に得度しました(薬学部でした(笑))その時の同期には、小学生からお年を召された方、外国の方まで様々でしたよ。
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Aベストアンサー

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Aベストアンサー

・・タイトル通りの「ご質問」ですよね?

現在、悟りを開くという本来の意味合いの仏教徒はどれくらいいるんでしょうかね。
お坊さんという「職業」の人が多いだけではないかと思うのですが。
葬式だ法事だ何十何回忌だ、などと意味あってやっているわけではなく、
単に慣習だからやっている(除く葬式)だけで、そこでどのようなお経が読まれていてもわからない。
お経を読む儀式をやっているだけで
(肉体を離れた魂にはお経の内容が理解できるらしいですよ(笑)
なんかビジネスライクというかね。
仕事としてやっている且つ儀式を遂行する事が大事なのであって、
見た目は重視されないのでしょう。
まあつまり「親鸞聖人の後追い」をしているのではなく、
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曖昧な回答で申し訳ないのですが、私はこのコミュニティの存在意義は、
このような類のご質問にあると思います。
(googleでキーワード検索すればわかるような質問がなんと多いことか)
故に無理矢理回答させていただきました。

・・タイトル通りの「ご質問」ですよね?

現在、悟りを開くという本来の意味合いの仏教徒はどれくらいいるんでしょうかね。
お坊さんという「職業」の人が多いだけではないかと思うのですが。
葬式だ法事だ何十何回忌だ、などと意味あってやっているわけではなく、
単に慣習だからやっている(除く葬式)だけで、そこでどのようなお経が読まれていてもわからない。
お経を読む儀式をやっているだけで
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棚経お参りに自宅にお坊さんが来られます。以下を教えて下さい。
1.仏壇のろうそく・線香は、事前につけておくべきでしょうか?
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2.お坊さんがお経を読んでいるとき、後ろで立って待っていてもよろしいでしょうか?
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Aベストアンサー

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 線香もつけません。
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3、我が家では、読経が終わる頃、立って行って、お茶の準備をして、
 (前もって、茶器を冷やしておきます)
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 その時、お布施も並べます。
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5、部屋が暑いなら、扇風機はあった方がいいでしょう。
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鳥取県鳥取市の浄土真宗のお寺を探しています
先祖供養の為 戸籍を追ってきましたが
市役所で調べられるのはここまででした
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唯一 手がかりは 最終戸籍の住所と 本籍地
なのですがこの辺りの浄土真宗のお寺を
御存知の方があればお願いいたします

住所 鳥取県鳥取市立川町2丁目*****
本籍 鳥取県岩美郡稲葉村大字岩倉町****

Aベストアンサー

参考URLをご覧ください。
右下の方に鳥取市のお寺が2ヶ所書かれています。
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あとはインターネットタウンページで店舗・企業名をお寺名を、地域を鳥取市で検索。

二つのお寺が共に浄土真宗なら、他にもあるか聞いてみて下さい。

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参考URL:http://kyoto.cool.ne.jp/wakasa_akiyama/

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今ではなぜかお坊さんが逆にお布施を貰ってる側になってるけどいつからお布施の概念が逆転したのでしょうか?

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修行でこんなことが可能などとは、到底信じらません
    ↑
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も無感覚だった、という経験は何度もしています。

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