ネットが遅くてイライラしてない!?

「は」と「が」について聞きたいです。「私は手が痛い」と「私の手は痛い」と「私の手が痛い」は全部正しい文でしょうか?どういう違いですか

A 回答 (7件)

まずですが、


「は」の基本は「主題提示」という用法です。
主題提示することによって、対比したり、限定したり、強調したりすることもできますが、単純に主題提示だけをする場合も多い。
すべてシチュエーション次第で異なります。

#1さんのように、なんでもかんでも『「は」は特殊性の認識を表わす』と主張する人もいますが、これは明らかに間違いです。
たとえば、自己紹介の場面。

・私は hakobulu と申します。

のように言う。これは別に、

・(他の人ではなく)私は hakobulu と申します。

という意味でないのは当然のこと。
一方、みんなで喫茶店に行って注文するとき、

・私はコーヒーを頼む。

のように言う場合。
これは、

・(他の人ではなく)私はコーヒーを頼む。

という意味なので、『「は」は特殊性の認識を表わす』という意味を適用するのが妥当なわけです。

1.
「私は手が痛い」

この「は」は特殊性の認識を表わすわけではありません。
他の人と比較して「手が痛い」と言ってるわけじゃないのは当然のことです。

・私に関して言ってみれば、(私は)手が痛い。

という意味ですが、「私」を、「は」によって単純に主題提示しているにすぎません。
ただ、自らの感覚について言う場合、基本的に主語は省略されます。
なので、

「手が痛い」

とだけ言うのが自然な表現です。
「(私は)お腹がすいた」
「(私は)うれしい」
なども同様。

2.
「私の手は痛い」

この発言は、次のようなシチュエーションがもっとも想定されるでしょう。

(交通事故に遭って、加害者から質問されている場面)
加害者:ケガしているようには見えませんし、特に痛いところはありませんね?
被害者:(「他の部位ではなく」という意図で、)私の手は痛い。

この場合も、1と同様で、自分の感覚について言う場合、基本的に主語は省略されます。
なので、

(「他の部位ではなく」という意図で、)「手は痛い」

のように言うのが自然で、このようなシチュエーションではじめて『「は」は特殊性の認識を表わす』と言うことができる。
とはいえ、もっとも適切なのは、

「手が痛い」

という表現です。

3.
「私の手が痛い」

この「が」は、「動作や状態の対象を特定する」という用法。

(足や顔などではなく)「私の手が痛い」。

という意味。
これは、「が」における『特殊性の認識を表わす用法』と言っても良いでしょう。
専門用語では「総記のガ」のように言います。
この場合も、上記1,2と同様、主語を省略して、

「手が痛い」

とだけ表現するのが自然です。
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この回答へのお礼

わかりやすくて、ありがとうございます。「は」の限定用法は何でしょうか?対比の用法との違いは何でしょうか?例を挙げてくれませんか?お願いします

お礼日時:2020/02/01 15:06

#5です。



>「は」の限定用法は何でしょうか?対比の用法との違いは何でしょうか?

1.限定用法⇒あるカテゴリー全体の中から一部だけを限定する場合。

・中華料理は好きだが、餃子は嫌いだ。
この「餃子は」の「は」は限定用法。

2.対比用法⇒複数の数個を比較する場合。

・シュウマイは好きだが餃子は嫌いだ。
・シュウマイや小籠包は好きだが餃子は嫌いだ。
これらの「餃子は」の「は」は対比用法。

3.どちらか判断できない場合。

・餃子は嫌いだ。
この「餃子は」の「は」は、シチュエーション(または前後の文脈)次第で、限定用法になったり対比用法になったり、どちらでもない単純な主題提示用法になったりします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/02/01 18:00

>私の手は痛い」


間違いではありませんが、通常は、客観性のある状態?、の表現で使われます(痛い、は主観?)、手は大きい、手は長い、手はきれい・・・.
言っている自分でもなぜなのか分からず、改めて文法を・・・。
「は」係助詞、主題の提示、続く内容は提示した主題に関することに限定される、とありました。
そういえば、「私は、そう思う」、字で書くとわかりませんが、言葉で発するときは「は」にアクセントを置きます。
私は(私に限定すれば→私の主観では)、そう思う、そんな意味になります、主題の提示とともに「限定」の実意味もあるのかな?。
自分の体の「痛い」は他人にはわかりませんね「痛い」という表現は、主観そのものですね(当然のことながら私に限定した、内容)。
となれば、主観での内容を表現するにあたり、あえて限定を表す「は」は不要、という結論を得ました。
「私が」と、主格で表現するなら、続く内容は特に限定されません、主格が自身の主観を表現するのに何の差しさわりもありません。
以上個人的な考えですが、表現に対して自身が感じた内容に基づいて、文法を探った結果得た結論です。
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>「私は手が痛い」


一応、通常よく聞く表現です。
>「私の手は痛い」
間違いではありませんが、通常は、客観性のある状態?、の表現で使われます(痛い、葉主観?)、手は大きい、手は長い、手はきれい・・・・。
>「私の手が痛い」
日本語では「私の」が省略されるケースです、会話等では「私の」を入れて表現されるケースは稀といってもよいかも。
文として、正しいかと質問されれば、間違といえない以上、正しい、となります。
でも表現としては、TPO にもよりますが、相手に違和感を持たせる場合もあります。
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全部正しいが、どれを使っても同じにはなりません。

その区別はNo.1の方、No.2の方がおっしゃったように、違いがあります。この「は」と「が」に関する質問の多いこと、普通ではありません。今はこの程度で終わっておきましょう。いずれ詳しく習い、その時また(手ではなく)頭が痛くなるでしょう。
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この回答へのお礼

そうですけど、わからないままだとスッキリ気分になれませんから

お礼日時:2020/02/01 15:00

助詞「は」は、話のテーマを宣言するような働きがあります。


また助詞「が」は、ほかの何かではなく○○が、と○○を指差し示すような働きを持ちます。

「私は手が痛い」だと、"私について話をしますと、(足や頭、お腹などではなく)手が痛いです"
「私の手は痛い」だと、"私の手について話をしますと、痛いです"
「私の手が痛い」だと、"(あなたのでもあの人のでもなく、また、足や頭などでもなく)私の手が痛いです"
という意味合いです。
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「私は手が痛い」



この「は」は特殊性の認識を表わす副助詞で、他の人ではなく私という比較・対照による私の特殊性の認識を表わしています。

「私の手は痛い」

この「は」も特殊性の認識を表わす副助詞で、顔や足でなく、手という、部位の比較・対照による手の特殊性の認識を表わしています。

「私の手が痛い」

格助詞「が」は個別性の認識を表わし、「私の手」という個別の対象の認識を表わしています。

それぞれ意味は異なりますが、正しい文です。■
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